51 緑の騎士の離郷3:替え玉役・町娘クレア
「セインはお金をもらったら、実家に帰らないの?」
「あ、俺もともと口減らしで追ん出されたから。帰れないんだ」
「はッ? どういうこと?」
「北部穀倉地帯の、どんづまった所で甜菜作ってる家なんだよ。十二人きょうだいだから手が足りてて奴隷も要らないし、逆に食い扶持がかさむから」
「へえ……そういううちも、あるんだ……」
「俺は当分ここに居るよ。言われた仕事、どんどんこなして偉くなるんだ」
食べ終えて、市外壁での仕事に戻ると言うセインと一緒にゆっくり歩きながら、イオナは感心しっぱなしだった。
良い子だな、と思う。
予備役配属でまだ戦線に出ていないから、ひとを殺した事がないのだ。こんなまっすぐな男の子でも、一度殺せば変わってしまうものなんだろうか。他の傭兵たちのように、いや自分のように、割り切って刃を振るえるようになるのだろうか。
イオナが初めて人を殺めたのは、六つの時だ。狙ってした事ではなかったけど、結果そうなった。
あの前後の記憶は入り乱れている。
はっきりしているのは兄の変わらない優しさと、アランの語るお話をヴィヒルとふたりじめ出来た、というところだけ。
あとは、思い出したくない。自分がセインのようにまっすぐな良い女の子だったのかどうかも、よくわからない。
「あれ……。お姉さん、あれってお姫さんじゃない?」
本城地下階に入るための狭い通路前に、女性の姿がある。
大きな壺を持ち上げたり、また置いたりしている。
「なんか、変だな」
セインはすたすた歩み寄っていく。
「どうかしたの?」
お姫さまかと言っておきながら、その辺の同僚にでも話しかけるような何気ない調子で、少年は聞いた。
真っ赤な顔をして壺を持ち上げかけていた若い娘は、そこでふっと振り向いた。
「あ、あの……ここを通りたいんですけど……」
娘が目線で示したその石壁の狭い通路の内側で、二人の男が通せんぼをしていた。
一人ずつ片側の壁にもたれかかって、これでは娘は通れまい。
「さっきからよぉ、もじもじ何言ってんだか、このあまっ子」
「通るんなら通りゃいいのに、いつまで経っても通らねえ」
下卑たにやにや笑いを浮かべている。
セインを見た二人は、見下す相手が増えた事を嬉しがっているのか、噛み煙草をくちゃくちゃやっている歯をのぞかせた。
「ちゃんとわかる言葉でさーあ、心を込めてお願いされなきゃ、俺もどうしたらいいかわかんないねーえ」
「ほんじゃお兄さん達、俺からお願いしまっす。そこどいて、通してもらえますか」
娘の手からひょいと壺を取ると、セインは彼らの側に立った。
ぷうっっ、
痩せた方の男が、セインの顔に向かって煙草を吐きつけた。娘が息を呑む。
「……何かっこつけてんの? おはげの童貞ちゃん」
煙草かすにまみれたセインの顔が、さあっと青くなった。
しかし彼は応じなかった。
壺を持つ手を固くし、娘を背にする形に移動しただけで、口を引き結んでいた。
「田舎の訛りも、ここまで酷いと別の国の言葉だね」
ひゃははは、と男達は笑い合う。
「本当に暇なんだね、あんた達」
低い声が通って、男二人はひょいとそちらを見た。そして表情を固めた。
「若い子をいじめるだけで、他に仕事ないの? さっさとそこどいて、でぶさいく」
背の高い赫毛の女が少年と娘の前に立ち、でぶ+ぶさいく=でぶさいくの二人を睨みつけている。
忘れもしない、数か月前に食いもの屋台の店先で、自分達二人を叩きのめしたあの先行だ!
――やべッッ、逃げる!? あれ、でも今日はこいつ一人だ。兄貴がついてねえぞ。
――しかもこの女、負傷してたはずだっ。得物も持ってなさそうだし、仕返しできるんじゃ!?
ちんぴら二人は一瞬顔を見合わせると、いきり立ってイオナに向かって来た。
そして次の瞬間、何が起きたのかわからないままに昏倒し、夢の中へと旅立って行った。
「うわー、すげっっ……」
素早く腰を落として痩せ男の膝を側から蹴り上げ、手刀でその首根っこを打って壁にぶち当てる。
後ろの巨漢には、簡潔に顎下へ右こぶしを一発お見舞いして、後ろへすっ飛ばす。
イオナが瞬時に繰り出した、一連の流れるような動きを間近に見て、セインは先ほどの緊張はどこへやら、興奮と感動で胸を高鳴らせていた。
くるっと振り返ってイオナはセインを見る。
「ひどいことされたね。早く顔を洗わないと」
やさしい声だった。
「あ、これ使いましょう!」
娘が壺の水を両手に注いでくれて、セインはいやらしい汚れを流し落とす。
「どうもありがとう、お姫さん」
少年が顔を拭くのに、娘はいい匂いのする手巾まで差し出してくれた。
「あたし、姫様じゃないです。お付きのクレアです」
あれれ、とイオナとセインは顔を見合わせた。
「あ……お姫さまの替え玉だった人?」
向かいの部屋に、テルポシエ王女と取り巻きが収容されたのは知っていたが、イオナは話したことがなかった。
五人の娘たちはいつもかたまっていたし、……取り立てて話す必要も、興味もなかったから。
「助けて下すって、本当にありがとうございました」
二人を見てはにかんだように笑う顔が、かわいらしい。
「……こいつらみたいに、どうしようもないのも多いからね。ひとりで歩かない方がいいよ」
「もう一人、騎士が一緒だったんですけど、先に部屋に帰っちゃって……」
「きみ、騎士なの?」
あからさまに違いそうだが、少年は純真な質問を口にする。
「いえ、あたしは町のものです。姫様と背格好が似ているから、よばれただけで……」
「えー、それじゃここにいる必要ないんじゃない? 家に帰してもらえないのかな」
「……」
娘の顔が真っ赤に染まった。
イオナは考え込む。確かこの娘たちの身柄を預かったのは、パスクアだったと思う。
「わたしから、上の人にちょっと頼んでみるね」
――辞めるっても言わなきゃいけないし。
涙に潤みかけた娘の瞳が、ぱっと輝いてイオナを見上げた。
「ありがとう……」
「そうだ、もし帰してもらえるようなら。セイン、あんたが一緒に付き添って送ってあげて」
「うん、そうだね」
少年は力強く頷いた。
「きっと帰れるよ。心配しなくていいよ、クレアちゃん」
「ありがとう……本当に」
少年が壺を持ち上げて、それで三人は歩き出した。
「セインちゃんは、遠くから来たの?」
「うん、俺はねー……」
狭い通路を、のびたちんぴら二人の体を避け避け通るクレアとセインの後ろ、何となく素敵なものを見ている気がして、イオナは嬉しくなる。
だから調子にのって、ちんぴらの頭をわざと踵でぐりぐりっと踏みつけてから、乗り越えて行った。




