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海の挽歌  作者: 門戸
緑の騎士の離郷
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50 緑の騎士の離郷2:本日のまかない鶏煮込み

 少しだけ、気温の高い日が続いている。


 日中の食事は今日も中庭で振る舞われるのだと聞いて、イオナは巻き外套を引っ掛けて、のんびり行ってみた。うん、肉のいい匂いがする。


 大好きな鶏肉の煮込みを木椀にたっぷりよそってもらって、その辺の“花壇”に腰を下ろした。これも、ここに来て初めて覚えた単語だ。


 料理班が城内食糧庫をこじ開けてから、まかないが段違いにうまくなった、と皆が言っている。味にうるさくないイオナとしてはそんなに大差はないけれど、やっぱり体が回復すると、余計にものがおいしく感じられた。



「あれ、お姉さん。こんちは」



 同様に煮込みの木椀を持った、予備役の青年セインが通りかかる。顔見知りだ。



「怪我はもういいの?」


「うん、ありがとう。おかげ様で、すっかりよくなったよ」



 イオナは笑って、自分の横を彼に示した。予備役は素直に隣にかける。



「すっごいお肉だね」



 イオナの木椀の中身、尋常ならぬ盛られ方をした鶏肉山を見て、セインは感嘆した。



「うん、ほら、わたし病み上がりだから」



 この青年、いや少年といった方が良いのかもしれない。セインからも例の臭いはしないから、イオナは気楽だった。


 きれいに禿げ上がった頭のせいでよく間違われるが、彼はまだ十代半ばなのである。



「今朝は市内で、何かあった?」


「特にないよ。身代金を払えなかった貧乏貴族が全員、ゆうべ解放されたじゃん? あの人達を集めといた、倉庫の片づけと掃除してたんだ」


「あ、そういう仕事もあるんだ……。君たちって、本当に偉いね」



 へへ、と椀をすすりながらセインは笑った。



「それはそうとさ、明日いよいよ報酬が出るって言うのは、本当なの?」


「あ、それは本当みたい。わたしもね、それもらってエノ軍出ようと思ってて」



 かしゃん……


 イオナもセインも全く気にしなかったが、二人の近くで鍋の中のものを取り分けていた昼担当の料理長は、落としたおたまを拾い上げる力すら失うほどに、恐慌をきたしていた。



――あの娘が軍を出てしまう!? 俺の料理人生史上、最強の食べっぷりを見せてくれた、いとしき先行イオナが!! 何ということだ、我が鶏肉では彼女の胃袋を掴めなかったと言うのかッッ!!



「えっ……嘘だろ?」


「いや、ほん



 鶏からしみ出す肉汁を味わいつつ、イオナはセインに答える。



「でも……、いいの? ヴィヒルさんとアランさん、行方不明なままなんでしょ?」


「そう、だから行くの。ふたりが連絡を絶って、えーと……」



 もも肉の骨を右手に持ったままで、イオナは指折り数えた。



「……今日でもう八日だもん。こういう消え方をされたら、考えられるのはたったひとつ! どこか別の場所で、相当いい仕事を新しく見つけちゃった、ってこと」


「へっ?」


「だからわたしも、さっさとエノを出て、早いとこ合流しなくっちゃ」


「すげっ……。手練てだれの流れ傭兵って、そんな感じなんだ……!」


「うん。迎えに行ったイスタまで帰って来ない所を見ると、あの子も一緒に巻き込んだって可能性が大きいかな」


「……心配じゃない?」



 イオナはセインを真正面に見て、きょとんとした。



「心配? ないないないない。うちの兄と義姉ちゃんは、もうほんとの本当に強いから、あの二人に何か危ないことなんて、あるわけないの。まあ、普段の見かけがああだから、わかりにくいけどね……」


「ふうん」



 新たに鶏を頬張りつつ、イオナは微笑んだ。心の中でも、笑っていた。



――ニーシュのこと、色んなことは、もう仕方がない。でもわたしには、兄ちゃんとアランがいるんだから……。 うん、笑って生きてこう。




・ ・ ・ ・ ・




「おい?」



 凍りついたように固まってしまった料理長を見て、次の順番待ちをしている男が怪訝そうに声をかけた。



「……すんません」



 絶望に打ちひしがれた満身創痍の心に鞭を打って、彼は再び配膳を始める。


 しかし自信作の煮込み鍋からは、あの心をくすぐる芳しさはすでに失せ、つやつやしていた根菜の色さえ暗くなったようだった。


 ああ、イオナの食いっぷりがもう見られないとは……!



「あの、御仁」



 よく通る声に、はっと顔を上げる。


 自分よりも背の高いテルポシエ人の娘が、椀を差し出していた。



「もう少し、お肉をいただけますか」



 面長の涼やかな顔に見据えられ、料理長は雷に撃たれた気になる。


 イオナ仕様の山盛りにしてやると、娘はにっこりと笑顔を咲かせた。



「どうもありがとう」



 見れば、その脇にずいぶん小さな黒髪の女児がいて、すでに自分の椀に口をくっつけている。



「おいしーい、これ! 何が入ってるのかなあ」


「いい香りよねえ、おねぎの緑もきれい。でも……?」



 のっぽな娘の背の向こうにはもう一人別の娘がいて、しかつめ顔で椀に見入っている。


 と、その寄せた眉根がするっと解けて、途端にうで卵のようなかわいらしさになった。




「ああ、熊にんにくが効いてるのね! マグ・イーレ最上塩と、とってもいいあんばい」



 料理長の胸中は、もはや暴風雨のごとく揺さぶられていた。



「ささ、早く座って、いただきましょう」



 のっぽの爽やかな言葉に促され、娘たちは軽やかに去っていった。


 その後ろ姿を眺める料理長の心には、雨後の虹がかかってきらきらと輝いていた。



――明日の昼めしも、おじさん頑張って作るからねっっ!!




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