70 恋と卵13:新王への疑惑
確かに陽気はあたたかくなりつつあるが、晴天が続かないのがテルポシエのある大陸南東部の特徴である。
本当にからりとした日はめずらしい、誰もがこぞって夜具を干し、洗い物に精を出すのだ。
テルポシエ城内には廻廊が多いから、多少の雨天時でも洗い物は乾く。
けれど厚ぼったい毛布を日にさらすなら、絶対に逃してはならない日、それが今日だった。
厨房への配達品を持ってやって来たクレアも、もちろん毛布干しにかり出される。
重い毛皮の敷物もずいぶんあった、ケリーと一緒に「せーの!」で持ち上げ、日の当たる廻廊や色々な所にある露台に干していく。
「はあー、いいお天気。こんなの久しぶりだよねえ」
そうねえ! と返って来るはずの相槌がなくて、あれっとケリーは隣を見上げた。
「……クレア?」
物干し台と、それにかけられた毛布が林のように立ち並ぶ中庭の一画で、“町のお姉さん”クレアはじっと固まっていた。
それがケリーの声で、はっと我にかえる。
「え? ごめんね、なあに」
「……何、ぼさっとしてんの?」
「ん、実はねえ」
クレアはためらいながら言った。
「……新しい王様の事なんだけど。ケリーちゃん、どこか他所で見たと思わない?」
「えー?」
黒髪をぴんぴん跳ねさして、女児はきょとんと首を傾げる。
「そっかなあ……? あの人、どこにでもいそうな顔だし、あたしはわかんないや」
「そう……」
ここの所、時々思い出してはクレアをぼうっと考えさせてしまう引っ掛かりだった。
確かにメイン王は、印象の強い人ではない。ケリーが言うように、どこにでもいそうな人だ。
だから自分も、どこにでもいる別の誰かと、見間違い思い違いをしているだけなのだろうか…と思った。
すぐ近くの毛布の林がふわりと揺れて、背の高い影が現れる。
「あ……」
女性騎士は、人差し指を唇の前にあてて、二人に静かに、の合図をする。
素早く、周囲に別の気配がないかを確かめたらしい。鋭い視線を辺りに走らせてから、シャノンはクレアに低く言った。
「……やはり、私一人の見間違いでもなかったみたいですね」
だいぶん背が離れているから、声が空から降ってくるようにクレアは感じる。
「警戒令が出て、クレアがお城に詰め始めた頃です。妙な仲介業者がキヴァン戦士を連れて来たのを、憶えていますか」
「はい……、……あ!」
どきりとした、シャノンの言葉とともに晩秋の頃の記憶が蘇る。
慣れないぞろりとした白い長衣を着せられて、立ち居振る舞いのお作法を侍従達に教え込まれていた時だ。
ちょうどこの中庭に、見た事のない不思議な風貌の人達が十人くらい、その倍以上の騎士や衛兵に囲まれて入ってきたのを見た。
がっしりした若い人達がほとんどだのに、きらきら銀髪が輝いて、濃い色の顔にたくさんほくろがついていた。
そして彼らの先頭に小柄な男の人がいた、つやつやした黒髪を流したひと―― ……メイン王。
「あの仲介業者は、間違いなくメインだったと思うのですけど、クレアはどう思いますか」
「あたしも……あたしも、そう思います!」
言ってしまってから疑問が押し寄せる。……なぜ?
「変じゃない? それ」
ケリーが口を尖らせる。
「戦争が始まる前でしょ? 何でわざわざ、敵の味方ふやしに来たの?」
「私も初めは、そう思いましたよ。だから間諜だったのかな、と疑ったのだけど……」
風がふわりと吹いて、ケリーの額にぱらぱら黒髪が散る。
それをそうっと払いのけてやってから、騎士は続ける。
「あのキヴァンの皆さん、全く言葉が通じなかったんですよ」
エノ傭兵達の潮野方言と正イリー語とは、ともにティルムン語を母体とする派生語だから、対話者どうしの歩み寄り次第で相互理解は十分に可能だ。
しかしキヴァン語は、それらと全く異なる別系統の言語である。非話者となあなあの意思疎通は、まずできない。
だから出稼ぎ傭兵としてイリー諸国へ赴くキヴァン戦士は、通訳を兼ねる仲介業者を伴うのが常だった。
「だから間諜を侵入させに来た、って事ではないんですね。仲介業者……メイン自身は、キヴァンを置いてすぐにテルポシエを出ていったし」
「あの、あのあの……。最後にキヴァン隊をやっつけたのって、パスクアさんの先行部隊だって、聞いた事があるんです」
シャノンは、ちょっと目を見開いた。
「パスクアさんはメイン王様のお友達で、今の王様の恋人のイオナも、……それから王様自身も一緒に戦ったって」
この辺は全て、セイン経由で知った事だ。混乱を自覚しつつ、クレアは続ける。
「それで……、もしあたしが見た人と王様が同じだったとしたら、……自分で連れて来たキヴァンを、自分で……殺しちゃった事になりますよね?」
殺しちゃった、の所はほとんど囁くように言う。嫌な言葉をはっきり言うのは怖かった。
「一体……何のために?」
クレアはシャノンを見上げる。
騎士も眉根を寄せて、困っていた。
「私も知りたいですね。それでなくてもあの御仁、何を考えているのかさっぱりわからない感じがしますし」
何も考えていないのかも! とふざけかけたが、空気の読める子ケリーは何も言わなかった。
「何か……、連れて来た目的が果たせたので、用済みになったという所でしょうか」
沈黙の中、三人は首を捻りつつ顔を見合わせるも、やっぱり何もわからない。
「とにかく、この事は内密にしておきましょう」
「はい」
「はあい」
三人の声の届かない所で、毛布の埃(および虫やら何やらあまり詳細を知りたくないもの)を白日のもとに征伐すべく、準騎士リフィがばんばんその表面を叩いていた。
手にしているのは短槍ではなく布はたきであるけれど、目の前の仕事全てに鍛錬を見つけてゆく娘なのである。
ちらり、と後ろを振り返る。
明るい陽光に、さらに明るく白金髪を輝かしてエリンが、彼女の主君たる姫が別の毛布を広げている。
「リフィ」
こちらに顔を向けず、エリンが言うからどきりとした。
「わたし、強がってなんかいないのよ」
自分はそんなに、気持ちが顔に出やすいのだろうか。
不安や心配、そういうのは全部姫様に筒抜けなのかもしれない。
エリンを守らなければいけないのに、逆に何だか守られているようで、リフィは胸の奥が切なくてたまらない。
「実際に強いからね。だから心配しないで、大丈夫だから」
落ち着いた低い声、でもその背中はあんまりほっそり儚げで、リフィは唇をかみしめた。




