第二話
吸血鬼はアリスの血を飲むと死ぬが、人間はそうではない。
アリスは幼き日のことを思い出した。まだ年端もいかなかったアリスの首筋に残った跡を見て、街が騒然とした日のことだ。
教会の神父がやってきて、アリスを銀の鎖でぐるぐると巻き、陽の光に当てた。まぶしい太陽の光が銀の鎖に反射する様子を、アリスは今でもありありと思い出せる。アリスは灰にならなかった。
すぐに銀の鎖がほどかれ、経過観察されたが、吸血鬼ではないと判断された。
問題はその後である。
──吸血鬼に襲われても助かったアリスは、人々に奇異の目で見られることになった。
「なんで生きてるの?」と不気味がる声、「本当に吸血鬼じゃないんでしょうね?」と警戒する声、「血を研究させて欲しい」と頼み込む声……。
両親がアリスを連れて街を離れたのは、無理もないことだろう。アリスは行く先々で吸血鬼に襲われたが、そのたびに吸血鬼が死んだ。
アリスにとって、吸血鬼は高慢ちきにしゃべる蚊のようなものだ。それよりも厄介なのは、人間の方だった。
一度、アリスから採血して村の入り口に撒けば吸血鬼が死ぬのでは──という実験に付き合わされた。アリスは貧血になったというのに、吸血鬼はひらりと空を飛んでくるから、効果はなかった。
結果として、両親とアリスは住居を転々とした。夜中にふと目が覚めたとき、嘆く母と、頭を抱えて苦々しく何ごとかを呟く父をよく見かけた。両親が眠る前に、熱心に神に祈りを捧げているのも見かけた。
両親はアリスが対吸血鬼の秘密兵器として人々に利用されることを、不憫に思っているらしかった。
両親が亡くなって、もう数年が経つ。最初に亡くなったのは母で、翌年には父もあとを追うように亡くなってしまった。
アリスはロザリオを握りしめた。生前、母が祈りを捧げていたものだ。アリスは両親のように、熱心に神に祈ることはない。なぜならば祈りは、無数の人々によって、無碍にされてしまったのだから。
一人取り残されたアリスは、やはり住処を転々とした。もはや習慣のようになっているのかもしれなかった。
──騒がしくなってきたら、また別の街に向かおう。
対吸血鬼の秘密兵器であるアリスがいなくなることを恐れて、街の人々はあれこれと彼女を引き留めようとしたが、そんな人間の姿を見ることにさえ、アリスはうんざりした。
──血を吸われるのも、痛いのも私だ。
長年人々に利用されてきたアリスは、すっかり人間不信に陥っていた。調子のいい美辞麗句を信じる気にはならなかった。街にアリスさえいれば、吸血鬼がやって来ても、まずは彼女の血を吸おうとするのだから。
けれど、もし──もしもこの世から吸血鬼がいなくなったら、魔女裁判にかけられるのではないか。
アリスはときどき、手枷をつけられてゆっくりと街の中を歩かされる夢を見て、うなされた。利用するだけ利用して、要らなくなったら叩いて、処刑するのではないか──。
アリスの人間不信は、この上なく強くなっていた。
そうして人目を避けるように、街外れでひっそりと暮らすようになった。川のせせらぎがよく聞こえる、小さな家だった。