48 父殺しの新王4:真実の姿
寒空は次第に晴れてゆき、雲が途切れて丸みを帯びた月が出る。
その白い光に照らされて、案外明るい展望露台へと、エノ軍幹部らが続々集まって来ていた。
「よう」
「おう」
二十余名の男達の吐く息が白い。
「あれ、何でお前が来てんだよ。これ、中隊長格以上の招集なんだろう?」
「あ、毎度すいません。俺は叔父のおまけなもんで」
「別に構わねえだろ? それ以下が来るなとは言われてないし」
「うん、でも何の招集なんだろうな。お前さんら聞いてる?」
「知らんねえ。うちんとこはまだまだ落ちた奴の回収と、それ者狩りでいっぱいいっぱいなんだがよ、すぐにって言われてとりあえず駆けつけたのよ」
「大変だなあ」
「やっぱり、特別賞与の発表じゃないっすかね!」
「かもなあ。だと良いなあ」
「しかし、何だってまたこんな屋上に集合なんだ……」
「お疲れ、ウーアさん」
「おっ、パスクア君」
「ウーディクも無事で良かった。また報酬整理、手伝ってくれ」
「久し振りっすね! パスクアさん、テルポシエ女の後宮つくったって聞いたけど、本当すか」
「そんなほらを吹聴してる奴は、殺した後に解雇してしまえ」
「順番逆でしょ、それ? なに動揺してんすか」
「それより誰か、うちの先行夫婦と見習小僧を見かけなかったか」
野太い会話が交わされる中、いちばん最後に階段を上がって出て来た者が、やや高めに声を上げた。
「皆、揃った?」
一斉に注目を浴びたのは、皆が当然のように待っていたエノ王ではなく、その息子である。
「へ? あれ、メイン君だ」
「何で? 王は?」
静かな表情で、メインは言った。
「父は、死んだ」
誰もが言葉を失って、露台は奇妙な沈黙に支配される。
数秒後、たまりかねた誰かが、あは、と笑いつつ口に出す。
「……何を、言って……」
それに対して、ふんふんと小さく頷くと、メインは身を翻す。
「皆、こっちへ。見せるものがある」
こぢんまりしたメインの後ろに、大柄な男達はぞろぞろと付き従って歩いた。
やがて露台の真ん中あたり、海に向かってせり出した部分の柵壁に立てかけてある物に、全員が気付く。
「おい、あれって」
「王の剣じゃねえのか!?」
月明かりの下、夜戦慣れしている男達の目に灯りは要らなかった。
特徴的な柄の装飾に、誰もが見覚えがあった。間違いなくエノの使っていた長剣である。
「俺が見た時、父の剣はそこの壁の割れ目に刺さったままだった」
メインが淡々と告げる。
中隊長の叔父のおまけ、若い平傭兵が手を触れると、確かに新しい割れ目が深い。
そしてこの周辺だけ、壁に使われた石の表面がぼろぼろになっていて、彼の掌は砂塵にまみれた。
エノの長剣を、パスクアがそっと手にして持ち上げた。
「王が、寝る時もすぐ脇に置いてた剣だぞ?」
確かに王女の一件以来、きのう今日とエノの姿を見ていなかった。
忙しくて気に留めてはいなかったが、王が自前の武器を残してどこかへ姿をくらましてしまうなんて、ありえないのだ。
「そこの所、」
すぐ脇にいた赤髪のタリエクが、刃の一部分を指差した。
「ちょうど壁の割れ目と同じ形に、刃がこぼれているぞ……!」
「それにこれは、アキル師の杖だろう? どうしてここにあるんだい」
顔にあざのある中隊長ギルダフが、剣の横に立てかけてあった理術士の杖を見ながら言った。
「あの人こそ、この杖を肌身離さず持っていたんじゃなかったっけ?」
本当にそうだった。再び、男達の間に沈黙が降りる。
メインが静かに、話し始めた。
「アキルの杖はすぐ側の石床に転がっていた。父かアキルのどちらかが風に強く煽られて、壁から落ちかけたのかもしれない。父は剣で体を引っ掛けようとしたんだと、俺は思う。でも結局、二人ともお互いを助けることができなくて、海に……」
「死んじまったってのか! 海に落ちてッ!?」
ほとんど怒号のような叫びが、響き渡る。
「洒落になんねえぞッ」
若い歩兵中隊長だった。
「落ち着けよ」
エノの剣を手にしたまま、パスクアは声をかける。
「落ち着いてられるかい! 何だってエノ王、こんな時に!? 俺らの報酬は一体、どうなるんだ!」
この一声でぶわっと火が付いた、男達は口々に喋り始める。
「ああ、本当だ! そうだよ、まだ何ももらってないんだからな!」
「えー、大将が死んじまったから給料なしってな、いくらなんでもそらねえだろ」
「いや! お前ね、それがあるんだよ!? 俺が西の国で働いてた時に、踏み倒されてさあ……」
パスクアも嫌な冷汗を感じていた。
――その通りだ。戦が終わってまだ五日、状況は最高にごたついている。首領が死んだなんて知れたら、それこそ混乱するだろう。この隙に西のイリー都市国家群につけ入られでもしたら、取り返しのつかないことになる……!
苦手な想定外の事態ではあるが、ここで自分が浮ついてはいけないと、若き先行隊長パスクアは考えを巡らせる。
――ジュラのじいさんは相変わらずどこかへ行ったまんまだし、今いる幹部陣で一番格が高いのは誰だ? ……って俺じゃないかよ。とりあえずは俺がまとめるしかなさそうだな……、うげえ、あばら痛いのに。
「心配しなくていい」
真後ろからかけられた声が、あまりに低く落ち着き払っていたものだから、パスクアは瞬時に安堵してしまった。
――ああそうか、頼りになる高幹部が他にいたんだよな、 ……え? 誰でしたっけ?
くるりと振り向けば、そこにいるのはひょろき友のメインでしかない。
「俺がエノ軍を引き継ぐ。それが、父とアキルの遺志だ」
よく通る、迷いのない声だった。
声質は全く違えど、その呼びかけが個々の耳に達するさまはエノによく似ていて、だから男達は一瞬とまどいながら口をつぐむ。
「……いいや、話が強引すぎるぜ。メイン君」
隻眼の大隊長が、どすの効いた声で応じた。
「確かにあの二人は、あんたをかわいがっていたな。けど、仮に王の遺志が本当だとして……、あんたにこの兵団を統制する力と度量があんのか?」
長年、最前線を任されてきた男の声は塩辛くしなびて、話を向けられたメイン以外の者ですら、切り苛まれているような心地になる。
「戦場に出た事もねえ、優しい病弱な王子様の指示に従うなんざ、俺ぁ願い下げだぜ。ジュラさんが帰ってくるまでの仮の頭には、パスクアを推す」
周囲の男達はそれではっと顔を上げ、パスクアを見た。
いきなり名指しされて本人も驚いた顔をしているが、実はパスクアは横にいるメインの異変に気付き、内心大いに慌てていたのである。
――おい、よせ、やめとけって……!!
少しうつむき加減から、側髪を揺らして顔を上げたメインの頬に、あの緑色の文様すじが輝いていた。
「まあ、それが正論だろうね、あんたらにとっては。……けど実際のところ、俺がどういう奴なのか知らないだろう?」
メインの足元、環状に緑の光があふれ出したのに、近くの者が気付き始める。
「出ておいで、皆」
メインの優しい呼びかけに、その足元の光がもくもくと煙のように膨らんだ。かと思うと、おぞましい程に巨大な毛すじ芋虫が三体あらわれた。どれを見ても、大の男を余裕で上回る体長だ!
うねうねと光りきらめく緑と黄の奇怪な生きもの、三体とも縦垂直に立っているのには訳がある。
蟲たちの口部分の中には、陶器の仮面のような女の顔が入っている。それらがこちらを見てにっっと笑ったものだから、男達は恐慌をきたした。
「ぎぃやああああああああッッッ」
「精霊だああッッ」
「うわああああ」
皆が焦って、後ずさりをする。
――秘密にしとくんじゃ、なかったのかよ……!
唯ひとりパスクアだけが、別の意味ではらはらしながら成り行きを見守っている。
その時、後方でじゃきり、と刃を抜く音が立った。
「ますます、冗談じゃねえぞ!? 精霊使いが、俺らの首領だとぉ!」
長身長髪の中隊長が、周りの何人かをかいくぐるようにして踏み込んで来た。手の中の剣は明らかにメインを目指している。
「やめろッ」
制止しようとパスクアが声を上げたその瞬間、右手がふっと軽くなる。彼が持ったままだった、エノの長剣がひょいと宙を跳ぶようだった。
それはメインの手によってかすめ取られ、長髪中隊長の顎と首元の間に、すういと入り込む。
振りかぶろうとしていた姿勢のまま、中隊長は凍りついた。
「……アキルは、精霊召喚士を相当嫌っていたからね。その反応はいちおうわかる、何を吹き込まれたかは知らないけど」
ほとんど相手の後ろを取る形で、長い剣を器用にぴたりと吸いつかせながら、メインもまた微動せずに言う。
「でもそこまで忌み嫌う必要が、どこにある? むしろ、有効な戦局手段じゃないか」
ごくり、と誰かの生唾を呑む音が聞こえる程に、場はまたしても静まり返る。
芋虫妖精たちだけが、音を立てずにゆらゆらと光りながら体をくねらせて、どうやら目の前の騒ぎを楽しんでいるらしい。
するり、とメインが剣を下ろす。
その時刃に触れた中隊長の長い髪がひと房、細くはらりと切れる。
中隊長は手を首元に当てて、自らの恐慌を何とか押さえつけようと必死だった。
――やたらめったら、速いだけじゃねえ……! 何なんだ、こいつの研ぎ澄ましたような殺気は!?
自らに刃を向けた男に構わず、メインはくるりと周囲の幹部陣を見回した。
「これでもまだ俺の力不足が不満だと言うなら、出て行ってもらっても別に構わない。近くのイリー都市に行けば、喜んで迎えられるだろう」
右手に父の剣を手にしたまま、メインは相変わらずの平坦な調子で呼びかけた。
何も言わずにそれを見つめていたギルダフ中隊長は、ふと気づく。
――あの剣。エノは確か、両手で使っていたはずだ。それを、彼は……。
「でもまあ、そういう輩……裏切者と言うかな。そういう奴らはどっちみち最後、俺がこの手で≪丘の向こう≫に送ってやるけど」
丘の向こう。この世ならぬ世。つまりは死である。
元来、魂と精霊だけが行き来できるというその世を後ろ盾に、精霊に通じる小さな男が幹部陣を脅しつけていた。
メインの背後では、芋虫妖精たちが今も喜びにうねって、緑色の光を振りまいている。
それに照らされて影をまとったメインは、やがて低く宣言した。
「今日から、俺が王だ」




