クラリッサの受難
冒険者ギルドの朝は忙しい。開門と同時に、たくさんの冒険者が我先にとなだれ込んでくる。少しでも出遅れれば、割のいいクエストが取られてしまう。出発が遅れれば、帰還も遅れる。だから早い方がいい。そのおかげで、冒険者ギルド窓口は朝からてんてこ舞いだ。
「おはようございます。身分証はお持ちですか?」
クラリッサは、受付窓口にクエスト受注用紙を持ってきた冒険者に声をかける。いつものように淡々と提出書類を確認し、受領印を押す。記録用の魔道具に受領書類を書き込んだら、また次の冒険者の手続きに移る。
中には、前日の閉門に間に合わなかったクエスト報告を済ませ、報酬を受け取りに来る者もいる。
「おはようございます。パーティリーダーとメンバーの登録名に間違いはありませんか?」
小切手を発行し、別の窓口で報酬額を受け取ってもらう。記録用の魔道具から受領書類を呼び出し、クエスト完了処理をする。
そうして受付業務を繰り返していると、あちこちから怒号が聞こえてきた。
「俺が先に手をつけたろうが!」
(ああ、またあの人が横取りしたんだな)
割のいいクエストは人気が高い。よって、掲示板の前では言い争いが頻発する。それを見越して、世話焼きの冒険者が仲裁に入るのも、もはや恒例の儀式である。
「おい、クラリッサ。今日の新人冒険者の予約通知、来てたか?」
彼女の隣の窓口のおじさん職員――ゲスナーが話しかけてきた。
新人冒険者は、初クエストの際にベテランを同行させなければならない。その斡旋も、ギルドの重要な業務のひとつだ。新人は事前に予約を取り、同行可能なパーティに組み込んでもらうことになっている。
「いいえ、端末には予約情報が出ていませんね……」
ゲスナーの窓口前には、真新しいマントと腰ベルトをつけた、初々しい少年がたじろいでいた。
「まいったなぁ。不具合が直るまで、待っててくれる?」
ゲスナーは投げやりに言い放つ。少年は困ったように「えっ、えっ」と繰り返すばかりだった。
するとクラリッサの目の前にいた冒険者のひとりが、救いの手を差し伸べてくれた。
「クラリちゃん、よかったら俺たちが連れていくよ。薬草集めだからさ」
「わあ、ハンスさん!助かります。このクエストなら初心者でも問題ありませんし、ハンスさんにご指導いただけるなら安心です! そちらの方も、宜しいですか?」
問いかけると、少年はキラキラした瞳で頷いた。ゲスナーはさっさと次の冒険者の受付作業に移っていた。
(ああ、この新人の手続きは私がやるんですね……)
そうして同行承諾書を添付し、少年に免責事項を説明する。初めての手続きには確認事項が多いため、予約は必須のはずだったのだが――。
「おい、クラリッサ。後で魔道技術係に行って、不具合直してきてもらってくれ」
窓口でクラリッサが処理している間に、ゲスナーはどこかへと消えていった。
昼近くになると、ようやく冒険者の波が収まってくる。そのタイミングで受付係は順番に昼休憩へと入るのだが、その頃にはゲスナーが戻ってこないのが通例だ。
「まぁたあの人、賭博場に行ったんだね。あそこ、すんごい煙草臭いから、帰ってきたらすぐわかるよねぇ」
クラリッサは、苦笑いをするしかなかった。隣の職員が窓口に座ったことで、自分の休憩の番が来たが、その前に魔道具技術係へ行かねばならない。
(あの人、苦手なんだよなぁ……)
クラリッサは薄暗い階段を降り、技術係の扉をノックする。部屋に入ると、照明の届かない陰気な空間の奥に、やはり陰気な男がひとり、机に向かっていた。手元だけが明かりに照らされており、魔道具に何かを入力している。
「なに……?」
男は振り返らずにそう言った。
「ロズヴィクさん、すみません。システムに不具合がありまして……」
「ん……。予約システムなら……今やってる」
ロズヴィクは一切こちらを見ないまま、作業を続ける。
「そ、そうなんですね。助かります。いつ頃、直りそうでしょうか?」
「予約受付は……もう直ってる。……受付表示は、明日の朝までには直す」
「あ、ありがとうございます」
「あとは?」
そう言うと、ようやくロズヴィクが振り返った。その灰色の長いローブから伸びた手には、シカの可愛いキャラ人形がついた魔道記入具が握られていた。
クラリッサはそれに思わず目を奪われつつ、
「受付ホールの照明魔道具は、魔石を交換してあります」
「そうか……早いな。わかった……ありがとう」
「以上です。失礼しますね」
「ん……」
ロズヴィクはまた机に戻って作業を始めた。クラリッサは(やっぱりあの人、苦手だなぁ)と思いながら階段を上がった。そして、あのタッチペンはハンターズギルドのマスコットキャラ【シカマル隊長】であることを見逃さなかったのであった。
冒険者ギルドのラッシュは、夕方にもやってくる。朝に受けたクエストの報酬を受け取りに、続々と冒険者たちが戻ってくるのだ。とはいえ、朝ほどの混雑はないので、賭博場から帰ってこない人間がいてもなんとかなるのだが、なぜか今日はゲスナーも席に戻っていた。
「ゲスナーさん、今日は負けちゃったのかもね」
と、先ほど愚痴をこぼしていた職員がぼそっと言う。クラリッサはまたも苦笑いをして、受付業務を続けた。
すると――
バチーン!という音とともに、明かりが消えた。
「あん?」
ゲスナーが不機嫌そうに呻く。彼の手元には、見慣れない魔道映像受信機が置かれていた。
クラリッサは、それが大量の魔力を食ったせいで魔力出力が落ちたことを察する。
「魔道技術係に行ってきますね!」
言うが早いか、クラリッサは走り出していた。
「ロズヴィクさん!ブレイカーが落ちちゃいました!」
「うん……わかってる……」
ロズヴィクの手には、灯り代わりのロウソクが握られていた。
「原因……なんか知ってる?」
「……テレビを使ってる人がいました……」
「……そう」
ロズヴィクは興味なさそうに呟いた。
「ど、どれくらいで直りそうですか?」
「たぶん……今日は、無理」
「えっ」
「この間も直して、付け焼き刃だから……」
「ええっ」
「今日は直らない。書類は手書きで受け付けて」
「えええっ」
「閉門まであと2時間だから……がんばって……」
「ううう、分かりました……」
「こっちも……明日までには直すから……」
「はい……よろしくお願いします……」
「ん……」
ぶつくさ文句を言う職員たちをよそに、クラリッサは必死に仕事を片付けた。
「はあー! 終わった!」
「なんとか終わりましたね……」
同僚と苦労を分かち合い、ふと隣を見れば、原因のゲスナーはすでに姿を消していた。
「なんであのおじさん、クビにならないんだろうね」
クラリッサはまたも苦笑いを浮かべ、「さぁ」としか言えなかった。
「んじゃ、私も帰るね。今日は外せない約束があるんだよねぇ」
「えっと……」
「今度、穴埋めするからさ。あとはよろしくねー」
クラリッサが何か言う前に、同僚は紙の束を渡して去っていってしまった。
(えぇ……これ全部、一人で後処理するのぉー?!)
ゲスナーの窓口の後ろには、彼の処理した書類束が積んであった。とはいえ、クラリッサの処理した量の半分ほどしかない。
(ほんと、なんであのおじさん、クビにならないんだろ……)
「あら、クラリ1人だけなの?」
呆然としていたクラリッサに、会計係のサラが声をかけてきた。サラが近づくと、ふわりと香水の香りが漂った。
「ありがとうございます、サラ先輩。でも今日やっておかないと、明日の受領書類に響くといけませんから……」
「そう。でも急ぎじゃないものは後回しにしてもいいんじゃないかしら。今日は明かりもつかないんでしょ? 遅くなる前に帰るのよ?」
そう言って、サラはクラリッサの肩を軽く叩いて会計係の方へ戻っていった。
(先輩も忙しいだろうに、気遣ってくれるなんて……他の人は、ありがとうすら……)
クラリッサは首をブンブン振って邪念を振り払い、紙の束に向き直る。
処理が半分を過ぎた頃、ひとつのクエスト完了報告書に目が留まった。
(死亡報告書……)
冒険者ギルドでは、実力に合ったクエストしか紹介しない。だが、それでも事故や事件で命を落とす者が出ることはある。冒険者たちは、それを承知のうえでクエストに挑んでいるのだ。
死亡報告書――それはその結末を示す書類だ。
誰もいない、閉門後の静かなギルドの中で、クラリッサの心は沈んだ。
それでも、見過ごすわけにはいかない。次に同じことが起きないように、誰もが無事に帰れるように。
――しかし、その報告書には違和感があった。
――――
【報告者名】ゲスナー・モートン
【死亡者名】カイン・ロウデル
【登録番号】EX-448231
【所属パーティ】未確認(報告者の記録なし)
【発見場所】カーヴ断層鉱山・旧坑道内
【死因(暫定)】旧坑道内の崩落に巻き込まれた可能性
【遺体確認】現地確認未実施、荼毘に付されたとのこと
【確認者】不明(カーヴ駐在の村役所を通じて連絡)
【特記事項】危険区域での活動につき、ギルド補償対象外
――――
「えっ? これだけ?」
クラリッサは眉をひそめて、もう一度書類の文字をなぞる。
(死亡報告書って、こんなに雑だったっけ……。ゲスナーさんが書いたのか……それにしても、必要事項が曖昧すぎる……)
そのとき、気配もなく声がした。
「まだ居たのか……クラリッサ・エンデル」
「ひゃあっ!」
クラリッサは飛び上がりそうになった。振り返ると、ロウソクを持ったロズヴィクが暗がりに立っていた。
「き、き、き、急に驚かさないでくださいよ!」
ロズヴィクは気にも留めず、報告書に目を落とす。
「ああ……これ……」
「そ、そうなんです。この報告書、変ですよね……?」
「変……だけど、他にもあるぞ……」
「ど、どういうことですかっ!?」
「そんなことより、手伝って……」
「えっ?」
「ちょっと面倒なことになったから……他に人もいないし……」
「ええっ?」
「そしたら……それのこと、教えるから……」
「えええっ!?」
クラリッサの徹夜が、確定した瞬間であった――。