第十五話
吸血鬼の協力要請に応えることにしたアリスは、すぐに牢から解放された。屋敷の敷地外に出なければ、好きにしていて構わないらしい。心配していた食事も問題なく出た。なんなら、自宅で過ごしていたときよりも食事が豪華だった。おやつや軽食まで出る。貧血の心配はせずに済みそうだ。
──この感じなら、ユリウス君も割と丁重にもてなされてるだろう。
アリスは屋敷を散策するふりをしてユリウスを探したが、見つけることはできなかった。隠し部屋でもあるのかもしれない。
吸血鬼の屋敷には人間が複数いて、めいめいの仕事をしているようだった。掃除や調理、洗濯、針子、庭師、農夫……さまざまな仕事をこなしている。ユリウスを探索したときに出くわした庭師は、アリスを見かけると植え込みを刈る手を止めて、ためらいがちにあいさつをした。街で見かける人々のようには、活力に満ちていない。心のどこかに吸血鬼への恐怖と、それに従う自分自身への疑問があるのだろう。
最初にアリスに声をかけた女性は、秘書ということだった。アリスは、吸血鬼の世界も奥深いものだとしみじみした。今まで吸血鬼を蚊のようなものだと思ってきたが、考えを改める必要があるかもしれない。
アリスも何かした方がいいのかと声をかけたが、秘書は首を横に振った。
「アリス様は、この屋敷にいることがお役目です。ただし我が主には、決してお会いになりませんよう。日が沈んだら、極力お部屋でお過ごしください」
「夜風にあたるのは?」
「お部屋のバルコニーに出られるくらいなら、よろしいかと。夕食はお部屋にお持ちいたしますので」
アリスはぼんやりと「貴族の奥様は、こんな感じの暮らしをしているのかもしれないな」と考えた。どこかから他の吸血鬼が来訪したら、それを血でもてなすのが仕事なのだろう。アリスの血を飲んだ吸血鬼は、灰になって死ぬけれど。
どちらかっていうと、奥様っていうより暗殺者かもね……と、アリスは肩をすくめた。
「ねぇ、ユリウス君は元気?」
「はい。お元気ですよ」
「……それ、本当に信じていいのかな」
アリスはじっと秘書を見つめて様子を探るが、彼女の表情にはうっすらとした苦笑いが浮かんだだけだった。
アリスはこれまでの悲惨な経験から、あまり人間を信じられない。この吸血鬼の屋敷に住む人々は、最初こそアリスに一服盛ったものの、それ以降は無体なことをしてこないのが不思議だった。むしろ、街の人間たちの方が、吸血鬼から逃れるためにアリスに無体を働いた。
──吸血鬼への恐怖が原因だったのかもしれない。
人間にとって、吸血鬼は天敵だ。なんとしても助かる術を探したい、吸血鬼を倒す方法を見つけたい……そんな思いが、アリスを傷つけてきたのだろう。この屋敷の人々も吸血鬼におびえてはいるが、吸血鬼の配下でもあるから、アリスに無体を働かない。
「ご心配でしたら、お手紙を書かれてはいかがですか。お返事をお届けしましょう」
「手紙ねぇ」
アリスは机に向かうと、ユリウス宛に簡単な手紙を書いた。
──ユリウス君へ。
お元気ですか?
この前はヘマしちゃったね。ごめんごめん。
ここの吸血鬼は、私の血を、他の吸血鬼を倒すのに使いたいみたい。なかなかの策士だよね。
……ま、悪くはないかな。
アリス──
ペンの軸でこめかみのあたりをつつきながらそれだけ書くと、アリスは秘書を振り返った。
「中身見る?」
「いいえ」
「あっそう」
机の引き出しから封筒を取り出して、便箋をおさめる。引き出しの中にはシーリングスタンプがあって、アリスは以前予告状を送ってきた吸血鬼のことを思い出した。あのときの予告状より長い。
最期の言葉さえ残さずに灰になったあの吸血鬼のように、これから先、何人もの吸血鬼が死んでいくのだろう。
──ユリウス君のエクソシストの仕事と、たいして変わんないや。
人間に使われて吸血鬼を倒すのか、吸血鬼に使われて他の吸血鬼を倒すのかが違うだけだ。結局、どちらもアリスを都合よく利用しようとしている。アリスにとって、そこに大きな違いはなかった。