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海の挽歌  作者: 門戸
緑の騎士の離郷
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57 緑の騎士の離郷9:脱獄と離郷

 テルポシエ城の北側にある棟のひとつに、地下牢が並んでいる。


 近年あらたに築されたらしいこの建物は、意外に快適なつくりになっていて、陽も差し込めば風も通る。じめついた空気の淀む棺桶部屋とは、だいぶ違っていた。


 それでも三十あまりの小部屋に百名以上の騎士を詰め込めば、独特の人いきれが漂う。収容されているのは、陥落時に港で待機していた騎士達である。全員身代金を供出していたが、解放のめどはまだ立っていなかった。


 唯一無傷で温存された敵側テルポシエの戦力として、これをどうするかエノもアキルも決めかねていたし、パスクアはじめ幹部達にはとにかく傭兵達への報酬配布が最優先だったから、後で対処するつもりだった。


 一度に解放して決起でもされては面倒だし、徐々に市外追放とするのが最善と思われていたのである。



 ざ、ざ、ざ、



 乾いた足音を立てながら、深夜の見回り傭兵が二人、めいめい手にあかりをぶら下げて通ってゆく。



「なあお前、どうすんだい。これから」


「何も変わんねえよ。俺ぁ元々家業が嫌で傭兵になったんだし、当分ここで働かしてもらうつもりだ」


「だよなあ……。出稼ぎっても、報酬もらって帰る場所のある奴らがうらやましいぜ」



 戦を生き延びて終え、報酬を得た後の傭兵達のあいだによくかわされる会話である。



「けどよ、しじゅう戦をやってるってわけでなし。こういう時分は、傭兵稼業もいいもんじゃないか?」


「そうだな、今は楽だよな。特に、このテルポシエ騎士って奴等は、」



 一人がちょっと歩を緩め、房の扉を通して部屋の中をすかし見る。


 毛布にくるまり、寝台に丸くなった人間の姿が、ぼんやりと浮かび上がった。



「……毎晩決まった時間になれば、全員がぴたっと静かに寝ちまうし」


「統制力っていうのかね」


「すごいもんだよな。おかげでこちとら、見回りも楽々だ、……」



 傭兵二人のぼそぼそした話し声が遠ざかってゆく。


 やがて階上へ上がってゆく足音がして、消えた。



 ず、ず、ず、ず、ず……。



 全ての房の中から、一斉に重いものを引きずる音が響く。


 音はいったん止み、しばらくしてからまた響き出した。


 房の中、寝台横の壁に角石ひとつ分の空虚ができている。


 誰かが壁の向こう側からその角石を押し戻しているらしい、それがやがてぴたりとはまって、元の壁に戻る。


 騎士達が膨らまして毛布をかぶせた敷きわらが、僅かな外光を浴びて寝台の上で静かに眠っている。




 ・ ・ ・ ・ ・




 翌日、昨夜の雨風を越えてやってきた朝は、ばら色の光を伴って低く流れる雲を輝かしていた。


 前日の出立をあきらめた出稼ぎ傭兵達はほっとする、やはり今日を待って正解だった、この分なら街道だってすぐに乾いて旅路が進むだろう、……。


 同じ方向へ帰る者どうし、馬車を手配した傭兵達もいる。


 近隣村落からやって来た農民たちの荷車にのって、次々と男達は故郷へ向けて旅立ってゆく。


 戦争で荒らされっ放しだった分を埋めるべく、臨時収入を得ようと、村人たちも張り切っていた。


 まずは北へ上って街道まで、そこから西へ、東へ、まっすぐ北上してふるさとへ。



「おーい、おーいっっ」



 一台の馬車に向かって、道端から声を上げた者がいた。


 北へ帰るもじゃもじゃ面の男達は、顔を見合わせる。



「おやっさん、とめておくれ」


「山賊や、物盗りでねえべなあ」


「向こうはたった二人で、こちとら四人の傭兵だぁ、そらねえだろう」



 見すぼらしい外套をまとった若い男が一人、荷車に近づく。


 もう一人は年かさだろうか、腹を抱えて道端にうずくまったままだ。



「あんたら、北の集落へ帰るんだろう? だったら途中まで、ちっと乗っけてってくれないか。連れが、腹を悪くしちまってさあ」



 二人とも、くすんだ褐色の外套頭巾の下に毛糸編みの帽子を深くかぶり、襟元をきっちり合わせて、何だかひどく寒そうだった。


 徒歩でかなりの距離を行くつもりだったのだろう。



「そりゃあ、災難だったな! 乗んな。皆、つめてやれよう」


「どうもありがとう」



 ほっとした様子で、若者はまず連れが荷車に乗り込むのを助けてやり、次いで自身もひょいと隅に座り込んだ。


 その拍子に外套の裏地がめくれてしまって、慌てて直す。



「お前さんら、どこまで行くんだい」


「俺らは、穀倉地帯だけどよう」



 先客たちは前を向いたままで、のんびりと話しかけて来た。


 良かった。草色の裏地――と言うか外套を裏返しているから、本来の表地なのだけれど――を、誰にも見られなかったらしい。



「ファダンに寄ったとこなんですがね」



 精一杯の潮野方言を繰りながら、傭兵に扮した若い騎士は内心どぎまぎしている。



「ほうかい。じゃ街道口ん所まで、一緒だね」



 落ち着こう、と思って後ろに遠ざかる風景を見やった。




「テルポシエとも、お別れだなあ」



 前方席、ほんものの傭兵達はのんびりと仲間内で話している。



「ああ。まず生きて帰れて、ほんとに有難いこった」


「包囲中から、はぁ、雨が多くてじめじめ寒くて、参ったけどよ」


「ま、お勤めだしな。春からこれで、本腰入れて畑に出られる」


「ああ、でもなあ、悪いところばっかりでもなかった気がする。ここは本当に、水がうまかったよ」


「だからかね。酒もよかった」



 ははは、と皆が和んだ。



「兄ちゃんも、そう思うだろう?」


「ああ、本当にそうだね。本当に、……」



 笑って答えてから、再び若者は背後に遠くなる城塞都市テルポシエを見る。冬枯れの草っ原に包まれ、さびしげに哀しげに、けれど気高く白くそびえる市。


 からからと回る荷車の音にかぶせ、紛らわせるようにして呟いた。



「本当に、うつくしい故郷(ところ)なんだ」




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