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海の挽歌  作者: 門戸
恋と卵
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81 恋と卵24:パスクア撃沈


「今はできません、ごめんなさい」



 憎悪でも挑発でもない、ひたすら圧に圧をかけたような凄まじい眼力のこもった眼差しでまっすぐ正面を見据えながら、エリンはきっぱり正イリー語で言った。


 机を挟んで向こう側にいるパスクアは、背筋を伸ばしたまま硬直し、そして口を四角く開けている。


 二回繰り返されたから聞き間違いではない、エリンはパスクアの求婚を真正面から拒否していた。



「……理由をお聞きしても、よろしいでしょうか……」



 ひきがえるが喉奥に住み着いてしまったかのような声で、パスクアは問う。


 エリンのすぐ横では、シャノンが白い顔をさらに蒼くして息を止め、視線を落としていた。



 出納係エルリングが休んだこの朝、パスクアはもう勢いに勢いをつけて財産管理庫にやってきた。


 そうして証人になってもらう意図からシャノンに同席してもらい、真正面からエリンに頼んだのである、俺と結婚してくれないか!! と。ようしッッ。



「現状を、維持したいからです。今は、あなたを夫とする事はできません」



 蒼白なシャノンとは対照に、エリンの顔は真っ赤だった。


 泣く寸前、に見えない事もない。ものすごい何かを、必死の努力で押さえつけている顔である。



「わたしは、パスクアさんを心からいとおしく思ってます。それは本当です」



 しかし姫は、潮野方言でもはっきりくっきり述べてみせた。



「けれど今は、いまは、あなたと結婚する事はできません。また、言います」



 そう言って口をつぐんだ。三人の間に沈黙が落ちる。



「……あのう……」



 四角い口のまま、すかすかの軽石になった錯覚を感じていたパスクアに、恐る恐るシャノンが言いかけた。


 この人に珍しく、額に脂汗を浮かべている。



「……先王……兄君の喪、というのもございまして……」



 ふあっ、とパスクアは息を吹き返した。


 そうだ、相手はお(ひい)さまである。そういう慣習いろいろにとらわれる事情もあって然るべきなのだ、忘れていた。



「なるほど、それもそうだな! ……で、どの位なんだ? 喪の期間って」


「五年です」


「ぎひゃあああああっ」



 つい声が裏返ってしまった。テルポシエ王ウルリヒが死んで、一年しか経っていない。



「あと四年も待てと!?」


「何を待てと仰るの、あなたはッッ」



 懐かしき気合が飛んできた!



「妻の場におさめなければ、婚姻の契りに縛らなければ、わたしがどこぞ他の殿方と懇意になるとでもお思いですかッッ」


「へ、いやそんな事は」


「わたしはあなたがいいんですッ。この言葉が信じられないのに手を頼むとは、それこそ本末転倒ですッ。いいですか、わたしは今はあなたと結婚できません!」



 がたーん、と勢いよく腰掛を跳ね飛ばして、エリンは立ち上がった。



「そして!! あなたとのお付き合いを、今後同様に続行します! 今日も伺いますから、どうぞよろしくッッ」



 ふーん! 息荒く言い切ると、つーん!! まわれ右をして、エリンはずかずか出て行ってしまった。


 シャノンが慌てて後を追う。……が引き返す、草色外套をふわりとひるがえしてパスクアの側にしゃがんだ。


 がしいっ、予想もしないものすごい怪力で上腕を掴まれて、パスクアは防衛本能から一瞬、腰の鎖に反対の手を伸ばしかける。



「パスクアさん。姫様がこぶしを入れて強調されたところ! どうか、おみおき下さい」



 早口で言うと、騎士はすぐに財産管理庫を出てしまった。



「こぶし……」



 がらんとした室内に一人取り残されて、再び軽石と化したパスクアは呟く。



いまは・・・、つってたな」



 そう、いま限定でだめらしい。


 それじゃ将来的には一緒になってくれるのだろうか。四年後? もっと先?


 パスクアは額に、髪の生え際に指をそわせる。



――こいつが退くのが先か。エリンが嫁になってくれるのが先か。……ふっ、とんでもねえ競争が始まっちまったもんだぜ……。



 やけくそ気味に、彼は口角を片方あげて、笑ってみた。




・ ・ ・ ・ ・




「あんまりかわいそうで、見てられませんでした」



 上階にある吹き抜け廻廊まで来て、シャノンはエリンに言いかけた。姫はどんどん歩いて行って、あの展望露台に出る。


 誰もいない、彼女達以外に眺望を必要とするイリー人なんて、もうここにはいないのだ。


 冷風がひゅーと吹いて、霧雨まじりの空気が女二人にうちかかる。それなのにエリンもシャノンも、頭巾を被ろうとはしなかった。


 額に頬に、無数に降りかかる雨粒のどれよりも大きな涙の雫が、エリンの瞳から熱くこぼれた。



「どうして泣かれるのです」



 低くやさしく、シャノンが問う。



「嬉しいのと、かなしいのと、……色々」



 あえぐように空気を吸い込んで、エリンは言った。



「……ですね。いま姫様と結婚されれば、名目上あの方が王になってしまうわけですから」


「それはできない」



 風が強い、見上げるうすい膜のような雲はどんどん流れて行って、その隙間に絶え間なく青色が現れては消えて行った。


 また、冬が来る。


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