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海の挽歌  作者: 門戸
還り来た女
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08 還り来た女3:三人の傭兵家族

 ここのエノ陣営には現在、数百人単位で人間が集まっている。おおかたは報酬めあてに流れ着いた自称・傭兵どもだ。


 と言っても、実際にイリー都市国家群に雇用されて訓練を受けて来た者はほとんどいない。


 食い詰めて故郷を飛び出して来た貧農でも、山中に潜んで追いはぎの実績を積んできた峠のちんぴらでも、はたまた素行の悪さから勘当されて放り出された不良騎士であっても、とりあえず自前の武器……得物えものさえ持っていれば、傭兵と名乗れた時代である。


 特にエノ軍では、イリー都市国家群と比べて安易に雇用されやすいという噂も広がっていたから、ずいぶん多くの荒くれ者たちが各地から集ってきていた。


 必然、その人口相手に商売をこなす者も多くなる。そういった輩は家族連れだったりするので、傭兵たちは圧倒的に独り者が多いとは言え、一見すると陣営は賑やかな村落のように見えない事もなかった。


 一応、主な食事の分配は昼夜二回行われるのだが、いつだって大小の屋台がそこここに出ている。傭兵もそうでない者も、手っ取り早く小腹を満たすことができた。


 そういったいなか屋台の前、粗末な組み立て式飯台のひとつに、ニーシュと娘、イオナたち五人は腰を据えていた。


 ニーシュ自身はまだ空腹を感じない。もっぱら娘に平たく焼かれた粉菓子を食べさせていたのだが、向かいに座る三人組の食べっぷりに圧倒されてもいた。


 曇天のもととはいえ、日中の光の中で見ると、三人の外見は実に異様である。


 子どものようにも見える小柄なアランは、金髪とも赫毛あかげともつかない奇妙な髪色の持ち主で、木椀に盛られた穀物粥を華奢きゃしゃな両手で支え、すすりこんでいた。



「はあー、美味しいわあ」



 ことり、と台上に木椀を置いたが、よく見れば三つ目の空椀を重ねたのである。それをごくごく自然な手付きで、夫だと言うヴィヒルの前にすすすとずらした。



「さて……お代わりを……。」



 くるりと席を立つ。


 いかにも夫が食べたという風にしか見えないが、当のヴィヒルはもっと小さな木椀に入った、野菜の煮込みらしきものを、ゆっくりと口に運んでいる。


 イオナの兄、ヴィヒルは骨太で研ぎ澄まされたような体格をしており、暗色の髪を後ろで束ねていた。眉の間に古傷が一本、白く走っている。あごまわりのひげは、少し無理矢理に生やしたような印象もあった。墨染すみぞめの衣類と言い、何となく自分の若さを隠したがっている風にも見える。


 時折アランとイオナに向ける表情は終始穏やかで、実に静かなたたずまいの男だった。



――そう言えば、彼が話すのを、まだ聞いていないな……。



「どうもありがとう、ニーシュ」



 突然言われてぎくりとする。


 赫毛あかげのイオナが、自分に向かって微笑んでいた。



「久しぶりに、とってもおいしい鶏を食べたよ」



 一体、いつの間に平らげたのだろう。彼女の前に置かれた木椀の中には、おびただしい量の鶏の骨が積み上げられていた。小山、と言っていい。


 ふっくらした頬や口元に脂の痕跡は皆無であり、どれだけ優美かつ周到な食べ方をすればこうなるのか、ニーシュには謎だった。



「ちょっとちょっとちょっと皆ぁ、おじさんが食後にどうぞって、丸すぐりくれたわあー!! すっごい美味しそう、どうしようー!」



 果物と粥、二つの木椀を両手に、アランが戻ってきた。



「いや、どうしようって言ってもー、食べるっきゃないけどね!? くだものよ! 貴重よ~!」


「あ、じゃあわたしもらう。アラン義姉ねえちゃんはまだ食後じゃないから、後でね」


「いやあん、取っといてよう?」



 丸すぐりの実を取りつつ、新たな椀ものをすすりつつ、よくもまあぽんぽんと器用に喋る女たちだ。


 だが粗雑さが感じられないのは、言い換えれば隙も無いという事か。



「……君ら、出身は?」



 ニーシュは聞いてみた。



「実家は、どの辺なんだい」



 風貌も作法も自分と大きく異なるから、遠方なのだろうと見当をつけながら。



「あ。そういうの、ないの」



 さらっとイオナが返す。



「え? 傭兵って言うからには、出稼ぎじゃないのか」


「うん。わたし達は流れだから。財産も土地も、何も持ってないよ」



 戸惑いの一瞬後、ニーシュの心はおどった。



――じゃあ、話を振ってみる価値はあるぞ?



「なあ、ものは相談なんだけど、イオナ……」


「おー! 何だあ、ニーシュぅ! 上玉連れ込みやがって」



 絞り出した言葉は途中で、野卑などら声にかき消された。


 振り返れば、時折見かけるごろつき風の二人組だ。天下の寄せ集め集団たるエノ軍最大の特徴、内包する傭兵の質も実にぴんきり――その底辺部分代表を地で行く、特に素行のよろしくない奴らである(と言うより、素行の良い奴なぞ、ここにはほとんど居ないのだけれども)。



「ったく、いいよなあ。 “先行”の奴らは、いつだって特別報酬だ」



 筋骨隆々を気取りたいらしいが、その実は酒で肥えた下腹を揺らしている巨体の方が、ニーシュに向かって憎悪を含んだ調子でからむ。



「部下を死なせたって、帰って来りゃ英雄ってか?」


「!」



 そのくせ、刺さる言葉を放ってくる。ニーシュは瞬時、奥歯を食いしばった。



「なあ、贅沢言わねえ。こいつの後にでも、俺らの天幕に来いよ? こないだ賭けに勝って、手持ちならあるからさ」



 ひょろひょろとした方が、イオナの肩に軽々しく触れる。そのまま背中へ、さらに下方へ手のひらを這わせるのを見て、ニーシュは血の気が引くのを感じた。


 だが当のイオナは、全く顔色を変えない。丸すぐりの鉢を、すっとシュウシュウの前に押しやって言った。



「ちょっと、持っててね」



 音もなく立ち上がる。ひょろ男が、嬌声を上げた。



「おっ! 何よもしかして! 実はやる気満々かい、おねえちゃん!?」



 ニーシュは支給された怪我人用の木杖を掴み、立ち上がりかけたが、矢を受けた傷口の鋭いうずきに、はっと息を止めた。



 ――くそッ。



「やめないか、俺の恩人なんだ」



 よりによって、商売女と勘違いするとは。


 必死に吐いた言葉も、もちろんごろつき共は無視である。出っ腹とひょろ男は、イオナを挟む形で、迫った。



「……あのさ。わたし、そういうの嫌いなんだ。やめてくれない?」


「まあまあ、そういうことにしといたげる」



 出っ腹がイオナの右耳のあたりに触れようと、いやらしく手を伸ばした。


 それをやんわりと振り払う仕草で、イオナは右手を上げた。



「忠告は、したからね」



 低い早口である。


 次の瞬間、彼女の右掌は出っ腹男の後頭部を押さえ落とした。


 めぇりッッ!


 男の顔いっぱいに、膝頭がめり込んだ。


 その右脚は着地した刹那、凶器から軸足として、恐るべき速さで役割転換を行う、ふわりとした何かが動いた。



「え」



 すっぱぁん!!


 ひょろ男の首元に、それはそれは美しい回し蹴りが、高く決まっていた。



「げはっ」


「うおっ……」



 ごろつき共は同時にうめいた。そして無作法者たちを止めるはずだったニーシュは、あまりの速さに度肝どぎもを抜かれて、口を開けているばかりである。


 出っ腹男は派手に鼻血を滴らせ、ひょろ男は目を白黒させてふらつきながら、ようやく踏みとどまった。



ね」



 乾いた口調で、イオナは低く言い捨てた。


 多少なりとも物のわかるちんぴらであれば、ここで引き下がる。


 相手との絶対的な実力差を、肌の痛みで感じとるからだ。派手にやられた割にまだ立てる程の損害、つまりは丁寧に手加減をされてこの程度。


 これ以上関わるのは得にならないと判断できれば、何も言わずに立ち去る。そうしないで食い下がってくるのは、よっぽど経験不足の若僧か、あるいは学ばない馬鹿だけだ。



「こんの……くそあまぁ。女のくせに……!」



 残念ながら、二人組は後者であった。


 女に俺たちがやられるわけがない。こいつには男に従うべきという、世の条理を叩き込んでやるべきなのだ、 ……怒りでみるみる赤くなっていく男たちの顔の中に、まるで根拠のない彼らなりの真言をありありと見た気がして、イオナはやれやれと煙ったさを感じたようだ。



「調子くれてんじゃねえっ」



 果たして二人は、同時につかみかかってきた。


 そして二人同時に、あごの下に強い衝撃を受けて、後方へ跳ね返された。


 反動で出っ腹男は思い切り尻もちをつき、ひょろ男に至っては、でんぐり返しで一回転してしまった。


 イオナと男たちの間に、ヴィヒルが無言で割り込んでいた。


 この男の動作もあまりに速い。長くてまっすぐな戦闘棒を、片手で水平に構えて立ちはだかっただけなのだが、眉間の傷の下から発される切りつけるような迫力の眼差しに、馬鹿たちは文字通り震え上がった。



「それ以上、妹にからむ気なら、」



 芝居がかった声が響く。



「本気で! ころーーーーす! そう言うてます!」



 左手に相変わらずの山盛り椀、右手に持った木匙きさじを男達にびしっと向けて、だいぶ後ろの方から、アランが啖呵たんかを切った。


 今回は、さすがの馬鹿たちもためらわなかった。捨て台詞ぜりふすら残せず、きゃーっと逃げおおせたのである。


 アランはすとんと座り直し、ヴィヒルがくるりと棒を一回転させて足元に置き、すぐりの鉢を引き寄せながらイオナがその隣に腰を下ろして、三人はまるで何もなかったように、食事の続きに取りかかった。


 何もできなかったニーシュだけが、うろたえていた。



「……申し訳ない。不愉快にさせて……」


「別にいいよ。それに、ニーシュが謝ることないし」



――参ったなあ。今ので印象ががた落ちしただろうな……。エノ軍に入ってもらえないか、聞くつもりだったのに……。



 その時、ずっとニーシュの陰に隠れるようにしていた娘が、そろりとイオナにすり寄った。



「あれ、何? ……いいよ、おいで」



 娘はイオナの膝に座り込み、丸すぐりの鉢に小さな手を伸ばす。



「一個ずつ、よく噛もうね」



 低い声で幼いものに言い含める様子は、どこにでもいる若い女と変わらなかった。


 深い海松藍みるあい色の巻き外套の下には、軽い仕様の革鎧を着込んでいるに違いない。腰の帯がやたらにごつい・・・のは、背中の方に何らかの得物を吊り下げるためなのだろう。ついさっき、立ち回りの際にちらと見えた肢体は肉付きが良かったが、肉は肉でも筋肉なのだ。


 遠くからでも容易に見分けられそうな赫毛あかげとあわせ、イオナの容貌は見るからに異様なのだが、おさを抱え込んで同じ鉢から果物をつまむ様は、実に自然かつ好ましい風景として、ニーシュの視界におさまった。



「えーと。名前、何て言うんだっけ」


「シュウシュウ」


「そっか。シュウシュウはいいね、強い父ちゃんがいて」



――は?



 ニーシュは思わず、イオナの顔をもろに見てしまった。


 シュウシュウの小さなふわふわ頭にあごをすり付けつつ、イオナは笑っている。



「あは。ニーシュもいいね、こんなかわいいのがいてさ」



 敵地において、ニーシュを救ってくれたのはイオナなのであって、“強い”所なんかこれっぽっちも披露していない。さっきだって、ちんぴら共を一掃する事もできなかった。そして所属部隊の事も何もまだ明かしていないのに、何をどうして“強い父ちゃん”等と言うのだろう?


 単にことばの綾なのかもしれないが、何となく感じた引っかかりに囚われて、背後からの呼びかけに気付かなかったらしい。



「おい。ニーシュってば」



 ふっと振り向いて、そのまま腰掛けから転げ落ちそうになる。


 一番近くにいたアランが、絶妙の瞬間にささっと杖を差し出してくれ、それにすがって何とか転倒はまぬがれたものの、喉がつまってつい言葉を噛んでしまった。



「ずんまぜんっ、エノ王ッ」

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