91 イオナの出奔5:海に吼える
――広刃の短剣は、海賊の武器だ。
夕陽の残照が徐々に薄れゆく中、イオナは白馬の速歩が刻む蹄音だけに意識を向けようとして、失敗する。
もう、だめだ。どうしたって結論はそこにあった。
――あの日、二人が会っていたはずの海賊達。そいつらが、昔わたし達の集落を襲った奴らだったんだ。だから二人は戦った、たぶん倒した。でも、……
自分達がエノ軍に入ったのは、いやそもそもが傭兵として色々な所を少しずつ渡り歩いたのは、故郷ネメズの集落を滅ぼした海賊集団の事を調べるためだった。
それまでエノ軍の事をかなり胡散臭く思っていたアランが決断したのは、イオナがニーシュを想ったのもあるけれど、地元海賊への繋がりがあるらしい事を知ったが故である。
海賊山賊もたくさんいるが、特に小島嶼部に群拠している海賊達のしっぽはなかなか掴めなくて、この糸口は絶対に放せなかったのだ。
何か月もかけてようやく直接会う所までこぎつけたアラン、……慎重な彼女がヴィヒルとともにぶつかったとなれば、これはもう対面したのが略奪の当事者だったとしか言いようがない。
テルポシエ陥落の後、ウレフ・ノワとともに探索した浜には、海賊の遺骸らしきものがあったという。
つまり兄と義姉とは戦って勝った、しかし自分達も無傷では済まなかった。彼らは生命と引き換えに、過去を倒したのだ。
イオナは目を開けていられない。馬の歩みを緩めて、……とうとう止めた。
閉じた瞼の向こうに、明るい記憶がみえる。
・・・
・・・
そう遠くない春の日だった、昼寝から起きたらアランがまじめな顔で自分を覗き込んでいた。
「イオナちゃん! あたしとヴィーが結婚したら、あなたどう思う!?」
「ものすっっごく良いと思うッッ」
即答して、その日のうちに祝宴をはった。
どこの町だったかは憶えていない、けどとにかく鶏肉のおいしいお店だった。
借りものの長衣、頭にどっさり花々を挿したアランを兄と挟んだ。皆好きなだけ食べてのんで、ついでにアランが歌っていた。
「えっへ~~!! なんか今さらって気もするんだけどぉ、やっぱ嬉しいー!」
その夜のアランは本当に紛れもなく、アイレーでいちばんかわいい花嫁だと、イオナは思った。
「これで、あたしたち三人! 本当の家族になったんだもんねぇ。ずっとずーっと、一緒だもんね!」
きらきら金色に輝く首環の上に、花の輪っかをかけたヴィヒルはとろんと赤い顔で、幸せそうにずっと笑っていた。
……その後、生まれて初めてなめた蜂蜜酒に兄はつぶれてしまって、店のおじさんとイオナに担がれて、宿まで帰ったんだっけ。
・・・
・・・
幸せの記憶がいとおしく輝けば輝くほどに、イオナの心はとめどなく荒れた。
かなしみが体中を巡りめぐって、いくら嗚咽を吐き出しても、後から後から生まれ出る痛みがイオナを苛む。
両手の中の手綱を握りしめ、ぐうっと頭を回して、左側に広がる昏い海を睨みつける。
災厄はいつだって、海からやってくる。
母を父を故郷を、そして今またかけがえのない兄とアランを、海から来た禍が奪っていった事を知った。
その時風が、ごく穏やかな潮風が、イオナの頬と髪を撫でて行く。
偽善のような甘い愛撫。
「海!!」
イオナは海に向かって吼えた、ぎくりと馬が怯えるほどの雌獣の声で、威嚇した。
「お前に、もう挽歌は捧げない! 奪う事しか知らない、お前に!!」
赫い髪を怒りに燃え立たせ、憎悪の炎のたぎる双眸で目の前の海をねめつけながら、イオナは叫んだ。
「ヴィヒルとアランの魂は、永久にわたしとともに在る。お前のところじゃあない!」
かくしの中の二人の首環を、衣の上からぎゅうっと抱き締める。
そこだけが温かくて、イオナはぐうんと気の遠くなる感覚をおぼえた。
「兄ちゃん、アラン」
がくりと顔をうつむける。ぽたぽた涙が鞍に落ちた。
「早く起こして。わたしを起こして」
怖い夢をみたね、と笑う二人に起こして欲しかった。けれどイオナはかなしい現実から覚められずにいる。メインの手が欲しい。
――メイン。助けて、メイン。




