63 恋と卵6:シャノンの怪談
いつも通りに財産管理庫へとやって来たエリンとシャノンは、扉を開けてちょっと驚いた。
「よう、お早う」
「ごきげんよう……」
奥の壁にある小さな窓が開け放してあって、そこから清涼な空気が流れ込んでいた。
机の間に立っているのはパスクアと、もう二人……知らない男達だ。
「今日は、書類とは別件で話がある。二人とも、ここへ」
窓を閉めながら言う上司に頷いて、エリンとシャノンは示された腰掛に座った。
男達もめいめいの席を取る。
「改めて、テルポシエ王女のエリンと、騎士のシャノンだ」
紹介される。
「福ある朝を」
黒衣を着た壮年の男が言う。
「中隊長のギルダフだ。こっちは俺の副長のマリュー。よろしく」
にこっと笑った顔は、やたら爽やかである。左目元のあたりが広く赤くただれて、あざのようになっている。
「捕虜のテルポシエ騎士たちの事で、話を聞きにきたんだ」
「……数日前、最後の貴族の人達が、市外追放になったと言うようなことを耳にしましたが?」
シャノンが平らかに応じる。
「何か、問題があったのでしょうか?」
ギルダフはじっとシャノンを見据える。次いでエリンに目を向ける。
ひと好きのよさそうな、優しいつくりの顔ではあるけれど、……怖い何かがある。そういう真っ黒な瞳である。
「……何か、言うことはないのかい。君たち」
朗らかなのに、何故か不安をあおる声、かまをかける冷ややかさが感じられる。
これはむしろ好都合だった。
「……シャノン、わたし怖い」
騎士の腕に手をかけて言った。
「あの、もしや。……まさかまた、……どなたかが……」
途切れ途切れのシャノンの問いに、ギルダフがきゅっと目を見開いた。
「何を知ってるんだ?」
「消えてしまったの?」
息を詰まらせて、かすれ声でエリンは言った。
「牢の話でしょ。心配していたのよ、騎士達があそこに入れられたって聞いていたから」
「いったい、何人消えたんです? 一人ですか、それとも複数人?」
不安をさらけ出して少々取り乱し気味のエリン、一方で平坦に落ち着いて問い返すシャノン。
二人の対照的な姿は、目の前の男達を揺さぶるのに効果的だったようだ。
「……全員だよ」
「はい?」
「収容されていた騎士全員、百余名が消えた」
エリンは両手で、シャノンは右手で、それぞれの口元を覆う。
「以前にも、こういう事があったのか?」
年輩の副長が口を挟んで来る。
「あの……」
右手を机の上に力なく置いて、シャノンが言葉をつぐ。
「定かではないのです。私自身としては、聞いただけの話なのですが……」
ギルダフとパスクアが頷いた。
「続けて……」
副長が言う。
「あの牢は十年ほど前に新しく築したのですが、工事中から事故が頻繁に起こりました。人夫が亡くなったり、夜警がいなくなったりする事が続いたらしいのです。ようやく完成しても、収容した罪人が夜のうちにいなくなってしまうことがあって……」
「脱走じゃないのか」
パスクアが鋭く割り込んで来る。
「当時、現役で勤めていた私の父も、そう思いました」
シャノンはきゅっと、右手をこぶしに握る。
「ですから騎士と自警団を動員して、罪人が消えるたびに市内外、近郊をくまなく調べ、さらに縁故者に質しもしたのです。しかし結局、罪人の足取りは全く掴めませんでした。唯一の例外を除いては」
「例外とは?」
「あの牢は、城の中でも北側に位置しているでしょう」
「? そうだな」
「そのまま北へまっすぐ行ったところにあるもの、ご存じですか」
「? ……丘があったっけ?」
「丘は、東側よ。その隣には、墓所があるの」
エリンが口を出す。
「その墓所で、罪人の一部がみつかりました」
ギルダフが小首を傾げる。
「……一部、って?」
「すみません。……大丈夫ですか、姫様」
俯き加減のエリンを気遣ってから、シャノンは再び顔を前に向ける。
「その頃は私も子どもだったものですから、父も詳細については言葉を濁しました。ですからはっきりとは申せません。今思うに……」
男達が生唾を呑む音がする。
エリンはこらえきれなくて、両手で顔を覆った。
――だめよ! ここで噴いたら一巻の終わり!!
「何ものかの……食べ散らし跡があったのでしょう。環のはまったままの、……指などがあったので、いなくなった罪人と判別できたと」
はああああああ、エリンは震えながら溜息をついた。かなり詳しいわよシャノン、ううう苦しい!
「つまり……、あそこの牢には市外の墓所につながる魔物の通り道が開いていて、その魔物が罪人を引きずり出して食べている、というような話なんです」
シャノンは頷いてみせた。
「実は私もただの怪談として、全く信じておりませんでした。ですが……今度エノの首領になられる方は、実際そういう方面の力を持ってらっしゃると聞きまして」
「はあ」
いきなり話題がメインに飛んで、パスクアは頭を捻っている。
「それでもしかしたら、そういう現象もあながち作り話ではないのかな、と思っていました……。なのにいきなり、このような事態になってしまいまして」
かたりとシャノンは立ち上がり、男三人に向かって深々と頭を下げる。
「申し訳ありません。収容の話を聞いた時点で、すぐにご進言するべきでした」
慌ててエリンも席を立つ。
「わたしもです、申し訳ありませんでした」
「いや……別にあんたらに謝られても……。ま、座って」
先ほどまでの冷たい鋭さはどこへ、ギルダフは困惑を顔に出して苦笑している。
「それ、十年くらい前の話って事だったね?」
「ええ、そうです。その事件の後は、収容すなわち極刑じゃないかという認識になりまして。テルポシエには死刑制度はありませんから、罪人は市壁内側などに収容される事になっていました」
「じゃ、最近は全く使われていなかったと」
「誰も寄り付かなかったわよ。時々、お掃除の人が昼日中に、大人数で入っていたのを見たけど」
何とか限界を突破したエリンは、大きな瞳をさらに広げて男達を見る。わたし怯えていますのよ。
「そうか……」
男三人は変てこりんな顔をしてしばらく黙り込んだが、副長が「では」と腰を上げる。
「よおー、皆さんお早う」
明るい声がして、出納係が入って来る。
「何かあったの?」
「よう……、じゃエリンとシャノンは、今日もいつも通りエルリングを手伝ってくれ」
かたり、と後ろ手に扉を閉めて、パスクアとギルダフ、その副長は長い廊下を歩き出す。
「……朝から嫌な話、聞いちまったなあ」
「マリュー、お前さん信じるのかい」
「信じたかないよ。けど他に、説明つくかい? これまで調べに調べつくして、牢内に何の痕跡も、からくりも見つけられなかったんだ」
「騎士どもの縁故者は、既に全員が市外追放になっていたから、行方まではわからんし……」
ももんが飛膜のような袂を広げて、ギルダフは大きく腕組みをした。
「丁度あの日、報酬配布だったからなぁ。人の出入りが激しすぎて、不審な奴がどの位出て行ったかなんて、衛兵門番にも分かりっこないよ」
パスクアも、首を左右にごきごき鳴らす。
「……身代金を全額払ってあった分、損にはならんと考えた方がいいのかなあ」
マリュー副長も肩をすくめた。
「毎食百人分の食費も、結構な負担だったんじゃねえか」
ならさっさと殺っちゃえば良かったんだよね、と内心でギルダフは思っていた。いや、それとも手間が省けたかな?
「旧い土地ってのは、やっぱり妙な話がついてんだな。あの牢、当分立ち入り禁止にしといた方がいいかもしれない」
「そのうち、メイン君にお祓いでもしてもらうか」
・ ・ ・ ・ ・
エルリングが手洗いに立った隙に、エリンはシャノンの側にくっついて囁く。
「迫真の語りだったわよ! 本当にすごいのね、でも一級騎士は嘘をつかないんじゃなくって?」
「とんでもないですよ」
シャノンは唇を尖らせる。
「はじめに断ったじゃないですか、聞いただけの話って。間諜さんが仕立ててくれた話を聞いて、語っただけなんですから、シャノンは嘘なんてついてません」
そう来るのね、とエリンは感心した。
「それより、上司どのの頬っぺたですけど。間違いないですね」
とんとん、と書束をたてにまとめながらシャノンは言う。
「夕べ、ケリーも言ってました。リオネル君のと同じだった、って」
リオネルと言うのは、シャノンの年若いいとこの少年である。
「早く亡くなられたご両親のうち、どちらかがイリー貴族だったんでしょう」
胸の中の疼きを持て余しつつ、エリンは問うた。
「どうして、早く亡くなったとわかるの」
「大きくなるまでご存命であったなら、あれは十四・五でおしまいなんだと、教えてあげたでしょうに」
テルポシエのイリー貴族は、男児が生まれると右頬に黒羽しるしを描く。
旅行や祝典などの大事に、子どもに不幸が降りかからないよう、丈夫に育つようにと黒羽の女神の守護を願って、親が色墨でなぞり描くのだ。
――そうね。お兄ちゃんも、即位直前までしていたのだっけ。
「成年してもまだ描いてるというのは……知らずにやっているのでしょうが、我々から見ればださい、痛いとしか申し上げられません。教えてあげた方が、良いんでしょうか」
ぷっ、とエリンは小さく噴き出した。
「わたしがそのうち、進言するわ。……あのね、」
騎士を見上げて、エリンはやさしく笑った。
「シャノン。……わたしね、あのひとが適任だと思うの」
騎士もまたやさしく、姫を見返す。まるく開いた翠の瞳で。
「そうなんですか?」
「そうなんですのよ」
おどけた調子で答えてみせる。
昨夜のうちに、あの出来事はシャノンにちゃんと話しておいた。
自分の軽はずみな判断で市街へ出、群衆に罵倒されて取り囲まれ、卵をぶつけられた事。
大盾部隊と帰還したパスクアに、助けてもらった事。
傭兵に凌辱されかけた事は省いた。ここまでの部分でも、すでに騎士は真っ青になっていたから。
「姫様がそう思うのであれば、シャノンは何にも申しません」
シャノンはにこにこしている。
「反対していても、何も言わないの?」
「今の所、反対する理由がありませんから。ささ、ではちょっと身辺を洗いませんと」
「何を洗うって?」
手巾を握りしめて帰って来たエルリングが問うた。
「もう少し陽気が良くなりましたら、いろいろお洗濯が増えますね、って話してたんです」
「あー、そうねー。でも書簡作りの方もよろしく頼むよ? 一年中あるんだしさあ」
「それは、もう」




