表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の挽歌  作者: 門戸
緑の騎士の離郷
51/256

51 緑の騎士の離郷3:替え玉役・町娘クレア

「セインはお金をもらったら、実家に帰らないの?」


「あ、俺もともと口減くちべらしで追ん出されたから。帰れないんだ」


「はッ? どういうこと?」


「北部穀倉地帯の、どんづまった所で甜菜てんさい作ってる家なんだよ。十二人きょうだいだから手が足りてて奴隷も要らないし、逆に食い扶持がかさむから」


「へえ……そういううちも、あるんだ……」


「俺は当分ここに居るよ。言われた仕事、どんどんこなして偉くなるんだ」



 食べ終えて、市外壁での仕事に戻ると言うセインと一緒にゆっくり歩きながら、イオナは感心しっぱなしだった。


 良い子だな、と思う。


 予備役配属でまだ戦線に出ていないから、ひとを殺した事がないのだ。こんなまっすぐな男の子でも、一度殺せば変わってしまうものなんだろうか。他の傭兵たちのように、いや自分のように、割り切って刃を振るえるようになるのだろうか。


 イオナが初めて人をあやめたのは、六つの時だ。狙ってした事ではなかったけど、結果そうなった。


 あの前後の記憶は入り乱れている。


 はっきりしているのは兄の変わらない優しさと、アランの語るお話をヴィヒルとふたりじめ出来た、というところだけ。


 あとは、思い出したくない。自分がセインのようにまっすぐな良い女の子だったのかどうかも、よくわからない。



「あれ……。お姉さん、あれってお(ひい)さんじゃない?」



 本城地下階に入るための狭い通路前に、女性の姿がある。


 大きな壺を持ち上げたり、また置いたりしている。



「なんか、変だな」



 セインはすたすた歩み寄っていく。



「どうかしたの?」



 お姫さまかと言っておきながら、その辺の同僚にでも話しかけるような何気ない調子で、少年は聞いた。


 真っ赤な顔をして壺を持ち上げかけていた若い娘は、そこでふっと振り向いた。



「あ、あの……ここを通りたいんですけど……」



 娘が目線で示したその石壁の狭い通路の内側で、二人の男が通せんぼをしていた。


 一人ずつ片側の壁にもたれかかって、これでは娘は通れまい。



「さっきからよぉ、もじもじ何言ってんだか、このあまっ子」


「通るんなら通りゃいいのに、いつまで経っても通らねえ」



 下卑げびたにやにや笑いを浮かべている。


 セインを見た二人は、見下す相手が増えた事を嬉しがっているのか、噛み煙草をくちゃくちゃやっている歯をのぞかせた。



「ちゃんとわかる言葉でさーあ、心を込めてお願いされなきゃ、俺もどうしたらいいかわかんないねーえ」


「ほんじゃお兄さん達、俺からお願いしまっす。そこどいて、通してもらえますか」



 娘の手からひょいと壺を取ると、セインは彼らの側に立った。


 ぷうっっ、


 痩せた方の男が、セインの顔に向かって煙草を吐きつけた。娘が息を呑む。



「……何かっこつけてんの? おはげの童貞ちゃん」



 煙草かすにまみれたセインの顔が、さあっと青くなった。


 しかし彼は応じなかった。


 壺を持つ手を固くし、娘を背にする形に移動しただけで、口を引き結んでいた。



「田舎の訛りも、ここまで酷いと別の国の言葉だね」



 ひゃははは、と男達は笑い合う。



「本当に暇なんだね、あんた達」



 低い声が通って、男二人はひょいとそちらを見た。そして表情を固めた。



「若い子をいじめるだけで、他に仕事ないの? さっさとそこどいて、でぶさいく」



 背の高い赫毛あかげの女が少年と娘の前に立ち、でぶ+ぶさいく=でぶさいくの二人を睨みつけている。


 忘れもしない、数か月前に食いもの屋台の店先で、自分達二人を叩きのめしたあの先行だ!



 ――やべッッ、逃げる!? あれ、でも今日はこいつ一人だ。兄貴がついてねえぞ。


 ――しかもこの女、負傷してたはずだっ。得物も持ってなさそうだし、仕返しできるんじゃ!?



 ちんぴら二人は一瞬顔を見合わせると、いきり立ってイオナに向かって来た。


 そして次の瞬間、何が起きたのかわからないままに昏倒し、夢の中へと旅立って行った。





「うわー、すげっっ……」



 素早く腰を落として痩せ男の膝を側から蹴り上げ、手刀でその首根っこを打って壁にぶち当てる。


 後ろの巨漢には、簡潔に顎下へ右こぶしを一発お見舞いして、後ろへすっ飛ばす。


 イオナが瞬時に繰り出した、一連の流れるような動きを間近に見て、セインは先ほどの緊張はどこへやら、興奮と感動で胸を高鳴らせていた。




 くるっと振り返ってイオナはセインを見る。



「ひどいことされたね。早く顔を洗わないと」



 やさしい声だった。



「あ、これ使いましょう!」



 娘が壺の水を両手に注いでくれて、セインはいやらしい汚れを流し落とす。



「どうもありがとう、お(ひい)さん」



 少年が顔を拭くのに、娘はいい匂いのする手巾まで差し出してくれた。



「あたし、姫様じゃないです。お付きのクレアです」



 あれれ、とイオナとセインは顔を見合わせた。



「あ……お姫さまの替え玉だった人?」



 向かいの部屋に、テルポシエ王女と取り巻きが収容されたのは知っていたが、イオナは話したことがなかった。


 五人の娘たちはいつもかたまっていたし、……取り立てて話す必要も、興味もなかったから。



「助けて下すって、本当にありがとうございました」



 二人を見てはにかんだように笑う顔が、かわいらしい。



「……こいつらみたいに、どうしようもないのも多いからね。ひとりで歩かない方がいいよ」


「もう一人、騎士が一緒だったんですけど、先に部屋に帰っちゃって……」


「きみ、騎士なの?」



 あからさまに違いそうだが、少年は純真な質問を口にする。



「いえ、あたしは町のものです。姫様と背格好が似ているから、よばれただけで……」


「えー、それじゃここにいる必要ないんじゃない? 家に帰してもらえないのかな」


「……」



 娘の顔が真っ赤に染まった。


 イオナは考え込む。確かこの娘たちの身柄を預かったのは、パスクアだったと思う。



「わたしから、上の人にちょっと頼んでみるね」



――辞めるっても言わなきゃいけないし。



 涙に潤みかけた娘の瞳が、ぱっと輝いてイオナを見上げた。



「ありがとう……」


「そうだ、もし帰してもらえるようなら。セイン、あんたが一緒に付き添って送ってあげて」


「うん、そうだね」



 少年は力強く頷いた。



「きっと帰れるよ。心配しなくていいよ、クレアちゃん」


「ありがとう……本当に」



 少年が壺を持ち上げて、それで三人は歩き出した。



「セインちゃんは、遠くから来たの?」


「うん、俺はねー……」



 狭い通路を、のびたちんぴら二人の体を避け避け通るクレアとセインの後ろ、何となく素敵なものを見ている気がして、イオナは嬉しくなる。


 だから調子にのって、ちんぴらの頭をわざとかかとでぐりぐりっと踏みつけてから、乗り越えて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ