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大学のキャンパスはいつも通りの賑わいを見せていた。僕は自宅での襲撃をなんとか撃退した後、仁科君に関する手がかりを求めて、彼の周辺を洗っている。彼の紹介による治験バイトが何かの鍵になるかもしれない、と考えたからだ。
僕は学内で仁科君と繋がりがありそうな人を探し回っていた。しかし、どうやら治験については学内の人脈ではなく、バイト仲間経由であるらしいという情報にたどり着いた。彼の住んでいたアパートの最寄りにあるファミレス「たかち保カフェ」がバイト先だと聞きつけ、そこから更なる手がかりを求めることにした。
ファミレスの店員の知り合いを学内で探し出し、情報を引き出すために奢ることにした。
そして今、目の前にいるのが三枝君だ。彼はまだ高校生だが、仁科君よりもバイト歴が長いという。
僕は三枝君にタルタルチキンを奢り、自分はドリンクバーとマンゴーパフェを頼んだ。「仁科さんは、ここでのバイトとは相性が良かったと思いますね。仲間とも上手くいっていたし」と三枝君はタルタルチキンを美味しそうにほおばりながら話した。
話を聞くと、仁科君は飲食業のバイトでは金が貯まらないことを嘆いており、それを何とかしたかったところで一週間のバイト休みをもらった後、ホクホク顔で復帰してきたという。それが治験バイトのおかげなのだろうか。しかし、彼はそのことを誰にも話していないようだった。
「彼女でもできたのかな、と思ったんですけど、そのあと実家であんなことになって、残念です」と三枝君は続けた。二十一歳で亡くなるなんて、考えられないことだ。
「仁科さん、陽気になった割には変な事を調べていたみたいですね。ワールドジェネリックコンセンサソっていう会社を調べていたみたいです。知ってます?」
「初耳ですね」と僕は答えた。すぐにスマホで検索してみたが、まったくヒットしない。恐らく、治験を実施していた会社の偽名だったのだろう。
「匿名掲示板でも色々調べていたみたいです。なんか、マインドトリガーというブログに行きついて、いろいろ質問していたみたいなんですけど…」
これも検索してみた。実在するブログで、アヤワスカ秘儀や錬金術の死と復活、超能力開発について考察するブログだった。後でじっくり調べてみよう。
「…ところで、さっきタルタルチキンとパフェ持ってきた店員は、ここ長いの?」
「あ、甘利さん?パートとしては一年くらいじゃないですかね」
「…そっか、今日はありがと。なんか気づいたらメールしてね。あと、パフェも食べていいから」
「え、いいんすか?ありがとうございます!」
こうして、三枝君とは別れた。
僕には見えていた。パフェを食べた後に僕がレストランの床に倒れ、そのまま救急隊員に扮した集団に担架で連れ去られるさまを。
そして、彼にパフェを与えた後、彼が完食後にテーブルに突っ伏して眠りこけるさまを。
僕は静かに店を出た。これから起こることを知りつつも、次の手がかりを探すために歩みを進めるのだった。
自宅に戻った僕は、パソコンの前に座り、ブログ「マインドトリガー」の過去記事をあさり始めた。このブログは、麻薬による変性意識や魔術結社の秘儀、死からの再生、超能力の覚醒などについて詳しく書かれていた。特に、「麻薬による変性意識は仮死状態に近い」とか、「魔術結社の秘儀では死から再生、完全体に至る構成になっているのは、超能力覚醒の不変の法則である」といった記述が目立った。
「随分怪しいブログを見ていたんだな、仁科君は…」と僕は思った。しかし、何故このブログなのか。確かに麻薬と新薬の治験は関係ありそうに見えるが、「死」とはどういうことなのだろう?
僕はブログのプロフィールページに目を移した。運営者は「泉新吉」という名前で、「好きなSF漫画作品の主人公に名前をヒントにしたハンドルネームです」と書かれている。これを見て、僕は「こやつ、岩明均のファンだな」と推測した。
そこで、僕は泉新吉にコメントを送ることにした。
「はじめまして。ブログ拝見しました。友人があなたとやり取りをしている、と聞き、コメントさせていただきました。実は、友人は最近二十一歳の若さで心臓発作で亡くなりました。彼とは治験で一緒になった仲で、治験後もときどき連絡を取っていたのですが、彼の死の直前、何か気になることを言っていなかったか、と思っているのです。あんなことがあったのもあり、ただの心臓発作というのが、にわかには信じがたい、と思う自分がおります。」
と、事実とはわざとズレた内容を書きつつ、ブログ主が食いつきそうな一文を投下した。
「最近、正夢を見るんです。見たことは100%起こります。この事について、どう思いますか。回答をお待ちしております。-匿名」
麻薬、死、再生…。治験の新薬を投与されたときに意識が変わるとか、幻覚を見たり、感情が変化するとか、最高にハイってやつとか、そういった麻薬っぽい体験は一切なかったはずだ。しかし、今の手掛かりはこれだけなので、返信を待つしかない。
僕は椅子に深く座り直し、目を閉じて考えた。仁科君がこのブログに辿り着いた理由、そして彼の死の真相を解明するために。
「アレか、今回のターゲットは。」
年配の域に入った痩身の男は、眼光鋭く一人の男を見ていた。その服装は濃い紺色のジャージだが、線などの彩色は一切なく、暗闇では目立たない特注品と思われた。
ターゲットは、曽根巧20歳、大学生だ。自宅を2回襲撃して警察に介入され、警戒を強化されて、いまや周辺の個人宅・アパートの玄関の外には監視カメラを取り付けるブームが起きていて、接近すら難しい。カメレオンがレストランに潜入して睡眠薬を仕込んでも、食べずに去った。ありゃ、一体なんだ。
「詮索しても始まらん、こちらには情報が無い。」均質のとれた、しかし筋肉質の白人男性・ジェイコブがそうつぶやく。作業服に身を包み、曽根巧捕獲作戦の指揮官が、このジェイコブである。「こちらも粘って、外出の機会を伺ってようやく来たチャンスだ。いつも通りやればいいさ、スピードスター。」
痩身の男は、へへっ、とおどける。見るからに人を苛立たせるアラフォー男だ。ここはターゲット自宅から近い、わりと広い公園。彼がここを通ってコンビニでオヤツを買い食いすることが、決まって水曜と木曜であることがわかった。
「こんな間近で見るのは、初めてですね。」坊主頭で中肉中背の真面目そうな男が言う。「映像では見ていたんですけどね。」
治験会場に仕掛けてあった個室の隠しカメラには、映像と音声が記録されており、ターゲット情報の資料として提供されている。ジェイコブは「映像と実物は印象が違うこともある、センサー、ヤツを観察して覚えておいてくれ」と、坊主頭に言った。するとセンサーは「明日には忘れていい結果が望ましい、そう望む。」と、真面目な口調で言う。スピードスターは「今日で忘れていいぞ」と意気込んだ。
作戦は、公園の通路でも街灯の薄暗いポイントでスピードスターが背後まで一気に距離を詰め、タックルし、スタンガンをターゲットに押し当て、気絶させる。あとは、周囲に潜んでいる傭兵たちが静かに回収、車を回して一丁上がり、である。いつものパターンだ。
今の俺になるまでの道のりは、決して平坦じゃなかった。28歳の頃、順風満帆だった俺の人生が、一気に奈落の底に突き落とされた。友人が独立するって言うから保証人になったんだが、そいつはそのまま行方をくらまし、俺に多額の借金が残された。借金取りが会社に押しかけてきて、その噂は瞬く間に広がり、俺は退職する羽目になった。
借金は返さなきゃならない。そこで、借金取りから治験のバイトを紹介されたんだ。少し借金が残っていた頃、逃げるために走っているうちに、ある日気づいたら高速移動ができるようになっていた。最初は壁に激突することも多かったが、今の会社に収容され、病院で催眠療法を受けてからは、コントロールできるようになった。
それからの俺の人生は充実していた。借金は完済し、逃げた友人も治験参加の施設で再会し、そいつの最期を見届けることもできた。すべては製薬会社のおかげだ。スピードスターは元治験者であり、彼の行動速度は何故か素早くなった。これは、傭兵団も把握している事実である。何より、彼は最も多くのターゲットを捕捉しているのだ。だからこそ、彼が背後を取って一気に畳みかけることに疑問を抱かない。
それこそがこの男、「スピードスター」!
「絶対に成功する!」
ターゲットはポイントに近付いた。スピードスターはターゲットの背後から疾走し、一気に距離を縮めた。顔はアラフォーだが、アラフォーの出せるスピードではない。というより、人間離れした、豪速球並みのスピードだ。
しかし、そのタイミングを見計らったように、ターゲットは振り向いた。スピードスターはぎょ!としたが、止まれない。そのまま、ターゲットは隠し持っていた鉄パイプで横腹を殴りつけた。見事なバッティングセンスである。スピードスターは倒れ込み、悶絶した。そして、落としたスタンガンをターゲットが拾い、スピードスターに押し付け、電撃を喰らわせた。
「ぐわッ!」思わず叫んだが、意識は途絶えた。しかし、次の瞬間に激痛で目覚めさせられた。
「ギャアッ!」
横で拾った、握りやすい手ごろな石で膝の皿を割ったのである。ターゲットは冷酷な目で言った。
「痛い思いをさせるのは悪いけどさ、お前、俺の人生に責任とれるの?」
と言うと、スピードスターを足で転がしてもう片方の膝にも一撃をくれた。
「グァッ!」
ターゲットはなお冷酷である。
「会うのは三回目になるのかな。でもこれで最後だよ。サヨウナラ。」
そう言って、ターゲットは去った。
曽根巧は知っていた。彼等襲撃犯は、このままでは終われない。ずっと付きまとってくる。なら、こちらから釣ってみるか。そうしてわざと、決まった曜日の夜半に、広い公園を経由してコンビニ通いをしていたのである。今日来る、というのもわかっていたし、どこで、どのように襲撃するかもわかっていた。だから、隠せるくらいの大きさの鉄パイプを忍ばせ、ポイント近くに石を置き、誘ったのである。
アイツラ、俺の人生めちゃくちゃにする気満々なのに、舐め過ぎだ。そう、心の中で吐き捨てた。
スピードスターは、両膝を破壊されて悶絶し、その姿は戦う前とは見る影もない無様さである。ターゲットを回収するはずが、スピードスターを回収するとは。
「センサー、どう見る?」ジェイコブは聞いた。
センサーは「睡眠薬を回避し、襲撃を回避したのは偶然でかたずけられますが、今回は状況が全く違います。ターゲットは事態にすぐ対応し、鉄パイプで攻撃してきました。あの反応や過去の反応からして、僕と同じ能力かもしれません。」
「おまえは調整が無ければ使いこなせなかったのに、どれだけ有能なのかと思うよ」ジェイコブはそう答えた。
「異能には、異能で対処する」
ヤツと直接対峙はしたくない。今回の件で、ジェイコブはそう思った。