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翌日、ビジネスホテルで小島と別れた巧は、自宅に戻るとすぐにパソコンを立ち上げた。暗い部屋の中で、スクリーンの光だけが彼の顔を照らしていた。巧は協力者の泉新吉にメールで事後報告をするため、手早くキーボードを打ち始めた。
「件名: 事後報告
泉さん、
お疲れ様です。昨日の件について報告します。
まず、敵施設への潜入ですが、敵が待ち構えていたことから、木曽芳恵は既に死んだか、洗脳されている可能性が非常に高いです。彼女の行方は依然不明ですが、私たちの情報が漏れていたことは間違いありません。
また、敵の異能者一人を撃破しました。これは重要な成果です。彼に挑戦状をたたきつけ、こちらの意図を明確に示しました。これが今後の戦いにどう影響するかは分かりませんが、少なくとも彼らに警戒心を植え付けることができたと思います。以前の前橋テルサでの戦いのときから「容赦する気はない」という覚悟を以て、敵と挑んでいます。今回もその覚悟を持って挑みました。敵との戦いにおいて、私たちは一切の妥協を許さないつもりです。
最後に、大学ジャーナリズム研究会を足に使いました。彼らにはガッツリと関わらせてしまいましたが、この選択が最善だったと信じています。彼らの協力がなければ、ここまでの成果は得られなかったでしょう。
以上が今回の報告です。何か追加の情報が必要であれば、遠慮なくお知らせください。
よろしくお願いします。
ナンマル」
メールを送信した後、巧は深いため息をつき、椅子にもたれかかった。報告を終えた安堵感と同時に、次の戦いに向けた緊張感が彼を包んでいた。彼は、まだ終わらない戦いの中で、少しでも多くの命を守るために、自分の力を最大限に発揮することを誓った。
巧はメールを送信し、しばらくパソコンの前で静かに考え込んでいた。彼の目の前には、これからの戦いに向けての計画と、友人や仲間たちの顔が浮かんでいた。彼の心の中には、これからも続くであろう戦いの覚悟が、確固たるものとして刻み込まれていた。
昼になり、巧はたかち保カフェで三枝君と合流した。カフェの中は心地よい静けさに包まれており、木製のテーブルや椅子が温かみを感じさせた。カウンターの奥からは、美味しそうな料理の香りが漂ってきていた。この間、甘利さんについて情報提供を受けた礼である。
「三枝君、お疲れ様。」巧は笑顔で声をかけた。
「巧さん、お疲れ様です。」三枝君も笑顔で応えた。
「今日は、以前協力してくれたお礼にタルタルチキンをおごるよ。」巧はメニューを手に取りながら言った。
「ありがとうございます!タルタルチキン、大好きなんです。」三枝君は嬉しそうにメニューを見ていた。
「前もタルタルチキン食ってたよな。どれだけ好きなんだよ。」巧は笑いながら言った。
「実は、これをまかないの目当てでバイトに入ったんです。」三枝君は少し照れくさそうに言った。
「そうなんだ。確かに美味しいもんな。」巧は頷きながら、オーダーを済ませた。
二人が席に着くと、タルタルチキンが運ばれてきた。香ばしいチキンにたっぷりとタルタルソースがかかり、見るだけで食欲をそそる。
「いただきます。」二人は同時に箸を取り、チキンを口に運んだ。
「うん、美味しい。」巧は満足そうに言った。
「本当に美味しいですね。」三枝君も頷いた。
他愛のない話が続く中、三枝君はふと思い出したように話し始めた。「最近、バイトの応募者が複数いて、採用したんですけど、なんか甘利さんが教育担当になって忙しいみたいですね。」
「甘利さんが教育担当か。彼女、しっかりしてるもんな。」巧は感心した様子で言った。
「そうなんですよ。甘利さん、いつも冷静で頼りになるんです。新人たちもすぐに慣れるんじゃないかと思います。」三枝君は少し誇らしげに言った。
「それは良いことだな。お店が繁盛してる証拠だ。」巧は微笑みながら言った。
「はい。でも、今日は甘利さんも休日なんです。僕も休みで、一緒にカフェでのんびりできるなんて、久しぶりですね。」三枝君はリラックスした表情を見せた。
「たまにはこうやってのんびりするのも大事だよな。」巧は同意し、二人は再びチキンに箸を伸ばした。
和やかな雰囲気の中、二人の会話は続いた。タルタルチキンの美味しさと、リラックスした時間が、彼らの心を癒していった。
施設の一室で、異能者たちが集まっていた。外の風がカーテンを揺らし、不吉な音を立てる中、室内の空気は一層重く、息苦しいほどだった。今日の会合の主題は、「グラビティ」の密葬だ。彼の突然の死は、異能者たちの間に深い衝撃をもたらしていた。
センサーは、部屋の片隅で黙っていた。五感を鋭敏にする能力は、今や彼の負担となっていた。彼の耳には、仲間たちの小さな息遣いや、心拍のリズムさえも不快な雑音として響いていた。グラビティの死は、彼にとっても想定外の事態であり、思考が麻痺しているようだった。
「一体何が起きたんだ…」センサーの心中に浮かぶのは、その問いだけだった。彼は何度も報告書を読み返していたが、そこに納得のいく答えはなかった。
クラッシャーは、部屋の中央で不敵な笑みを浮かべていた。彼は、グラビティを倒したラインブレイカー、つまり巧に強い興味を示していた。破壊の力を持つクラッシャーにとって、敵対する異能者との対決は常に刺激的だった。「次は俺の番か…面白くなってきたぜ」と、内心で呟きながら、彼は拳を握り締めた。
「やっと面白い相手が現れたな。どんな奴か見てみたいもんだ」クラッシャーは、ニヤリと笑って部屋を見渡した。
ヒーラーは、静かにグラビティのことを思い出していた。彼の若さと儚げな美貌は、他の異能者たちとは一線を画していた。彼は、自身の自殺願望と重ね合わせて、グラビティの運命を考えていた。「もし俺も、あの時…」と、過去の選択を悔やむことはしなかったが、今の自分と重ね合わせることで、彼の心は一層沈んだ。
「グラビティ…君も、逃げ場を見つけられなかったんだな」ヒーラーは、小さな声で呟いた。
ロックは、冷静に部屋の状況を観察していた。彼の硬化の異能は、防御において圧倒的な力を発揮するが、心の変化には無力だった。長年、異能者たちの感情には大きな変動はなかったが、今、明らかに何かが変わろうとしていた。それを感じ取ったロックは、今後の展開に備え、心を引き締めていた。
「我々の時代も、変わりつつあるのか…」ロックは、静かに考え込んだ。
異能者たちの会合は、次第に散会の雰囲気を帯びてきた。彼らはそれぞれ、自分の役割と未来を見据えながら、重い足取りで部屋を後にした。彼らの心には、それぞれの思いが渦巻いていたが、一つだけ共通するのは、グラビティの死がもたらした重い影だった。
「次に何が待ち受けているのか…」センサー、クラッシャー、ヒーラー、そしてロック。それぞれの心に、未だ見ぬ未来への不安が広がっていた。しかし、彼らは立ち止まることはなかった。己の異能を信じ、進み続けるしかない。
沈黙は、センサーの静かな声によって破られた。
「もう一つ、告示がある」と彼は言った。その声には、どこかしらの重さが感じられた。「スピードスター及びタイタンは、別の任務に従事するため、別の施設に送致された。病院ということだ。」
その言葉が部屋に響いた瞬間、ヒーラーが皮肉交じりに呟いた。「実験体ですかね」
その言葉に、部屋の空気は一層重くなった。誰もが自分の運命を想像し、失敗したときの結末を思い浮かべていた。異能者たちにとって、「病院」という言葉は、実験と苦痛の象徴だった。
クラッシャーは、その沈鬱な空気を変えようと試みた。「カメレオンは、従来の任務に入り浸っているのか」と、わざと軽い調子で言った。
ロックは、ゆっくりと口を開いた。「治験は今やっていない。ただ、被験者はまとまった数が揃いそうなので、近く行われるだろう」
クラッシャーは、吐き捨てるように言った。「またお楽しみ、か」
彼の言葉には、年上の同期に対する苛立ちと諦めが混じっていた。彼らは異能者としての力を持ちながらも、その力を管理され、実験される存在だった。自由とは程遠い状況に、クラッシャーは内心の怒りを抑えきれなかった。
「俺たちも、次はどうなるかわからないな…」と、センサーは言葉を続けるが、その声には自嘲が滲んでいた。
ヒーラーは、無言でうなずきながら、目の前の現実を受け入れるしかなかった。彼らの運命は、常に実験と戦いの狭間にあった。そして、その狭間で生き延びるためには、互いの信頼と協力が必要だった。
「次のミッションまで、時間がある。各自、準備を怠らないように」と、ロックが静かに告げた。
部屋の異能者たちは、それぞれの思いを抱えながら、散会の準備を始めた。彼らの未来は、不確かで暗雲が立ち込めていたが、それでも前に進むしかなかった。異能者としての宿命を受け入れ、自らの力を信じて。
彼らはそれぞれの道を歩み始めた。沈鬱な空気の中で、それでも希望を見失わず、次の戦いに備えるために。
巧は、今朝泉さんに送ったメールの返信を確認していた。
「件名: 逆襲と挑戦状について
ナンマルさん、
お疲れ様です。メールを拝見しました。まず、あなたの勇気と決意には敬意を表します。襲撃されることを恐れず、逆襲と挑戦状を叩きつける姿勢は非常に立派です。しかし、いくつかの点について懸念があります。
第一に、あなたの出方が相手に読まれていないうちに行動を起こすことが重要です。奇襲の効果を最大限に引き出すためには、相手が予測できないタイミングで動く必要があります。
第二に、ジャーナリズム研究会を巻き込んだことについてですが、これには慎重であるべきです。彼らが情報を持っているのは確かですが、彼らを巻き込むことで予期しないリスクが増える可能性があります。彼らの安全も考慮に入れる必要があります。
そして、木曽芳恵との連絡が途絶えたことは大きな問題です。彼女は重要な情報源であり、彼女を失うことで我々の選択肢が減少し、状況がより困難になっています。彼女との連絡を再確立する方法を探ることが急務です。
最後に、証拠を確実に収集するために、以下のことを提案します。
ハンズフリーで撮影できるカメラなどの機材を購入すること。これにより、両手を自由に使いながら証拠を記録することができます。
動画共有サイトのチャンネルを作成し、動画をアップロードすることを練習すること。これにより、収集した証拠を効率的に共有できるようになります。
以上の点を考慮して、次のステップを計画してください。どんな状況でも冷静さを保つことが重要です。
泉」
…ま、わかっていた事である。事後報告にしたのも、反対されることを予知してのことだったし。木曽芳恵への期待を潰さないと、僕に未来はない。一度詳細な情報を送ってくれたとはいえ、実は彼女の賞味期限が切れていた事は、直近の予知で分かった事だった。
彼女は僕を売る。その前に敵を動かす。実はそれが、未来を拓く行動だったのである。
新吉のアドバイスを心に留めつつも、僕は自分の計画に自信を持っていた。今回の件で挑戦状を見た敵は、行動を起こさざるを得ない。そう確信していた。敵が動けば、僕の手札は揃う。すべては計画通りに進んでいる。
部屋の片隅に置いていた箱を開け、カメラとその他の機材を取り出した。新吉が提案してきたハンズフリーカメラは、確かに有用そうだった。ヘッドセットタイプのカメラを装着し、手元の動きを邪魔せずに撮影できることを確認する。
次に、パソコンを開いて動画共有サイトにログインした。新しく作成したチャンネルに、テスト動画をいくつかアップロードしてみる。タイトルと説明文を慎重に書き込み、タグも適切に設定した。これで証拠を効率的に共有できる準備が整った。
これからの行動をシミュレートしながら、必要な装備を揃え、最終確認を行う。敵が動き出す瞬間を逃さないためには、一瞬たりとも油断できない。緊張感が高まる中、僕は深呼吸をして心を落ち着けた。
「木曽芳恵、君の動きは見えている。僕は先を読んでいるんだ。」
自分にそう言い聞かせると、再びパソコンに向かい、作戦の最終調整に取り掛かった。敵が動き出すその時まで、全力で準備を進めるしかない。僕の未来は、今この瞬間にかかっているのだから。
巧はハンズフリー撮影で試し撮りをしたい、とジャーナリズム研究会の小島にメールしたところ、すぐに返信があった。「取材ついでについてきてくれないか」とのことだった。取材場所は県下でもマイナーな心霊スポットのトンネルである。
「こわいなー」とメールを返すと、すぐに「昼間だから大丈夫でしょ」との返信が届いた。小島の軽いノリに少し安心しながらも、心のどこかで不安が拭えない。
「心霊スポットか…。昼間とはいえ、何か起こったらどうしよう。」
しかし、新しい機材を試す絶好の機会であることも事実だった。心霊スポットなら、映像に奇妙な現象が映り込む可能性もあり、それはそれで興味深い証拠になるかもしれない。
巧は翌日の準備を整え、必要な機材をバッグに詰め込んだ。カメラ、予備バッテリー、メモリーカード、そして懐中電灯も忘れずに。これでどんな状況にも対応できるだろう。
翌日、小島と待ち合わせた駅で、彼女の姿を見つける。彼女は軽装で、取材道具を手に持ち、元気よく手を振っていた。
「たっくん、おはよう!準備はできてる?」
「おはよう、弥生さん。うん、バッチリ準備してきたよ。」
「じゃあ、行こうか。今日の取材は面白くなるかもね!」
弥生さんの運転で、山中の峠にあるトンネルに向かうことになった。車に乗り込むと、彼女がエンジンをかけ、巧は初めて弥生さんが運転する姿を目にした。
「弥生さん、運転免許持ってたんだね。知らなかったよ。」
「そうだよ。18歳で取ったんだけど、今のところ無事故無違反なんだ。」
「すごいね。それなら安心だ。」
「ありがとう。今日は私の運転で安心してくれればいいよ。」
車は山道を順調に進み、徐々に標高が上がっていく。景色がどんどん変わり、木々が茂る中を進んでいくと、心が落ち着くような感覚を覚えた。
「山道って、なんだかリラックスできるね。」
「うん。自然に囲まれると、気持ちが落ち着くよね。」
道中、弥生さんは巧に心霊スポットやトンネルに関する話をいくつかしてくれた。昔からの噂や地元の伝承など、聞けば聞くほど興味が湧いてくる。
「このトンネルって、昔から不思議な現象が多いって言われてるんだよ。例えば、夜になると子供の笑い声が聞こえたり、車のエンジンが急に止まったりとか。」
「それは怖いな…でも、昼間だから大丈夫だよね。」
「もちろん。昼間なら問題ないさ。」
しばらく走ると、トンネルの入り口が見えてきた。舗装道路もあるが、やはりトンネルを通る方が最短ルートだ。巧はその暗い入り口を見つめ、少し緊張しながらも、心の中で期待が膨らんでいた。
「着いたね。ここが例のトンネルだよ。」
「うわぁ、思ったより雰囲気があるね。」
「そうでしょ?さぁ、準備して撮影を始めよう。」
巧はハンズフリーカメラを装着し、撮影の準備を整えた。弥生さんは取材道具を持ちながら、トンネルの入り口で立ち止まった。
「じゃあ、行こうか。」
二人はトンネルの中に一歩踏み入れた。昼間とはいえ、内部は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っている。足音が反響し、静寂の中に不安が増していく。
「ここ、本当に昼間でも不気味だね。」
「そうだね。でも、何か面白いものが撮れたらいいな。」
二人は慎重に進みながら、トンネル内の様子を撮影していった。巧はカメラを通して見える光景に集中し、どんな小さな異変も見逃さないように気を配った。
「たっくん、あの壁のあたりを撮ってみて。」
弥生さんの指示を受け、巧はカメラを壁に向けた。しかし、彼にはある決意が芽生えていた。資料提供としての動画を撮るためには、もっと大胆な行動が必要だと感じた。
「弥生さん、俺、一人でトンネルの向こう側まで行って、撮影してくるよ。」
「え?たっくん、それはちょっと危険じゃない?」
「大丈夫。昼間だし、きっと何も起きないよ。それに、しっかりとした映像を撮るためには、トンネルの全体を記録しなきゃ。」
弥生さんは少し不安そうに見つめていたが、巧の決意に圧されて頷いた。
「分かった。でも、無理はしないでね。何かあったらすぐに戻ってきて。」
「了解。じゃあ、行ってくる。」
巧はカメラをしっかりと固定し、トンネルの奥へと歩みを進めた。足元の砂利がかすかに音を立てる中、薄暗いトンネルの中に一人で入っていく。ひんやりとした空気が肌に触れ、静寂が耳を覆った。
「これは…やっぱり、少し怖いな。」
巧は心の中でそう呟きながらも、カメラを通して見える光景に集中した。壁には古びた落書きや、ひび割れが目立ち、不気味な雰囲気を醸し出している。遠くに見えるトンネルの出口が、かすかな光を放っているのが唯一の救いだった。
巧は一歩一歩、慎重に進んでいった。途中、風が吹き抜ける音や、自分の足音が反響するたびに心臓が跳ね上がる。だが、それも撮影の一環と捉え、冷静さを保つよう努めた。
「あと少しで向こう側だ。」
トンネルの出口が近づくにつれ、心の中の緊張も和らいできた。光が強くなり、外の景色が見え始める。巧はその瞬間をしっかりとカメラに収めるために、焦らずに進んだ。
そのとき、突然トンネル出口の横合いから人影が現れた。影はトンネルの壁に触れ、その瞬間、轟音とともにトンネル全体が崩壊し始めた。
「なんだ!?」 巧は驚き、急いで出口に向かって全力で走り始めた。瓦礫が頭上から落ちてくる中、必死に避けながら進む。息が切れ、心臓が激しく鼓動していたが、ついにトンネルの出口にたどり着いた。肩で息をしながら、自分の無事を確認した。
その横には、出口で待機していた男が立っていた。彼はパンクロック風の服装をしており、奇抜なヘアスタイルが印象的だった。巧が男を見つめると、男はおもむろに自己紹介を始めた。
「はじめまして。俺はロッケンローラーのクラッシャー。二十七歳になったばかりさ。」
…予知で見たとおりだ。巧は心の中でそう呟いた。この男が、予知で見た危険な存在だったのだ。
「クラッシャー?お前がこのトンネルを…」
「そ。これぞ崩壊のクラッシャー。君をここで待っていたんだ。」
クラッシャーは不敵な笑みを浮かべながら、巧をじっと見つめた。その視線には、何か底知れぬ力が感じられた。
「なぜ俺を狙うんだ?」
クラッシャーは不敵な笑みを浮かべ、「最近、強化スーツのおっさんを池に沈めたじゃない?どうやったら沈めるようにやり込めたのか興味があってさ、ラインブレイカーくん。」と言った。
巧は戸惑いを隠せなかった。ラインブレイカーと呼ばれるのは初めてだし、何故そう呼ばれるのかもわからない。「ラインブレイカー?」と聞けば、クラッシャーはニヤリと笑って答えた。
「俺達のボスが、君の活躍に敬意をこめて付けたコードネームだよ。俺がクラッシャー、で、君がラインブレイカー。」
巧は内心で苛立ちを覚えたが、その感情を抑え、「つまり、俺を脅威と認めたわけか。飼われているお前とは違って」と挑発すると、クラッシャーの笑みは消えた。
「お前は何もわかっていない」とクラッシャーは言い、しゃがみ込んで足元のアスファルトに手を触れた。すると、そこから亀裂が走り、一瞬で崩壊が始まった。ここは傾斜地だ。下手をすると谷底へ真っ逆さまである。
「やばい!」
巧は直感的に後退りしながら、崩れる地面から距離を取ろうとした。クラッシャーは立ち上がり、冷酷な笑みを浮かべていた。
「見せてみろよ、ラインブレイカーの実力を。」
巧は一瞬、恐怖が脳裏をかすめたが、すぐに冷静さを取り戻した。ここで怯んではいけない。この男に屈するわけにはいかない。
「実力を見せろ、か。ご期待に沿えるといいですけどね。」
巧はカメラをしっかりと握り直し、目の前の崩れかけた地面と対峙した。自分を信じて、そして弥生さんのもとに戻るために。
巧はトンネルから反対側に伸びる道路をひたすら下っていく。足音だけが響く中、後方からゆっくりと歩いて追いかけてくるクラッシャーの姿が見えた。
「どこへ行こうというのだね~?」と余裕をかましているクラッシャーの声が、背後から響いてくる。
巧は必死に先を見据えて走り続けたが、その先には大きな障害が立ちはだかっていた。橋が崩壊していて、進むことができない。
「シンプルだが有効な方法だろう?」クラッシャーが追いつき、勝ち誇ったように言った。「この限られた逃走経路なら、ここで行き止まりになる。お前はここで俺に負けたことを認めるしかないのさ。」
巧は荒い息を整えながら、周囲を見回した。崩れた橋の向こう側には深い谷が広がっている。逃げ道は確かに限られていた。しかし、巧は簡単には諦めない。
「負けを認める?そんなことはありえない。」巧はカメラを手にしっかりと持ちながら言い放った。「俺はここで終わらせるつもりはないんだ。」
クラッシャーはその言葉に一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに冷笑を浮かべた。「じゃあどうするつもりだ?ここで降参しない限り、逃げ場はないぞ。」
巧は一歩下がり、橋の崩壊部分を見つめた。そして、意を決したように言った。「君が何を企んでいるのか知らないが、俺にはまだやるべきことがある。」
巧は素早く動き出し、崩れた橋の端に手をかけた。そして、そのまま飛び降りるようにして橋の下に飛び移った。クラッシャーは驚いて一瞬動きを止めたが、すぐに追いかけるように橋の端に近づいた。
「ふん、逃げられると思うなよ!」クラッシャーは怒りをあらわにしながら叫んだ。しかし、巧はすでに橋の下を走り抜け、新たな逃走経路を見つけていた。
巧が橋の下を走り抜ける中、クラッシャーはその背中を見つめ、過去の記憶がフラッシュバックのように蘇った。
「俺の実家は荒れ狂っていた」とクラッシャーは独り言のように呟いた。「親は酒浸りで、いつも喧嘩ばかり。そんな中で、俺は中学の頃にパンクロックのカッコよさに憧れた。」
クラッシャーは頭を振り、巧の姿を追いながら続けた。「高校を中退してギターに熱中した。ライブハウスに入り浸り、バイトをしても金が無くて、いつもカツカツだった。でも、音楽だけが俺を救ってくれたんだ。」
彼の目は遠くを見るようにぼんやりとしていた。「十九歳のとき、金が無くてどうしようもなかった俺は治験に参加したんだ。治験が終わって二日後、触れたギターが粉々になったときのことを覚えている。あのとき、俺は泣きわめいていた。何もかもが終わったと思っていた。」
「でも、そのときだ。あいつらが俺を糞みたいな場所から救い出してくれた。自分の異能を使えるようにしてくれた。ギターが無くても俺の異能はロッケンロールだ。!」破壊活動上等のロッケンローラー。
それこそがこの男、クラッシャー!
「俺はすべてを崩壊させるロッケンローラーなんだ!」
クラッシャーの執念深い追跡から逃れるために、何か手を打たねばならなかった。橋の下をさらに進みながら、巧は自分の頭の中で次の一手を考えていた。
クラッシャーは追いかけながら、再び叫んだ。「お前には分からないだろう、俺の痛みも怒りも!だが、俺はここで全てを終わらせるんだ!」
その瞬間、巧の前で何かがはじけた。目を凝らすと、それは麻酔銃の弾だった。反対側の傾斜地の高所から、敵傭兵のスナイパーが狙っているのだ。巧は即座に身を低くし、反射的に周囲を見渡した。この近辺には傭兵が潜んでいて、恐らく完全に囲まれている。後ろからはクラッシャーが迫っており、その恐怖は否応なく巧の心臓を締めつける。
「ここから出られない…か?」巧は低くつぶやき、頭を回転させて脱出策を考えた。
しかし、その間にも麻酔銃の弾は次々と巧の周囲に飛んできていた。巧は必死にその弾を避けつつ、崩れかけた橋の方へと身を隠す。
「くそっ、どうすりゃいいんだ…」巧は息を整え、冷静さを保とうとした。クラッシャーの足音が近づいてくる。彼の破壊的な能力は、ここでは致命的だった。
「ラインブレイカー、逃げられないぞ!」クラッシャーの声が響く。「ここで決着をつけるんだ!」
巧は心の中で決意を固めた。「ここで諦めるわけにはいかない。絶対に…」
そのとき、巧のポケットの中で携帯が震えた。急いで取り出すと、弥生からのメッセージだった。しかし、状況が切迫しているため、メッセージを読む暇はない。巧は音声入力で自分が無事なことと、車で峠の反対側に回り込んでくれるように頼む内容を急いで入力し、送信ボタンを押した。
「大丈夫、弥生さんなら分かってくれるはずだ」と自分に言い聞かせ、巧は次の一手を考えた。
クラッシャーの足音がさらに近づいてくる。巧はその音を背に、少しでも有利な位置を探すために慎重に動き始めた。目の前には谷が広がり、そこには川が流れている。ここから逃げるためには、谷底に向かうしかない。
「タイミングが重要だ…」巧は自分に言い聞かせながら、周囲を注意深く観察した。この峠道はヘアピンカーブが重なっており、下に降りると同じ道路に繋がっている。巧はその事実を頭に入れ、谷底へ向かうためのルートを頭の中でシミュレートした。
「今だ!」巧は心の中で叫び、全力で走り出した。背後からはクラッシャーの叫び声が聞こえるが、振り返る余裕はない。彼の目的は明確だった――谷の川下へ向かい、ヘアピンカーブを利用して峠道を下る。
川の流れに沿って下ることで、追跡を避けることができるかもしれない。巧はその考えに賭けて、川に向かって斜面を駆け下りた。足元の岩が滑りやすく、何度もバランスを崩しそうになりながらも、なんとか持ちこたえた。
何度もバランスを崩しそうになりながらも、なんとか持ちこたえた。その時、上流から轟音が聞こえた。振り返ると、クラッシャーが岩壁を破壊し、大量の落石を発生させていた。巨大な岩が谷に沿って次々と落ちてくる。
「まるで有名なハリウッド映画みたいだな!」巧は半ば呆れながらも、その場を全力で駆け下りた。落石を避けるために蛇行しながら、下流へと向かう。足元の岩が次々と崩れ、巧はギリギリのところでかわしていた。
「殺しにかかってきてるな…」巧は心の中でつぶやき、さらにスピードを上げた。
一方、クラッシャーは上流で不敵な笑みを浮かべていた。「逃げ切れると思っているのか?ラインブレイカー。」
巧はその声を聞くことなく、必死に前へと進んだ。落石が次第に減少し、ようやく谷底にたどり着くと、クラッシャーに追いつかれてしまった。クラッシャーが巧を掴もうと手を伸ばすが、巧は「掴まれたら終わりだ」と咄嗟に身をかわした。クラッシャーも反射的に手を伸ばしたものの、「掴んだら破壊してしまう」という本能的な躊躇が一瞬働いた。その瞬間、クラッシャーの首に何かが当たり、衝撃が走った。
「…何だ?」クラッシャーがよろめきながら首を押さえると、そこには麻酔銃の弾が刺さっていた。意識がもうろうとする中、クラッシャーはバランスを崩し、ガードレールの下に落ちていった。
「…二十七歳、と言っていたか。ここで最期を迎えるとは、クラッシャーは本物のロッケンローラーだったんだな。」
その直後、弥生の車が急ブレーキをかけて巧の前に停まった。「たっくん、乗って!」
巧はすぐに車に飛び乗り、弥生はアクセルを踏み込み峠を下り始めた。巧は後部座席からクラッシャーが落ちていくのを確認しつつ、息を整えた。
「助かった…本当にギリギリだったな…」
弥生は集中しながらも、ちらりと巧の方を見た。「たっくん、無事で良かった。でも、あの人はどうなったの?」
巧は一瞬迷ったが、すぐに答えた。「大丈夫、彼はもう追ってこないよ。とにかく今は安全な場所に行こう。」
弥生は頷き、車をさらにスピードアップさせて街へと向かった。巧はポケットの中で震えていた携帯を取り出し、弥生に無事を伝えたメッセージが届いていることを確認した。
車内は重い沈黙に包まれていた。巧は助手席に座り、運転する小島の横顔をちらりと見た。心霊スポットとされるトンネルの崩壊、敵の襲撃、そして急いでの退散――すべてがあまりにも急展開だった。
小島――いや、弥生さんは運転に集中しているように見えたが、その顔には明らかに困惑の色が浮かんでいた。彼女が感じている不安を巧は痛いほど理解していた。何かを隠していると勘付かれたのではないかという思いが、彼の胸に重くのしかかっていた。
「たっくん、さっきのことだけど、一体何があったの?」弥生がふと口を開いた。
巧は一瞬、どう答えるべきか迷ったが、これ以上隠し事をするのはもう無理だと悟った。「弥生さん、全部話すよ。今まで隠してきたことも含めて。」
弥生は驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。「わかったわ。でも、何が起きたのかちゃんと教えてね。」
巧は深呼吸をして、事の顛末を語り始めた。「今日の取材が決まったのは昨日のことだった。それなのに、あのトンネルで待ち伏せされていたんだ。これは偶然じゃない。敵は僕たちの動きを完全に把握していた。」
「そして、僕たちが分断されたとき、あいつらは正体を隠してた。君がこの件に関わっていることを知られないようにしていたんだ。でも君が助けてくれたことで、君も敵の目に留まる可能性が出てきた。」
弥生の顔に不安の色が浮かんだ。「私も危険に晒されているってこと?」
「…すまない、僕の責任だ。」巧の声には決意が込められていた。
「たっくん、私もジャーナリストよ。危険を避けるためにこの仕事を選んだわけじゃないわ。」弥生の声は毅然としていた。「一緒に真実を追い求める。それが私たちの使命でしょう?」
巧はその言葉に胸を打たれた。弥生の強さと勇気に改めて感謝し、二人でこの困難に立ち向かう覚悟を決めた。
「わかった、弥生さん。これからは一緒に戦おう。真実を追い求めるために。」巧は微笑みながら言った。
車は林道を抜けて下界の街に進んでいく。二人はこれから待ち受ける複雑な事態に向けて、心を一つにして進むことを誓った。
ドラゴンフライのメンバーは、施設の食堂に集まっていた。広々とした部屋は冷たい蛍光灯の光で照らされており、長いテーブルの上には各々が適当に持ち寄った食事が並んでいた。アンドレアは黙々とカップ麺をすする音だけが響く。
「クソ、なんでこんなことになったんだ?」イーサンがテーブルを叩き、短気な性格をあらわにした。
「冷静になれ、イーサン。」レイチェルが鋭い目つきで彼を制した。「私たちは状況を把握して、次の手を考えなければならない。」
「それはそうだが、クラッシャーが死んじまったんだぞ!しかもアンドレアの手によって。」イーサンはアンドレアを睨みつけた。
アンドレアは一瞬顔を上げたが、すぐにまた麺に集中した。彼の冷静さは皆に知られていたが、今日はその裏に隠された焦燥が透けて見える。
「アンドレアはわざとじゃない。状況があったんだ。」キャメロンが静かに口を開いた。彼女は仲間をかばうようにアンドレアに目を向けた。
「確かに、俺がミスをした。」アンドレアがようやく口を開いた。「だが、クラッシャーの死は避けられなかったかもしれない。俺たちは敵に対して常にリスクを負っているんだ。」
ジェイコブが重々しい声で話し始めた。「この状況で重要なのは、クラッシャーの死を無駄にしないことだ。俺たちは次の任務に集中しなければならない。」
「しかし、ボスの言う新薬のことを考えると、俺たちも全員危険に晒されている。」ミハイルが重々しく言った。彼の巨漢な体がさらに重苦しい空気を作り出している。
「新薬については、ボスに確認する必要がある。」ジェイコブは言った。「だが、今は私たちの任務に集中し、次のステップを考えなければならない。」
「次のステップって何だ?」レイチェルが問いかけた。
「まず、クラッシャーの死因を正確に報告し、ボスに信頼を取り戻すことだ。それから、今後の作戦についての見直しだ。」ジェイコブは冷静に答えた。「我々はプロフェッショナルだ。感情に流されることなく、任務を遂行することが求められている。」
アンドレアは空になったカップを見つめ、深く息をついた。「クラッシャーの死を無駄にしないためにも、次の任務を成功させる。それが俺たちにできる唯一の償いだ。」
専用回線のテレビ電話が接続されると、画面に映し出されたのは冷徹な表情を浮かべた伊瀬宇治綱だった。彼の背後には豪奢なオフィスが広がり、その一角にある大きな窓からは東京の夜景が一望できた。ジェイコブ・ハーディングは緊張を隠しきれずに一瞬唾を飲み込んだ。
「ボス、報告します。クラッシャーが死亡しました。原因は敵のラインブレイカーの行動によるものでした。彼の能力と戦術は我々の予想を遥かに超えていました。」
宇治綱は画面越しに眉をひそめたが、すぐに冷静さを取り戻した。「ラインブレイカー、興味深い人物だ。彼のような存在は我々にとって大きな利益をもたらすだろう。次の手を考えなければならないな。」
ジェイコブは頷きながら続けた。「はい、ボス。彼の行動と能力には感心しました。しかし、我々は次の任務で必ず成功を収め、クラッシャーの死を無駄にしないようにします。」
報告を終えようとしたジェイコブの耳に、宇治綱の冷徹な声が再び響いた。「待て、ジェイコブ。アンドレアを呼べ。」
ジェイコブは一瞬戸惑ったが、すぐに理解し、アンドレアを呼び出した。アンドレア・モレッティが画面前に立つと、彼は敬礼し、冷静な表情で挨拶をした。
「ボス、アンドレア・モレッティです。」
宇治綱は冷たい目でアンドレアを見つめ、その瞳には容赦ない鋭さが宿っていた。「アンドレア、何か言うべきことがあるのではないかね?」
アンドレアは一瞬躊躇し、次いで深呼吸をして言葉を紡ぎ出した。「ボス、クラッシャーの死について責任を感じています。私のミスで彼を失いました。この失敗は二度と繰り返しません。次の任務では...」
宇治綱はアンドレアの言葉を静かに遮り、冷淡な口調で言った。「以前、失敗について実行者には新薬を飲んでもらう、と申し送ったはずだ。君の言う次の任務とは、新薬を飲む事だよ。」
アンドレアの顔が一瞬で青ざめた。ジェイコブは驚きと恐怖が入り混じった表情で、宇治綱に必死に助命を嘆願しようとしたが、アンドレアが手を挙げてそれを制した。
「ジェイコブ、いい。これが俺の選んだ道だ。」アンドレアは冷静に言った。彼は背後に控えていた研究員から差し出された錠剤とミネラルウォーターのペットボトルを受け取り、感謝の意を示すように軽く頭を下げた。「今までの礼を言う。感謝している。」
錠剤を口に含んだアンドレアは、さっさと水で飲み込んだ。その後、無表情で部屋を後にする準備を始めた。ジェイコブの心中には、アンドレアへの無力感と深い悲しみが広がった。
アンドレアが去った後、ジェイコブは無言で立ち尽くし、やりきれない思いを抱えたまま、壁に身を預けるようにしてその場に座り込んだ。次の任務の準備が始まる一方で、アンドレアの死がどれほど過酷な運命であるかを痛感せざるを得なかった。新薬の副作用が引き起こすのは、一週間のうちに睡眠中の心臓発作による死。それは、ジェイコブにとって、もはや現実の一部であると同時に、深い絶望を感じさせるものであった。
アンドレアの姿が遠くなり、冷たい静寂が部屋に広がる中で、ジェイコブは次に訪れる試練と、残された者たちの未来を見据えながら、新たな決意を胸に抱くしかなかった。
巧と小島は大学ジャーナリズム研究会の部室で、先程の異能者との戦闘の映像を見ていた。部屋には薄暗い明かりが灯り、映像が映し出されたスクリーンが、その不安を増幅させるように、赤と青の光を交互に反射していた。巧は映像を見ながら、冷静にその状況を分析しようとしていたが、目の前のスクリーンに映し出される映像は、彼の心に深い影響を及ぼしていた。
映像はヘッドギアで撮影されたもので、奇妙な一貫性を持っていた。最初は、ヘッドギアが揺れながらも、普通の取材のような風景が映し出されていた。しかし、その画面はすぐに本来の目的から逸脱し、恐ろしいリアルな戦闘に突入した。
映像の中では、異能者クラッシャーの芝居がかった自己紹介が映し出されていた。彼のセリフや動きは、いかにも計算されたものであり、どこか冷ややかで威圧的な雰囲気を醸し出していた。クラッシャーが巧を「ラインブレイカー」と呼ぶ場面が映し出されると、小島はその瞬間、巧が製薬会社から相当危険視されていることを痛感した。クラッシャーの言葉は、巧が単なる大学生ではなく、何か深い秘密や脅威を孕んでいることを示唆していた。
映像は次第に混沌とし、割れる地面、崩落する橋、そして銃声、落石と続く怒涛の展開が繰り広げられた。映像の中で、巧が必死に逃げる様子や、崩れ落ちるトンネルの中での混乱がリアルに伝わってきた。地面が割れ、橋が崩れる様子は、まるで恐怖のカタストロフィーを目の当たりにするかのようだった。
「これは…」小島は映像を見ながら呟いた。「まるで映画のワンシーンみたいだ。」
巧はただ黙って映像を見つめていた。彼の心の中では、映像が示す事実が彼を一層深い思索へと誘っていた。自分が直面している危険や、背後に潜む陰謀の深さを、映像を通して再確認していた。
小島は映像が終わると、慎重に口を開いた。「これ、ただの取材のはずが、完全に巻き込まれちゃってるよね…」
巧は深いため息をつきながら、ゆっくりと頷いた。「そうだな。だけど、これからどうするかを考える必要がある。」
映像の中の出来事が、二人の前に広がる危険と謎を一層際立たせていた。小島は、自分がこれまでの取材で見てきた世界とはまるで異なる現実に直面していることを、強く感じていた。そして巧もまた、この先に待ち受けるさらなる試練に備えなければならないことを痛感していた。
小島と巧は大学ジャーナリズム研究会の部室で映像を見た後、巧は一層真剣な表情を浮かべた。「弥生さんには、今日の取材で起きたことや映像の内容については取り敢えず黙っておいてほしい」と言った。「動画データをコピーして渡しておくけど、これは万が一、自分の身に何かあったときの保険にするつもりだから。」
小島は慎重に頷き、「わかった。二人だけの秘密ね。」と言った。
巧はすぐに部室のパソコンを使って、映像のデータをコピーして小島に渡すと、翌日大学で会うことを約束し、その日は各自の帰路に就いた。
自宅に帰ると、巧はすぐにパソコンを開いた。映像データをパソコンに転送し、確認後、泉新吉に宛てたメールにそのデータを添付した。短いメッセージを添え、「これが今日の取材で撮影された映像です。詳細は後ほど説明しますが、急ぎの情報提供としてお送りします。」と書いた。
次に、巧は動画共有サイトにアクセスし、映像をアップロードした。設定は「非公開」にし、いつでも公開できるようにしておいた。これで、もし何か予期せぬ事態が起こった場合でも、情報が広まる準備が整った。
その後、巧は自室のソファに座り、ほっと一息つくと、部屋の片隅で遊んでいるハルカに目をやった。ハルカはその小さな体で、ふわふわの白い毛をひらひらとさせながら、カラフルなボールを追いかけて遊んでいる。小さな鈴の音が部屋に響く。
巧は優しく微笑んで、ハルカを膝に乗せると、彼女の毛並みを撫でながらリラックスした。「お疲れ様、ハルカ。」と声をかけると、ハルカはまん丸な瞳で巧を見上げ、満足げに喉を鳴らした。
その時、巧はハルカのかわいらしい仕草に癒されると同時に、自分が直面している状況の重みを再認識した。どんなに厳しい状況でも、この小さな命が彼に安らぎを与えてくれることを心から感謝していた。
「さて、これからどうするかだな」と巧はつぶやきながら、ハルカの頭を優しく撫でた。ハルカはその手に心地よさそうに身を任せ、すぐにうとうとと眠りに落ちそうな様子だった。
巧はその後、ハルカがすやすやと眠る姿を見守りながら、また一つ重要なステップを踏んだことに満足感を覚えた。今日は一日の終わりとして、心の中に少しだけ安堵感を抱きながら、彼はこれからの挑戦に備えて準備を整えるつもりだった。