95 イオナの出奔9:シャノン対イオナ
エリンのと自分のと、空のお椀を厨房に返しに行った帰り。
居室のある旧北棟に向かう騎士シャノンは、ふと夜空を見上げる。
篝火の明るさから離れて、幾つかの星々が輝いているのが見えた。
ふ――、と息を吐く。長い一日だった。
後ろ髪をまとめるくたびれた紅色のてがらに、そっと左手で触れる。
――大丈夫。シャノンは頑丈ですから、このくらい何でもありませんよ。……でもね、姫様のことは。どうか姫様を、守ってあげて下さいね?
星々に微笑んで、さて帰ろうとした所へ、標準装備をした数人の傭兵達がばたばたと早足で通り過ぎた。
最後をゆく一人が彼女に気付いて、声をかける。
「よっ、騎士姉ちゃん」
「何かあったんですか?」
「うん、西の塔番が妙な光を見たって言うんだよ。まさか今の時期に他国の夜襲とも思えねえが、念のため確認に行くんだ。じゃあな」
彼らが慌ただしく行ってしまうと、別の足音がかさり、と背後にわいた。
「言った通りに、マグ・イーレだろ」
どきりとして、シャノンは視線を走らせた。さっきの男達と全く同じ墨染上衣に革鎧、腰に大きな山刀を括り付けた傭兵が一人、そこに立っている。
「よお」
そいつはにいっと笑って、深くかぶっていた上衣の頭巾を跳ね上げた。
「……ナイアルさん……?! そのお髪ッッ……」
「おう、染めてる時間なくってよう」
彼の頭髪はかなり濃いめの金色だから、丸刈りにしてしまえば、ちょっと見にイリー系とはわからない。
「この時間帯にゃ、傭兵でもないと城に居られんだろ。……おい、何故なぜる」
「あ、すみません。つい……」
「そんな絶望まみれの顔すんなよ。俺ぁそこまで、髪の毛に執着ねえんだ」
「よく城内へ入れましたね」
「へっ、麗しの一級騎士にお会いしたい一心でね。とにかくこれ、一大好機じゃねえのか?」
「……」
「もう生まれてんだろ? 今すぐ連れて出るぞ」
闇の中、ナイアルは旧北棟を目指して歩き出した。シャノンは彼の後を追う。
「今って……」
「しばらくは戦いのごたごたで、誰も気付かねえだろ」
「待ってください、今日の昼過ぎだったんですよ!? いきなり強行軍なんて、無理……」
その時、騎士の背中がのっぴきならぬ気配を感じる。
瞬時ナイアルの背をぐっと前に押し出し、振り返りざま長槍をまわし構える――
がきぃぃぃぃぃぃん!!
地上の闇夜に小さな星々がまたたく、イオナの鋼爪とシャノンの長槍とが衝突して、火花が咲いたのだ!
「……!!」
ものすごい怪力で前方へど突き飛ばされた(と彼は感じた)ナイアルは、鋼爪の一撃が自分を昏倒させるために繰り出された事を即解して、ぞぞぞと寒気を感じる。
――この女はッッッ!!
ぎゅううううううん、瞬く間に女ふたりは跳びすさって互いの間合いを取る。
――噂にたがわず、すごい打ち込みですね!?
前屈立ちにて穂先を下げ、近接戦の構えを取るシャノンは、内の緊張感を見せない平らかな調子で声をかけた。
「イオナさん。こんな時間に、どちらへ行かれるんです」
――はあああ、何でよりによって一級騎士が出てくんの!!
左胸にフィオナを抱え、腰を低く落として跳躍前の姿勢を取るイオナもまた、自分の間の悪さを呪いつつ、右手の三本刃の隙間からシャノンに低く囁いた。
「……お願い。何も聞かずに、ここを通して」
シャノンの大きな構えに守られた形のナイアルが、ひょいと顔を出した。
「待てよ」
両手をだらりと下げたまま、のそりと女二人の緊張に割って入る。右手がぽんと、シャノンの肩に置かれた。
「一級騎士、あんたら本当についてるのかもな」
「?」
シャノンがすっと横を見る。ナイアルの視線はイオナに注がれていた。
「相当の腕で、しかも母親だ。……おい、あんた」
すっ、とナイアルはイオナに歩み寄る。自分に向けられたままの鋼爪なんて、もうどうでも気にならないらしい。
怪訝な顔をするイオナに、彼は大まじめに問いかけた。
「まだ、乳は出るんだろう?」




