表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラインブレイカー  作者: 藤林保起
14/15

同日夕刻、巧は自宅でパソコンに向かい、泉新吉にメールを送信していた。メールの内容は、ロックの再起不能と、それを支援してくれたヒーラーの死についての報告だった。ヒーラーへの処分を直接見たわけではなかったが、巧は自らの予知能力でその運命を知っていた。彼の死は避けられないものであり、その運命はすでに極まっていたのだ。

メールを送信し終わると、巧の飼い猫であるハルカが足元にすり寄ってきた。巧はハルカを抱き上げ、優しく撫でながら話しかけた。

「なぁ、ハルカ。ヒーラーがお前に会いたいって言っていたけど、お前は会いたいと思っていたのかい?」巧がそう尋ねると、ハルカはにゃっ、と可愛い声で答えた。

巧は少し微笑みながら「そうか…残念だったな」と呟いた。その声には、ヒーラーの死を悼む悲しみと、ハルカの無邪気な返事への感謝が込められていた。

ヒーラーの姿を思い浮かべながら、巧は窓の外を見つめた。夕焼けの空が赤く染まり、静かな夜が訪れようとしていた。彼は心の中でヒーラーに別れを告げ、その死を無駄にしないと誓った。

ハルカが巧の膝の上で丸くなると、彼はその温もりを感じながら、ふとセンサーと傭兵団の既に極まった運命について考え始めた。ライフフォージ社の未来が、この戦いの行方にかかっていることを痛感していた。


翌日の朝、小島弥生からのメールが届いた。「これ、たっくんだよね?」とあり、動画共有サイトのURLが貼られていた。巧は半ば不安な気持ちでリンクをクリックし、動画を再生した。どうやら昨日の街中で起きたタンクローリー事故の現場の映像らしい。そこには、血みどろのまま立ち上がったヒーラーと、そのそばに駆け寄る自分の姿がバッチリ映っていた。

「バッチリ映ってますやん…」と呟きながら、巧は考え込んだ。あの映像が広まれば、自分の正体が露見する可能性が高い。学校では既に自分とヒーラーを腐った目で見ている腐女子たちもいるし、彼女らの視線が一層痛くなるかもしれない。しかし、ヒーラーの正体や彼の死についてはまだ知られていない。この状況が解決するまでの間、自分をどう守るかを考える必要がある。

「イメチェンでもしようかな…」と巧はつぶやいた。変装して目立たないようにすることで、しばらくの間は注目を避けることができるかもしれない。時間が解決してくれることを願いつつも、彼は次の行動を練り始めた。


以前撮影したクラッシャーとの戦闘動画を公開するタイミングが来たと感じた巧は、行動に移ることにした。まず、動画共有サイトに一度アップロードし、自分の名前「ラインブレイカー」や声、そして「ラインブレイカー」と言っていた口の動きを編集で消した。画像にはモザイクをかけ、音声は消して再度アップロードした。

動画の始まりには、撮影年月日と撮影場所である心霊スポットのトンネルの名前を字幕で入れた。これにより、実際に崩落事故があった場所だと証明する材料となり、特撮ではなく実際の事件だと疑う者も出るかもしれないと期待した。

動画を公開した巧は、さらにその拡散を図るために泉新吉に依頼のメールを送った。メールの内容はシンプルだが明確だった。


「件名: 動画の拡散依頼

泉さん、

お世話になっています。巧です。先ほど、クラッシャーとの戦闘動画を公開しました。ご覧いただきたいのですが、これを広めるために手伝っていただけませんか?動画のリンクは以下です。

URL:×××××××××××××

お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。

ナンマル」


メールを送信し終えると、巧はハルカの頭を優しく撫でながら、次に起こるであろう反響に備えた。動画の拡散が進めば、自分の存在がより一層広まることになるが、それはライフフォージの未来を切り拓くための一歩でもあった。彼の心には不安と期待が入り混じっていたが、決意は揺るがなかった。巧は次なる行動に向けて、準備を進めるためにさらにメールを送った。今回の宛先は甘利、つまりカメレオンだった。


「件名: 依頼の件

甘利さん、

お世話になっています。巧です。今回、急ぎでお願いしたいことがあります。遠からず、傭兵団とセンサーを処断するつもりです。その見返りとして、今のうちに治験データや被害者リストのようなものを手に入れることができれば、大きな武器になります。

お手数をおかけしますが、どうかご協力いただけないでしょうか?

巧」


ハルカが再び巧の膝の上に丸くなると、その温もりに少しだけ心が和んだ。彼は軽く微笑んでから、ハルカに向かって静かに話しかけた。「ハルカ、もうすぐ状況が変わる。僕たちの未来も、少しずつだけど、良くなるかもしれない。」

ハルカはにゃっと一声返し、巧の心をさらに温めた。巧は新しい戦いに向けて、心を落ち着けるために深呼吸をし、次なる行動を考え続けた。彼の目には再び鋭い決意の光が宿っていた。


巧は大学に向かい、食堂でジャーナリズム研究会のメンバーである齋藤あすかと小島弥生と合流した。二人は動画に出てくるヒーラーの大けがを心配していたが、巧がヒーラーの異能「瞬間治癒」で即座に立ち上がったことを伝えると、安心したようだった。

「あの動画、結構衝撃的だったね」とあすかが言った。「でも、ヒーラーが無事ならよかった。」

「本当、びっくりしたわ。あのまま何事もなく立ち上がるなんて、信じられない」と弥生が続けた。

巧は笑顔を見せ、「そうだね。彼の能力は本当に驚異的だよ。それに、あの動画が広まったから、しばらく表に出れなさそうだ。だから髪型を変えてイメチェンしようと思うんだ」と言った。

「いいアイデアじゃない?新しい髪型でさらにカッコよくなりそうね」とあすかが楽しげに言った。

「うん、それにしても、ジャーナリズム研究会を使ってクラッシャーとの戦闘動画を拡散できないか頼みたいんだけど、協力してもらえるかな?」と巧が続けた。

あすかと弥生は即座にOKを出してくれた。巧はさっそく動画URLをメールで二人に送信した。

「ありがとう、これで少しでも多くの人に真実を知ってもらえると思う」と巧は感謝の意を示した。

弥生が巧に尋ねた。「ハルカちゃん、元気?」

巧は笑顔で答えた。「元気有り余ってるよ。また遊んでやってよ。」

弥生は頷きながらスマホを取り出し、「この間の動画をあすかに見せるね。」と言って、ハルカの可愛い姿が映る動画をあすかに見せた。

あすかは動画を見て大笑いしながら、「こっちの動画のほうが視聴数稼げると思うんだけどね~」と言った。

巧は苦笑いしながら答えた。「いや、自宅で撮影しているから特定が怖いよ。あんまり自宅の様子が映る動画はアップしたくないんだ。」

弥生も頷いて同意した。「そうよね、プライバシーは大事だし。でも、ハルカちゃんの可愛さは本当にみんなに見てもらいたいわ。」

巧はハルカのことを思い浮かべながら、「まあ、また機会があったら考えてみるよ。今はクラッシャーとの戦闘動画に集中しよう。」と言った。

あすかは意気込みを見せて、「そうだね!それじゃあ、拡散の準備を始めるよ。」と言い、早速スマホで動画を共有し始めた。

弥生も笑顔で、「巧、あんたの髪型イメチェン、楽しみにしてるわ。新しい姿でまたハルカちゃんと一緒に動画撮ろうね。」と励ました。

巧は仲間たちのサポートに感謝しながら、新しい挑戦に向けて気持ちを新たにした。彼の決意と行動が、ライフフォージの未来にどんな影響を与えるのか、これからが楽しみだった。


その夜、傭兵団は巧、つまりラインブレイカーを捕捉するための強襲を計画し、実行に移していた。彼らは二台の車に分乗し、捕捉の実働部隊四人、監視部隊にセンサーを含む三人が集結していた。これまで九人いた異能者のうち、マニピュレーター、グラビティ、クラッシャー、ヒーラーが死亡し、スピードスター、タイタン、ロックがリタイア。今や残るはカメレオンとセンサーのみとなっていた。

傭兵団はここまで追い詰められるとは予想外だった。これ以上深手を負うわけにもいかない。彼らのリーダーであるジェイコブは、今回の作戦が成功することを祈りながら、最後の指示を出していた。

「みんな、気を引き締めていけ。失敗は許されない。」

車は静かに、しかし迅速に巧の自宅へと向かっていた。彼らの目的は一つ、巧を捕らえること。巧の異能の力は、ライフフォージにとって脅威であり、何としてでも排除しなければならなかった。

センサーは、この会社との出会いを思い返していた。


彼は普通の家庭に育った。父親はサラリーマン、母親は専業主婦。平凡な高校生で、成績は中の上、友達もそこそこいた。家庭は特に裕福ではなかったが、愛情に溢れていた。少なくとも、そう思っていた。

しかし、高校二年生のとき、父親が突如会社を辞め、事業を始めると宣言した。家族は驚きつつも、父親の決意に賛同し、応援した。だが、事業は思うようにいかず、借金が膨れ上がった。家庭内の雰囲気は一変し、彼の心にも重くのしかかった。

父親は次第に家に帰らなくなり、行方をくらました。高校を卒業するころには、母親も耐えきれなくなり、家を出て行った。彼は独り残された。これまで普通の家庭だと思っていたが、お金の問題であっけなく崩壊してしまった。

十八歳の時分に、借金取りが迫った。逃げ場もなく、途方に暮れていた彼に、借金取りは治験のバイトを紹介した。渋々受け入れ、治験に参加することにした。製薬会社の施設で行われた治験は、特に変わったものではなかったが、終了後、裕也の五感が異常に敏感になった。

最初は些細なことだと思っていたが、次第に生活に支障をきたすようになった。音や光に過敏になり、外に出ることができなくなった。自室に引きこもる日々を送り、誰とも連絡を取らず、孤独に苦しんだ。

そんなある日、製薬会社から連絡があった。彼らはその異常な五感強化について把握しており、コントロールするための「調整」を提案した。彼は藁にもすがる思いでその提案を受け入れた。製薬会社の研究施設で行われた「調整」により、五感はコントロールできるようになった。

さらに、製薬会社は彼の借金も肩代わりし、経済的な不安からも解放してくれた。徐々に普通の生活に戻り、社会復帰を果たした。彼は製薬会社の依頼で傭兵団に参加し、センサーとしての役割を果たすようになった。

今や、彼にとって製薬会社は家族以上の存在となった。両親よりも頼りになり、彼を支え続けてくれる存在。彼はその恩義を感じ、製薬会社のために働くことに誇りを持っていた。家族の崩壊と引き換えに得た新たな居場所、それがセンサーにとっての製薬会社であり、無限の愛社精神の根拠でもあった。

それこそがこの男、センサー!

「わが社の脅威は、排除する」


センサーと同乗するのは、ジェイコブとアンドレアだった。アンドレアは無効化薬を飲んでから一日が経過し、新薬を飲んでからは七日目となる。今日が運命の日かもしれないという緊張感が彼の中にあった。強襲作戦が実施されるのは、何よりも動画の拡散が影響していた。ヒーラーが映っているものと、クラッシャーが能力を使っているものが広まり続けるのは非常にまずい。これを阻止するため、傭兵団はこの強襲作戦を決行した。

ジェイコブは慎重に指示を出しながら、車内でアンドレアとセンサーと共に作戦の最終確認を行っていた。パソコンやスマートフォンなどのデバイスの押収は必須であり、また侵入時にはカメラ対策も万全に整えている。センサーはその特殊な能力を活かし、巧の自宅に仕掛けられたセキュリティシステムやカメラを一つ一つ無力化していくつもりだった。

「各自、緊張感を持って行動しろ。これは単なる捕捉作戦ではない。証拠となるデータも抹消し、ラインブレイカーの存在そのものを消し去るための作戦だ。」とジェイコブは指示した。

アンドレアは自分の強化された能力を信じて、慎重に準備を進めた。彼の新薬による強化がどこまで通用するかは不明だったが、ヒーラーの影響を受けた今、自分もまた一層強力な存在であると感じていた。

ふと、アンドレアが声を出す衝動に駆られ、高音を徐々に増やしていくと、その音波は車内に不快な影響を与え始めた。ジェイコブ、センサー、アンドレア自身が強烈な不快感に襲われ、気分が悪くなり、車内で嘔吐し始めた。運転が困難になったジェイコブは、車を路肩に緊急停止させた。

それでもアンドレアは声を止められず、音波はさらに強まっていった。後続の車が急停止しているのを見た他の四人が乗っている車も引き返し、現場に到着すると、イーサンが車中を確認した。そこには、全員が痙攣して白目をむき、異常な状態に陥っているのを見て、イーサンはすぐにドアを開ける決断をした。

その瞬間、アンドレアは音波を発し続けており、イーサンもその影響を受けて倒れてしまった。車で待機していたメンバーは状況の異常さに気づき、急いで救援要請を行い、状況を説明した。

緊急対応チームが到着し、まずはアンドレアの音波の影響を防ぐために特殊な装置を使って音波を遮断しようとした。医療チームは、嘔吐や痙攣に苦しむ傭兵たちを迅速に手当てし、彼らの状態を安定させるために全力を尽くした。

アンドレアの音波が車内に及ぼした影響で、作戦が完全に失敗に終わり、全員が深刻な状況に陥ってしまった。ジェイコブの強襲作戦は、思いもよらぬ形で崩壊し、傭兵団の計画に予期せぬ大打撃を与えた。


アンドレアの異能、後に「バンシー」と名付けられる音波攻撃の能力が、完全に制御を失った結果、重大な事態を引き起こした。彼が発した音波は、音波兵器に匹敵するほどの強力なものであり、その影響は予想を超えるものだった。

アンドレア自身もその影響を受け、身体的なダメージを負い、最終的には死亡する結果となった。センサーも同様に、強力な音波の影響で命を落とすことになった。

ジェイコブは音波の衝撃で脳に深刻な障害を負い、運動機能が大きく損なわれ、現役を引退せざるを得なくなった。イーサンは、比較的軽度の聴覚障害で済んだ。

彼の異能、すなわちアンドレアの「バンシー」は、これまでにないほどの危険性を持つ能力として認識されるようになった。

この一連の出来事により、傭兵団は大きな損害を被り、残されたメンバーたちは状況の厳しさを痛感していた。アンドレアの死とジェイコブの引退がもたらした影響は計り知れず、団内の士気と機能は大きく低下した。これまで保留されていた契約解除の決断が、急速に現実のものとなった。

契約を切る決断は、以前からアンドレアの状況に依存していた。アンドレアが生きている限り、その能力と影響力が傭兵団にとっての重要な資産であり続けると考えられていた。しかし、彼が死亡し、団長が引退することによって、残されたメンバーたちは団体としての機能の継続が困難であると判断した。

さらに、アンドレアの音波能力の暴走が示したように、異能者たちのコントロールの難しさと、それが引き起こすリスクの大きさが、今後のパフォーマンスに対する信頼を揺るがせていた。これにより、傭兵団の運営は著しく困難になり、以前のような精度での任務遂行が不可能になると認識された。

結果として、傭兵団は契約を解除し、活動を縮小または終了する方向へと舵を切ることを決定した。これにより、傭兵団としての存在感は急激に薄れ、残されたメンバーたちは新たな生計手段を模索せざるを得なくなった。



翌日の夕方、巧のアップロードした動画は爆発的な勢いで広まり、再生回数が10万回を超えていた。泉新吉と、大学のジャーナリズム研究会が動画を拡散し、視聴数はさらに増加する兆しを見せていた。

巧は、自身のパソコンでメールの受信箱を確認した。泉新吉からの返信が届いていた。新吉は動画拡散に協力することを伝え、ロックのリタイアとヒーラーの死により、敵がかなり逼迫していると警告していた。さらに、動画の広がりによって相手の焦りがピークに達しており、今後どのような行動をとってくるかは予測がつかないとも述べていた。

巧は深く息を吸い、冷静に返信を打ち込んだ。センサーが死亡し、傭兵団の一名も死亡、さらに傭兵団の団長がリタイアすることになり、傭兵団は契約を解除して解散する見込みであることを伝えた。そして、送信ボタンを押した。

メールを送信した後、巧は静かに立ち上がり、外出の準備を始めた。鏡の前で髪を整え、シンプルなシャツとジーンズに着替えた。何度か深呼吸し、自分を落ち着かせた。外出は久しぶりだったが、今日はどうしても出かけなければならない理由があった。

理容室に向かう途中、巧は街の喧騒に耳を傾けながら歩いた。行き交う人々のざわめき、車のエンジン音、遠くから聞こえる犬の吠え声。かつてはこれらの音が彼を安心させていたが、今は少し違った感覚を持っていた。五感が強化されたことで、日常の音や光がより鮮明に感じられるようになり、それが時折過敏に反応することもあった。

理容室に到着し、ドアを開けると、中には馴染みの理容師が待っていた。彼は巧を見て微笑み、椅子に座るように促した。巧は礼儀正しく挨拶し、椅子に腰掛けた。理容師は巧の髪を慎重に整えながら、軽く世間話を交わした。巧はリラックスし、久しぶりの外出に少しの安堵感を覚えた。

カットが終わり、理容師に感謝の意を伝えて店を出ると、夕暮れの街はオレンジ色に染まり始めていた。巧は一瞬、立ち止まり空を見上げた。この先に何が待ち受けているのかは分からないが、今の自分には立ち向かう覚悟があった。

彼は深く息を吸い、再び歩き始めた。闘いはまだ終わっていない。新吉からの助言と協力を胸に、巧は次の一手を考えながら、自宅へと向かった。



二日後、甘利泰子ことカメレオンと待ち合わせている個室喫茶ジュテームに向かった。店内に入り、甘利がいる部屋へと進む。甘利は巧の姿を見て微笑み、「おっ、イメチェンしたの?似合ってるじゃない」と声をかけた。巧はヒーラーの動画で顔が拡散されたこともあり、段差のあるカリアゲにしたが少々自信がなかった。父親からも「お、なんだ?彼女の趣味に合わせたのか」?などと茶化されるし。しかし、甘利の一言で少しだけ気分が持ち直し、軽く礼を言った。

席に着くと、甘利は「製薬会社は大変だったよ」と言いながら、最近の状況について話し始めた。傭兵団と異能者の実働部隊を失った会社は、異能とそれを獲得する治験の再編を余儀なくされ、しばらくは治験が行われない見込みであることを伝えた。また、伊勢宇治綱社長は巧への処断を絶対的に揺るがないと考えており、それに対して伊勢宇治守会長が諫めているという。情報統制のために、会長はマスコミ各社に働きかけを始めているとも話した。

甘利は「で、これがご依頼の品。わたしを解放してくれた見返りね」と言いながら、USBメモリを差し出した。「ご希望だった治験データや死亡記録は無かったけど、被験者リスト、つまり治験参加者のリストがあったわ。これを精査すれば、大量の死亡記録がデータ化できるはずよ」と説明した。巧は「なるほど、これはありがたい」と感謝を述べてUSBメモリを受け取った。

さらに、甘利は「それと、コレはオマケ」と言いながら、二つの薬瓶を取り出した。一つは錠剤、もう一つはカプセルが入っている。「何これ?」と巧が尋ねると、甘利は錠剤が異能発現薬であり、カプセルがその補助剤であると説明した。錠剤のみを飲むと一週間以内に死ぬ確率が100%で、カプセルを一緒に飲むと異能発現率が上がるという。ヒーラーが交通事故に巻き込まれる前にこの二つを同時に飲んでいて、回復力が強化された原因と見られている、と話したうえで、「ここで飲んでみない?」と甘利は提案したが、巧は「いや…取り敢えずもらっておこう」と言って薬瓶をポケットにしまい、軽く挨拶をして別れた。

巧は甘利との別れ際、彼女の背中に感謝の念を送りながら、店を後にした。USBメモリの中身を確認し、次の一手を考える必要がある。甘利の提供してくれた情報は、製薬会社の陰謀を暴くための大きな手掛かりとなるはずだった。家に帰り、USBメモリのデータを精査し、今後の計画を練り直すことにした。


巧が自宅に戻る頃には、動画の話題は未だ衰えることを知らず、ネット上ではますます関心が高まっていた。ある有名な動画配信者が巧の動画を取り上げたことで、一層の広がりを見せていた。クラッシャーとの対決が行われたトンネル付近に突撃した配信者もいれば、ドローンで現地を撮影し、崩落したトンネルや割れたアスファルト、落ちた橋、新しい落石の痕跡などを映し出して検証する配信者も現れた。

その結果、現地の異常な光景が次々と明らかになり、多くの人々の関心が集まった。動画中に登場したクラッシャーの異能についても注目され、彼の出自や背景について知りたいという声が高まっていた。

自宅に戻った巧は、リビングのソファに深く腰掛けながら、次の一手を考えていた。手元のUSBメモリには、甘利から受け取った被験者リストが入っている。このリストを泉新吉に提供し、しかるべきところで検証してもらうことが必要だと感じていた。

巧はすぐにパソコンを立ち上げ、画像のリストの自分のデータを加工したうえで、泉新吉にメールを送る準備を始めた。メールの件名には「被験者リスト提供」と記し、本文には以下のように書いた。


「泉さん、

先日は動画拡散の協力ありがとうございました。おかげで、多くの人々に事実が広まり、関心が集まっています。

今回、甘利泰子ことカメレオンから手に入れた被験者リストをお送りします。このリストには、製薬会社の治験に参加した者たちの詳細が含まれています。これを精査することで、大量の死亡記録が明らかになるはずです。貴方のネットワークを活用して、しかるべき検証を行っていただけると助かります。

また、クラッシャーに関する情報も集めることで、彼の背景を暴露することができるかもしれません。引き続き、よろしくお願いします。

ナンマル」


巧はメールに加工済みのデータを添付し、送信ボタンをクリックした。これで一つの大きなステップを踏み出すことができたと感じた。


巧は台所のテーブルに座り、買ったばかりの猫缶を開けると、そこに粉々にした錠剤とカプセルの中身を慎重に混ぜ始めた。手元の作業に集中しながら、彼は独り言をつぶやいた。

「未来に囚われたくはない。未来は主体的につくるものだ。」

その目はどこか覚悟を決めたような鋭さを帯びていた。

「しかし、未来に必要な事を知っているからには、これも必要な事。」

巧は飼い猫のハルカを見つめ、その穏やかな瞳に向かって語りかけた。

「俺のこと、信じてくれるか?」

ハルカはにゃっと一声鳴き、猫缶に顔を近づけた。巧はその小さな動作に微笑みながら、猫缶を差し出した。ハルカはすぐに興味を示し、美味しそうに猫缶をほおばり出した。

巧はしばらくその光景を見守りながら、自分の決意を再確認した。彼がこの異能を手に入れるためのリスクを背負う理由は明確だった。製薬会社との戦いに勝つためには、さらに強力な力が必要だと感じていた。

「ありがとう、ハルカ。お前の協力があってこそだ。」

ハルカが餌を食べ終わると、巧はその背中を優しく撫でた。そして、自分自身の未来を切り開くために、次なる一歩を踏み出す準備を始めた。彼は決して後戻りしないという覚悟を胸に秘めていた。

巧は自室に戻り、深呼吸をしてから、甘利が渡してくれた異能発現薬と補助剤を手に取った。錠剤とカプセルを見つめながら、彼は一瞬の躊躇を感じたが、すぐにその思いを振り払った。

「これが必要な一歩だったんだ。」

未来に向けた彼の戦いが、今まさに新たなステージに入るのを感じていたが、巧は気負い過ぎている自分に気付き、久しぶりに弥生をデートに誘ってみるか、と考え始めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ