第五話
『今夜12時、麗しの乙女の血を味わいに参ります』
予告状の内容は、封筒の仰々しさとは裏腹に、シンプルなものだった。シーリングスタンプを使うほどのものだろうか。いっそ、カードでよかったのでは? とアリスはかすかに微笑んだ。
目星をつけた女性を麗しの乙女だなんだと持ち上げていても、アリスがその場にいれば、吸血鬼はアリスから血を吸うのだろう。そういう節操のないところも蚊みたい、とアリスは肩をすくめた。
ユリウスは予告状に真剣な眼差しを向け、カバンの中身を確認している。ユリウスのカバンは、相変わらずごちゃごちゃとしていた。対吸血鬼のグッズを取り出そうとしている間に、怪力で吹っ飛ばされて死んでしまうのでは? とアリスは呆れた。吸血鬼というのは、概ね怪力だ。
「準備はできました。あとは時刻を待つだけですが……念のためにお嬢さんを隔離したいのです」
吸血鬼の言うところの麗しの乙女は、泣き腫らして赤くなった目をこすった。不安そうに視線をさまよわせる彼女を見て、アリスは、かつて自分もそういう時代があったなと懐かしくなった。遠い昔の、子供の頃の話だ。
ユリウスは、おびえる麗しの乙女を慰めている。彼はアリスに「勇気を出せ」とくり返すが、かつてアリスが同じように吸血鬼におびえていた時代があったことなど、想像もしないのだろう。
おびえるアリスを吸血鬼の前に差し出して逃げてきた連中の言い分など、聞くに値しない。
ろくに守られたことのない女の子──それがアリスの自己評価である。
ユリウスとともに麗しの乙女の元を訪ねたのは、ほんの気まぐれだ。放っておけば、麗しの乙女もユリウスも、死んでしまうのだろう。それは少し目覚めが悪い。ただ、それだけのことだ。
「あなたが、アリスさんですか?」
「はい」
麗しの乙女のすがるような目つきに、アリスはそっとため息をつく。これまでも何度かそういう人々の眼差しを受けてきた。
涙の乗ったまつげを何度もしばたたかせる彼女もまた、自分の安全のために、アリスを吸血鬼に差し出そうとしている。
吸血鬼が先にアリスを狙ってくれれば、自分は助かる──そう考えているのだろう。
無意識に近い生存本能であっても、アリスとしては、いい気がしない。
──私にだって、生存本能くらいある。
幼き日、人々の美辞麗句の裏側にある本音を見つけてしまったアリスは、心底落胆した。今は落胆さえしない。
大きな時計のふりこが揺れ、秒針が進む。そんな音まで聞こえるほど、静かな夜だ。窓の外から、フクロウの鳴く声が聞こえてくる。森を吹き抜けてくる風が、ときどき窓ガラスを揺らした。
「それでは、お嬢さんは離れに」
ユリウスは大きな肩掛けカバンのベルトをギュッと握ると、勇ましくそう告げた。
彼の喉が緊張でごくりと上下したのを、アリスは見逃さなかった。