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海の挽歌  作者: 門戸
赤い巨人
99/256

99 赤い巨人4:ティルムン理術士隊

「伝令! 第一壁、壊滅ッッ!! 敵軍は第二壁に到達の見込みッ」



――いくら何でも、速すぎるだろ!?



 敵襲の一報後、即座に西側城壁から防衛指揮を執り始めた、エノ軍大隊長タリエクは目をむいた。


 彼の脳裏をよぎったのは、三年前の包囲戦、エノ軍がこのテルポシエを攻める側にあった頃の記憶だ。


 当時中隊長だったタリエクは、配下の歩兵とともに幾度かあの湿地帯を往復していたのだが、冬場以外はとてもまともに走れる場所ではない。



――あの湿地を騎馬で……、しかも速度を落とさずに進行してるっていうのか!?



 草の下は柔らかい泥炭、足を取られて動けなくなる日も多かった。天然の罠と言える底なしのぬかるみ沼がところどころに口を開けているから、霧が出たりして視界の良くない時は完全に通行不可能だった。ましてや夜間など。


 旧テルポシエ軍が年月をかけて築きあげた石壁と、それに沿った渡し板や岩の足場、それらを踏襲して利用しつつ、現在エノ軍は防衛する側となっていた。しかしここに騎馬で突っ込んでくると言うのは、一体どんなからくりを仕掛けているのだろう?



「タリエクさん! 読旗報告が来ましたッ」



 若い配下が、ばたばたと走り込んでくる。西側城壁上にはいまや多くの篝火かがりびが焚かれて昼のように明るい中で、その場にいた全員が彼の顔を見た。



「黒羽の女神に、青と黄の星!!」


「……マグ・イーレか」



 ある程度は予測していた。



「それが先頭旗で、……背後に」



 言葉が詰まりかけたと見えて、部下は一瞬息を大きく吸い込む。



「白地に星の大樹、……間違いではありません。ティルムン軍がなぜ、……こんな所に……!」



 腹の中に何か冷たいものがひとすじ、ぎんとうずくのをタリエクは感じた。


 彼だけではない。伝えられた衝撃は、それを耳にしたすべての兵たちの度肝を抜いて、一瞬の静寂を醸し出す。


 皆の頭上に降りかかった不安を払うかのように、タリエクは大きく右腕を振った。



「第三から第五壁の全人員を、直ちに市外壁まで退避させろ。ティルムン理術士が援護しているなら、分散しても意味がない」



 冷静に振る舞うのも、骨が折れる。


 何人かがすぐにきびすを返し、慌ただしく城壁を降りていった。タリエクは別の部下に向き直る。



「メイン王は、どこだ!?」




・ ・ ・ ・ ・




 たちまちのうちに、テルポシエ城下に非常事態令が出る。城壁の鐘を聞きつけた市民らは、既に固く戸締りをし始めていた。前回の戦乱から約三年、またあの禍がやって来るのかと、誰もが不安に陥る。


 夜半のことで、元々人通りのまばらだった通りはさらに静まり返ったが、鎧戸よろいどのかかった窓々からは、わずかなあかりが線に浮かぶ。皆、灯を消せずに内側で息をひそめているのだ。


 小さな酒商を営む親父がひとり、橙色の手燭を見つめながら、がらんどうの店の中で大きく溜息を吐いた。


 かれの大切な大切な一人娘は、昼から城内へ詰めている。お産があると言い、産婆をしている母方の叔母を伴っていった。いちど帰って、……また行ってしまった。


 どうして戦時に限って、娘は自分の手元にいないのか、と親父は頭を抱え込む。三年前はようやく取り戻せたのだから、その後は一切、城になんかやらなければ良かったのだ。


 あの頃娘は、お姫様の身代わりをさせられていた。彼の娘には、代わりなんか世界のどこにもいないのに。


 畜生、くそったれの貴族体制!! 滅んだのも、娘を替え玉扱いしていた罰が当たったのだと、密かに思っていた。それなのに、あああそれなのに。



「こんな時になあ、……クレアよう、頼むから。たのむから、お前は無事でいておくれよう……」



 熊のような巨体に似合わない弱々しい声で、親父は呟いた。




・ ・ ・ ・ ・




「……しかも突っ込んで来てんのが、マグ・イーレのグラーニャ王妃か……!!」



 テルポシエ市街と湿地まわりの草地を隔てる市外壁、閉じられた西門の近くに、八十人あまりの歩兵が待機している。


 ここでも、壁の内側に焚かれた篝火かがりびが盛んに明るい。指揮官同様にむさ苦しい大男たちが座ったり立ったり壁にもたれかかったり、統制のないまま命令を待っている。みな、一様に巨大な盾を手にしていた。


 少し離れた所からそれを眺めつつ、大隊長ウーアは呟いたのである。



「へ? 女なの?」



 そのかたわら、甥のウーディクが顔を上げた。


 小山のようなウーアは、ウーディクを見下ろしてうなづく。自分の半分、どころか三分の一ほどしか厚みのない若僧だが、これがなかなかはしっこく、頭も回る。初めは気に入って連れ歩いていたおもしろ顔の甥っ子は、次第にウーアにとって必要不可欠な補佐役になっていた。



「おう。……これは俺の独自意見なんだがな」



 ウーアは美声をぐうっと低く潜めた。あんまり大きな声で言えない話、配下の意気消沈につながりかねないことなのである。



「……グラーニャはな。エノの親父と、唯一張りあえた奴なのよ」



 ウーディクは、両手でもてあそんでいた大弓をおもむろに背にかけ、再び叔父を見上げる。地面に垂直に立てた大盾、それよりも頭二個分飛び出ている巨漢の叔父は、後退した髪の残るこめかみ辺りを掻きながら続けた。



「エノの親父が、イリー都市国家群を攻め始めた頃の話だ。小っさい国と、皆してマグ・イーレをなめてたせいもあるが、そこの騎馬隊に思いっきりしっぺ返しされて、退却したことがあったんだよ」


「へえー。ウーアはその場にいたの?」


「いや。まだ美しくはかなげな青年であった俺は、別のしま・・に居たから、これは聞いた話だ。……で、退却の時に追撃されたんだよ、あのエノ王が! もし、運良く濃霧の林の中に逃げ込めなかったら、エノ自身も危なかったらしい。“クロンキュレンの追撃”つって、親父の……まあ、珍しい敗戦記録なんだな」


「へえー。全然聞いたことなかった」


「おっさん年代は、自分の黒歴史を話すのを嫌がるからな」


「ウーアも十分におっさんだ」


「何を言う、俺は俺史を全肯定だぞ。でな、その時の迎撃指揮を執ってたのがマグ・イーレの第二王妃、“白き牝獅子”ことグラーニャ・エル・シエ。元は、ここテルポシエのおひいさんなんだとよ」


「……ふかふかしてんのかな?」



 おもしろ声で、鋭くウーディクは問うた。おもしろ顔なのは通常仕様だが、真剣味みなぎる表情である。



「うんにゃ、鶏がらちゃんらしい」


「何だ、好みの真逆だ。手加減しないでおこう」


「……あのな、ウーディク。そもそもが簡単な敵じゃねえって、俺の話きいてた?」




・ ・ ・ ・ ・




 城外防衛の最終層たるその外壁の反対側、ついに湿地帯を突破した草地の上に、マグ・イーレ騎士団五十騎は無傷で並んでいた。


 少し遅れて、傭兵たちから成る第二騎陣・三十騎が続く。彼らの後ろには、打倒されたエノ兵士達が、虫の息で累々と転がっていた。


 この草地は大弓ならばぎりぎり射程内という所だが、グラーニャは白鳥飾りの銀兜を被らず、鎖帷子くさりかたびらで目元を覆うこともせずに、その顔をさらけ出していた。


 夜目にも輝く白馬に、列の前を早足で駆けさせながら、彼女は自分の騎士たちの様子を素早く見て回る。例のあかりのもと、鎖鎧の中から無数の目が、彼女に向けて笑い返してくるのが見えた。


 最後に、最前列のやや後ろに固まっている、五騎のもとに走る。


 弓でなく剣でなく、彼らが一様に手にしているのは、先端部分がいくつかのこぶこぶ・・・・になっている杖だった。


 みな変わった仕立ての外套を着て、動物の頭をかたどったような奇妙なかぶり物をしている。目の部分が玻璃はりのように透き通って、時折きらりと反射した。


 背、あるいは肩にかけた小型の丸盾には、白地に星の大樹、ティルムンの紋章が描かれている。


 同じ意匠の細い軍旗を掲げ持つ男に向かって、グラーニャは白馬を進めた。



「敵陣の正面まで、無傷で入り込めるとは。大したものですな、理術の≪防御壁≫と≪早駆け≫は!」



 男はかぶり物を額の上に押し上げた。まだ若いティルムン人の隊長は、グラーニャに向かって微笑む。



「本来ならば、我々は他国の戦において、これらの技術を使うことはありません。ですが私はオーレイ王子様を通じて、あなたに賛同したのです。捕らわれた姪御様を救出なさりたいと……」



 グラーニャは神妙な顔で、頷いた。



「本当に、感謝しています」


「私の配下一個隊しか、連れてこれませんでしたが……」


「十分です。引き続き、援護をどうぞよろしくお願いいたします」



 さっと一礼、そこからまた早足で離れて、今度は第二騎陣の方へ向かう。横から、ぼそりとゲーツの声がかかった。



「……グランに言いくるめられる理術士……。あんまり頼りにしない方がいいかも」


「頼りにしてたのか? お前」


「……」


「さてゲーツ。俺たちはぼちぼち、離れるぞ。選んでおいた作戦要員を呼び出して、出発だ」



 口元の下あたりを手でしごきつつ、グラーニャは不遜に笑う。



――うむ、なかなかに悪ぶった手付きだ。だがしかし、山羊ひげのないお前では、やっぱり様にならんよ。残念。



 キルスとウセルに無理矢理押し付けられた、マグ・イーレ騎士の濃灰外套を引っ掛けてはいるが、その下は相変わらず量産型革鎧装備のゲーツである。


 見る者が見ればおかしな恰好なのだが、影のように王妃に付き添うこの男を、今更違和感を持ってみる者は、マグ・イーレ軍の中にはいなかった。


 公然の間男として年季の入って来たゲーツがグラーニャに突込みを入れるのは、今も内心でだけである。



「姪っ子は、元気にしているかな?」




















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