77 恋と卵20:街道の山賊狩
おおおおん。
遠くの方で、何か得体の知れないけものがひとつ、吠えた。
風のない静かな秋の夜である。
ずいぶん更けた時刻というのに、全くひと気のない街道を歩く二人連れの姿があった。
街道脇の樹々の切れ目からは、時々黒い海が見える。やはり黒い空との境界線は曖昧で、波間にわずかに月光だけが煌めいている。
“貧者の灯”、月の明るさだけを頼りに、歩き続けるふたりの足取りは軽かった。
「――福ある夜を」
いきなり脇から声がかかって、二人はびくりと立ち止まる。
ざざざざざ、間髪を入れずに両脇の林から、いくつもの影が飛び出して来た。
十数人もいるだろうか、暗い中にもぼさぼさとむさ苦しいなりがわかる男達――武装している――が躍り出て、瞬く間に街道の二人を取り囲む。
「こんな時間に道行きたぁ、不用心だな? あんちゃん」
「……妹が急病で、ファダンの医者に連れて行くところでございます」
二人のうち大きい片方が、小さいもう一人を胸に引き寄せて、守るような姿勢を取る。
外套の頭巾を深くかぶった“妹”は、声も立てずにぶるぶる震え出した。
「そりゃあ大変だ。どれ、我々が送ってやろうじゃないか」
ひゃひゃひゃひゃひゃ、不吉な笑い声が闇夜に浮く。
頭らしいのが進み出て、“妹”の顔を覗き込もうとする。彼女は泣きだすように、両手で顔を覆ってしまった。
「いくつかな? 美人かな?」
後ろから下卑た笑いが漏れる。
「今日のも、楽しく遊べるといいねえ」
「娘はまとめて売った方が値段が上がるから、大歓迎だぜ」
「……どうぞお赦しを。いまだ十四にもなりません」
兄が哀願する調子で言った。
「……にしちゃあ、でかいな?」
ちっ、と誰かがどこかで舌打ちするのが、微かに聞こえる。
「まあ、とりあえず身ぐるみ剥ぐから、兄ちゃんはその袋をよこしな」
頭は、妹を兄の腕からもぎ取った。兄はすぐに、袋を地に置く。
「後生でございます、無体な事はなさらないでください。一体どちらの旦那様なのですか、あなたは」
「へっ、名乗ってどうする?」
嫌がって抵抗するらしい妹の両手を、ぐっと掴みつつ頭は言った。
「だって、いまや天下のエノ軍が、こんなひどい真似をするとも思えないし」
「そらそうよ。俺たちゃエノ軍でなし、ただのそれ者だもの。ねえ、ティンカ様?」
頭の後ろで、ふんふんと権高に頷いた男がいる。
月光に白金髪が光った。
「エノの奴らのおかげで、落ちぶれたよ……」
「何てこった……テルポシエの貴族さま?」
兄は大袈裟に驚いている。
「そうだよ。まあ、こういう方向もそんなに悪かないって、わかったけどさ」
突き出した下唇からふうーっと吹き上げた息が、前髪をくゆらせる。
「……ほうほう、市民搾取の後は旅人いじめに転換と……」
兄の口調がくるりと落ち着いた。男達は、おやっと違和感を感じる。
「聞いたかあ。皆、遠慮いらねーぞー」
深くかぶった帽子を脱ぐと、ナイアルは声高に言った。
同時に、隠しに入れていた右手を出して、素早く頭役の男の横っ面をどついた。鋼環を握っているから、威力は十分である。
ほとんど同じ瞬間に、両腕を捕らわれたままのイスタが男の金的に膝蹴りを入れて、頭役は甲高い悲鳴を上げてぶっ倒れる。
びんびんびん、と空を切る鋭い音がして、ぱたぱたぱたりと順序良く賊三人が倒れてゆく。
あっけに取られた一瞬の後、他の者は武器を手にしかける。
ずどん!
「うぎゃああああッ」
藪から棒状に飛び出したビセンテの、強烈すぎる足刀蹴りを見舞われた不幸なひとりがぶっ倒れ、丘の向こうに即送りとなる。
その黄金の右足はぴたりと宙にとどまったかと思うと、次の瞬間ぐるりと右側へくだり流れる。
滑らかに腰を落としつつ、ビセンテは脇に迫っていた男の膝をすくい上げるように蹴り砕いて、よろけかけたそいつの太鼓腹にずぶーり、左手の山刀を串刺した。
「おげぇええ……、」
「ごるぁああああっ」
倒した奴の断末魔すらかき消す、雄たけびとともに一回転! 後ろの髭面男の首筋を、右手の短槍の穂先てまえで勢いよくぶん殴る。
そいつはあんまり激しい勢いで骨をへし折られたものだから、眼窩から飛び出しかけた両の眼玉がついて行けずに、きらきら宙にとどまってしまったくらいである!
「相変わらず絶好調だな、ばーか」
イスタを背にかばって後退しつつ、ナイアルは杖に見せかけていた短槍をがんがん繰って、左右からの落ち武者山賊どもの攻撃を跳ねのけてゆく。
そこへ林の方から、アンリの援護の矢がびゅんびゅん飛んでくる! まさに矢継ぎ早というやつだ。
賊はどんどん倒れ込み、ナイアルの前にようやく安全地帯が確保できたかのように見えた……が。
「……と……、」
ぎいん、と硬い音がして、ナイアルの手から短槍が飛んだ。
先ほど、権高に上からものを言っていた男が、いま長槍を手に彼に向き合っている!
「下がってな、イスタ」
少年は素早く茂みへと走る。
ナイアルは両手を後ろに回し、腰に装着していた筒の両端をぐっと引く。
じゃきじゃきじゃきん、四倍の長さに水平に伸びたそれを流れるように前に構え、男の長槍の一撃をはね上げた。
「貴様も、二級の崩れかあ!」
ばきばきん、長槍の回転にアンリの矢が弾き飛ばされた。
長い白金髪を振り乱して、男はずんずん連撃してくる。
上背のある奴だから、長槍のその長さを巧みに生かしてぶんぶん振り打ってくる! 穂先を石突を、組み立て式の短槍で何とか受けながら、ナイアルは後退するしかない。
――ちえっ、間合いに入れねえ!
「二級の短槍で、一級の俺の長槍に歯向かおうなんざ……、へぶうっっ」
いきなり男の体が横向きに折れて、左方向へ飛んで行った。
同じ方向への軌跡を描いて、楕円形の煌めく輪がナイアルの目前に浮かぶ。
「遅いっすよ、大将……。反対側の林で、迷ってたんすか?」
「……」
図星だったらしい。
ダンはふんと鼻息を一つつくと、たった今敵を気持ちよく場外へ打ち抜いた、自作の長槍を八相に構え直す。
腰をさっと落として、振り返りながら後方へ踏み出す。
ざん、ざくん、重い音がして闇の中から別の賊が浮かび上がる。
液体の吹きすさぶ音、二人の賊は落とした首を探すように二歩三歩と歩いてから、倒れた。
茂みの中から見守るイスタの目には、ダンの後ろ姿が月光に照らされてよく見える。石突部分に取り付けた長刀用の大きな刃が、てらてら光っている。
育った村で聞かされた、長い柄の大鎌を持って人の魂を奪いに来る死の精霊の話を思い出して、イスタはぶるぶるっと震えた。
「大将、いまさっきぶっ飛ばした奴は、とどめ差さんで下さいよー。おいイスタぁ、縄ぁ出しちくれ」
ナイアルは、いつも通りの調子で呼びかける。
・ ・ ・ ・ ・
「皆さん、お疲れ様でしたぁー! 水どうぞー!」
茂みから愛想よく出て来たアンリに革袋の水をもらって、イスタはようやく腹の震えがおさまる。
「今回も、なかなか良い演技だったよ、イスタ!」
「演技はいいけどよー、がたいがそろそろ限界だろうがよ。手首だけ見たって、こんな骨太の娘はそうそう居ねえぞ」
「毎日鍋たべて、ずいぶん背も伸びたからねぇー。ナイアルさんと、役交代する?」
「そっちこそ無理でしょ。……まだ続くの? 山賊狩り」
「……どうかな」
ダンがふいと言った。
引きずり集めた死体を松明で照らし検めると、どいつも何かしらの証拠を持っていた。
白金髪か金髪、汚れきった外套は枯草、あるいは草色。
「こいつの短槍も支給品だな」
極太の眉毛を寄せて、ナイアルは呟く。
「これで三件目だ。落ちぶれた元テルポシエ貴族に率いられた、落ち武者市民兵のなれの果てってか……。情けねえ」
「でも今回のこいつら、エノ軍を名乗ってはいなかったね」
「そのようだね、イスタ。ただ間諜氏によれば、こういうのが他にもうじゃうじゃいて、エノ配下なんだとうそぶきつつ追いはぎをしているらしい。そんなのがうっかり本物のエノ軍に見つかって明るみに出れば、テルポシエの恥、イリーの恥ってものさ」
松明の灯りにつやつや焼きたてぱん顔を光らせながら、やはり眉根を寄せたアンリが言う。
「だから、先につぶすんだ?」
「そう、俺たち第十三遊撃隊がね」
「……馬鹿じゃないのか」
うめき声がして、皆が地べたに転がった白金髪の男の方を向く。
縄でぐるぐる巻きにされたそいつは、歯をむき出しにして無理矢理に笑っている。
「故国は滅びた、蛮族の手にかかって王は死んだ。その廃墟と過去に忠誠を捧げて何になると言うのだ、お前らは?」
「すげえ、こんな高飛車な正イリー語、めちゃくちゃ久し振りに聞いたぞ」
「言ってる事、良くわかんねえ」
「ろくな事言ってないから、それで全然問題ないですよ! ビセンテさん!」
ダンが男の縄を背側から引っ張って、立たせる。
「こいつ、殺んねえのか」
「まだです、ビセンテさん。さっきの話の調子だと、ねぐらに女の人を捕まえてそうですからね。場所を吐かせて、後始末しておかないと」
ぺっ、と男がつばを吐いた。
「おとなしく言うと思うか! 二級ごときの手にかかるくらいなら、今ここで舌を噛んで……ふご」
ものすごい速さだった、ビセンテが男の口に自分の短槍の石突を突っ込んだのである。
目を白くむきかける男、その顔の側に、ダンがふらりと顔を寄せる。
「動くなよ、ビセンテ」
左手で男の体の縄を掴んだまま、何でもないように右手をやる。石突で閉じられない男の口の隙間に指をやって、ぽきん。
「ひぎゃあああああああ」
男は縦向きに絞られた雑巾のように、身をよじらせて悶えた。
「言わなければ、どんどん折る」
平らかに、ダンは囁いた。
――やっぱり怖ぇなあ、大将は…。
ナイアルは、思わず背に隠してしまったイスタを振り返って言った。
「ほんじゃあ俺らは、死体をその辺に隠すか。なー、イスタ」
少年は頭を縦に振る。
「おいナイアル」
拷問中の男から目を離さずに、ビセンテが言ってよこす、珍しい。
「何だよ」
「歯って何本あるんだ」
無視してイスタと向こうへ行きかけたところで、アンリが声を上げた。
「あっ……!!」
松明の灯を顔に近づける。
「俺……こいつのこと、知ってますよ!」
その言い方があまりに緊迫していたから、ナイアルも再び男に近寄ってみた。
「何だ? まさか、脱走した奴らの一人じゃねえだろうな」
ナイアルは少し焦っていた。
戦後すぐに身代金を払って追放された、元貴族の子弟ならいいのだ。しかし港に配備されていて捕らわれた、第九団の騎士がこんなに落ちぶれていたのだとすれば……。エノ軍のど真ん中にいるエリンと一緒に、自分達が未来にふっかける大喧嘩の計画が、早くも脅かされているという事になる!
「……いいえ。うちのお得意だった所の、ぼんぼんです。しょっちゅう食べ残していたから、よぉーく憶えているんですぅ」
言い募るうちに、アンリの横顔に……いつもは善良さと温厚さを湛えた、焼きたてぱんのようなその顔に、どす黒い憎悪と憤怒とが満ちていった。
「……ほー」
安堵したナイアルが見ていると、アンリは右手を背に回し、矢筒とともに装着している鉄の平鍋をちゃきりと外した。
涙と鼻水と口からの出血で、今やびしょびしょの男の顔が、さらなる恐怖でみにくく歪む。
「焼き目ェ――ッッッ!!」
ばこぉぉぉぉぉぉん……
その名も≪正義の焼き目≫、伝説の鉄鍋の制裁音が、夜のしじまを切り裂いて飛んでゆく。




