第十二話
暮れなずんでいく空と、山の稜線の境界が、影絵のようにはっきりと見える。
馬車を降りたアリスは、うーんと伸びをした。ときどき休憩はあったものの、二日も馬車に揺られていたから、身体の節々が痛い。アリスがリュックを背負う横で、ユリウスは他の乗客の荷物を馬車から下ろしている。伸びの一つもしたいだろうに、先にそんな行動をとるのはユリウスらしいなと、アリスは黙ってその様子を見守った。
二日間の道中でも思ったことだが、ユリウスは人助けに余念がない。アリスが空中でクッキーをキャッチしたときも、よろけたご婦人を支えていたくらいだ。今は馬車から降りる老人に手を貸している。夕暮れどきで足元が見えにくいのだろう。
アリスはため息を一つつくと、ユリウスが人助けをしやすいよう、彼の荷物を預かった。
吸血鬼の棲家までは、ここからさらに一時間ほど歩くと、ユリウスが言っていた。
今日はこの街に宿をとる。準備を整えて、ゆっくり眠って体力を回復してから、吸血鬼の棲家に突入することになる。
木を組み上げた建物に、宿屋の看板がかかっている。ユリウスが「こんばんは」とドアを開けるうしろで、アリスはこっそりと腰を伸ばした。馬車の疲れか、リュックが重いのか……少しだけ腰が痛い。今日は早く眠ろう。
アリスは自分にあてがわれた部屋に入ると、荷物をどさりと置いて、ベッドに転がった。すぐに下りてきそうになるまぶたを必死に開けて、アリスはのそのそと宿屋の一階にある食堂に向かった。うっかり食事をとるのを忘れて、貧血になってしまうのは避けたい。
二日ぶりのあたたかい食事は、じんわりとアリスの身に染み入った。馬車の中でもパンや干し肉を食べていたからお腹がすくことはなかったけれど、じっくり煮込んだあたたかなスープがあるだけでも違う。食事を前にして手短にお祈りをするアリスの横で、ユリウスはきっちりと祈っていた。明日は吸血鬼と対峙するから、ことさら念入りなのだろう。すぐにでも食事をとりたいアリスは、そわそわしながら、敬虔なユリウスの祈りが終わるのを待った。
トマト味のスープに、細かく刻んだ野菜が浮かんでいる。次々と皿を空にしていたアリスは、ユリウスがどこかぎこちない笑みで自分を見守っているのに気付いて、手を止めた。ゆっくりとスプーンを使うユリウスの手が、かすかに震えて見えた。
やっぱりユリウス君は、吸血鬼との戦いに向いてないんじゃないかな──。
口にこそしなかったが、アリスはそんなことを思いながら、唇についたソースをごしごしと拭った。
食事と入浴を終えて部屋に戻ると、アリスはリュックの中身を確認する間もなく、眠ってしまった。翌朝、窓から朝日が差し込んできて、アリスは飛び起きた。あわててリュックの中身を確認して、旅の間に使ったもののリストを作る。
ちょうどリストを作り終えたあたりで、アリスの部屋の扉がノックされた。
「おはようございます、アリスさん。起きてらっしゃいますか?」
「起きてるよ」
支度を終えて宿を出る。リストを見ながら店で食べ物を買い足して、アリスとユリウスは吸血鬼の棲家へと向かった。
のどかな山間の街の景色が、だんだんと木々に囲まれていく。顔を上げると、吸血鬼の棲家が見えた。思っていたよりも大きな屋敷だ。山道を歩きながら、アリスはいつの間にかずり落ちたリュックを背負い直した。
ばさばさと、鳥の飛び立つ音がした。