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海の挽歌  作者: 門戸
イオナの出奔
92/256

92 イオナの出奔6:挽歌の呪縛

 テルポシエの東門をくぐって厩舎に白馬を返せば、もう完全に夜だった。


 市街を抜けて、城門を通って、見かける人々がかけてくる“こんばんは”も、中庭からの夕食の匂いも、全てイオナは感知できずに、ひたすら早足でかけ抜けた。


 ようやく城の最深部近く、メインとの居室の前にたどり着く。



「人払いを」



 脇に控えていた予備役の青年に何とか告げて、イオナは扉の取手を掴む。


 ……しかしその一瞬、彼女は聞いてしまった。


 鉄の取手に触れた手が、全身が、凍りついた。



♪ ……わたしはあなたを 想い呼ぶ



 メインの声だ。メインがひくく、歌っていた。


 予備役が遠ざかる足音にかぶさるように、おぼえのある旋律が、忘れたいのに忘れられないあの挽歌が、間違いのない明らかさで彼女に届いていた。



♪ なみだの中の 海に呼ぶ……



 こんなに厚い扉なのに、なぜ、どうして。



 かちゃり、


 静かに扉を押してイオナは部屋に入る。


 メインが振り返って、やさしく彼女を見る。


 フィオナの寝籠の横に座り込んで、娘のふかふか赫毛あかげを撫でていた。



「おかえり。どこへ行ってたの?」



 責める調子なんてこれっぽっちもない、ようやく帰って来たイオナを見て、嬉しいだけの顔。



「今、フィオナ寝たとこ……」



 言いつつ立ち上がりかけたメインを、イオナは遮る。



「それ、子守唄じゃない」



 つかつか歩み寄って彼の目の前に立つ。


 薄暗い室内、小さな蜜蝋みつろう灯りの中に浮いたイオナの顔、……同時にイオナの全身を取り巻く不安と焦燥と疑惑のどす黒い色を“見て”、メインはぎくりとする。



「ネメズの集落の“海の挽歌”を歌える人間は、もうわたし一人しか残っていないはずなのに」



――そう、アランが死んでしまったのだから。



「なのにどうして、メインが知ってるの? 一体どこで、誰に教わったの?」



 メインはゆっくり焦った。唇を噛む。しまった。


 目を閉じて深く息を吐く。フィオナの寝籠をそうっと持ち上げて、続きの間に置いてきた。



「……フィオナのせいで、油断した」



 ようやくイオナの目を見て、彼は切り出す。


 イオナは立ち尽くしていた、身じろぎもせずその瞳いっぱいに恐怖を湛えて、彼を見ている。


 メインも泣きたかった。それでも、ここまで知られた以上は嘘なんてつけない。



「……イオナ、“彼女”は。……ユカナ・・・は」



 メインがその名を口にした時、イオナはびくりと全身を震わせ、目をいっぱいに見開いた。



「俺が初めて、いとおしいと思えたひとなんだ」




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