表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の挽歌  作者: 門戸
イオナの出奔
94/256

94 イオナの出奔8:真実と出奔

 長いながいメインの話が、終わりに近づいていた。


 ひとつだけともっていた蜜蝋みつろうはいつの間にか消えていて、鎧戸よろいどを閉めないままの窓から、冷ややかな空気とともに忍び入る月光が、薄布を透かして室内をぼんやり照らしている。



「そうして、あなたがやってきた」



 大きな白山羊の皮の上に座り込んだイオナは、やはり目の前にあぐらをかくメインの手を握りしめていた。



「強い哀しみを抱えた、優しい男が連れて来た」



 彼女は珍しく、寒気を感じていた。すぐに体のどこかがかたかた震えだす、それを止めたくてすがるようにメインの手を、彼女が信じるメインの手を握っているのに、どうしてなのだろう。


 永遠と思えたあの力強さ、温かさが今はそこに感じられない。



「ニーシュと呼ばれていたあの男。イニシュアと、彼の娘を……」



――“死に追いやった”。“死なせた”。 ……いいや、違う。いまさら言い逃れをしてどうなる。



「二人を殺したのは、俺だ」



 ぱあん。


 うつむき加減のメインの顔、その頬をイオナは張った。



「……なんで……」かすれ声に涙が混じる。



 黒髪の陰に表情を隠して、メインは呟いた。



「あいつは、大事なものを持ち過ぎた」



 ゆっくり彼女の方を振り向く、その瞳もやっぱり濡れていた。



「死んだ恋人とその娘とイオナで、誰が一番大切か決めかねている奴なんかに。俺が一番いとおしく思うあなたを、取られたくなかった」



 イオナの頬を幾つもの滴が伝う、そこへ彼はゆっくり右手のひらを伸ばす。




「……仲介人と偽って、キヴァンの集落で傭兵を何人か募り、そのままテルポシエに送り込んだ。大陸最強の戦士なら、先行要員の彼も葬ってくれると思ったんだ」



 指先が、イオナの最も大切な冷たくて乾いてがさがさのメインの手が、彼女の頬にふれた。



「狂ってると思う?」



 メインは少し大きな声を出した、まっすぐにイオナを見上げた顔は必死で――



「けど、これが俺だ」



 必死で訴えていた、彼の本心を。


 いま初めて本当に語る、心のうちの最深部を。



「俺の手で、俺の力で。あなたを幸せにしたかっただけなんだ」



 涙をこぼして、少しどもりさえしながらも、そこからメインは止まらなかった。



「初めて見た時、あなたが抱えた哀しみが見えて、体じゅうが痛くなった。……すぐにあの人の娘とわかったよ。


 あのひと自身じゃない、けど彼女は希望でもって俺をこの世にとどめて生かしてくれた、そうして約束を果たしてかえって来てくれた、……そう思えたんだ。そうして、そこにいたイオナは」



 メインは辛そうに息をつぐ。



「……もう、理由なんて理屈なんて何もない。俺はイオナがいとおしくなった。俺はこの人を幸せにするために、この人と幸せになるために、……生まれて、待っていたんだと信じてる。いまも」



 もう片方の手で両眼の辺りを押さえつつ、メインはしゃくり上げる。



「あの日から、イオナ。あなただけが」



 イオナはもう、他にどうしようもなくなった。両腕いっぱいに、メインを強く抱きしめた。



「……あなただけが、俺の生命(いのち)の理由になったんだ……」



 肩の上で、声がくぐもって嗚咽になる。


 全てを知ってしまって、イオナは心の中すら、うつろな闇に浸食されてゆく気がする。


 なんて馬鹿な、いとおしい男なんだろうと、そればかりを思った。




・ ・ ・ ・ ・




 闇の中、イオナは瞳を開けた。


 まどろみの中で思っていた“鷹の王の話”、そこにいまの自分が、つけるべき結末をつけた。


 メインの寝息が彼女の腕の中で規則正しく、深いものになりつつある。



――わたしは今まで、毒蛇の巣の真ん中、鷹のしとねにいたんだ。



 イオナは覚醒した。頭が冴え始める。


 するり、と床を抜けた。


 この三年、ほとんどしていなかった“陣営の動作”で身支度をする、音なんか立たない。


 一番最後にフィオナを抱き上げ、抱っこ布の中に入れて胸にさげ、巻き外套の裾でしっかりくるみ込んだ。


 娘はむにゃむにゃ言ったきり、また眠りの中に落ちて行った。



 彼女は一度だけ、寝床を振り返った。



「さよなら、メイン」 わたしの鷹。



 離れたくなんかない、けれどもうここには居られない。


 彼女の故郷、兄とアランを奪った毒蛇の国にはいられない。それでもイオナは、約束しようと思った。



「わたしも。……わたしも、あなたに帰って来る」



 そう囁いて、彼女はふいと頭をめぐらした。やはり音を立てずに柔らかく扉を開け、そうして彼女の最もいとおしく思う男のもとから、去っていった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ