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海の挽歌  作者: 門戸
恋と卵
72/256

72 恋と卵15:理解

「どこか悪いの?」



 すぐ側、下の方から言われて、パスクアはもそりと目を向ける。


 ひょろき友のメインが、自分を見上げている。



「ちょっと疲れてて」



 ちょっとどころではない。


 昨夜は結局よく眠れなかった、エリンの謎行動で悩まされ続けた。


 とりあえず親書は全部メインに署名させて、この後の軍会議で皆に見せてから、封をして送り付ける。


 ……読めない奴がほとんどなのに、見せる必要あるのだろうか、とふと思う。



「疲れてるのに眠れないって言うんなら、香水山薄荷の香湯をあげるよ?」



 中広間の長卓上座に座るメインは、見るからに健康そうである。肌も髪もつやつや、何か良い事あったのだろうか。


 いつも持っている薬籠をがさごそやって、取り出したものを布切れに包む。



「これ、お湯につけといてから飲むべし」


「お前、元気ね」



 メインはささっと周囲を見た、長卓反対側で、ギルダフとウーアがくっちゃべっている。


 低い声で言った。



「イオナがさあ、ようやく一緒の部屋に住んでくれるって」


「ほー」



 実に似合わないこの二人にも、慣れて来たところであった。


 パスクアが知る限り、地味なこの友人に女性ができたのは初めてであり、しかもそれが元部下のあのイオナだと分った時には、本気であごが外れそうな位に驚いた。


 しかしまあ、何にせよ仲が良いのは大変よろしい事である。



――俺は、姫に謎の夜這いかけられて困ってんだけど……。



 言ったらいいものかどうか迷っているうちに、どやどや別の幹部陣が入って来て、そろそろ会議が始まる。






 また来る、とは言っていたが続く二晩、エリンは来なかった。


 財産管理庫は避け通して寄り付かなかったし、日中はわざと旧本陣への巡回に行く。


 今顔を合わせたらどうなるか、それを考えるのが煩わしかった。



「でもさぁ、やっぱりお前さんが目を通さにゃならん分があるわけで」



 夕刻、帰城した所をエルリングにつかまって、またしても書簡束を押し付けられる。昨日の分もしっかり残っているからたまらない。


 小雨に濡れてもいたし、疲れ切って自棄気味のパスクアは、久し振りに髪を完全に洗う事にした。


 予備役に、多めに持ってきてもらった湯を見て思う。



「メインにもらったやつ……ほんとに寝られるんかなあ」



 それが本当に効いた。


 陶器椀の中に淹れたものを、割とうまいじゃん? と思った所までは憶えている(気がする)。


 しかし突如として、夢の中に彼はいた。


 遠い記憶の断片である。




 深い森の中の一軒家、風の通る音やけものの吠える声が遠くに、ぱしんと暖かくはぜる炉が近くに聞こえる。


 そろそろきつくなってきた、赤子用の寝籠の中で彼は眠りに落ちる寸前、後ろの方で母と父がひくく言葉を交わしている。


 母がすぐ近くに座っているのがわかる、自分のもしゃもしゃとは別の、母のもしゃもしゃ髪が籠にすれる微かな音がするから。


――俺はおまえが、いとおしい。


――わたしは、あなたがいいの。


 まだものを話せなかった頃の記憶だから、両親がべつの言葉で全く同じなかみを言っている、という事はわからなかった。




――大丈夫?


 別の声が遠くから聞こえて、……パスクアは現実に帰って来た。



「あれ……」



 毛皮敷の上にのびていたらしい、顔を上げるとそこに小さな顔があって、蜜蝋みつろうの手燭を掲げて自分を見下ろしていた。



「勝手に入っちゃってごめんなさい、あの……扉の隙間からあなたが倒れているのが見えたから、もしかして何か大事なのかと、……」



 今夜は見慣れた格好をしていた。


 麻の短衣に細身の股引、髪はきれいに編まれている。



「お手伝いが要るかなって……、 ……」



 何かを必死に我慢しているように、エリンは荒く息をし、震えている。



「うあっ、は、っは、はあー!!」



 エリンが噴き出した。



「あはははは、はははははぁー!」



 いまだぼんやりしているパスクアには、何が何だかわからない。


 とりあえず毛皮敷の上に起き上がると、もうそこで腹を抱えて爆笑している。



「……どうした?」



 ひゅっ、と息を止めてエリンがこちらを見る。


 その瞳がうるうると泣きそうになったかと思うと、



「ぬはははははははぁぁぁぁっっっ」



 また笑っている。



「あなたのぉぉぉぉっっ、その、髪ぃぃぃぃぃ」


「は?」



 生乾きの髪が元通りになる所だった。



「何かおかしい?」


「す――っっっごく、素敵っっっ」



 パスクアはぽかんとした。


 母ちゃん譲りのこのすさまじい分量の巻き毛、いつもはぎっちり編んでいる長いくるくる白金髪が、エリンを喜ばせているらしい。


 ほとんど床にのたうち回るくらい、つんとすました態度も挑戦的な視線も、全てかなぐり捨てて素のなかの素で笑い転げてしまうほどに。



――……あれ? 母ちゃん??



 はっとした。



――わたしは、あなたがいいの。


――わたしは、あなたがいいの。


――わたしは、……あなたがいい。



 胃じゃない、胸の底が、……心がつうとうずいた。



「ごめ……ごめんなさい、わたし、笑い上戸で……。 ふあははははは、あああ、顔がぁぁ! 髪に埋まってるしぃぃぃ! すーごーいー」



 ふーふーひくひく、ともはや苦し気に、何とかエリンは笑いをおさめようとしている。



「やっぱり、わたしは、あなたがいい。……ひひひひひぃ」



 だめだ、また笑いの発作が再開してしまった。



――なあんだ……。そうだったのか、エリン。



 ぶきっちょ姫が気合を入れ過ぎて発したために、全く意味をつかんでもらえなかった正イリー語の恋の表現は、ここに来てようやくパスクアに理解されるに至った。


 そうして彼は、今までかつてない程、間抜けな音が自分の胸中に響くのを、確かに聴いたのである。


 両腕を広げてそこに抱きしめても、エリンはやっぱり笑っていた。




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