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海の挽歌  作者: 門戸
恋と卵
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78 恋と卵21:街道の裏切者狩

 鉄の平鍋“正義の焼き目ティー・ハル”の制裁音は、細く長く続く東行きの街道を、ずんずん進んでいった。


 しかしどこまで行ってもこだま返りできる岩々や山に当たらず、やがてしょんぼりと弱まっていく。


 ところが、消えかけた地点でもちょうど乱闘が繰り広げられていたものだから、誰の耳にかする事もなく、剣戟けんげき音の中にかき消えていった。



 ぎん、ぎん、がきん……。


 ここでは月光の下に幾つもの長剣、短剣の刃がきらめいて衝突し、小さな星々のようなたくさんの火花を生み出していた。


 湾曲した幅広の長剣をひらひらと操って、「うごぉッ」 老マリューの手がまた一人、敵の脇腹を貫いたところだ。


 その少し後方では、黒く渦巻く竜巻のようなうねりが、がつりと男の首を捻って吹き飛ばしている。


 例のももんが袖がぐらぐらゆらりと翻る、恐ろしく長い戦闘棒を目にも留まらぬ速度で回しては撃ち、回しては打つ。


 ギルダフは、さながら小さな黒い暴風雨だった。彼の通った後には男達が、嵐の後の麦畑のように平らかにのびている。


 その街道脇の林の中にも、戦闘は浸食していた。


 しかし上がる叫び声、断末魔に引き換えて、墨染すみぞめ装束姿の男達は静寂である。


 しゃりしゃりしゃりっ、


 鎖のすれるささやかな音だけがする、大柄な男は自分の首元をかきむしり、背に乗った相手を何とかどかそうと努力している。


 そのすぐ手前では、ひょろ長い男が長い長い腕の先の手刀で、ずんぐりした男がびっくりする程すばやい掌拳の連打で、それぞれの相手を倒したところである。


 闇の中で二人は小さくうひひと笑い、音を立てずに互いの手のひらを打ち合わせた。



「終わった」



 事切れた自分の敵をばさりと放して、パスクアは頭巾を跳ね上げ、次いで覆面布を引き下げる。


 街道に出てみると、白金髪が月光にちらちら光る。


 そこでも戦いは済んでいて、ギルダフとその配下数名が、倒した者の身元をあらためようとしていた。



「どうだった?」



 パスクアはギルダフに大声で聞く。



「まだ、何とも言えないよ」


「いーや、少なくとも髪がイリーの奴らじゃねえ」



 マリューが言う。誰かが松明たいまつをつけた。



「どうだかね。石灰水で洗って髪を白くすりゃイリー貴族、泥でかためりゃエノ傭兵ができる」



 何か場とずれたようなおどけた調子で、中隊長格のひとりが言った。



「やっぱり、ただの地元のちんぴらだろうがよ? こんなのの掃討に、王様が直々に来るこたぁなかったんだ」



 松明を傾けつつ、中隊長は後ろを振り返った。



「……女まで連れてさぁ」



 ぼんやりとした明るみの中に、メインの小さな影が浮かぶ。


 すぐ後ろには傭兵時の装備をしたイオナが、音も立てずに佇んでいた。



「……そうだね。色々とおかしい所が、たくさんある」



 静かな声でメインが答えた。



「街道で盗賊まがいの事をするのに、この人数は少なすぎるよね」



 周囲の者たちがメインを見た。


 目の前の中隊長だけが、笑顔を含み続ける。



「そうかい? 十分でないのかな?」



 おどけつつ挑発を仕掛けるその調子は、特にパスクアの神経をじゃりじゃりと逆撫でしていた。


 軍内で私怨を晴らすのは得にならないとわかっているものの、この中隊長がエリンを踏みつけていたあの情景を思い出すたび、鎖に手が伸びかける。



「父なら、もっと卑怯な手を使っていたよ」



 冷たく平らかなメインのその言い方に、吐き捨てるような憎しみが込められていると気づいた者はいない。



「そうかい、エノ王ならねえ」



 中隊長はふんわりと円を描くように松明たいまつを大きく振り、……それを真上に向かってぶん投げた。



「かもねえ!」



 そしてぱあっと、脱兎の如く走り出す。


 メインが緑に光る。


 彼と先行部隊、ギルダフ配下の周りを包み込むように――


 ごおおおおおっ、と橙色の炎の壁が燃え盛った。



「うおおっ!?」



 パスクアとギルダフは街道の両脇、森の奥深くから自分達に撃ち込まれた無数の矢が、その炎の壁によって焼かれ、ぶすぶすと焦げては落ちてゆくのを目の当たりにする。


 その円錐の壁の頂点では、炎の妖精が全力できばっていた! 巨大な炎の壁は、プーカの燃ゆる翼につながっているのだ。



『ふぬおおおおおおおおお!!』


『ううんと格好いいぞーい!プーカどんっっ』



 流星号とパグシーが、近くで応援している。


 どす黒い業火に照らされたまま、メインは笑った。



「――出て来た」



 やがてメインの足元から浮き出た無数の緑の猫たちが、次々に林へ向かって跳びこんでゆく。


 ひいああああ、ぎゃああああ、断末魔が幾重にも、……幾十にも重なっていく。


 その猫たちが自分の真上を通り過ぎて行くのを見ながら、街道と林のまさに境目にいた中隊長は、そろりと腰を浮かす。



 ふわり、とうなじに何か温かいものが触れた。



「王の暗殺計画は、失敗だね?」



 イオナの息だった。


 振り返り、ぎりっと至近距離から中隊長は女の目の中を睨み込む、へし折る気で首を掴みかけた、……その手がぶわりと捩じられて、なぜか左方向へ顔が揺れる。


 ばっちぃぃぃぃぃん、


 側頭への鋼爪の一撃が、意識もろとも中隊長を吹き飛ばした。



・ ・ ・ ・ ・



「じゃあやっぱり、地元のちんぴらがいきがってた、という事にしとこっか」


「下手に本当のこと言ってみろ。エノ軍は内部分裂しまくりだって、外部に漏れるぞ。イリー都市でなくても、つけこむ奴が続出するだろう」


「マグ・イーレだけでなくて、これからは北部穀倉地帯の町にも、注意した方がいいんじゃねえかい」



 テルポシエへの帰路をずらずら進む騎馬一行は、白っぽい曙光を背に、西に向かって夜の残りを追いかける。


 後ろの方にいたパスクアは、ふと気配を感じて馬の歩みを緩くする、しんがり位置につく。



「何だよ?」



 街道沿いの灌木の茂みから、果たして大小でこぼこの黒づくめ二人組がさりげなく現れて、彼の馬の両脇にぴたり貼り付く形で歩き始める。


 ウレフとノワの二人は、中継地点にした旧陣営のひとつに残って別行動だったはずだ。



「忘れもんかよ」


「そう、パスクアに忠告忘れてた」



 ぐふふ、と含み笑いをしつつ、のっぽのウレフが言う。



「お(ひい)に会いたくて帰城をはやる気持ちはよくわかるが、まぁ聞け」



 だいぶ下から、ぎょろりとノワが見上げる。



「……」


「奴で終わりじゃねえんだろがよ、隙あらばあの子をどうにかしようと言うのは」



 パスクアは静かにノワを見た。



「どこまで知ってんの、お前ら」


「お前が知っとくべきところまでだよ。うひひひ」


「騎士の姉ちゃんだけじゃ限界が来るかもしんねぇ。そんときゃ俺らを使え、ぐふふ」


「……」


「あんだけいいけつ・・で、顔もうで卵じゃあ無理もねえ。しかし俺らのパスクアをくわえ込んじまうとは、とんでもねえ毒婦だ。男を絡め取って骨を砕いて生き血を吸っちまう、特大の女郎蜘蛛だ。吹矢の続きの毒を使って、こいつの頭をどうにかしてたりしてな?」


「……おい」


「……そういう、おぞましーい噂を流してやる事もできるぜ。迷信方向に弱い奴らにゃ効くだろう。そんなんでもちっとは、あの子を守れる」


「ありがとう」



 彼らのにたつく顔の方がよっぽどおぞましいのだが、その裏にある親情を透かし見て、パスクアは素直に言った。



「げへへへへ、いいって事よ。ここんとこ玄人くろうとねえさんばっかしだったお前に、ようやくあんな堅気の子ができたんだ。俺らだって嬉しいのよ」


「お父ちゃんも、喜んでいるだろうて。ぐふふふ」



 とは言え、パスクアの黒歴史を知りすぎている二人でもある。



「しかしだよ、そんなに心配ならうだうだしてねぇで、とっとと嫁にしちまった方が早ぇよ」


「そんだな。イリーのお(ひい)だから白い目で見られるんだ。エノ幹部の嫁って肩書が先に来りゃ、周囲も手が出しにくくなる」


「そうかなあ」


「こういう事は勢いで決めな、あんまり長く悩むとどんどん髪に負担がいくぞ」



 みぞおちに深い一撃を決められた気がして、パスクアは手綱たづなを握りしめた。



「まあ……嫁にしたところで、逃げられるときゃ逃げられるんだけどな」



 恐ろしく真面目に言うノワの言葉には、生々しい実感が籠っている。



「じゃあなぁ。ぐふふ」


「いかした俺ら二人の事、忘れんじゃねぇぞ。ぬふふ」



 ふいっと二人は横に逸れ、あっという間に気配が消える。


 パスクアは長く息を吐いて、額の生え際に指をそわせてみる。


 でこぼこ配下のおっさん達に言われるまでもなく、この“安全対策”は彼も既に考えていた。


 相変わらず皆の前ではつうんとすまして、はきはきものを言っているが、自分の腕の内側では半熟卵のようにやさしくなる、あの娘。


 やって来るたび、会うごとに咲き匂ってゆくあのエリンを、いつか誰か別の奴が奪うのでは。


 自分の想像で狂いそうになる瞬間が、たびたびある。


 ふっ、と前方を行く小さなメインの後ろ姿が目に入る。


 そのすぐ右脇を行く、白馬にまたがったイオナの赫毛あかげが、朝日を受けてきらきら輝いていた。


 守るどうこうではなくて、彼が望むのは純粋にその風景なのだ。


 めいっぱいの陽光の下、すぐ横を歩くエリンの白金髪が、ぴかぴか光るのを見たい。


 常に挑戦の顔で武装しなくても、いいようにしてやりたい。


 いつでもどこでも、あの日のように彼の洗い髪を見て爆笑できるエリンになって欲しい、心からそう思っている。


 順序立てをよしとするパスクアの思考は、敵方の王女に馬鹿みてえに惚れちまうという急転直下の場外予想外大椿事に揺さぶられはしたものの、そこから新たに構成した方針に依って、すでに次の一手を準備していた。


 実のところ、ほんのちょっと後押しが欲しかったのである。できれば信頼できる既婚者から。


 メインはちょっと違う気がした、いい奴だから彼を応援してくれるに決まっている。わかった答えをもらうために、忙しい王の時間を割いてもらうのは気恥ずかしかった。



――適任者、死んじまったなあ……。



 約一年前、……もう一年前、湿地帯で逝ったニーシュの素朴な微笑が、懐かしく彼の脳裏をよぎった。あいつなら、とことん話を聞いて、一緒に悩んでくれた気がする。



――嫁にしても、逃げられるときゃ逃げられる、か。



 そうして実際に後押しをしてくれたのは年上部下、うち一人は実に不吉な一言を放って行ったが……そりゃそうだ、永遠に男と女の気持ちが変わらない保証なんてない。



「目先の事に集中するのだ」



 ふ、と鼻息を白く噴き出し、パスクアは自分の中のうざうざする思いをべしゃりと封印する。


 馬をいつもの常足なみあしに戻して、ギルダフの黒い背中に向けて進んでいった。




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