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海の挽歌  作者: 門戸
恋と卵
64/256

64 恋と卵7:ナイアル市内潜入

「市内の乾物屋のものでございます。近郊へ、買付相談に出ておりました」


「よし、入れ」



 さっと眺めただけで、衛兵はあっさりそう言った。


 帽子を丁寧にかぶり直しながら、自分の後に続く通門の風景を見る。彼が怪しまれたのではなく、成年男性を無作為に選んで、簡単にただしているだけらしい。



――何でえ、すかすかじゃねえかよ。陥落前は外套を脱いだり荷物を開けて見せたり、通門する奴全員を、もうちっと念入りに調べたもんだぜ? 大丈夫なのかね、エノの奴ら。



 まんまとテルポシエに入市できた事に安堵しつつも、つい敵側を心配してしまった。内心で苦笑する。


 ナイアルは、東門から市街に向けて歩き出した。



・ ・ ・ ・ ・



 まだ肌寒さが残るものの、春の日は確実に長くなっている。


 そこへもって盛大に灯りをつけているのだから、テルポシエ城の中は昼と何ら変わらない明るさに満ちていた。


 ほんの少し前に市民会館の前の広場で、“新王”メインの初お目見えがあったが、ナイアルにはよく見えなかった。


 木組みの壇からそう遠くない所に陣取っていたのだが、新王を囲む奴らがやたらにでかいのばかり揃っている。と言うか、王自身が小柄らしい。


 しかも運の悪い事に、ナイアル側で王を守っていたのはとてつもない大男で、幅広い体に毛皮を着ているから、護衛の間からひらひら振られた王の手しか捉えられなかった。


 ぎりぎり歯ぎしりしている間に、彼らは引っ込んでしまう。



――あれ? お言葉ないのかよ?



「ちょっとお兄ちゃん、あんた見えた?」



 隣のおばちゃんが興奮ぎみに話しかけてくる。



「いや、もー全然よ。奥さんは?」


「あたし、ちょーっとだけ後ろが見えたんだけど、なんかやたら華奢だったわよ」


「へえ?」


「今度の王様も、若い男の子なのかしら。これから大っきくなるのかしら……」





 その後は人々に流されるまま、王城内へと入って来た。


 広い中庭とそこに続く廻廊にたくさんの卓が置かれていて、食べ物飲み物がところ狭しと並べられている。


 愛想よく泡酒の杯をすすめたり、大皿の肉を配り歩いているのは、雇われた市内の業者らしい。


 知った顔に会っても、濃く生やした髭のおかげで何とかばれずに切り抜けられるだろうと思ってはいるが、それでも用心しつつナイアルは人々の間をそぞろ歩いた。



――ふだん入れなかった王城なのに。敵が占領した途端お邪魔できるたぁ、皮肉だよな?



 どこかで笛を吹いてる奴がいるようだ。甲高い調子で、かわいらしい舞曲をやっている。


 時間が早いせいもあるが、子どもと一緒の家族連れや、老人たちの集まりも多い。


 杯を片手にしたエノ傭兵もちらほらいるが、どいつものんびりした雰囲気で、談笑が空気に満ちている。


 それまで思い描いていたしかつめらしい城内の様子とは、かけ離れた目の前の風景を、ナイアルはじっくりと観察した。




 目の前の卓に大瓶を四本、すばやく置いた娘の姿が目に入った。白い前掛けを着けたそのおかっぱ娘は、忙しそうに廻廊の方へと引き返す。



――あれだな。



 そちらへ足を向けようとした時、杯を持った左腕にとんと何かがぶつかり、泡がふわっと縁からこぼれ出る。



「うおっと」


「あ、失礼……」



 全神経を集中させる事で、ナイアルは泡を確保した。


 すなわち重力と競争して、宙に浮いた泡を口およびあごひげで受け止めたのである。



「大丈夫っすよ」



 ぶつかって来た者は、もう一度頭を下げてから行ってしまった。



「あんた、ぶつかって来たのが向こうでよかったね」



 横から声をかけられて振り向くと、お仕着せ墨染すみぞめ衣にもしゃもしゃ髭のエノ傭兵が、あぶった魚を頬張っている。



「え?」


「王様にぶつかったのがあんただったら、まず隣のねえちゃんにしばかれていたよ」


「いまの人、王様なの?」


「そう」



 再び全神経を駆使して、ナイアルは“王”の後を追った。


 追いついて回り込むのは簡単だったが、自分の目がちょっと信じられない程、そいつは予想外の姿をしていた。


 着痩せしているのかもしれないが、質素な帆布外套に包まれたその体躯はひょろりと細くて、青年というより少年だ。つるりとした顔もやさしげで女のようだし、つややかな黒髪を束ねずに背中に下ろしていたら、あほな男が言い寄りかねないくらいの儚さである。



――いや、俺は引っかかんないけどな!? にしても線、細ぇー!



 ナイアルは前王エノを見た事がない。


 けれど今まで湿地帯その他で対峙してきたエノ傭兵のでかさ、むさ苦しさ、凶暴さを見るにつけ、これらを束ねる親玉はさぞすごかろうと想像していた。


 実際、聞いた話を総合すれば前エノ王は中年の巨漢、目の前の少年とは似ても似つかない蛮王なのであった。


 少年のすぐ脇には、目のさめるような赫毛あかげの女が寄り添っている。


 しなやかな革鎧を着て腰に得体の知れない武器を提げている、たくましく発達した筋肉のこの女の方が、王より大きくて厚みもあった。強そうだ、護衛だろう。



――おっかねえな! こんなのに殴られちゃ、俺なんか一撃で木っ端みじんこだ。上背があってなかなかの美人だが、雰囲気怖ぇから一減点、肉が付きすぎも一つ減点、そもそも趣味系統でねえから星二つ。……あれ? おいおいおい、護衛じゃねえの?? それ以上なの?



 見るからに恐ろし気な(注:ナイアル視点である)その女は、何やらにこにこ笑いつつ、王の腕に手をかけているのだ。


 深くかぶった帽子の陰からナイアルが観察していると、両手いっぱいに肉の大皿を持ったおばさんに近寄って、二人は鶏の骨付き肉を取った。


 嬉し気に大口を開けた女の手を、さっと王が押さえた。


 王はおばさんに何事か囁く、彼女は食卓の方を振り仰いで、答えている。



 ふっ、と不意に王の顔が光ったから、ナイアルは内心でぎょっとする。


 見間違いではない、涙のすじのように緑色の光が彼の頬を伝っている。


 同時に、近くの食卓の方でざわりと人々が動いた。



「大丈夫かい?」


「どうしたの」



 そちらに向けて歩み寄る王と女、その後ろで距離をくっつけながらナイアルも続いた。


 一人の男、テルポシエ市民のようにも見える平服の男が、両膝を地につけ片手で口を押さえながら、丸く屈めた背中を荒く上下させている。



「あっ、王様。この人、急に気分が悪くなったみたいで……」


「君と、君」



 王は慌てた様子もなく、側にいた二人の傭兵を指す。



「彼を負傷者の棟へ運んでくれるかい」


「へい」



 両脇から支えられて立ち上がった男の眼前で、王はふるふるっと骨付き肉を振る。



「微量の“嘔吐根えずかり”だからね、急げば間に合う」



 冷ややかな声に、はっとして男は脂汗の流れる顔を上げる。



「毒消しを飲ませたら、寝台に縛っといてくれる?」


「……へい?」


「誰の手の者か、あとで吐かせるから。よろしくね」



 傭兵二人は、そそくさと男を引きずっていった。




「メイン……?」



 心配そうな低い声で、赫毛あかげの女が聞く。



「広い意味では、毒も呪いの一種だからね。この程度なら、はね返す事もできるんだ。もう、お肉食べてもいいよ」



 言いつつ、王は自分から骨付き肉をぱくついている。


 そのままひょいときびすを返したので、ナイアルは横目で二人を見送った。


 王は肉を食べつくしたその骨を、左手でちょいと脇に下げる。ふうっと巨大な犬のような頭が現れてそれをくわえると、瞬時に消えた。


 あまりにさりげなかったから、ナイアル以外に見ていた者はいなかったらしい。



――ひえええええ、怖ッッッ。聞き集めた話と違わねえッッ。



 頬にぷつぷつが浮き出るのを感じつつ、彼は戦慄する。


 割と“見える”方であるナイアルは、見ないでおいた方が幸せだった色々なものを、不幸にして見てしまった経験もちょっとある。


 しかし今回は仕事も絡んでいる以上、祖母ちゃんのおまじないに頼って逃げおおせる、というわけにもいかない。



――こういう時はあれだ、ちょっと食おう。現実的に何かを腹に入れるのだ。ちきしょー、今こそアンリの鍋さまが必要だってのによー。



 ふらふらと近場の食卓に歩み寄ったその時、またしても彼の全身を衝撃が駆け抜ける。



――おおおおお! でかい! 細い! 白金髪! 何つう典型イリー美人、文句なしの星五つぅぅ!! 来たーッッ!!



 しかし思わず帽子を押し上げて見てしまったその美人は、草色外套を着ているではないか。


 脇にもう一人、草色外套の女がいて、こちらに背を向けている。


 ここ一番の素早さでナイアルは反対側に回り込む、そしてじっと観察して、……うっかり滲ませてしまった涙を、指の腹で拭き散らす。



――そうかよそうかよ、これとあれとが、お前の世界一と二だってか。



「これはこれは、お嬢様がた」



 柔らかく声をかけられて、シャノンとエリンは同時に振り返った。


 帽子を手に、市民の若い男がにこにこしている。



「毎度ごひいきに、北区乾物商の“べにてがら”でございます」


「こんばんは」



 女二人は一瞬目を合わせてから、同時に挨拶を返す。要領は得たらしい。



「ご無事で、ようございました」


「あなた方も」



 エリンの目がきらりと光る。



――おいおいおい、きっつい性格をもろに出すな。似てるにゃ似てるが、何ちゅうおっかねえ(ひい)ちゃんだよ。



「今日は、わたくし一人で参りましたもので」



 板についた(たな)言葉ですらすら述べる、騎士の方は何となく面白がっているようだ。



「またご用の向きがございましたら、ぜひ店の方へお知らせを。うちの姉に、いつもの干しなまこをと仰れば、それだけですぐ分かりますのでね」


「そうですね、いつもの干しなまこ、ですね」



 ずいぶんのっぽの美人だ、ナイアルより上背がある。



「北区の……」


「紅てがら、でございますよ」



 少しゆっくり言ってやった。



「紅てがら、ですね。わかりました、近いうちにいずれ」



 大きな花が咲くような、上品な笑顔である。こりゃあ良い、この先の仕事にも張りが出るってもんだ。


 さっと姫の方を見れば、こちらは何やら不敵な顔だ。何企んでやがんだよ、俺たちゃてめえに賭けるんだぜ?



「俺っちはナイアルだ。今後よろしくな、お(ひい)ちゃんよ」



 帽子をかぶる一瞬に、低く囁いてやる。


 エリンの瞳がきらきらっと輝いて、口角がきゅっと上がった。


 うで卵のような娘の笑みに、ぱちんと片目をつぶって見せる。


 それでナイアルはくるっと踵を返し、雑踏の中に紛れていった。



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