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海の挽歌  作者: 門戸
恋と卵
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65 恋と卵8:“第十三”の実家近況

「つーわけでだな、新しいエノの首領にも、お(ひい)にも直接相まみえたってわけだ。実に有意義な三日間だったぜ」



 薄暗い中でちろちろと揺らめく炎に照らされながら、ナイアルは言った。



「はあ、にしてもやっぱしアンリの鍋はうまいね。汁だけお代わりおくれ」


「はいはい。もとより身の方は、ビセンテさんが食べつくしました」


「お婆ちゃんには、ちゃんと食ってもらったの?」


「もちろんですよ。お腹いっぱいでもう二階で休んでます。耳栓して寝るから、騒いでも気にしないよって」


「良い人だなあ」


「ほんと良い人ですよ」



 ここはシエ半島、とある集落はずれの一軒家である。


 ひとり住まいの老婆を懐柔した旧テルポシエ軍二級騎士、第十三遊撃隊は、数週間からここに逗留していた。



「大将、こいつらの実家の話になっても良いすかね」



 暖炉から少し離れた卓の上で、外套のほつれを直していたダンがこくりと頷いた。



「うっし、まずはビセンテ。お前の母ちゃんは無事だった。俺がお前の同僚で、ビセンテはぴんぴんしていると言ったら、跳ね上がって喜んでいたぞ。ほれ、便りを預かって来た」



 ナイアルはかくしから、たたんだ布を取り出した。


 ふごっ、鼻息を一つついてビセンテはそれを受け取る。



「ビセンテさん、お母さんいたんですね! どんな人でした?」



 薄暗い中でも、血色良すぎの焼きたてぱん顔をつやつや光らして、アンリがたずねる。



「それがな、ちょっくらびびる程の美人なのよ。あの母にこの息子、わかんねーもんだな」


「けど、ナイアルさんと違ってビセンテさん、わりと美形な方じゃないですか? ちょっとした服着せて、黙ってたら女の子達が放っとかないと思いますよ」


「俺と違って、とか余計よ。でも黙ってたって、あの食い方見たら女は引くわな」


「くっそばばあッッ」



 ぺちん、と布を床に打ち付けて、ビセンテが吠える。



「どうしたんですッ!?」


「よめんッッ」



 アンリが拾い上げて、開いてみる。



「うっわ! 本当だ何これ、イリー語? 読めなーい!」


「待て待て、……ビセンテ、お前の母ちゃんは揉み療治師だったよな」


「そうじゃああ」


「治療関係の人っつうのは、大量に書くことがあると字が独特になるよなー。まあ急いでたし仕方ねえ、許したれ。イリーお習字初段の、俺っちが読んでやるからよ。どれ……


 たいせつなビセンテへ、あんたが生きてて本当によかった。


 エノ傭兵がいっぱいで口説かれるのが怖いから、母はしばらくおばさんの所へ身を寄せる事にします。


 金目のものは持って行くから、心配しないでね。


 また会える日をたのしみに待ってます、どうか無事でいてね」



「良いお母さんじゃないですか……」



 アンリがほっこりした顔で言う。



「……」



 ビセンテも実はほっこりしているのかもしれないが、傍目に変化は見られない。


 通常仕様のぶすっと顔である。ただし険が入っていなかった。



「待て、終わってねえぞ。



 ところでビセンテ、もし市内に帰れるようだったら、大家さんに一年半分の家賃を払っておいてね。証文を同封します。


 母より。



 ……あ、本当だ、二枚目のこれ証文だわな、……」



「ぎいいいいいいい」



 余計に帰れなくなったもようである。


 がっくりうなだれるビセンテを放っておいて、ナイアルはアンリに向き直った。



「そしてアンリ……、残念なお知らせがある。お前の実家、“うるわしの黒百合くろゆり亭”は、店をたたむそうだ」


「あー、やっぱり。予想はしてましたよ、うちの店は貴族向けでしたから」


「俺が忍んで行った時は、店をあげての引っ越し作業の真っ最中でな。ガーティンローへ移って再起を図ると、お兄さんが意気込んでいたぞ」


「ふん、あくまで富裕層に客を絞る気ですね。それでこそ兄」


「ご両親はお前の無事を喜んでいた。そして、これを俺に託した」



 ナイアルは麻袋の中から、ごつごつしたものを取り出す。



「……!」



 黒光りのする大きな平鍋の柄を握りしめ、アンリは唇を引き結んだ。


 両頬がぐうっと赤く染まって、泣き出すんじゃないかとナイアルはちょっと心配になる。



「ティー・ハル……!」



 感極まった声でアンリが言う。



「先々々代から、うちの調理場にあった平鍋です」


「……大事なものなのか?」


「ええ。ある時、賊どもがやって来て、食事中のお客様を人質にしようと暴れ始めました。先々々代は熱々だったこの平鍋を持って厨房から飛び出し、三人の賊を次々にぶっ叩いては焼き目を入れて、お客様と店を守ったのです!」


「どういう武勇伝なんだよ!」


「以来、店の守護神として、大切に壁に飾られ、父の代からはほこりをかぶっていたのです……。その名をティー・ハル、“正義の焼き目”といいます」



――お父さん、断捨離したかったんと違うか。



 ぬ、とダンがのり出して来た。



「柄のところがだいぶ古びている……。新しいのに換えるか」


「あっ! ぜひお願いします、隊長!」



 ダンは口角を上げて、ちょっと笑った。この人には珍しい事である。



「……で、新しいエノ首領メインの話に戻るんすけどね」



 ビセンテが顔を上げ、平鍋を胸に抱いたアンリは腰掛に座り直した。



「間違いない。メインは東部ブリージ系の、精霊召喚士だ。それも、相当な実力を持っている」


「精霊召喚士……?」


「本当にそんな人がいたんですね! 精霊を使役するだなんて。子どもの間の、流行り怪談だとばっかり思ってましたよ」



 イリーの人々は精霊を否定しない。


 けれど町なか里なかに精霊が入って来ることはほとんどないから、自分達とは縁遠いものと考えるのが一般的である。特に町育ちの者などは、珍しい野山のけものと同一視しているふしがあった。



「だな。俺っちも、実際あの犬の頭見るまでは、眉唾だったんだけどよ? 噂じゃ、シエ湾の水棲馬(エッヘ・ウーシュカ)を打ち負かしたって話だ」


「えっへ・うーしゅか……?」


「えっへ・うーしゅか……!」



 ビセンテとアンリの声が重なった。



「何だよ、お前ら知らねーの? 夕方過ぎたら浜へ行くな、泳ぐなって餓鬼の頃に散々言われたろうが」


「……」


「知りませんッ! て言うか、水ん中に棲んでる馬! 海に棲んでる馬ーッ!」


「何故そこまで興奮する、アンリ」


「いやだって馬でしょ!? どんな味なんでしょうね、潮きいてますよね? いるかや、くじらに近いのかしらん!」


「そこかよ! いやアンリ、精霊なんだからさ、さすがに化け物は食えねえよ。そもそも馬は食うもんじゃないだろうが」


「何言ってんですか!? 馬肉はさっぱりとしたこくがあって、めちゃめちゃ美味しいんですよ! かためって言う人もいますけど、そこはもう料理しだいで!」


「でかいのか」



 ビセンテが、するどく聞いた。


 砂色の長い髪の隙間からのぞく、蒼い双眸に充ちているのは生存への本能、そう食い気だ!


 やはりこの男は野性が勝っている、まさに獣人である。



「わなもでかくすりゃ、いけるんじゃねえのか」


「あっ、さすがビセンテさん! 捕まえるの手伝ってくれるんですね!」


「……普通の雄馬よりよっぽど大きくて獰猛だから、捕まえるのは無理だ」



 隊長ダンがぼそりと話に入って来た。



「見た事あるんすか、大将!?」



 ダンは頷いた。


 子どもの頃、ぼたんに細工するための貝殻を浜で夢中で探していて、つい夕暮れになってしまったのである。


 ダンではなく、うみがめの屍にたかっていた野犬が狙われた。



「突然波間から現れて、あっという間に犬をくわえて海の中へ消えた。すぐ後水中からぶっと噴き出されたものがあって、近寄ってみたら犬のはらわただった」


「うげえええ、地味に怖ぇぇぇ」



 ナイアルは思わず、両手で頬を覆った。


 その下の肌が、ぷつぷつぷつっとじんましんを引き起こしている。



「なーんだ、肉食なのかー! まずいっぽいです、ビセンテさん!」


「……」



 料理人と獣人は、平常仕様で残念がっている。



「……話がだいぶ逸れたが、エノ新首領の事はどうなんだ」


「あ、そうそう。で他にもいろんな筋から聞き込んだ話によると、何回か実践してみせてるらしくって」


「実践て、何をです?」


「城内とか市中で反逆者を捕らえた時に、メインが精霊を呼んで、皆の前でそいつらの魂を食わせるんだと」


「……」


「だから治安も、まずまずだ。メインは恐怖でもって、テルポシエを掌握しちまいやがった」


「……」



 ダンもアンリも、押し黙ってしまった。ビセンテは、何も考えていない。



「あと、エノ軍内部では、幹部が一新してるらしい。若い世代の部隊長格が、メインの直轄で動くようになった。今までの傭兵団の中でも、比較的穏健・慎重で知られてた奴らだ」


「以前の幹部陣は?」


「戦争の時に死んだのと、行方不明。残ってるのはさっき言った、……公開処刑で。親父世代の力任せな奴らは、ずいぶん発言力を削がれてきている」



 ナイアルはそこで一度、口をつぐむ。


 炉の炎だけが、沈黙の中で遠慮がちにはぜた。


 ダンも、アンリも理解した。


 自分たちが対峙するものはつまり、メインを筆頭にした事で余計ややこしい敵に変化してしまったのだと。


 ビセンテだけは、何も考えていない。


 思い出したように、ナイアルは脇に置いた麻袋を手にした。



「しかも、もうティルムン貿易を再開していた」



 小さな布袋を二つ掴み出して、アンリに差し出す。



「こいつは、俺の姉ちゃんからだ。お前の話をしたら、使ってくれと」


「ぎぃやぁああああああ、マグ・イーレ塩じゃないですかぁああ!? こっちは、ぐわあああああ、ティルムン産の干しいちじくぅぅぅぅぅ」


「いちじく」



 がばりとビセンテが反応する。



「あああっ、いけませんビセンテさん! これは大事に発酵させて、ぱん種にするんだから食べちゃだめッッ」


「どっちみち、食うんじゃろがああああ」



 二人が脇でぎゃあぎゃあ言い出したところで、ナイアルはダンに向き直った。



「奴ら、あながち馬鹿じゃねえ」


「烏合の衆と、甘く見ていた」



 表情のないまま、ダンがうなづく。



「まあ、寄せ集めって言ったら俺らの方が上でしょ」


「皮肉なものだ」



 そこで初めて、ダンは眉根を寄せる。


 面倒ごとの大嫌いな彼の癖で、左の眉毛をごしごし指でしごいている。



「テルポシエ軍中、唯一無傷で捕獲もされず生き残ったのが我々」



 手の下、視線は空を見つめている。



「二級騎士の、第十三遊撃隊だけだとは」


「何暗くなってんすか、大将」



 対するナイアルはぎょろ眼をむいて、不敵に笑う。



「家柄うんぬん、身分どうこうで出世もできねえ扱いの平民の俺らが、テルポシエ再興の命綱握ってんすよ? こんな面白ぇこたあない」


「……」


「結局のところ、市を守り切れなかった貴族と一級騎士の奴らをきれいに切り捨てて、のし上がるにゃ絶好の機会ってもんだ」


「ナイアル。それ以上言うな」



 低い声でダンが言った。



「お前の個人的な考えだ」


「……そっすね」


「……他に、何かメインの情報は」


「んー……そうすね、あとは特に……あ」



 頭をぐるりと巡らせかけて、ナイアルはその動きを止める。



「護衛が女の傭兵なんすよ、でっかい赫毛あかげのそこそこ美人。俺っちの勘では、あれは護衛するされる以上の関係が進行しとるな。仲は良さそうだったけど、じつに似合ってなかったね」


「ふーむ」



 どうでもいい感満載で、ダンとアンリがうなった。


 ビセンテはどうにか一個だけもらったいちじくを、全身全霊をこめて咀嚼している。



「あのー!」



 そこにか細く、割り込んで来た声があった。


 ぎょっとして、一同は部屋の隅の暗がりに目を向ける。



「それ、イオナさん!」


「うおうッ、びっくりしたッッ。婆ちゃん起こしたかと思っちまった」


「寝たんだとばっかり思ってたよ、イスタ。どうしたの」



――こんなぎゃんぎゃん騒ぎの中で、寝てられるわけないだろッッ。



 これまでにも内心で散々突っ込みを入れて来たイスタ少年は、ぐっとこらえて話し出す。



「その、新しい王様の側にいた赫毛あかげの女傭兵っていうの、俺の知ってる人なんだ」


「ほー?」


「俺はその人に大事なお使いを頼まれてて、その人の家族を探しに浜に来てただけなんだよ」


「……」


「だからイオナさんは、ずっと俺の帰りを待ってるはずなんだ。頼むから、軍に帰らせて」



 一同は押し黙る。


 ビセンテの咀嚼音だけが続き、……ごくんと途切れた。



「こんの、くっっっっっそがききゃあああああ」



 ひえっ、とイスタは首をすくめる。



「すっとこ言ってんじゃねえ、捕虜がぁぁぁ! 喰っちまうぞ、あほこども!!」



 本当に食いつきそうな勢いでイスタに迫りかけたビセンテを、アンリがさっと押しとどめた。



「そうなんですよービセンテさん、彼こどもなんですよー。はい、ぱんがありますね」



 さっと眼前に差し出された一片! 二日前に焼かれたそれはなかなかに硬い、ビセンテはやはり全身全霊でもって立ち向かい始めた。


 咀嚼音以外、静かになる。



「本当に、きみには困ったね」



 うずくまるイスタの側にしゃがみ込んで、アンリは言った。



「お父さんお母さんのところに帰らせて、って嘘をつけば良かったのに。ぶかぶかのお仕着せを着た少年傭兵が脱走するだけなら、俺たちだって見逃していたんだのに」


「親なんていないよ」



 はあー、とアンリは溜息をついた。



「読み書き計算ができて、潮野方言もイリー語も使い分けられる。なまじ頭がいいのは認めるけどよ、敵に本当の事をしゃべっちまうってのは、もうどうにも子どもでしかねえよなあ。何でこんなのを使うのか、上司の顔が見てみてえ。あほうだぞ、そいつは」



 イスタは、ナイアルの顔をじとっとねめつけた。



「先行隊長の事、悪く言わないでよッ」


「……この調子だもんなあ。どうすんすか、大将」


「……」



 ダンは肩をすくめただけだ。


 ぎゅっとつむった眼の中で、イスタはひたすら苦悩する。



――あんな奥まった岩場、イオナさんに見つけられるわけがない。俺しか知らないんだ、俺が伝えなきゃいけないのに! くそっ!!



 やれやれ、といった感じでアンリは立ち上がった。空になった鍋を、炉から持ち上げる。



「じゃあね、明日の朝ごはんの用意をするの、手伝っておくれ。そこのお椀を集めて」


「何作るの」


「お婆ちゃんが、海藻のぷるぷるお粥を食べたいって言ってたから、ちぎってふやかしておくんだよ」


「へー、あれってそんな長く、うるかしとくんだぁ?」



 アンリに続いて、少年は隣の台所へ消えた。


 いまだ規則正しく続くビセンテの咀嚼音を聞きながら、ナイアルは首を捻っている。



――何で逃げないの……?



 持っていた山刀とエノ軍の革鎧だけは没収してあるが、少年を拘束なんてしていないのだ。


 用を足すときだってその辺で自由にさせている、その気になればいつだって逃げていけるのに、なぜかイスタは自分達の側へ帰って来て、ひたすらしょんぼりしている。


 ナイアル達は、少年が逃げた所で追うつもりもなかったのに。



 そしてイスタとしては、先行の大人達の言った事を守っているだけだった。



・・・

・・・


「お前は子どもだからなー、万が一捕まったりしても、抵抗なんてするんじゃないぞ、ぐひひ」


「そうそう、おとなしく言う事聞いてるのが一番だぜ。子どもは殺されねえよ、うひひ」



 こういう事も言われた。



「あのね、質問されたら知ってる事は言っちゃうのよ! 本当の事言っちゃっていいからね、言い渋りなんかして拷問されたらたまったもんじゃないわ。つうか子どもに拷問する奴って最低だわ、いたとしたらあたしが呪ってやるわよッ」


「心配すんなよー、子どものお前に、俺が重要な作戦内容とか秘密とか、そもそも教えるわけがないからさー」


・・・

・・・



 隙あらば逃げろ、と教えた者は残念ながら皆無であった。



「……アンリが、そのうち懐柔するだろう」



 ダンはぽつりと言い、炉辺に置かれたティー・ハルをちょっと脇によせる。


 きらりと針を炎に輝かして、外套のほつれ修繕を再開した。


 ちなみにビセンテの外套であった。


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