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ラインブレイカー  作者: 藤林保起
2/15

曽根は銀行の口座に振り込まれた大金を見て、思わずほくそ笑んだ。これまでの苦労が一気に報われた気分だった。しかし、浮かれた心を自制心で抑え、父親を楽にさせるため、そして大学の学費を何とかするための大切な資金だと自分に言い聞かせた。


そんな彼の隣で、同級生の仁科がにやにやしながら話しかけてきた。「今度、木曽さんと会う約束をしたんだ」と彼は嬉しそうに言った。曽根は内心で、仁科が木曽芳恵に売春のお金を渡すためだろうと考えたが、それを口に出すことは避けた。ヒガんでいる、と取られかねないからだ。


一方で、メンヘラの教来石に連絡を入れる気などさらさらなかった。治験の間に感じた教来石の執着は、曽根にとって重荷でしかなかった。自宅に帰り、くつろいでいると、呼び鈴が鳴った。玄関に行ってみると、中学時代の友人の母親が訪ねてきていた。

「お久しぶり」という挨拶もそこそこに、


「突然の話で悪いんだけど、仔猫の里親を探しているの。曽根君、引き取ってくれないかしら?」


彼女の言葉に、曽根は驚きながらも何か引っかかるものを感じた。どこかで聞いた話だと思い返してみると、それが治験後に見た夢の内容と一致することに気づいた。曽根は一瞬、現実と夢の区別がつかなくなるほどの衝撃を受けた。


「ええ、もちろん引き取ります。実はちょうど猫を飼いたいと思っていたんです」


曽根は快く引き受けた。友人の母親は安堵の表情を浮かべ、仔猫を連れてくる約束をして去っていった。

翌日の午後、仔猫が届けられた。小さな白い毛並みの美しい仔猫で、曽根はその可愛らしさに一瞬で心を奪われた。


「お前がうちの家族になるんだな。よろしくな」


曽根は仔猫を抱きしめながら、これからの生活に少しだけ希望を見出した。治験で得た大金と、予想外に現実となった夢の内容。すべてがつながり、新たな生活の一歩を踏み出すきっかけとなったのだ。



仔猫を引き受けて間もなく、父親・曾根虎永が帰ってきた。開口一番、彼は少し困惑した表情で言った。


「いきなり猫を飼うなんて言われても困るぞ。お前、ちゃんと面倒見るんだろうなぁ?」


その手には猫トイレや猫砂、猫の寝床、エサ入れ、爪とぎが詰まった大袋が持たれていた。曽根が父親が帰る前にメールで連絡し、必要なものを100円ショップでそろえてもらっていたのだ。


「まったく無責任な…。おおーッ、よしよしーッ、いい子だ、いい子だ。」


父親は文句を言いながらも、すぐに猫を愛おしそうに撫で始めた。一目で気に入ったようである。仔猫もすぐに彼に懐き、二人の間にすぐに絆が生まれていった。


…にゃんこといえば教来石。曽根の頭の中に突然教来石の顔が浮かんだ。ヤツは一体どうしているだろう?その疑問がどうにも消えず、曽根は教来石からもらったメールアドレスを思い出し、それを検索にかけることにした。


数秒後、曽根は驚愕の表情を浮かべた。検索結果に出てきたリンクは教来石のブログだった。そのブログを開いてみると、そこには恐るべき内容が書かれていた。曾根巧への愛情物語、いや、妄想が延々と描かれていたのだ。まだ治験から二日しか経っていないのに、教来石の執着はますます強まっているようだった。


「これは…。」


曽根はブログの記事を読み進めるうちに、背筋が寒くなっていくのを感じた。記事には曽根との架空のデートや、お泊り中の出来事が彼女の視点から美化されて書かれていた。さらに、将来の二人の生活まで妄想されている。教来石の心の中では、既に二人は深い関係にあると信じているようだ。


「これはヤバいな…。」


曽根は急に不安になった。教来石が自分に執着していることはわかっていたが、ここまでとは思わなかった。彼はすぐに父親に相談しようとしたが、父親は猫と遊ぶのに夢中で、そんな話を切り出すタイミングが見つからない。


曽根は深くため息をついた。そして、自分のスマートフォンを取り出し、教来石のメールアドレスをブロックすることにした。同時に、ブログを監視するための対策も考えなければならないと思った。これ以上、教来石に干渉されないように、自分の身を守るための準備が必要だと痛感したのだった。



その夜、曽根は悪夢に苛まれた。夢の中で、治験に参加していた長坂が寝床に横たわったまま、元妻に発見されるシーンが繰り返される。夢の中の長坂の顔には、何とも言えない苦痛の表情が浮かんでいた。

曽根は冷や汗をかきながら目を覚ました。寝覚めが悪く、胸の中に不安が渦巻いている。大学の講義中も、その夢のことが頭から離れず、心配がぬぐえない。結局、講義の合間にスマートフォンを取り出し、長坂の名前で検索をかけてみた。

すぐにヒットしたニュース記事には、驚くべき内容が書かれていた。「元妻が発見、保険金殺人か?」という見出しが目に飛び込んでくる。しかし、記事の内容をよく読んでみると、かなりの保険金が掛けられていた事実はあるようだが、他の可能性も示唆されており、事件の真相ははっきりしなかった。

曽根はその記事を何度も読み返し、状況を理解しようと努めたが、ただただ困惑するばかりだった。その時、同級生の仁科君からメッセージが届いた。

「長坂さんの事件、知ってる?これからって時にこんなことになるなんて、本当にやるせないよ…。」

仁科も同じようにこの事件を知り、ショックを受けているようだった。曽根は深くため息をつき、仁科に返信した。

「うん、記事を見たよ。何が本当なのか分からないけど、あんなことが起きるなんて信じられない。」

曽根の心には、治験での出来事や、長坂との会話が次々と思い出され、やり場のない気持ちがこみ上げてきた。彼は大学のキャンパスを歩きながら、仁科のことを考えていると、ふいに白昼夢に襲われた。仁科が自宅アパートの寝室で眠ったまま亡くなるシーンが、まるで現実のように鮮明に浮かび上がる。曽根はそのリアリティに驚きと恐怖を感じた。

曽根はすぐに仁科に連絡を取り、何気ない会話の中で彼に「たまには実家に顔を出してみてはどうか」と勧めた。仁科の実家は新幹線の距離にあり、普段はなかなか帰る機会がない。しかし、曽根の提案に仁科は少し考えた後、「そうだな、金もあるし、そうするか」と、十一月の中途半端な時期ではあるが実家に帰ることを決めた。

その結果、仁科の未来は大きく変わった。彼は実家に帰り、家族と過ごす時間を持った。しかし、帰宅翌日、仁科は実家で静かに息を引き取った。彼の死は突然であり、家族は深い悲しみに包まれたが、少なくとも彼は家族に囲まれて最期を迎えることができたのだ。

曽根は仁科の訃報を聞いたとき、胸に深い痛みを感じた。同時に、彼が実家に帰ることを勧めたことで、少しでも仁科の最期が穏やかになったことに安堵を覚えた。

その晩、曽根は自分の部屋で静かに考え込んでいた。長坂と仁科の死は、偶然なのか、それとも何か意味があるのか。治験に参加したことで、自分たちに何かが起こっているのだろうか。

曽根は再びパソコンを開き、治験に参加した他のメンバーの名前で検索をかけることにした。彼は答えを求めて、そして自分の身にも何かが起こるのではないかという不安を胸に、深夜まで画面と向き合った。


改めて治験のメンバーを一人ひとり思い出したところ、やはり白昼夢に襲われた。

未来が見えたのは香坂・教来石・跡部で、いずれも自宅寝室と思われる場所で死んでいた。彼等の死はリアリティをもって受け止められるものだった。

一方で、木曽だけは未来が見えなかった。何故、木曽だけ未来が見えないのか、その意味を考え始め、とにかく治験のメンツには連絡を取ったほうがいいと考えたが、考えてみれば連絡先を知っているのは教来石だけだった。

ま、会わなければ危険はあるまい、と考えて、捨てアドを使って、挨拶のタイトルでメールを打ち込んでいく。

「お久しぶりです」

曽根は教来石にメールで連絡を取り、香坂・跡部・木曽の連絡先を知っているか確認し、就寝時の注意喚起をしようと試みた。しかし、木曽の名前を出したのがまずかったようだ。ヤツのレスポンスは早かった。

「なんでぇ?あの女が気になるのぉ!?」と不機嫌になってしまったのだ。「長坂さん、仁科君が亡くなったんだよ。あの治験に参加した人が睡眠中に亡くなるみたいでさ。君は大丈夫?」「木曽さんが心配なの!?」と、話が進まない。

らちが明かない押し問答をメールでやっても仕方がない。なので、「今度、外で食事しないか」と提案した。彼女をなだめるために、曽根は会う約束を取り付けることになってしまった。彼女は途端に機嫌を直し「明日の午後一時、○○駅前のカフェで」待ち合わせとなった。ちょっと遠い。彼女の住居地なのか。

翌日、彼女とカフェで落ち合ったが、結局、教来石は他のメンバーの連絡先を知らなかった。彼女の病んでいる様子を見て、近づこうとする人はおらず、跡部ですら連絡先を交換していなかった。教来石が拒否したからだ。

完全に空振りだ…そのうえ、電車の距離の大型遊園地でのナイトデートに付き合わされ、結果的にお泊りデートというプランを彼女に押し付けられていた。彼女の中での僕との仲は、そこまで仕上がっているようだ。拒否するのも後が怖い。引きどころを間違えたのかもしれないが、自分の死の未来は見えない。死にはしないのは分かっているので、そこは安心である。

遊園地での彼女はハイテンション、こっちはご機嫌取り。疲れた。遊園地のアトラクションの記憶が残らない程度には疲れた。

宿泊するホテルは、かなりきれいだ。こんなところよく知っているな、などと思っていたが、そこで再び白昼夢を見た。教来石がそこで就寝中に亡くなるさまが鮮明に見えたのだ。

このまま彼女を眠らせるわけにはいかない、と決意し、曽根は彼女を一晩中眠らせない覚悟を固め、服を脱いだ。

20代半ばの彼女は、およそその年にそぐわない床上手に思えた。というより、僕相手だからなのか、その奉仕ぶりは半端ないものだった。痒い所に手が届く、というか。

終始、彼女のテクニックに翻弄されたが、眠ってはならない。眠らせもしない。それだけに集中しようとしていたが、僕もまた、いつの間にか彼女の白い肢体に溺れていた。

最高の夜だった。


翌朝、曽根と教来石は朝の通勤ラッシュの駅にいた。

これが朝帰りか…彼女とは住んでいる場所が離れていて、教来石の実家方面の電車が先に来た。彼女は電車に乗り、名残惜しそうに微笑んだ。扉は閉まり、二人は離れていった。これが永遠の別れとも知らずに。


約10分後、満員電車で立っていた教来石はるかは眠りながら倒れ込み、息絶えた。電車は一時騒然となったが、通勤ラッシュの喧騒の中で事件はかき消されていった。

曽根が顛末を知ったのは翌日、彼女のブログに彼女の親が死亡のお知らせを更新したのである。


曽根の努力は無駄に終わった。


治験から九日が経過した。

彼は呆然としながらも、次にどうすればよいのかを考え始めた。自分の見た未来を変えることはできるのか、それとも全ては運命なのか。

状況を整理すると、

治験を受けた者たちは、眠りながら死んでいく。既に7人中3人が死んだ。

僕は治験後に正夢を見、また白昼夢で未来を見た。

正夢は治験と関係があるかは不明だが、死亡は状況の酷似から明らかに治験の影響だ。

そして、唯一未来が見えない木曽の存在。これが腑に落ちない。


つまり、死亡は治験の影響である事は間違いないが、正夢は治験との関係がはっきりしていない。関連付けるとしたら、治験以前に正夢を見ることが無かった、という事だけだ。


…ここでふと思ったのは、自分もまた、眠りながら死ぬのだろうか?

そう考え始めたら、恐怖に襲われた。自分の未来は、どうなってしまうのか。

すると、白昼夢を見た。


僕が午後に自宅にいると、玄関で呼び鈴が鳴り、玄関ドアを開けると、二人の男が押し入ってきた。宅配便風の作業着を着ているが、ガタイがよく、何か動きが手馴れている。帽子を目深にかぶっているが、明らかに外国人だ。

僕はなすすべもなく男に拘束され、玄関先に止められた黒塗りの車に押し込められ、拉致された。

以上の内容で、白昼夢は終わった。それ以降の内容は、どうしても見ることができない。


…つまり、取り敢えず僕は死なない。

しかし、外国人に拉致される。

この事態には、対策が必要だ。既に、正夢である確信を持っている自分がそこにいた。


にゃっ、にゃっ。

仔猫がすり寄ってきた。かわいいヤツめ。

この子の為にも、平穏が必要だよな、と思った。


巧はリビングでテレビを見ていると、玄関のドアが開く音がした。父親が帰宅したのだ。虎永は少し疲れた様子で靴を脱ぎ、リビングに入ってきた。そして、その手には、最近家に来たばかりの白い仔猫が抱かれていた。

「ただいま。ハルカちゃ~ん、ただいま~」と父親が仔猫に話しかけるのを聞いて、巧は驚いて顔を上げた。

「いつ名前を決めたの?」巧は父親に尋ねた。

「今日決めた。娘に付けたかった名前なんだ」と虎永は答えた。その言葉に、巧は内心少し嫌気がさした。治験のときに知り合った教来石の下の名前と被ることが気に入らなかったからだ。

「もっと無難な名前、例えばタマとかでもいいんじゃない?」巧は提案したが、虎永は首を振った。

「いやなら、ハルカかギムネマシルヴェスターかのいずれかで選ばせてやろう」と、虎永はきっぱりと言い放った。

「ギムネマシルヴェスター?」巧は目を丸くして尋ねた。

「そうだ。珍しい植物の名前だ。どっちか好きな方を選んでくれ」と虎永は真顔で言った。

「じゃあ、ハルカで…」と巧は妥協した。父親の年で娘をつくるのも無理だし、これも願望が叶うと思えばありなのかもしれない、と考え直したのだ。

「よし、決まりだな。ハルカちゃん、これからもよろしくな」と虎永は満足そうに笑い、仔猫の頭を優しく撫でた。

巧はそんな父親の様子を見て、微笑みを浮かべた。にゃんこでハルカという名前にも、きっと意味があるのだろう。そして、それが父親の小さな幸せの一部であるならば、それも悪くないかもしれない、と心の中で納得した。

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