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海の挽歌  作者: 門戸
エリン姫の出現
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44 エリン姫の出現4:王女エリン・エル・シエ

「ありがとな、パスクア。油断しちゃったい」



 座り込んで、息子メインに頬の傷の手当をしてもらいながら、エノは言った。



「けど、一体どういう事なんだろう? これ……」



 今度は慎重に後ろ手をひもで縛られて、エリンと四人の女たちは床に座らされた。


 負傷した傭兵達は担ぎ出されて、書庫の中は騒動まえと似た景色に戻った。



「そっちの白い服の子は、替え玉です。本物の王女はこっちで……」



 パスクアは、自分のすぐ足元に座るエリンに顎をしゃくる。



「はなっから、王の命を狙っていたんだ」



 若い兵士が控えめに歩み寄って、落ちている吹矢を拾い上げる。


 父の頬に解毒薬のしみ込んだ綿を貼り終えたメインが、目配せをしてそれを受け取り、観察する。


 パスクアは、女たちが使っていた武器を手にしていた。



――すごいな、この槍。いくつかの筒を重ねかぶせて、小さくなるように作られてる。



「そして、見事に失敗したんだから。とっとと殺しなさいよッ」



 憎悪のこもった怒号が自分のすぐ下から放たれて、思わずぎくりとしてしまった。


 王女にまちがいないのだが、さっきの奇襲時のあの気合いといい、何というおっかない声を出す女なんだろう?


 正イリー語だが歯切れの良さは下町風、肝の据わった喧嘩口上だ。



「早まるんじゃあ、ないよ」



 対するエノの声はのんびりしていた。


 内心で彼はわくわくしている、ウルリヒとエリンの相似が、ひたすら面白かった。



――いやあ、あの兄にしてこの妹だね! 挑発顔がおんなしだよ、やっぱり血縁はこうでなくっちゃ!



 先ほど、替え玉の娘に話しかけたその続きをするかのように、エノはエリンのすぐ前にしゃがみ込んで笑顔を向ける。



「あんたはテルポシエ王族の最後の一人だろうが。血統ってのは、いろいろ持っておくと何かと便利でね?」



 間近で見ると、その瞳が全く笑ってなどいないことに気が付いて、エリンは内心震撼した。


 必死で、憎悪を込めた挑発の視線を投げ続ける。



「ちなみに、いくつ? 発育前だし、十二か三かな」



 これには、エリンの中の何かがぶちりと切れた。



「目ん玉腐ってんじゃないわよッ、十八だわよッッ」



 座った姿勢から繰り出した、エノの膝頭への低い回し蹴りは、ささっとよけられてしまった。


 慌てて後ろからパスクアがエリンの両肩を掴む、……後ろへ蹴り込んで来るなよ!? あばらとかに!




「十八ね、ちょうどいいね」



 ふっと振り返って、今度は本物の笑顔で息子に呼びかけた。



「メイン! お前とさして変わらないし、嫁一号にどうかなあ!」


「嫌です」



 間髪を入れずに、メインも笑顔で返した。



「え、何で。見てくれはけっこうかわいいと思うけどなあ?」



――いや、ここまでこれだけ見せられたら、ねえ??


――おっかねっすよ! 王! 俺なら嫌!


――メイン君に大賛成! 替え玉の方がむしろ良い!


――絶対に寝首かかれるよ、危なすぎるよう。



 既に引き気味の野次馬たちは、内心それぞれの思いを抱きながら、はらはらしてなりゆきを見守っている。



「細身のひと、趣味じゃないから」



――おおおおおおおおお!



 あっさり言い放たれたメインの理由に、男達は大喝采をおくる(胸のうちで)。



「ああそうか、それじゃ仕方ないね」



 父もあっさり納得した。



「それじゃ次、公募を募ろうかな? 誰か欲しい奴ー、まずは幹部級からねー」


「うげえええっ」



 これにはさすがの野次馬たちも実声をもらし、恐怖の重唱が書庫に満ちる。


 そのざわめきの中、パスクアの手の下で、ごくわずかにだが女が肩を震わした。



「……」



 パスクアは押さえつけている女の頭、白金色のつむじに目を落とす。もちろん表情はわからない。


 あれだけ暴れてはみせたが、本当は恐怖でたまらないんじゃないだろうか?


 叫び出したいかもしれない、彼女にだってわかっているはずだ。けた側の女が、今からどんな風に扱われるか。


 人間じゃない、略奪品、分捕り品だ。わけまえとされるかもしれない。




 その時ふいに、さっき埋めたばかりの男が思い出された。


 ニーシュは問題行動とは縁遠かったが、時たま内輪同士の傭兵と喧嘩をすることがあった。


 理由はいつも同じ。堅気の女に乱暴しかけていた奴を、力ずくで制止していた。



・・・


「お前は確かに、シュウシュウの父親だけどさ。……何でそんなに、よその娘たちにまでこだわるんだ?」



 いちど、聞いてみた事がある。


 その時のパスクアは、傭兵達には発散も必要だと考えていた。


 年上の部下は、ぼこぼこにやり返された顔をいつも通りの苦笑にして、言っていたっけ。



「親父と違って、女が嫌がってなきゃ、俺は干渉しません」



 ニーシュの狭い天幕をこっそり訪ねての対話だったから、娘がその場にいた。


 何故か幼児はパスクアになついていて、小さな両手を彼の首に回し、三つ編みをいじくって喜んでいた。



「けど、そうじゃない場合……」



 遠い目をしていた。水を含ませた布で鼻血の跡を拭き取ると耳に、赤い貴石のはめこまれた片耳に手のひらをあてて、パスクアではない他の誰かに話すようにして、ニーシュは呟いた。



「それがどれだけ深い傷になって残るのか、俺は知っちまったから……」



 ・・・・・・・・・・。




「あの、王」



 両肩をゆるく押し出し、王女と平行移動でエノの方に振り向くと、パスクアは呼びかけた。



「俺に、預けてもらえませんか」



――今日のところは、お前を立ててやるよ。ニーシュ。



「へ、パスクア?」



 王は意外そうにきょとんとしていた。



「お付きの者たちも、かなりの槍の使い手のようだし。いったんまとめて先行配属にします」



 パスクアは王だけを見ていたが、その場にいる全員の視線が、彼に注がれているのを感じていた。



「王女の護衛役をするからには貴族階級でしょう。この城や宮廷の詳細にも通じているだろうし、もちろん正イリー語の読み書きもできる。……よね?」



 呼びかけと共に、床に座る女たちに顔を向けてみたが、全員が目を見開いて無言だ。まだ状況が呑み込めないのだろう。



「それに……」



 気を取り直して、エノに続ける。



「さっきエノ王が言ったように、この子はテルポシエ王族直系の最後の一人です。他のイリー都市国家群との関係を考えれば、いま殺してしまうよりも、人質あるいは交渉の手札として温存しておく方が、良いんじゃないでしょうかね」



 言いつつ、パスクアは胃の辺りが痛かった。あばらもだ。


 人が見る程、論理的にたたみかける事をパスクアは得意としていない。いつだって、冷や冷やしっぱなしの管理職なのである。



「……えらく熱心にすすめるな」



 エノが少しだけ首を傾げて言った。



「まあ、今回割合から見て、お前のとこの先行部隊もだいぶ減ったからね……。無理ないか」



 ふっと、溜息がもれる。



「アランはまだ戻らないのかい」



 ぐぐっ、とパスクアは痛む胃をさらにえぐられた気がする。


 アランもヴィヒルも戻らない、呼びに行かせたイスタも何故か帰らない。



「はい、……」



 とっさに目を伏せたから、エノの眼差しに一瞬ほんものの寂しさが宿ったのを、パスクアは見逃していた。



「いつも言うことだが」



 乾いた声が割り込んでくる。


 入り口扉の所、いつから見ていたのか理術士アキルが佇んでいる。



「そうやって、災いの種を自らためこもうとするのは、あなたの悪い癖だ、エノ。いつ何時、先ほどのように不意打ちされるかもわからない」



 薬の入った籠を手に、メインは静かに各々のやり取りを聞いていた。そして今、ちらりと理術士を見やる。



――その、通りかもね。



 少し前に進み出て、アキルはさらに口調を強めた。



「殺さないにしても、奴隷として遠方へ売り飛ばしてしまうべきでしょう」


「なっ……!」



 切り詰め髪の娘が息を呑んで、抗議らしい声を上げた。


 潮野方言でもアキルの言い方ははっきりしていたから、よくわかったのだろう。


 真っ青な顔を固くし、口元をわなわな震わせている。



「必要であれば、協力はいたします。戦力として加われと言うなら、従いましょう」



 そこへ力強く、凛とした美しい声が響いた。


 一番背の高い、年長の女性が、まっすぐにエノを見据えて言う。



「我々は姫様を守るために結成された親衛隊ですから、目的のためなら手段は選びません。仇にくみすることになったとしても、です」



 こちらも正々堂々、わかりやすい正イリー語だ。



「ですがもし、不当な扱いでもって我々を辱めるつもりなら、全員この場で舌を噛んで自害する覚悟ですけれども」



――この人、できるな。



 胸中でパスクアは嘆息をつく。



 これだけ多くの男達、それも敵に囲まれても、全く動じずに堂々と背を伸ばしている女性は、何か別の生きもののようにも見えた。


 テルポシエ騎士の草色外套、下は鎖鎧を着ている。これは確か一級騎士の装いだ。ふりではなくて本当にそれを着ていると言う事は、騎士なのだろうか。女性の騎士なんて初めて見る。


 まっすぐな白金髪を切り詰めているところは、さっき抗議しかけたもう一人の娘と同じだが、うなじの所で尻尾のように残したおくれ毛を、紅い手絡てがらでまとめている。


 感心するところがあったのは、エノも同じらしい。



「ほれ、この通りきっぷもいいしさ、アキルぅ」


「どういう理由なんですかッ」



 理術士は首を横に振ったが、軍総統はそれをあっさり無視する。



「名は?」



「テルポシエ王女エリン・エル・シエ親衛隊長、第一級騎士シャノン・ニ・セクアナ。


 並びに準騎士アンナ・リヴィア・ニ・セクアナ。ケリー、そしてクレア」



 場が静まり返る。はっとしてエノが言った。




「ええと、もう少し簡潔版でお願いできる? と言うか、誰がどれ?」



 その場にいた全員が感じたことを、エノは見事に代弁する。


 女性騎士は一瞬目をしばたたいたが、全く意に介さずに再び名乗った。パスクアが押さえる娘に、顔を向ける。



「私たちの主君、エリン姫様。私はシャノン。こちらが……リフィ」



 長い本名の代わりに、呼称の方で紹介された切り詰め髪の娘が、ひょいと頷く。



「その横にいるのが、ケリー」



 いちばん小柄な黒髪の子どもが、やはりひょいひょいと頷いた。



「白い衣を着ているのが、クレア」



 怯えた様子の娘は、うつむいて目をぎゅっと閉じたまま、動かない。



「以上」


「ありがとう、大変わかりやすかった! エリンにシャノンにリフィに、えーとケリーにクレアね」



――王様すげー、速攻おぼえたよ?


――いや、でもあの人忘れるのも早いよ。


――あの姉ちゃんかっこいいなあ、イオナちゃんとは全然別路線だよね。ねえねえ、シャノンってどういう綴りなのかな?


――俺、字書けねーよ。



 野次馬たちがざわつき出したところで、エノは明るく声を上げる。



「よーし、じゃ頼んだよ! あとで出納係よこすから、報酬や待遇はそいつと話して、ほんじゃね!」



 笑顔でくるりと踵を返す、理術士が岩のように渋く固まっていた。



「すげえ……まさかの採用だよ」


「今回ばっかりは、と思ったけどなー」


「エノ王、ふところ深すぎとちがう」


「そいつら餌って何たべるの?」


「あほ、俺らとおんなしだろうがよ」



 周囲の者たちが大っぴらに驚く。



「良かったな、お前さん」



 近くにいた傭兵に手の拘束を解いてもらいつつ、シャノンとその妹リフィは内心で呆れかえっていた。


――警戒しなさいよ、もっと……。



「あ、そうだ」



 書庫を出かけたところで立ち止まり、エノはパスクアを見る。



「パスクア、教育はきちんとしてくれよ? 私だっていつも調子いいわけじゃないからさ、次に奇襲されたら返り討ちで殺しちゃうよ。アランが戻ったら、面倒見てもらえばいいんでない」


「はい」



 自由になったリフィが、さっとエリンの側に近寄った。


 王女を抱えるようにして瞬時にパスクアの体から離し、そして後ろ手の紐をほどき始める。



「まあ状況が落ち着いてきたら、そのうち皆でお祝いしよう、じゃあ」



 手をひらひらさせて、王は書庫から出て行ってしまった。


 お祝いの意味がわからず、首を傾げたパスクアのすぐ近くで、メインが言う。



「父は、パスクアが王女と結婚したいんだって勘違いしたよ」


「なっっ」


「うん、そりゃもうばっちりと」


「どういう繋がり方の思考してんだッッ!?」



 ふっと見下ろせば、リフィとエリン、ふたりの娘がパスクアをじーと凝視している。


 メインとのやり取りも聞かれたに違いない、これはまずい、大変まずい。


 自分たちの潮野方言を、彼女らが完全に理解したのかどうか、その辺を突き詰めて考えている余裕はなかった。



「ごっ、ごめんな! 本気じゃないからな、王には後で話して誤解はとくからっ、……」



 なぜか狼狽して、必死に弁明しかけてしまう。


 だがパスクアの焦りに対して、姫の表情は彫像のように冷たく静まっていた。



「何でよ?」


「……姫様ッ……」



 エリンはリフィに構わず、パスクアを正面に見据える。


 みどり色の双眸が、ぎらりと意志の強さを輝かして、パスクアに挑戦している。



「あなたね。政略結婚が怖くて、“お姫様”やれると思っていて?」



 今度は、優雅な正イリー語の標準発音である。



「へっ……?」



 恐ろしいのになぜだか懐かしくもあるような、その深い翠の目に射抜かれて、パスクアはぎくりとした。


 そして同時にあばらがずきりとする。


 ふい、と草色外套を翻して、姫はパスクアの側を離れ、リフィが影のようについて行く。



「じゃあとりあえず、女性負傷者のいる棟へ連れて行きます」


「この剣は、誰のだったの?」


「さっきぶっ飛ばした奴らには、あとで謝っといた方がいいんじゃない」


「出納係ってどの階に部屋とったんだっけ、連絡しとくよ」



 一度自分たちの内輪と認められれば、多くの傭兵達は実務的協力的になる。


 皆がわいわいと騒ぐ中で、しかしパスクアはあまりの居心地の悪さに痺れ切って、動けなかった。



「……災厄は、あの娘どもよりもむしろ……」



 誰かの声が耳に入る。


 パスクアのすぐ脇を理術士アキルが通る、ついと振り返った顔に切りつけるような凄みがあった。



「……彼女らを生き残した、お前の行為そのものかもしれんぞ。若者よ」



 野次馬たちもやがて皆ぞろぞろと出てゆき、書庫には脇腹を押さえるパスクアだけが、何も言えないままぽつんと取り残された。




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