第十話
今回ユリウスが退治しようとしている吸血鬼は、アリスの住む街から、少し離れたところを棲家にしているらしい。
「近くの街までは乗合馬車が出ています。ざっと二日ほどでしょうか」
ユリウスはカバンから取り出した地図を簡易テーブルの上に広げて指差した。まだアリスが行ったことのない街だ。
「そこから一時間ほど歩きます」
「えぇ……そんなに歩けるかな」
あまり出歩かない自分に、そんな体力があるとも思えない。旅慣れているユリウスが一時間と言うなら、実質二時間ほどかかるのではないかと、アリスは身構えた。
「出発は明日にしましょう。それじゃあ、よろしくお願いします、アリスさん」
ユリウスが帰ったあと、アリスは早速旅の荷造りをはじめた。毛布や着替え、水を入れるボトル、食料、救急セット──。マッチとランタンはユリウスが持ってくるだろうか。考えれば考えるほど、荷物が多くなってしまう。
「でも、これを持って歩くことになるんだよねぇ」
家のあちこちから集めてきたさまざまな品を見て、アリスはため息をついた。荷物を減らさなくては、歩くのも一苦労だろう。
時間をかけて厳選した荷物をリュックに詰め込んで、アリスは一度背負ってみた。まだ重い。
さらに荷物を減らして背負ってをくり返すうち、アリスの手がふと止まった。まるで旅を楽しみにしているような自分が、こそばゆかった。
吸血鬼退治の旅や、ユリウスとの旅が楽しみなわけじゃない──と、アリスは一人、唇をとがらせた。ユリウスの作ったパンケーキが、美味しすぎただけだ。
これまで、アリスは人間に都合よく使われすぎてきた。吸血鬼を倒すために、生贄にされてきたようなものだ。だからアリスには、ユリウスの言うような「人類のための吸血鬼退治」といった使命感はない。
放っておいても吸血鬼はアリスに寄ってくるし、血を吸うと死ぬ。アリスにとっては、事件というより、ただの自然現象になってしまっている。
やっとの思いで荷造りを終えて、アリスは早々にベッドにもぐりこんだ。家のそばを流れる川のせせらぎが聞こえてくる。カーテン越しに夜の光が差し込んできて、アリスは何度も寝返りをうった。
翌朝、いつもの時間に目が覚めた。庭の草木に、普段よりも少し多めに水をあげ、朝食の支度をする。お風呂に入って着替えを済ませ、準備を終えると、アリスは両親の遺品にそっと祈りを捧げた。亡き母のロザリオを首にかけ、リュックを背負うと「いってきます」と玄関を出て鍵を閉めた。
乗合馬車が到着するのは、街の方だ。いつもの道をゆっくりと歩きながら、アリスはユリウスの待つ教会へと向かった。大通りはすでに人々の活気に満ちている。
教会の大きな扉は、礼拝に訪れる人のために開け放たれている。大きなステンドグラスから差し込む色とりどりの光に目を細めて、アリスは教会の中に足を踏み入れた。
大きな十字架の前にひざまずいて熱心に祈っているユリウスを見つけ、アリスは声をかけずに礼拝用の長椅子に腰掛けた。
やがて祈りが終わったユリウスが立ち上がった。
「おはよう、ユリウス君」
「おはようございます。お待たせしてすみません」