不適切な聖女は追放された
「信じられません、この国は娼婦をあがめているのですか?」
ある日、隣国ベータスポリア王国内務大臣ヒータス公爵の娘であるイェルミナ・ヒータス公爵令嬢が公式の場で発言した。
彼女はこれからこの国、シータランド王国の王族との婚姻が決まっていて、その懇親行事の中での発言だった。
イェルミナは扇を目元に添え、その場に控えていたシータランド王国筆頭聖女、ルカシアを視界から遮断しながら吐き捨てた。
「『聖女』とは我が国では娼婦を意味する言葉。聖女が宮廷に出仕し、あろうことか王族と言葉を交わすなど信じられませんわ。このような野蛮な国になんて嫁げませんわ。つきましては聖女を適切に、貴族の目に触れない場所で働く職業にしてくださいまし」
ヒータス内務大臣は当然隣国で強い権力を持つ男で、その上ベースポリア王家との外戚関係にもあった。
その娘が「聖女は不適切」と拗ねれば、シータランド王国としても「ははは小娘が戯言を」と一蹴できない。
むしろ彼女のわがままは父親の意図する外交戦略ではないかとも思われた。
シータランド王国に難癖をつけ服従させることで優劣を明確にするという外交政略の一環に利用されている可能性は、高い。
迷惑なことに、イェルミナは隣国で大規模な令嬢サロンの主宰を務めていた。
イェルミナが不適切と言ったので、令嬢たちは異口同音に『聖女』を女性をおとしめる不適切な職業と訴え始めた。
両国は和平政策の一環として両国貴族間での結婚を推奨していた。
その中で向こう側の令嬢が、やれ不適切だ、失望した、ショックを受けた、そんな汚い職業の人間が貴族と接しているなんて、王宮を歩けるなんて、高級娼婦がいる前時代的な国だと言えば、その不満を一蹴するのも難しい。
その上、シータランド王国は国力としては圧倒的にベータスポリア王国より弱い。人権問題と絡めながら糾弾されれば、反論がしがたいのが実情だ。
その上、やり玉に挙げられているのが貴族ですらない。『聖女』だ。
聖女は聖女異能を顕現した女性の中でも職業として聖女職につく女性を指し、特に筆頭聖女ただ一人のことを『聖女』そして他を『準聖女』と呼んでいる。彼女たちは強い治癒能力と破邪能力を有し、魔物災害の多発するシータランド王国を支える大切な職業だ。
国内ではある種、貴族より特別な扱いを受けている聖女だが、ベータスポリア王国においてはそもそも聖女がいない。
平民で娼婦の名で働く不適切な女、というわけだ。
聖女が娼婦というのは馬鹿馬鹿しい話だが、残念ながらこれが隣国においては蔑称であることは間違いない。歴史を紐解けば、両国間の戦時下、聖女異能に戦況を覆されたベータスポリア王国が聖女を貶めようと、娼婦を聖女と呼ぶようになったのが元凶ではあるが。つまりそもそもベータスポリア王国が悪い。
濡れ衣も濡れ衣。
シータランド王国の宮廷内では、困ったことになったぞとざわついていた。
◇
王太子オリヴァーと聖女ルカシアは、二人が密談によく利用する庭園の東屋に集まった。
王太子は黒髪青瞳、美貌だけで国が傾くと言われるほどの美男子で、青い瞳が憂いを帯びて伏せられている。
対して聖女ルカシアはアプリコットブロンドのふわふわとした髪に、紅茶色の甘い瞳の女性だ。真っ白な聖女装束を纏っていても肌がくすんで見えないほど、透明感のある美しさをたたえている。女性的なプロポーションの良さと美貌が、余計にやれ娼婦だ、不適切だと言われる所以でもあった。
オリヴァーとルカシアは年齢が近く、どこか幼馴染みのような関係だった。
だから余計に、王太子に近づくやっかいな女、と隣国からブーイングを喰らう。
色々と、不都合な関係だった。
「というわけで聖女ルカシア。しばらくの間、聖女院を王宮から移転させるよ。僕の所領の辺境に場所を取ったのでそこで務めてほしい」
「随分な場所に移転なのですね」
ルカシアはため息をつく。これは事実上の追放だった。
「スレディーマは狸か牡蠣か研究都市しかない辺境ですよ。街道だってよく強風で使えなくなる場所で……」
「しかたないだろう、狸鍋と牡蠣を堪能しながら静かに研究してくれ」
「私はそれでいいですが、仕事ができないでしょう」
ルカシアは唇を尖らせ訴える。
「王都から私が離れている間に何人死ぬと思っているのですか」
聖女の仕事は加護と治癒、そして準聖女の適切な派遣だ。
僻地に離れたら当然初期対応が遅れる。
オリヴァーはかぶりを振る。
「隣国と戦争になった方がよほど人が死ぬという判断だ。そこは君の努力でなんとかしてくれとも、国王陛下は仰せだ」
「努力で街道を走って来いと? 人命よりも安全よりも隣国のクソお気持ちヤクザのご令嬢どもに屈するのですか殿下は」
「怒りは承知だルカシア。僕を罵って溜飲を下げてくれるならいくらでも罵ってくれ。この一帯には防音魔法もかけているから言葉も漏れない。ただ殴るならボディで頼む」
「殴りませんよ、殴るなら令嬢を一発ぶん殴らせてください」
「それ目潰しの指だろ、目潰しはだめだ」
目潰しの形をしたルカシアの手を握り込み、オリヴァーは落ち着かせる。
その距離感が他国では誤解される原因でもあるのだが、二人も周りの人もあまり気にしていない。小国なのでその辺はちょっとなあなあなのだ。
ルカシアは身を乗り出す。
「そもそもですよ、なんですか聖女は娼婦を表す侮蔑的表現って、そっちが勝手にこっちに侮蔑の眼差しとぶつけてきてんのに、こっちが折れてやるっておかしくないですか。しかも聖女院が「性」と「女陰」を想起させる差別用語ですって? むしろそれをいやらしいと思う方がよほどいやらしいと思いますけど!?」
「ルカシア嫁入り前の聖女が、さすがに女陰を大声で言うのは」
「私がはしたないのであれば、聖女院の言葉に女陰を想起してる連中はドスケベ令嬢軍団です!」
どうどう。再び、オリヴァーはルカシアをなだめる。
「わかった、怒りはごもっともだ、でもその、ルカシアからあんまりそういう言葉は聞きたくない。彼女たちと同じレベルの言葉を君に紡いでほしくない」
「確かにそうですね、感情的になっていました。同じレベルで怒ってもしょうがありません」
ルカシアは腰を下ろし、ふうと溜息をつく。
「疲れました……」
「ああ……」
二人ともこの日までに、あちこちでなんとか聖女を守るために必死で各方面にはたらきかけてきた。しかし一度不適切だと大炎上した存在をそのままにしておくことは難しく、しかも相手は令嬢たちと来ている。
令嬢たちは政治を動かせる立場には就いていないが、その立場を逆手にとって「政治参画できない令嬢の身からでも世の中の不正を訴えたい」という立場を取って泣き落としにかかれば、民意は簡単に彼女たちの味方になるのだ。
そもそもベータスポリア王国にとってシータランド王国をおとしめることは楽しい娯楽のようなものなので、どんどん面白がって燃やしてくるのだ。
不適切だ、差別的だ、シータランド王国は汚い、と。
今後の暗い未来を思って、二人は沈黙する。
話を切り出したのはルカシアだ。
「……仕方ありませんね、泣く子と地頭には勝てません。ブラック労働に従事しましょう」
「すまない、ルカシア。正直追放って感じだよね」
「ええまあ。でも追放ってことにしとかないとあなたも困るってのはわかります」
「ほんとすまない。僕でよかったらいつでも殴っていいから」
「そういうご冗談ももう今後はやめてください。どこから私が暴力娼婦なんて言われるようになって、王太子殿下が娼婦に殴られるのが趣味のド変態野郎と言われるかわかりませんよ」
「ルカシア以外に殴られたいなんて言わないよ」
「ある意味タチが悪いです」
そんな与太話をしたのち。ルカシアとオリヴァーは別れた。
宮廷の誰もが、これが追放だ、もしくは追放に等しい処分だと声高に喧伝した。
大げさに言うことで、ベータスポリア王国の人々に追放だと誤認してもらうためだ。
ルカシアを失うなど、この国の人間達にとって冗談ではないのだ。
ルカシアはベータスポリア王国の機嫌を損ねないようにそそくさと聖女院の移転の話を進め、狸と牡蠣と風光明媚な海しかない僻地に飛ばされながら必死にはたらくことになった。
ルカシアは時に自身で馬をかり、汚れるのも構わず、炎天下でも必死に働いた。
こんな事情を知らない人だってたくさんいるから、以前より顧客満足に応えられなくなったルカシアに対して不満を言う人もいた。
当然ルカシアは言い訳をするような聖女ではない。
ルカシアは管理職としての職務を全うし直々にあちこちに謝罪に向かい、対応策を提示して納得して貰い、改善と対策でなんとかした。
もちろんその分にかかった残業代と諸経費はみっちりオリヴァーに請求した。
殴らせてほしいとは思わないが、請求書はしっかりと出す。
オリヴァーは「すぐには国としては補填できないけど、証拠として残してくれたら助かると」答え、さっそく王太子としての職務を全うした。
具体的には王太子としての公務や社交の中で、オリヴァーは聖女ルカシアに同情する人たちへ根回ししてお金を集めて、ルカシアに支援した。
水面下では聖女の現状を伝え広めつつ関係を強固にしていくと、次第にルカシアの真面目な仕事に感銘してくれた人たちがルカシアの味方になっていった。
ルカシアはそもそもまっとうに仕事をしていたのだから、味方が増えるのは当然だった。
◇
そんなある日、突然イェルミナからの連絡が入った。
彼女はシータランド王国の王族と縁談を進め、既にこの国に居を移していた。
「聖女が正式になぜそんな不適切な名称で活動していたのかを弁明し、隣国では不適切な名称であることを認め謝罪し、聖女の名称を『治癒女官』などの名称に変えれば、聖女が王宮にいることも許しましょう」
意味が分からないと、また二人は話し合った。
いつもの宮廷の東屋で、ルカシアが土産に持ってきたハーブティー飲みながら。
ルカシアは尋ねた。
「なんでいきなりこんな流れに?」
オリヴァーは土産のさきいかを食べながら肩をすくめる。
「国に来てから、意外と自分の言葉に乗ってくれる人が増えなかったので焦りを感じてるんじゃないかな?内輪では認められた主張でも、実際にこの国で聖女は不適切なんて言ったら、逆に恥ずかしいでしょ」
「そうですね確かに」
「やっちゃったよね。でも自分を放任してくれた政治家達は、拳を振り上げた自分を守ってはくれない。あくまで政治家のおじさんたちは、小娘が勝手に憤っていること、というスタンスを貫き続けていたからね」
「当然ですね」
ずいっと、ここでオリヴァーは身を乗り出した。
「で、どうする? 相手は拳を下ろしたいみたいだし、ルカシアも今の働き方は辛いでしょう?ここで折れて名称を変えてあげて決着をつけるのも一つの落とし所だと思うけど」
「そう説得するように周りから言われてきたんですね」
「まあね」
「嫌です、私だけでなく聖女全てと歴史、全てに喧嘩を売ったんですから、名前を変えるだけで許してやるなんて言わないで欲しいです。半端です」
ルカシアは拳をぎゅっと握る。
なぜか、要求を下げてきた所に余計にムカムカしていた。
言葉狩りして収まる程度のお遊びな主義主張に、「聖女」な名が馬鹿にされたと思うと気分が悪い。
「もっと徹底抗戦してこなくていいんですか、差別と、蔑称と、不適切と戦いたいんでしょう? 連中は」
「うーん、いちゃもんつけられてる側の君が弱腰に怒り出すとは。でも確かに。国を揺るがすような主張をぶつけてきたにしては弱気だ」
「でしょう? これはよくありませんよ」
「まあ僕がちょっと、風評をいじったから風向きが変わったのかもしれないけど……」
「風評、ですか」
目を瞬かせたルカシアに、オリヴァーはにっと笑う。
「はやりの吟遊詩人に歌わせればいいんだよ。『人々のために祈りを捧げ命を尽くした女神が、淫蕩の女神と誹られて処刑される』かなしい歌でもね。嫌でも聖女ルカシアを皆思い出す」
「暗喩ってやつですね」
「吟遊詩人は金で動くし、頼まれて歌ったと言えばのらりくらり逃げてくれるし顧客情報なんてとってないしいくらでも操れる。今すっごく人気の曲になってるよ、商店街に行けばどこでも皆鼻歌で歌ってるし。隣国にも伝わって話題になってるころかも」
「うわあ……」
「あとは国際関係に敏感な両国の商人に働きかけてみたよ。『聖女』を馬鹿にすると王族が黙っていても、国民の怒りがすごいことになるって。商売に影響があるから大変だよねって」
「うわー……」
「あ、ちなみに向こうの国で流行ってる日傘デザインも、僕が流行らせたの。この国の布地を使った奴ね」
「もしかして、私が不適切だというのを広めて煽ったのも王太子では?」
殴って欲しいだのなんだの、突然言い出す男だから怪しい。
そう思ってルカシアは椅子を思いっきり引いて距離を取る。
オリヴァーは慌ててぶんぶんと首を振った。
「ないないない! そんなことするわけないよ。僕が広めるならそうだな、怖くて恐ろしくて近寄ったら噛みつかれるとか、指先一本で暴漢を爆殺するとか、そういう噂にする」
「何故そんなよく分からないモンスターにするんですか、私を」
「だって強そうでかっこよくない?」
「モンスターじゃないんですから」
「あっそうだ! モンスターみたいな子だと思われたら、他の誰も近づかないかな? 宮廷から離れてルカシアも変なのに絡まれたりしてない? 心配なんだけど? 王太子御用達モンスターとかの襷でもかける?」
「ほんとやめてください」
「ごめんなさいふざけました」
そんな話をして、ルカシアとオリヴァーは別れた。
相手の温情を拒否したルカシアはその後それまでの何倍も叩かれた。
しかしルカシアはそれどころではなくなった。
夏は魔物の季節!!
各地で魔物が大量発生し、繁忙期が始まったのだ。!!!
ルカシアは24時間体制で、あちこちの現場を駆けずり回った。
聖女の力で防御を張り、傷を癒やし、現場の騎士達を鼓舞し、傷ついた人たちの慰問や被災地の現状確認、避難所の監督。
もちろん通常業務だって待ってくれない。
部下の準聖女たちを指揮し、事務方に話を通し、貴族や商人と交渉し、とにかく働いた。
そんなときに不適切だなんだ、挨拶はどうなっただの、そんな物に構ってられない。
事件は現場で起きている。
と言うわけでルカシアは日々批判の声やお気持ちのお手紙に対して、以下をまろやかにして突き返した。
「聖女で結構! それが娼婦と言われようが、そっちが勝手に作った言葉でしょうが! ふしだら?上等! 男相手に小賢しい口をきく職業? そう言いたいなら勝手に言いなさい、あなたの信じるご立派な淑女に落ちぶれるくらいなら、聖女の名を誇らしく掲げて、私は戦場で戦士達を鼓舞します!」
まろやかにした内容はオリヴァーが手配してくれた代筆係がやってくれたので、内容はルカシアの知るところではない。ない知恵を絞って言葉をあれこれ探すより、専門家に金払って任せた方が早い。
「不適切上等! 私は聖女、それ以外のなにものでもないわ!」
ルカシアは啖呵を切り、そして己の現場で必死に戦った。
魔物は災害で、この国が他国に攻め込まれない根拠の一つ。
この国は聖女の働きなしには成り立たない。騎士達の現場の連携も、最小限度の被害でとどめ速やかに復興するスキームも、一つでもかけては成り立たない。
たとえベータスポリア王国の令嬢たちになんと言われようとも、彼女たちに媚びている間に何人の人が死ぬか。悲しむことになるか。
隣国の影響で準聖女たちも嫌な気持ちになることがあると言われ、聖女として胸が痛む。
「誰かに何か言われたら、私の責任にしてください。辛かったらいつでも辞めていいです」
しかし彼女たちは辞めなかった。
魔物と戦い続けるこの国では聖女は必要だ。たとえ不適切と言われようが、聖女として戦うしかない。
◇
――そして。
ルカシアに突如、突然謹慎処分が通達された。
魔物の卵の羽化による大規模土砂崩れをすんでのところで食い止め、精霊術師と連携して山の土壌魔力量の調整などをしている間に、ベータスポリア王国から謝罪と反省の茶会を何度も要請されていたらしい。
流石のルカシアも「しらんがな」と思ったが、しらんがなではすまされない。
とりあえず繁忙期を乗り越えた後、部下に当面の仕事を割り振った後に自宅に謹慎した。
その頃には見なかった振りが出来ないような明らかにギラギラとした封書が届くようになっていた。
「まあ、多分このまま退職でも求められるんでしょうね」
王都に戻り、ルカシアは家でゆっくりとしながら今後について考えた。
ルカシアが忙しくしているあいだに、イェルミナは無事に結婚してシータランド王族、オリヴァーの従兄弟と結婚した。
既に妊娠しているとも言われているが、詳細は聞かされていない。
聖女が王族の妊娠出産に関われないなど前代未聞ではあるが、今波風を立たせるわけにはいかない。呼ばれていないのにのこのこ行っては、それこそ頭を丸めても許してもらえないだろう。処刑される。髪は刈っても命は刈られたくないと、ルカシアは身震いする。
ルカシアは生きることが大好きなのだ。
いずれ自主退職を求められるだろう。
貴族令嬢に対する名誉毀損などでも追及されるかもしれないけれど、先に謝罪して退職すれば、後進にも迷惑はかけないですむだろう。
思いながらルカシアは『聖女』という名に、自分が非常にこだわっていたことに気付いた。
聖女という力に目覚め、普通の平民娘から皆の前に立つ仕事に立てたのだ。
その地位はこれまで築き上げてくれた歴代聖女の実績と信頼によるもので。
「そうか、私怒ってたんだわ」
誇りを持って聖女の地位を継いでいた。
歴史もしらず、何故その名で呼ばれるようになったかの来歴も知らず。
それどころか向こうが勝手につけた不適切だという烙印に、これまでの聖女の誇りを奪われるわけにはいかなかった。
「ふふ……私、案外子供っぽいのね。殿下を笑えないわ」
自分の気持ちに気付き、ルカシアはくすくすと笑う。
なんだかすっきりした気持ちだ。
「今のうちに後任の為に引き継ぎ資料作っとかなきゃかしら? でもまあ仕事しながら少しずつ割り振ってたし、やることは少ないわね。頭でもまるめたほうがいいかしら? 坊主で突然やってきたら向こうの度肝も抜けるし、交渉は有利に働くかも――」
◇
そんな風に思って過ごしていたある日。ルカシアの家に急ぎの使いがやってきた。
「ついに年貢の納め時ね」
なんて言いながらバリカンを片手に対応すると、なんと使いはイェルミナ・ヒータス公爵令嬢――今は無事に王族の妻となり、身重になっていた彼女付きの女官だった。
「助けてください。イェルミナ様をお助けできる医者がいないのです」
「お力になります。しかし私が宮廷に入っては問題になるのでは」
「私が責任は受けます! どうか、あなたしか助けられないのです!」
目を赤くして言われたら、どんな相手だろうが行くに決まってる。
ルカシアはバリカンを放り投げ、騎馬で女官を後ろに乗せ、颯爽と宮廷まで向かった。
そして宮廷の奥、王族の出産が行われる部屋の前。
廊下でわめき散らすのは、イェルミナの父であるベータスポリア王国内務大臣ヒータス公爵だ。
「イェルミナが死んだら両国間の同盟は破棄だ! この【不適切な表現】で【不適切な表現】な【不適切な表現】どもの国め!!!」
暴れる彼を騎士達が取り収めている。
ルカシアは彼にしっかりさせるため、意図的に強く叫んだ。
「失礼します! 不適切な女がまいりました!」
「っ……!? お前は……!」
「こんにちは、聖女です! 私が来たからには、母子共に健康に取り上げます! おじいちゃまはしっかりしてください! 娘も孫も頑張っているんですよ!」
無礼上等。
どうせ責任を取るべく坊主で辞職するつもりなんだから、ここは人命のためにもはっきり言ってやろうと割り切った。
開いた口が塞がらない彼に、ルカシアは優しく微笑みかける。飴と鞭だ。
「高血圧で長年御患いだとうかがっております。……どうかご自身のお体を大事になさって、少しでも元気で長生きしたおじいちゃまでいて差し上げてください」
「……あ……聖女……」
「うふふ、それでは失礼します」
ルカシアはためらいなく部屋に入った。
イェルミナはお産の影響で酷い状況になっていた。命の危機だ。
宮廷において、普段は聖女・準聖女の働きにより母子共に健康な安産が続いていた。だからこそ宮廷医師たちもオロオロとするばかりだ。
準聖女が、ばたばたとかけつけてきた。
「やりますよ! みんな! 私が精一杯力を注ぐので、細やかな処置を!」
「「「はい!」」」
――そして出産まで丸一日。その後も治癒は数日にも及んだ。
無事に出産を終えさせ、産後も母子共に健康に回復していった。
ルカシアはその処置あと、数日は気が張り詰めていたが、気がついたら気を失っていた。
次に目覚めたのは一ヶ月後だった。
◇
ルカシアの活躍はその後、とてもたいそう褒められた。
謹慎も解け、なんだかんだ宮廷に堂々と入れるようになった。
おじいちゃまことヒータス内務大臣は、ルカシアにこんな手紙を送ってきた。
「『聖女という汚れた名ではなく、我が国が新たな名を授けたい。「聖使」』として」
ふざけんな、と手紙を読んでルカシアは口に出して言った。
そして代筆に向けてこんなことを書くように告げた。
「謹んで辞退いたしますわ。だって私、聖女の名が大切ですもの。この名前を不適切と言われるのであれば、国を去りますわ」
すると突然、あんなにぺこぺこにこにこしていたヒータス内務大臣は手のひらを返した。
名前を断るなど言語道断、失礼だ、詫びろと。
ルカシアはもう色々と面倒になってきていたし、準聖女たちへの引き継ぎも終わってしまっている。これ以上は揉め事に巻き込まれたくないと、潮時を悟った。
「さあて、坊主になりどきですかね」
そうしてバリカンを携えてルカシアは宮廷に赴いた。
そこにはベータスポリア王国貴族が勢揃いで剣呑な顔で迎えた。
当然ルカシアの前には、先日助けたイェルミナの顔もあった。
顔色は良く、眉根を寄せて侮蔑の眼差しを向けてくる彼女は健康そうだ。
イェルミナは吐き捨てるように言った。
「娼婦を連想させる不適切な役職名のあなたに、名誉ある新たな役職名を与えましたのに。そこまでかたくなに不適切な『聖女』の名にこだわるというのは、宮廷の品位を敢えて貶めようとする意図があると断定してよろしいですわね」
「お元気そうで何よりです。あれから順調にご快復なさっているんですね」
「偉そうな事言わないで!」
正直な気持ちを言っただけなのになと、ルカシアは内心肩をすくめる。
イェルミナは当初助けて貰った段階ではルカシアに多少感謝はしていたが、回復して落ち着いてくるにつれて、不適切な名前の聖女に感謝するなど不名誉だと思い直したのだ。
せめて聖使という新名称を受け入れていたら多少は溜飲も下がったのだろうが。
そんなベータスポリア王国人を前に、ルカシアは背筋を伸ばしてしっかりと告げた。
「私は聖女であることに誇りを持っています。そしてあくまで聖女として働いたまでのことです。これまでの歴史で紡がれてきた名を、私の代で捨てるわけには参りません。しかし皆様に不愉快な思いをさせたのは事実。両国の平和を私は強く望んでいます。つきましては責任を取り、聖女を退」
おもむろにバリカンをかかげ、ルカシアが口にしようとしたその時。
手首を掴んできたのは、部屋に突如やってきたオリヴァーだった。
オリヴァーの隣にはイェルミナの夫でもある、オリヴァーの従兄弟が息を切らして立っていた。
オリヴァーの従兄弟は静まりかえるベータスポリア王国人の前で、堂々と言い放った。
「日々魔物から国を守るだけでなく、両国を繋ぐ我が妻子を守った聖女ルカシアは我が国の誇りだ。平和の為に必要不可欠な存在だ。不適切と言うのなら、離縁する」
「な!」
イェルミナが唖然とする。
そこでオリヴァーが言葉を引き継ぎ、言い放った。
「我が国は、いや私は聖女を愛している。正式に、聖女を不適切だと侮蔑したそちらの国に抗議する」
ルカシアは驚いた。
そうと決まればオリヴァーは部屋を飛び出し、大声で叫んだ。
「これから王太子声明を発表する! 集会の準備を!」
場が明らかにざわつく。
冗談かと思えば、なんとオリヴァーは本当に昼下がり、中央広場で王太子声明を発表した。
「我が国は、いや私は聖女を愛している。正式に、聖女を不適切だと侮蔑したそちらの国に抗議する! 聖女が不適切と言うのならば、我が国民は立ち上がるだろう!」
一言一句同じ言葉を、国民に向けて。
「どうか皆、我らの愛しの聖女ルカシアが聖女を退任しようとしている! 責任を取って頭を丸めるとまで言っている!」
どよどよ。広場に集まった国民たちは困惑した。
「ルカシアの気持ちを思いとどまらせて欲しい! 聖女はこの国に必要だと、どうか皆の拍手で、彼女に、ベータスポリア王国に――世界に思い知らせてほしい!」
国民達は拍手で賛成した。割れんばかりの大歓声が、王都を揺らす。
その声は風に乗り、海を渡って別方向の隣国にも届いたという。
王太子オリヴァーは狙い通りの成果に笑った。
無事に魔物シーズンを終わらせ、聖女への熱い国民感情が高まったいまこそ、抗議の良いタイミングだった。
◇
――その後。
ベータスポリア王国の令嬢たちはまだ聖女改名運動を諦めず燃やそうとしたが、流石に自分たちの令嬢を守り、赤ちゃんを守った彼女に同情する人々の声も上がり始めた。
火消しのように、ベータスポリア王宮からの公式書面が届いた。
そしてすみやかに隣国の国王夫妻と治癒術師教会が訪問し、聖女と公式に会談した。
がらりと流れが変わった。
令嬢たちはこれまでのことをすっかり忘れたように聖女に触れなくなり、自分たちのやらかしたことなんてすっかり忘れている様子だった。
◇
色々とあった。ありすぎた。
一ヶ月後、オリヴァーとルカシアはまた例の東屋に集まっていた。
「まあ全部証拠は残してるから安心してよ。いずれ君が安定した支持基盤をえたところで、あちらが一番痛いところを突かれたくないときに利用させて貰うから」
「私はどうでもいいわ……と思いますけど、向こうが売ってきた喧嘩なんだから、そりゃ殴り返されることだってありますよね。あとは政治の問題ですのでお任せします」
「国同士の力関係なんていくらでも世の中変わっていくものだからね、手札は多いに越したことはない」
「こわー」
王太子曰く、泳がせておいて今回とは別件で、全部痛い目見て貰うつもりだと言う。
今やればまた聖女不適切問題を再燃させかねない。
徹底的にルカシアの基盤を安定させたのちが良いだろう、という判断だ。
「だからルカシアも頑張って権力者になってね。ルカシアが出世すればするだけ手札が強くなるから」
「人のことをバトルモンスターのように扱うのやめていただけますか?」
ともあれ事務的な事を話し終わったのち、ルカシアが退席するため立ち上がる。
ふいにオリヴァーも立ち上がって呼び止めた。
人払いされる気配と音声遮断の気配がする。
「ルカシア。君は一生聖女でいるつもりなのか」
「聖中年や聖婆と改名を命じられない限りは、一応聖女のつもりですが」
「王太子妃という改名を命じると言えば?」
「ご冗談を。私は平民です」
「平民から迎えた妃はこれまでも前例がある。というかまだ祖母は生きてる」
「大商家の娘と不適切な名称の聖女は違いすぎます」
「君が王太子妃になってくれれば不適切な名称と言った連中はどうなるだろうね」
「政界バトルモンスターを最強に育成する為に王太子妃にするのはどうかと思います」
「もう既に両親も大臣達も承認のはんこは押してくれてるんだよな~」
「いつのまに」
「ほら僕有能だし。そもそもこんなに気軽にほいほいと王太子と二人でおしゃべり出来る時点で、おかしいと思わないの」
ルカシアは唖然とした。
おかしいと思っていなかった。
だってこんな小国だとしても、王太子は王太子。
腐っても鯛。
平民の自分と結婚を本気でもくろんでいるなんて、思うわけがない。
だが、思い当たる節はあった。
「そういえば王宮に上がるために異常に徹底した教育を施されましたがまさか」
「王太子妃教育だね」
「知らない間に妃教育が完了していたなんて!」
「君は謙虚だし聖女になっても驕らないし、今回の件も大事にせずに吞んでくれた。その後の機転も完璧だった。むしろ君を王太子妃にしなかったら僕はベータスポリア王国の令嬢と結婚する嵌めになる。君を馬鹿にしていた女性と結婚なんて冗談じゃない。後生だから助けてくれ」
「私だって結婚相手としては随分でしょう、あなたの前で捲し立てた暴言はいかばかりか」
「それはそうだね。でも女陰なんて言っちゃってたのも、結婚相手に向けてなら全然いいんじゃない?」
「確かに結婚相手には言葉以上のいろんなことがありますけれども~」
「僕以外の人の前であんなこと言えるの?」
「言いたくないです」
「でしょ? ならほら決定」
「まってください、だいぶんまるめこんできてませんか」
「あははは」
「あははじゃありません」
叱られたオリヴァーは、愛しそうにルカシアを見つめて言った。
「これから僕は一国の王様になっちゃったりする訳だしさ、隣に居る人くらいは屈託なく一緒に笑えて、一緒に苦難を乗り越えてきた実績がある人にいてほしいんだよ」
「……不適切聖女ですが、いいんですか?」
「不適切なんて他国の世迷い言さ。国中から愛される適切な王妃になれるよ」
◇
そうして存在が不適切と言われた聖女は、王太子妃になり数年後妃となった。
それまでの間に彼女が助けになったお産は数知れず、子供達の健康を守ったことも数知れず、魔物と果敢に戦う戦士たちも、相変わらずゼロ災でばりばり働けた。
「こうなったら聖母って言うのかな?」
「聖母って言ったら国民全員の母って感じでそれは嫌ですよ。私はこの子だけの母です」
「そうだね。不適切だった(笑)」
「不適切(笑)」
そうして、一時期存在が不適切な聖女は王太子妃と聖女と人の親を兼ねつつ、伴侶に愛されて平凡な幸せを享受する、ただの一人の女性となった。
お読みいただきありがとうございました。
楽しんで頂けましたら、ブクマ(2pt)や下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎(全部入れると10pt)で評価していただけると、ポイントが入って永くいろんな方に読んでいただけるようになるので励みになります。すごく嬉しいです。