52 緑の騎士の離郷4:ケリー
「あああ、とっても美味しかったわ。ね、ケリー?」
「うん。お野菜があんなにおいしいの、びっくりだったよ。全部たべちゃった!」
「お肉も、なかなかでしたよ」
城壁沿いに月桂樹を植えた壇のふちに、一列に並んで座った娘たちの膝の上、見事に空になった椀の中に木匙だけがからんと入っている。
「一体なにを食べさせられるのかって、内心どきどきしていたんだけど。意外にやるじゃないの、エノの料理人も」
頬を赤くしているエリンを見て、シャノンは心の底から微笑んだ。
長く保存食ばかり食べていたせいもあるし、そもそも平生の食事が毒見後のさめたものだったから、熱々の煮込みはさぞ目新しかったに違いない。
そしてシャノン自身もちょっと気が楽だった。
目の前で大鍋から直に取り分けてもらった食事なら、周りでぱくついている数十人の傭兵たちが、一緒に毒見をしてくれているようなものだ。
「昼がこれなら、晩のごはんはどうなるのかしら? 昨日みたいに、棒ぱんとお湯が配られるのかしらね」
「うーん、それだときついですね。病棟にいたから配られるだけだったのかもしれないし、この中庭まで来れば、温かいものが振る舞われるのかもしれません。あとで、その辺の無害そうな傭兵をつかまえて、たずねてみましょう」
「二人ともさあ、お腹いっぱい食べた後なのに、よく次のごはんの話ができるよねえ……」
ふわあとあくびをかみながら、ケリーが言った。
「ケリー、部屋に帰って、お昼寝しててもいいのよ」
「ほんと?」
「ええ。リフィかクレアがいるでしょうから。ちゃんと、お腹をかくして寝るのよ」
「はあい。ついでに、お椀も返してきまぁす」
ととと、と嬉しそうにケリーは歩み去った。
行ってしまってから、エリンは首を傾げる。
「一人で大丈夫……よね」
「あの子は大丈夫です。全く心配いりません」
エリンとシャノン、二人とも何も言わなかった。
けれど、同じ日の記憶を手繰っていた。
・・・
・・・
エノの包囲が始まるずっと前の夏の日、恒例の槍試合大会があった。
市内外のテルポシエ住民、希望者の全員参加制で試合が行われる。
現役騎士以外なら誰でも参加できるので、魚屋の兄貴や植木屋の爺、市民槍道場のお子さま達などが、くじ引き結果の相手とたたかう、とにかくのお祭り騒ぎである。
この日ばかりは、多くの市民と貴族とが同じ目の高さの見物客となって、広場で和やかに楽しむのだった。
エリンとシャノンはウルリヒを挟んで、広場に面した市民会館の露台から試合を見ていた。
子どもの出場が多い年で、かち当たってしまった大人は派手に負けてみせている。
予選の最終戦、小さな男の子が少し年上の男の子からさっと一本取る。
見ていると、その子は自分より大きい子らからあっという間に脇をとって、どんどん勝ち上がり、とうとう決勝に残ってしまった。
相手は前回優勝者の靴職人の息子で、体だけ見ればほとんど大人だ。
長槍をしなやかに使いこなす人気者で、将来は市民兵、二級騎士の星になると町の皆が期待している。
目ざとく露台のエリンを探し当て、笑顔で手を振って来た。何というけれん味!
しかし彼は小さな黒髪の子どもから一つも有効を取ることのできないまま、じりじりと時を費やし、焦った所で短槍の石突をみぞおちにもろに喰らって、ぱたりとくずおれた。
広場にいた全ての者が黙り込み、……一瞬おいて凄まじい大喝采がうねる。
耳をつんざく歓声の中、審判陣の肩にかつがれて露台へやってきたその子は、近くで見るとびっくりする程細い手足をしていて、もしゃもしゃの黒髪頭が不釣り合いに大きかった。
頬を真っ赤にして、何も言わずにウルリヒに月桂樹の冠をかぶせてもらう。
しゃがみ込んだ兄が聞いてみる。
「名前は?」
「ケリー」
女の子だとわかって、兄妹は仰天する。
「家族は見に来てんのかな」
「いないの。ひとり」
エリンは、彼女の革草履とごわごわの短衣が全く体に合っていない大きさである事に気付いた。
両手に力いっぱい握りしめていた短槍を見れば、穂がないのだ。古びた物干し竿をそれらしい長さに切ったしろものだった。
そして、およそイリー人らしくない容貌。
東部からの流入民、誰かと移動してきて、置き去りにされた子と見当をつけるのはたやすかった。
兄は妹を見る。
「すげえ子だよな」
エリンは頷く。
自分がその日、首に巻いていた桜色の綿布を取り、ケリーの首にくるくるっと巻いた。
「あなた、ものすごく強くて本当にびっくりしちゃったから。わたしが編んだの、あげる」
少女の頬がいよいよ赤くなった。
兄妹はケリーの左右に立ってその手をつなぎ、露台の明るみに、大観衆の前に出た。
「本年の勝者、テルポシエ市のケリー!!」
愉し気に叫ぶウルリヒの声に、皆がさらに沸く。
拍手喝采の波を浴びて、とうとうケリーはぽろぽろ泣き出した。怖かったのか、嬉しかったのか。
やがて後ろに控えていたシャノンに手巾で拭いてもらって、そのままその胸で本式に泣き出した。
槍道場の軒下に貼り付いて、見様見真似で戦い方をおぼえてしまった出自の知れない半浮浪児は、セクアナ家に引き取られて、その才能を伸ばされる事になったのだった。
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