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海の挽歌  作者: 門戸
父殺しの新王
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45 父殺しの新王1:エノ王の最期

「ちょっと、父さん。父さんてば」



 人のまばらな最上階の廻廊をひょいひょい大股で歩いてゆく父に、ようやく追いついてメインは声を上げた。


 広い露台になった部分から、白く日の差す場所へ出るところだったエノは振り返った。



「ん、どうした。メイン」


「どうしたじゃなくて、ちゃんと下の階へ行って、薬翁に見てもらってよ?」



 父の頬、傷に貼り付けた綿わたを指さしつつ、息をはずませて子は言った。



「何で? お前に手当してもらったから十分だよ」


「うん。もちろんしたけど、あの吹矢に塗ってあったのって、イリー産の蘭毒なんだって。俺も解毒したの初めてだから、ちょっと経過が心配なんだ」



 エノは目をまるくする。



「へー……。先行の連中が倒したキヴァンから、毒の使い方を教えてもらってたかと勘ぐったけど、違ってたか。……ほんとに?」


「お姫様本人が言ってたから、そうでしょ」


「けど、これだけ時間が経っても何ともないんだから、まあ大丈夫だろ」


「……」


「分かったよ、もう。じゃあここ行った向こう側、あそこの階段を降りるから」



 言うとすたすた歩き始めた。メインもその後ろに続く。


 冷たい白さだった朝の空は、正午に近づいてほんの少しだけ温かみを帯び、そこここに繁る常緑樹の葉を輝かせていた。


 海に向かってせり出したこの長い露台の一画は、監視のためではなく、単にテルポシエ王族に眺望を楽しませる目的で作られたらしい。柵壁もずいぶん低めで、本来なら矢狭間やざまのありそうな部分には樹々が植えられ、確かに海を見ながら歩くにはもってこいの場所である。これを建てたイリー人は、海から災厄が来るとは予期しなかったのだろうか。


 周囲には父子以外、誰の姿もなかった。



「テルポシエ人ってのは、よくよく変な奴らだよなあ」



 子に語ると言うより、独白のようにエノが呟いた。



「こんな高い所にわざわざ土を運んで、木を植えて……。森なんか、その辺にいくらでもあるってのに」



 さらっと手に触れた月桂樹の葉を、ぶちりと一枚むしり取ろうとして、エノはよろけた。



「お?」



 がふ、とそのまま月桂樹の枝に顔をぶつけてしまった。



「どうしたの」


「ん……何だろう、左眼にごみが入ったかも。ちょっと見にくいような……? あとで洗おう」



 首を捻って再び歩き出す父、その足取りを注意深く見たメインには、はっきりとわかった。



――効いてる。



 メインは綿わたに、最小限の解毒薬しか含ませなかった。意味がないくらいに。


 イリーの蘭毒はかすり傷程度では致命傷にならないが、局部を痺れさせる作用が高い。


 顔面、特に目元に入れば、平衡感覚を大いに狂わせる事が可能だった。


 使う者も少ないこの高価な毒であれば、さすがのアキルも常時の備えとして、耐性をつくる解毒薬を父に施してはいないだろう。



――来たぞ。この日が。



 十分な距離をとって父のあとをつけ始めた時、メインは自分の鼓動が早鐘のようになっていくのを聞いた。



「パグシー……」



 小さく囁いたその声に応じて、もやもやとした白い繭のようなものが、彼の足元から湧いて出る。


 そこからぱっと躍り出たのは、大きないも虫にまたがった、小さな妖精の騎手だった。



「……この一帯に、結界を張ってくれ。俺たちの姿が、他の人間の目につかないように」



 人ならぬものにだけ聞き取れるその声で、メインは素早く指示を出す。



『おうよ、任せな』



 やぶにらみの小鬼は豊かな蓬髪ほうはつを振り立て、くるみ色の顔をにっと笑わせる。


 いも虫がすうい、と宙を飛んで、ちらちらとわずかに光る軌跡を残してゆく。


 メインは毛織短衣の胸元、留め紐を緩めた。



「さっき、年の話が出たけど。お前もう、十九なんだよなあ」



 何も知りえないエノは、微かな冬日に照らされて呑気に語り出した。


 久し振りに静かな所へ来て、しかも側にはメインしかいないから、何となく気分が良いのだ。



「てことは、俺も戦を始めてだいたい二十年くらいか……。時間がかかったが、ようやく大きな拠点を手に入れた」



 やがてふと立ち止まり、低い柵壁の上に片手をのせ、水平線に目をむける。



「はじめは、東の定住民相手のけちな賊業だった。部下が増えて、考える単位がどんどんでかくなって」



 これまで自分の言う事に、息子が口を差しはさんだ事はなかった。


 あとで感想やら反論やらお世辞やら、そういったうざったらしいものを押し付けられる心配が全くいらない。


 エノにとってメインは静かな聞き手であり、だからよく本音をもさらしていたのである。



「戦いってやつは、全くやめられない味を持っていやがる。女を抱くよか快感だ」



 黒い革手袋をはめた左手、右手のひらをじ、と見つめる。


 その中におさめた、実体のない宝に見入るように。



「せいぜい、生きてあと二十年てところかな。俺は行けるとこまで、世界を手に入れるぞ」


「それは無理だ」



 確かに息子の声だったが、まるで別人に言い切られたように感じて、エノはぴくりとする。



「あぁ?」



 柵壁に半身をもたせかけたまま振り向くと、そこには誰もいなくて、左の視界がいやに狭まっている。



――また左眼が……



「メイン?」



 がっっっ、



 かつてない衝撃がエノの左顎周辺を襲った。


 王はその強い勢いに押されるまま、背後に向かってふわりと宙に浮く。



――いや、うしろは……海だろうがッッッ!?



 瞬時に覚醒したいつもの彼の本能が、壁のへりに腕を引っ掛けさせ、かろうじて転落をまぬがれた。



――おかしいッ、どうしたんだ俺の左眼は……いやそうじゃない、



「何の真似だ、メイン!」



 両足の先に空虚を感じながら、父は怒鳴る。


 認めたくない。しかし薄れぼやける左の視界の隅、自分に向けて高々と蹴りを入れて来たのは、間違いもなく彼の子メインだった。



「誰かにたぶらかされたかッ。そうだな!?」



――そうだ、そうでしかない。それ以外にあり得ない、一体どいつだ! よりによってメインに、俺の大切な子に俺を殺させようとする奴は……!?



「早く俺を引き上げろ、メイン! 今なら、何もなかったことにしてやれるッッ…… 俺は、お前の味方だぞ!」


「黙れ」



 やはり息子の声ではあるが、底知れない冷酷さを含んだその言い様に、エノは耳を疑い続ける。


 右腕でしがみついた柵壁のその向こうから、メインがこちらを見ている。息子は肌脱ぎになっていた。



――あの、緑の入れ墨はッ……!!



 エノはそれを見て、はっとする。


 混乱する頭の中で旧い記憶が呼び覚まされ、じわりじわりと背筋に悪寒が走り出した。



「生まれた時から、俺はあんたの敵だ」



 自分をじっと見下ろす、憎悪の双眸。


 そのすぐ真下から、まるで涙が伝い落ちるかのように、頬に緑の筋が流れている。


 その二本すじは首を伝ってメインの心臓の真上、渦巻く三つ巴へと流れ込み、また左右にわかれて両の腕へと枝を広げている。


 指先まで、その蠢くような文様は緑色に輝いているのだろう。


 この文様を見たのはこれが初めてではないから、目に見えるのが柵の向こうに立つメインの上半身だけでも、エノには容易に想像する事が出来た。



「もう、すでに結界を張った。助けは来ない」



 処刑宣告を言い放つメインの頭上高くでは、くだんの妖精騎手が懸命に飛び回って、露台全体をちらちら輝く光の糸でくるみこもうとしてた。


 いも虫のお尻から出るその糸がめぐらされた内側は、不可視の場となる。たいていの人間は見る事も、立ち入る事もできなくなるのだ。



「……メイン。しかしそれは、お前に関係のない怨恨だろう?」



 自分に対する子の真意をようやく目の当たりにして、エノは狼狽しつつも真摯に向かい合おうとした。



「俺にとって、お前は大事な子だ。本当にそれだけだ。そういう俺を殺して、何になる? ……引き上げてくれ、メイン」


「ほざけ」



 メインは両腕を上げたが、父を助けるのではない。


 手のひらを、指先を、何か禍々しい形にかざしただけだった。ちょうど連れている猟犬に向けて、狩人が獲物の鹿を指し示すように。


 そしてメインの背後に、もやりと浮きたつものがある。


 これもまた緑色をしている、樹のようなそれには目があり、そこから顔がかたちを取ってあらわれ、息子と全く同一の文様をまとった女の姿になった。


 彼女は後ろからメインを両腕で支えるようにして、自らの手をやはりエノに向けてかざしている。


 全てを思い出し、理解して、そしてエノはかなり久し振りに絶望した。



「あんたのせいで、たくさんの人間が、……女たちが不幸になった。俺を産んでくれた人も、育ててくれた人も皆だ。だからこれは、俺の怨恨なんだよ」



 言い放った後、メインは下方に広がる海に向けて呼びかけた。



――来てくれ、海の娘メロウたち!



 その願いに応えて、海中奥深くで目を覚ましたものが、水面を大きく泡立たせた。


 一方でエノは、数十年ぶりに自分に寄り添った懐かしいなじみの感情、絶望を抱き締めていた。


 まずは大きな溜息を一つ。またここからか、それでこそ俺。



「そこまで嫌われてたとはなあ。それでお前は病弱なふりまでして、俺を欺き続けてたっていうのか……」



 エノの右足。革長靴の爪先が、ほんの小さな壁石の出っ張りを探し出した。足場としては十分だ。


 力なく下げた左手の指先で、腰の長剣の柄に触れる。



「つまらんもんだな、子どもなんて。……あんなに手塩にかけてかわいがってやったのに……。結局は、敵かぁ」



 愚痴っぽく聞こえるエノの声音に、平生の冷たさがほんの少し混じったのを察知して、メインの本能がぞくりと警鐘を鳴らす。



――まだか!



 そのひるみの瞬間を、エノは逃さなかった。


 わずかな足場に全力を注いで跳び上がる、同時に左手で引き抜いた長剣を右手にばしと受け、柵壁上に左手で支点を作って、メインの真上に振りかぶった。



「敵ならば、」



 絶望から生き、強さを得てきた男は、躊躇ちゅうちょしなかった。


 その魂のあまりのくらさが、若いメインを圧倒する。



「始末せねばな!」



 エノが振り下ろした長剣は、大きな手応てごたえを得た。



 刃がメインの頭上に風圧を与えた時、何体もの“海の娘メロウたち”がエノの身体を掴まえて後方へと引き剥がした。切先がほんの少しだけメインの頬を裂いて、長剣は柵壁に食い込む。


 海の娘たちはそのまま流れ流れる流水の柱となって、エノを巻き込み、そして自分たちの宮である海下へと連れてゆく。


 メインの目には、父の最期の顔がくっきりと見えた。


 まっすぐにメインを見て……その残忍な瞳は笑っていた、心の底から笑っていた。メインに対するやさしさと憎悪、ふたつの想いを正直に表現しつつ。



――憶えておけ、メイン。お前は、俺の子でもあるんだぞ? いつの日かお前もきっと思い知る、略奪の味の甘さを。……そして、俺と同じ野望に呑み込まれるんだ。


 

 どおおおおお……



――その時こそ俺は、お前の中によみがえってやる!!



 おおおおおおおん!!


 展望露台の真下。巨大な岩々にひときわ大きな波がぶつかって、あかいしぶきをあげた。


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