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海の挽歌  作者: 門戸
緑の騎士の離郷
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54 緑の騎士の離郷6:報酬の配布

 あくる日の午後。テルポシエ城内は、陥落直後以来の熱気と騒々しさに包まれていた。


 昨日までの好天はどこへやら、小雨がしとついては晴れ間の上がる、そんな一刻ごとにくるくる変わるうすら寒い冬日へと戻ってしまった。暗い屋内では蝋燭が欠かせない。


 揺らめく炎にすがるようにして、男達は上司と一緒に契約布を眺め、おぼつかない手つきで署名をし、あるいは親指で印を押して、ずしりと重い麻袋を抱えてゆく。




「ご苦労さんだったな。田舎のおっかさんの面倒、しっかり見てやんなよ」


「はい。ウーア隊長も、どうぞお達者で」



 “大盾部隊”の報酬配布は、他の班より少々時間がかかっているようだ。


 最前線に投入された重装歩兵班のひとつだから、損害も大きかった。死亡してしまった数も相当なのだけど、生き残った男達は皆、親愛なる巨漢の隊長にひとこと挨拶を述べなければ、とても去る事ができなかったのである。


 その辺は隣に座る甥のウーディクも毎度の事と見込んであるから、先回りして他の手続きをどんどん済ましてやっていた。



「けど、意外だったなあ」



 ある一人の出稼ぎ傭兵が言う。



「長い間いましたけんど、毎回報酬出るときゃ、エノの大将が何かしら演説したもんではないですか。俺ぁ最後に、王さんが一発ぶつ・・のを聞いてから帰りたかったのに……。なのに今回に限って、お姿も見えねえ、なんて」



 長机の向こう側に座るウーアとウーディクは、ぎくりとした。


 今朝の幹部会議、配布に先駆けたパスクアの注意を、二人とも思い出したのである。


 久し振りに編むことも出来なかったらしい、その白金髪を炎のようにくゆらせながら、遠い目をして若き幹部は皆に告げた。



「これまでも、ずっと口止めをしてはいるが。――いいか、王が交代した事は、報酬配布が完全に終わる後、明日までは内密だ。特に外部に出て行く奴らには、絶ッッッ対に! ばらすんじゃねえぞ!?」



 壊れかけた優男が血走った眼で凄むのも、なかなかに迫力があって怖いものである。


 計算作業と袋詰め仕分けで、出納係と徹夜を余儀なくされた上、また一人部下が辞めると言い出して、先行部隊の欠員をどうやって埋めるのか、悩みの種が増えた。


 戦争の終結は雇われ傭兵にとって契約更新あるいは完了のめどではあるが、パスクアはイオナが残ってくれると思っていた。ヴィヒルとアランを探しに行くと言うが、大打撃である。


 何かの拍子に気持ちを変えて、戻って来てはくれないだろうか? できれば三人まとめて。第一印象こそ悪かったものの、あの風変わりな三人家族は、なかなか頼りになったのに。




 ……そんな幽鬼みたいなパスクアの姿を思い出しつつ、しかし嘘のつけないウーアは、しらを切るのも苦手だった。


 エノ軍随一の巨体を、机と壁の間でもぞつかせて耐え忍ぼうとする。隣のウーディクは部屋の隅に押し込まれて、いい迷惑だ。



――ちょっと、狭いんすから! ここ!



「な……なんせ、ほれー……」



 ぎこちなく笑いつつ、ウーアが言う。



「エノの大将もなあ、気まぐれなお人だからようー」


「ああ、そうすねえ……。ほんでは、さいなら」



 ようやく男は去って行き、小部屋の中に別の傭兵が入りかける。


 その隙にきれる甥は、素早く囁いた。



「ちょっとぉ、ウーア! 後ろがつかえちゃうから、もっとさらさら受け流さなきゃ!」


「ぬう! やっぱだめだったか? 今の」


「いや、理屈は大丈夫。わざとらしいけど、もっともだから。肝心なのは速さだよ! 効率! あと何十人待ってると思ってんの? はい次!」




・ ・ ・ ・ ・




「うちのとこ、配布完了したよう」



 麻袋が入っていた大きな木箱を積み重ねて床に置き、ギルダフ中隊長とその副長が、中広間のメインに呼びかけた。



「早いね、さすが」



 巨大な長卓の上座に、ちょこんと座ったメインが答える。


 手元の筆記布に記された表に、硬筆を使ってしるしをつけた。



「他のところは?」


「全然終わってない。パスクアの先行部隊がしょぱなに完了してるけど、あそこは人数少ないから」



 ギルダフは、ちらりと長卓の反対端を見やる。


 髪を一応、雑な三つ編みにしたパスクアが、今しがた入って来た別の隊の副長相手に、声を荒げている。



「何でそうなるぅぅぅぅ」


「いえ、でも本当に足らんもんは足らんのです。一人分」



「……パスクア君を、手伝った方がいいのかな」



 ギルダフはメインを見下ろして聞いた。



「うん。頼むよ」



 ギルダフが離れてゆき、メインは別の帳面を探そうと立ち上がった。


 その時、すういと彼の肩にとまったものがいる。


 炎の精霊は素早く、メインの側髪をかき分けると、耳の中に囁いた。


 メインは手の中の布束を卓の上に放り出し、代わりに外套を掴んだ。


 入り口付近に立って、副長と押し問答継続中のパスクアの胴を両手でぐいと押しのける。



「ごめんパスクア、急患らしいから俺行くね!」


「ぬおっ、メイン! お前まで!?」


「代わりにギルダフあげるから」



 殺気だった友の前に、にこやか穏やかなたたずまいの中隊長をずいっと押し出し、メインはすたこらと中広間から逃げ出した。



「メ――イ――ン!」


「いやいや、大丈夫だから、パスクア君」



 左目元の周りを大きく覆う、あざの上に笑いじわを浮かべて、壮年の中隊長は力強く頷いてみせた。



「何人分の報酬が足りないんだ? ひとり?」


「そうであります」



 パスクアを相手にしていた、別隊の副長が答える。



「うん、それじゃあ前に、アキル師が使っていた素敵な切り札でいこう! ちょっと待たせておきなさい、いかにも使えないちんぴら寄せ集め隊のうち、誰かをってくるから。そいつの分をあてがおう、ねっ」



 副長は言葉を失い、パスクアは口を四角く開けて、目の前の中隊長の爽やかな笑顔を見返した。




・ ・ ・ ・ ・



 外套を手に吹き抜け廻廊を走るメインの目に、特徴のあるあか色がとまった。イオナだ。


 すぐ下の城門を出るところ、市内にむかって歩いている。


 これはだめだ、まともに出ても追いつけない。


 周りに誰もいないのを良いことに、仕方なくメインは“ジェブ”に出て来てもらった。


 面倒そうに、むくりと足元に現れた大きなけもの犬は、メインの首根っこを柔らかく噛んで、ふわりと数階ぶんの高さを跳ぶ。仔犬仕様の運び方はいただけないが、ともかく静かに着地した。


 メインは消えかけるジェブの顔を、ひと撫でした。



「ありがと、あとでお肉あげるよ」


『骨のほうが、いいの』



 注文をつけて、けもの犬はかき消える。


 さっと顔を上げて、城門直前に差し掛かったイオナの後ろ姿をとらえた。


 深い海松藍みるあい色の巻き外套の上に、下ろしたきりの(あか)髪。変な長さに切られっぱなしなのが目立っている。


 何秒間かためらった後、メインは意を決して、初めて彼女の名を呼ぶことにした。



「イオナ!」



 彼女はすぐに気付いて、振り向く。


 走り寄るメインを見ながら、笑顔すら浮かべた。



「お世話になったのに、名前も聞いてなかったね」


「メイン」


「ありがとう、メイン。さよなら」



 明るく言われたその言葉があまりの重さを持って、胸をぶん殴られた気になり、メインはがくっと俯きかけた。



「……どこへ行くの?」


「どこへって……それはまだ、わからないな。ここでの仕事を終えたから、次のところを探しに行くんだよ」


「でも、戦争は終わったばっかりじゃないか。外はまだ、危険だよ」



 声に悲痛さがこもった。


 さっきプーカに伝えてもらうまで、イオナがエノ軍を出てしまうとは全く思ってもみなかった。確かに傷と毒症は完治していたけれど。


 パスクアは知っていたのかもしれない、……でもイオナのことを話せる状態ではなかった。


 イオナは苦笑する。



「危険って……。あのね、わたし傭兵だからね」


「行っちゃだめだ」



 メインはずい、と進んでイオナと城門の間に立つ。通せんぼを試みた。



「……俺とここに、テルポシエにいて。外には、行かせられない」



 真剣なのをどうにかわかってもらいたくて、ぎゅっと眉根を寄せてイオナを見つめる。


 見下ろすイオナの濃い褐色の双眸から、笑いがつっと消えてゆく。彼女の方が背が高い。



「……何を勘違いしているの」



 声が硬くなる。



「そういう押しつけがましいことを言う男、わたし大ッ嫌いなんだけど」



 これはきつかった。


 しかし内心で震え上がりつつも、メインはここで退いてはいけないと信じた。



「何とでも言ってよ。俺は、あなたのことが心配なんだ」



 ふう、と一瞬気の脱けたように、イオナは肩を落とす。


 次の瞬間、巻き外套の海松藍みるあい色が視界いっぱいにひるがって、大かぶりの右手刀がメインの右半身を裂きに来た、――すんでの所で彼はかわした。


 が、何かに引かれてメインはふと拘束感をおぼえる。それが左腕にからまった絹糸であると気付いた瞬間、イオナ必殺の右掌底がメインの顎下にきまった……



――治療してもらったから、お礼に鋼爪はつけない。昏倒させて一丁あがり!



 ……、はずだったが。



「容赦ないんだね、噂どおり……」


 彼女の打撃を柔らかく吸収した右手をそのままぷるぷると震わせながら、目を見開いて驚ききった顔をして、メインが言った。


 イオナもちょっと驚く。


 しかし次の手がある、彼女は左手に握ったものをぷちっとつぶした。



 ばふっっ……



 灰色の煙が沸き立って、二人の身体を瞬時に包み込む。


 近くに人通りはまばらだったが、通りかかる傭兵達がちょっと驚いて足取りをゆるめ、遠巻きに見ている。



 立ち昇った煙のかたまりから、あかい髪をなびかせてイオナが飛び出す。


 そのままものすごい速さで、あっという間に城門を抜け出てしまった。



「これからは、えげつない女に注意するんだようっ」



 あははは、と朗らかに残した高笑いが耳に届いた時、メインは涙と鼻水を盛大に吹き出しながら咳込んでいた。


 赫色が灰色の向こうに滲んでしまって、見えなくなる。



『ぎぃやあああああ、メイン、大丈夫ぅ!? 何ちゅういけずな手を使う、娘っこなのーん!』


『ふがあ、かわいそうに、毒でねえべな!? ただの灰がー! 手巾使え、はんけち! 俺、持ってねえげんちもー』



 メインの両耳脇あたりから飛び出した精霊ふたりが、おろおろと周囲を飛び回る。


 袖口で目をぬぐいながら、メインはちらちら光るプーカを、さっと外套の中に押し込んだ。



「こんなところで光っちゃだめだろ!? パグシーは姿を消して、赫毛あかげのイオナを追うんだよ、早くッ」


『おうよっ。飛ばすど! 流星号!』



 やぶにらみの妖精騎手は、いもむし愛馬をぎゅいんと宙で旋回させると、つむじ風のように飛んで行った。



「だからぁ、姿を消せっての……あああ、もう」


『ぽっけの中に、はんけち発見!』



 外套の内側から、小さな片手につままれた手巾が出て来た。


 それで涙を拭き、勢いよく鼻をかんでから、メインも走り出す。


 テルポシエ市内のごちゃついた路地を抜けると、一番最寄りの東門だ。


 上を見上げると、パグシーが目印に残して行ったきらきら光るいも虫糸が、宙に漂っている。



 一応、市外壁に立っていた門番役の傭兵にもたずねてみた。



「赫毛の女の子? ああ、見たよ、今しがた。浜の方へ向かって、走って行ったようだけど」



 息を弾ませて市外壁の外側に沿った野道を駆けながら、メインはじりじりと不安を感じていた。


 人目がなくなって、外套かくしの中から出て来たプーカが、その脇を飛ぶ。



『パグどんの糸、浜道へ続いてるぅ』



 小雨の合間のじっとりと重い湿った空気、灰色の一日が暮れ始めている。


 今はまだ、十分に明るいけれど……じきに闇が落ちる。



『たったひとりで、薄明どきに海なんてー。あの娘っこ、やばいよう! メイン』


「わかってる」



 ここの所のシエ湾全体の内なる荒ぶりは、プーカもメインもずっと感じていた。


 戦の直後であり、水平線を目指した無念な魂も多かろう。


 そして特に幾つもの悪意(・・)を呑み込んで、悪しき精霊が刺激されているだろうことは、容易に想像できた。



――ていうか、俺がぶち込んだんだけど、ね……。


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