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海の挽歌  作者: 門戸
還り来た女
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07 還り来た女2:武装集団エノ陣営

 アイレー。


 ≪つばさ≫とでも言うべき意味の名を持つ地がある。


 ある時、この大陸南部の沿岸に、ひとつの武装集団が発生した。


 彼らの頭たる総統エノは自ら王を名乗り、沿岸部の集落で数々の略奪を行い、瞬く間に成長を遂げてゆく。エノ軍はやがて点在するイリー都市国家群に対し、武力侵略を開始するに至る。


 最初の犠牲は文明の地ティルムンとの海洋貿易の栄華を誇る、イリー都市国家群・東の雄ことテルポシエであった。恵まれた地理的条件に護られ陥落不可能と謳われたかの地ですら、エノ軍の執拗な工作と機動力の前に疲弊する。その小さなほころび目を、エノ軍は見逃さなかった。


 これから語る話の舞台は、そのテルポシエ陥落から数か月前にさかのぼる。




・ ・ ・ ・ ・




「んんんんんッッ ん――っ!」



 まさに妊婦がいきんでいるような調子であるが、実際に口いっぱいに布をくわえ込んで苦痛にあえいでいるのは、黒ずくめだった男である。瀕死状態は既に脱して、今は黒いものも身につけていなかった。



「ほっ、ほはっへ、うは!」(意訳:ちょっと待ってください)


「……待たんよ。(やじり)を引き抜く痛みに耐えられて、消毒酒のしみるのが我慢できないと言うのは……。まったくお前さん、一体どうなっとるんかね」



 海辺の漂流木のようにふしくれだった薬翁老人は、無慈悲にも男の額わきにある傷を、さらし布で押した。



「ふッッご――!!」


「終わったぞ。にしても、相変わらず恢復がずいぶん早いの。寝てなくても構わんが、しばらくは大人しくしとれよ」



 薬と道具類を大きな籠に詰めると、老人は男の仮住まいである厚布ばりの小さな天幕から出て行った。


 入れ替わりに二つの顔が、垂れ布の陰からひょいと現れる。



「大丈夫?」


「女の子ですか? 男の子? ……あらっ、女の子だった」



 青い外套をまとった小柄な女は、およそ気兼ねなしにすいすいと入って来て、男が座り込んでいる敷布の側にちょこんとしゃがむ。



「こんにちはっ! お名前は?」



 男の腕にしがみついていた幼児は、無言で反対側へ回り込み、男の背中に隠れてしまう。もと黒づくめの男は慌てて、口の中の布を取り出した。



「あ、ほんとに世話になっちまって……。えっと、……」



 赫毛あかげの女が続いて控えめに入ってきた時、男はふと自分が下穿したばき一丁なのに気付き、ばつの悪さを感じる。


 と言っても、頭部、首、両腕に肩、腹、脚と、ほぼ全身に薬翁が手当のさらし布を巻いて行ったから、露出そのものは実に少なかった。


 あの時助けてくれた三人目の人物、恐らくは男をこの陣営まで運んでくれたのであろう男性は、垂れ布から半身だけ室内に入って、そこに無言でたたずんでいる。



「そうか、名前がまだだったよね」



 青い外套の女の側にしゃがみこみつつ、赫毛の娘は言った。



「わたしはイオナ。後ろにいるのは、兄のヴィヒルと、……」


「わたくし家内のー、アランと申しますー! あっ、イオナのじゃないよ! ヴィヒルの家内なのよ!」



 青い外套の女がころころと続けた。何だか常に笑いを含んでいるような、不思議な感じの喋り方をする女だ。



「三人、流れで傭兵やってまーす」


「……君らに会えて、本当に幸運だった。俺はイニシュア、ニーシュって呼んでくれ。それでこっちが、」



 背中にすがっていた幼児を、やさしく引き寄せる。



「俺の娘で、シュウシュウってんだ」



 イオナの口元が、わずかにほころんだのが見えた。内弁慶ながら人見知りをする幼女は、ニーシュの胸に顔をうずめてしまう。



「それにしても驚いたわー。あなたってエノ軍の人だったのね!」



 アランが話を振る。



「あなたが途切れ途切れに意識を取り戻した時、だいたいの方向を聞いて進んで、ここに着いたから運び込んだんだけど」


「……」



 ニーシュとしては瀕死で混乱していたし、三人が同組織のものと思い込んでいたのかもしれない。倒れ込んでからの記憶はほとんど無かった。


 気が付けば自分の天幕にいて、薬翁に色々と痛い目に遭わされていた。血をやすとか言う黒靡生くろなびきの煎じ薬を大量に飲まされて、何とかあの世――“丘の向こう”に行かずに済んだようだ。



「あの荒地の外れは、戦線てまえの緩衝地帯とは言え、一応テルポシエ陣地でしょう? 敵地よ~? あんな少人数で、何をうろうろしていたのかしらーん」



 問うてくるアランの眼差しが、猫じみた輝きを放ち始めた。



「さしずめ間諜との間をつなぐ、斥候役か何かの人だったりして……ふふっ」


「姉ちゃんっ」



 イオナの低い声が割り込んだ。



「あの、俺は……」


「いい、言わないでっっ」



 イオナが片手を挙げて制止した。



「そうよねー、そんな事知っちゃったら、この陣営から出らんなくなっちゃうよねえ」



 てへへ、と苦笑を浮かべつつアランは立ち上がった。イオナもそれに続く。



「っておい、もう行くのか? 俺、まだ何も礼を……」



 慌てて自身も立ち上がりかけたニーシュに向け、イオナは柔らかく頭を振った。



「別にいいよ、気にしないで。早く怪我を治してね」



 ところが天幕を出かけた瞬間、アランは突然立ち止まった。勢いでイオナは義姉にぶつかってしまう。



「あー、でもー、」



 くるっと振り返ったアランは、満面の笑顔だ。



「ごはんくらいは、お世話になりたいでーす!」


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