第二十一話
戸惑うアリスに、館の主は滔々と語った。
吸血鬼の世界にもヒエラルキーが存在するらしい。最初の吸血鬼は真祖と呼ばれ、真祖に近いほど力を持つのだという。真祖は既にこの世に存在しない。
「あなたの話を聞いたとき、これはと思いました。あなたは真祖に近い存在なのではないか、と」
「アリスさん! 耳を傾けてはいけない!」
ユリウスの声にため息をついた吸血鬼が本棚に手を向ける。古い本が一冊飛び出した。本は宙を滑るように吸血鬼の元に近づき、一人でにぱらぱらとページがめくれていく。
「今この世に跋扈している吸血鬼たちは、真祖から遠く離れた存在です。私でさえ、そうだ。……吸血鬼同士で血を吸うとどうなるか、ご存知ですか?」
「知らない。気にしたこともなかったから」
宙に浮いていた本が、するりとアリスの前へと移動する。絵が描いてある。二人いる吸血鬼のうち、片方が地に伏していた。
「真祖から遠い吸血鬼が、灰になるのですよ。あなたの血を吸って、吸血鬼たちが灰になるように」
アリスは突然聞かされた話に戸惑って、眉間にしわを寄せた。
吸血鬼同士で血を吸うとどうなるのかは、初めて聞く。
もしかしたら自分が真祖に近い存在なのかもしれないと、先祖を調べてみたことがある。しかし両親は、アリスと同じ体質というわけでもない。祖父母にしてもそうで、結局わからずじまいだった。
──「なんで生きてるの?」「本当に吸血鬼じゃないんでしょうね?」「血を研究させて欲しい」……。
吸血鬼に血を吸われたときに、街の人々にかけられた言葉を思い出す。
銀の鎖を巻かれて太陽の光を浴びせられたこと、村の入り口にアリスの血を撒かれたこと──。
苦々しさが蘇ってきて、アリスはいつの間にか殺していた息をこわごわと吐き出した。
「じゃあ私……人間じゃないの?」
ようやく声をしぼりだしたアリスに、ユリウスが悲壮な声をあげた。
「アリスさん!!」
吸血鬼が眉をしかめて、ユリウスに腕を差し向ける。跳ね飛ばされたユリウスが壁際まで吹き飛んだ。したたかに背中を打ちつけたユリウスがうめき声をあげる。
アリスに向き直った吸血鬼が、ゆっくりと歩を進めた。
「あなたは人間ですよ、アリス」
初めて名前を呼ばれて、アリスは身じろぎした。指先が震えるのを、ぎゅっと握り込んで抑える。吸血鬼は一歩、また一歩と近づいてくる。
「しかしおそらくは──真祖の魂を持っている。……生まれ変わりと言えば、わかりやすいですかな」
アリスの頭上にあるシャンデリアの炎が、大きく揺れた。吸血鬼がアリスの前でひざまずく。少し距離をとっているのは、アリスの血の匂いに囚われないためだろう。
「我らが真祖の魂に──。母なる真祖の魂を持つあなたにお目にかかれたこと、大変光栄です」
吸血鬼がうやうやしく頭を垂れた瞬間、広い部屋に銃声が轟いた。ユリウスが肩で息をしながら銃を構えている。純銀製の弾丸はシャンデリアを大きく揺らし、ガラスの破片が降り注ぐ。
アリスはユリウスの意図を察して、シャンデリアの破片で指先を突いた。
すっかり慣れた小さな痛みとともに、アリスの指先にぷっくりとした赤い球体が浮かび上がる。
「ああ……」
アリスの血の匂いをかいだ吸血鬼が、絶望とともに顔を上げる。その目は真っ赤に染まっていた。
「あなたは、人間の側に立つのですね」
吸血鬼がよろよろと近づいてきて、アリスの指先に唇を寄せた。むさぼるように血をなめた館の主は恍惚の表情を浮かべ、少しずつ灰になっていった。その身体は元々灰でできていたかのように、音もなく崩れ落ちていく。
半分ほど灰になった吸血鬼が、アリスを見つめる。
「ごきげんよう、我らが愛しき真祖」
あとに残されたビロードの上等な上着が、そっと灰の上に覆いかぶさった。




