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海の挽歌  作者: 門戸
エリン姫の出現
42/256

42 エリン姫の出現2:ニーシュの埋葬

 昨日と同じ灰がかった白い朝が、今日も地に訪れる。


 もともと白っぽい石灰岩を多用して建てられたテルポシエの城壁とそこを取り巻く街並みは、今日も冬の日を受けてうすら寒そうに佇んでいる。


 園芸好きな国民性、寒い季節でも常緑樹の鉢が商家の軒先に目に付くし、露台の花壇に耐寒性のある花々を植えている家も多い。


 しかしそれらは今、戦争直後の略奪に怯える市民そのもののように、冷たい風に色を失って震えている。



 テルポシエ城の上階から、市街を見下ろすイオナの目に、縄に繋がれて黙々と歩き出る人々の一列が見えた。


 老人に女性、子ども、全部で八人つながれている。


 脇には黒ずくめの傭兵達が数人。


 転がされ倒された常緑樹の植木鉢をよけよけ、彼らは市内門の方へ歩いて行った。


 身代金を払えず、奴隷としてどこかへ売られてゆく、貴族の一家だろうとイオナは見当をつける。


 しかし彼らを哀れと思う事も、こんな不条理は間違っていると義憤にかられる事もなく、疲れ切った彼女の心はひたすら沈み込んでいた。



――あの人たちを連れていく奴隷商人が支払うもの、それが自分の報酬になるのだな。



 ただぼんやりと、そういう事実に思い当たっただけだった。



「まーた、こんな所で立ち歩いてっ」



 背後から声がかかった。


 ぼさぼさと下ろしただけの髪を、……キヴァンに切られて、変てこりんなぎざぎざになってしまったうしろ髪をなびかせて振り向くと、線の細い男が立っている。


 大きな籠を背負い、両手にもいくつか箱を抱えて、男は吹き抜け廻廊の出入り口からイオナに呼びかけていた。


 うるさいなあ、とイオナは思う。



「ぴんぴんしてるの、見てわかんない?」



 ぶっきらぼうに答えた。



「とか言いつつ、昨日も廊下で倒れてたじゃん。また薬をかえるんだから、早く戻ってよ」



 彼は事務的だ。部屋の方角へ顎をしゃくられ、イオナはしぶしぶ付き従った。




 まる二日の間、昏睡していたと後から聞いた。


 湿地帯でキヴァン毒に侵されたイオナが目を覚ました時、彼女はテルポシエ城の中にいて、とっくに戦争は終わっていた。


 言うまでもなく自軍、エノ側の大勝利で、降伏したテルポシエ王と貴族の騎士らは皆死亡していた。


 ごくかすっただけにも拘わらず、イオナの傷に入ったキヴァンの毒は、彼女を死の淵に立たせたらしい。


 その際、解毒治療で何とかイオナを生に繋ぎ止めた人物こそがこの線の細い男、薬翁の助手だった。


 ぱっと見、女性と思い違えてしまいそうな儚げな姿をしてはいるが、慣れた手つきで肩の傷口に布を巻く掌は、がさついていて大きい。



「いたた」



 豊かな胸にさらしを巻いただけの上半身でも、イオナは男に対し羞恥心を抱かなかった。



「まだ腫れが残ってるからね。はい、おしまい。お大事に」



 助手もまた、さばさばとした態度で道具を片付ける。治す者と治される者、お互い本当にそれだけなのだ。


 重く腫れぼったい右肩に苦戦しつつ、筒っぽ肌着から首を出すと、薬翁助手は既に同室の怪我人のところへ行っていた。


 この部屋には女性ばかり、四人が収容されている。


 エノ軍に女性傭兵というのはほとんどいない。イオナとその義姉は珍しい実戦要員の例なのだが、兵糧および軍馬専門の世話人の中には何人か女性がいた。同室の人々はそういったいわば非戦闘員で、とばっちりを喰らって怪我をしたという。



「しみて痛かったら言ってね?」


「いやッ、もう早速痛いんだけどッッ。痛いって言って、何とかなるもんなの!?」


「ならないよね!」


「ぐうッ、じゃ言わない方がいいんじゃないのッ」


「損得の判断は、お姉さんに任せます!」



 部屋の隅にいる年かさ女性は、だいぶ元気そうである。けれど助手との賑やかなやり取りも、イオナの耳には全く入って来なかった。


 前屈みに寝台に腰かけて、ぼんやりしていると、髪の束がはらりと目の前に揺れる。イオナはその端をつまんだ。


 もう何度目だか知れない、ニーシュの事を、彼を永遠に失った事を想った。



――兄ちゃんとアラン。早く、帰ってこないかな……。



「ちょっと邪魔するぞ」



 半開きになった扉の間から、男の声がかかる。


 室内をぐるっと見回して、見られたくない格好の人がいないかどうかちゃんと確かめてから、助手がもう少し広く扉を開けた。


 エノ幹部のひとり、先行部隊長のパスクアがそこに立っていた。



「失礼、皆さんどうぞお大事に」



 如才なく女性達に呼びかけて、まっすぐイオナの側へ来た。


 彼自身も負傷しているから、ひょこひょこと右腹をかばうような歩き方である。



「どうだ、イオナ」


「大丈夫です。パスクアさんは」


「だいぶ良い。これからニーシュを埋める、一緒に来れるか」



 思わずイオナは、目を見開いてしまう。


 見返す上司の顔は、静かに沈み切っていた。



「はい、……」



 ゆっくりと腰を浮かしかけた所へ、ひょいと肘を支えられた。薬翁助手だった。



「目が回ったらすぐに施術できるよう、俺も行くから。大丈夫、行こう」



 立ち上がると同時に、寝台にかけてあった巻き外套が手渡される。押しつけがましさはなかった。



「あんた、ここにいなくていいの?」


「うん、ちょうど薬翁と交代する所だったから」



 乾いたやり取りを、すぐ側でパスクアが無言のまま聞いている。




・ ・ ・ ・ ・




 ふわふわした妙な感覚に少々悩まされつつ、やって来たのは市内壁西側をくぐり出た外れ、いくつか続いていた簡易商家が途切れた場所である。



「ここは……」


「テルポシエ人の墓所を使うわけに行かないからな。今度の戦いで死んだ者は、ここの緑地に埋める事になった」



 都市で生まれ育ったものでないと、“緑地”という言葉の意味のつかめない場合も多い。


 ご多分に漏れず、イオナも“緑地”に引っかかって内心で頭を捻った。何だそれ?


 不自然な低さに刈り揃えられた草地は、あちこち掘り返されて小山が盛り上がり、まるで巨大なもぐらの襲撃があったように見える。


 そこここに作業中の傭兵達が散らばっており、そのうちのひと組がこちらに向かって手を振る。



「ああ、……そこだ」



 パスクアも手を振り返した。


 大地にあたらしく開けられた穴の周りを、先行部隊の同僚たちが囲んでいる。


 皆、イオナに向かって無言で頷く。



「じゃあ……降ろそうか」



 パスクアが低く言い、同僚たちは脇に置いてあった大きな布包みの何かを、四人がかりで持ち上げる。


 巨大な蝶のさなぎのようなそれが、ニーシュの身体であると思い当たるまで、時間がかかった。



「……毒が回り切ったせいで、傷みが酷い」



 彼女のすぐ横で、しかしイオナを見る事なく、パスクアがぼそりと告げる。



「もう、見ない方がいい」



 やがて、穴の中におさめられた布包みにどんどん土が被せられ、……それでおしまいだった。




 来た道を、城に向かって後戻りする。


 同僚達はみな無言で、時々溜息が聞こえるだけだ。


 一番後ろを歩くイオナに、パスクアが力なく声をかける。



「元気出せよ。仇のキヴァン達も、皆死んだし」



 イオナは短くパスクアを見て、頷いてみせる。


 そして何やら怒ったような、機嫌の悪そうな面持ちで言った。



「彼らの事、キヴァン達を憎んでなんかいないんです。わたしが怒りたいのは、むしろ……」



 両眼を、……イオナが大好きだったあのやさしい目を一線に切られて、そこからお腹から血を噴き散らしながら、さいごにニーシュがよこした笑顔と言葉。


 それが数日来、イオナを苛み続けていた。



――一体……何が“ありがとう”なの?



 苦渋に耐えられず、瞳を伏せてぎゅっと閉じ、唇を噛みしめると、イオナはふいと横に逸れ、小走りに城内へと入ってしまった。



「え? おい……」



 パスクアはイオナの背中に呼びかけた、そこで何も言わずにここまでついてきていたメインと目が合う。


 先行隊長はひょいと顎をしゃくって、先を行く部下たち、城入口周りの兵士たちの耳が届かなさそうな所……小さな堀にかかった石橋の上へと導いた。



「脇腹、どう」


「相変わらず、むちゃくちゃ痛くてたまんないよ。常に何かして、気を散らさないと泣きそうになる」


「変な人だね。安静にしてられないっていうのは」



――お前に言われたくないよ?



「うさ菊軟膏、塗ったげようか」


「いい。自分でやる」



 効果は高いものの、その強烈な匂いのせいで、他人に近づくのが忍ばれるほどの軟膏のことを思い出し、パスクアは溜息をついた。



「……あのな。お前がその……精霊呼んで使えるってのは、とりあえず誰にも言ってない」


「ありがとう。そのまま、秘密にしといて」



――イオナはどうだか知らんけどな。あの猫どもを見る前に、昏倒してたみたいだけど……。



 先程、ニーシュの仇のキヴァン達は皆死んだと言いはしたが、それを倒したのがこのひょろいメインだったということを、彼女は知っているのだろうか?



「正直、ぶったまげたんだからな。何だって、今まで隠してたんだよ? 俺にまで」



 平らかな調子、低い声でパスクアは続ける。


 メインを責めるつもりは全くなかった、むしろメインは自分を窮地から救ってくれたのだし。


 ただ、幼い頃から親しんで来た友が、ここまで大きく異なる別の姿を自分に隠していたこと、それが少しだけ寂しかった。



「……でも、ありがとな。助けてくれて」



 隣に立つとだいぶ小柄なメインは、パスクアを見上げて微笑した。


 その様子は、いつもと変わらない。



「……パスクアは、」



 ふ、と堀の水面に目線を落として、メインが答えた。



「俺の少ない友達のうちの、大事なひとりだから。だからこそ、知って欲しくなかったんだよね」



 落ちかかる長い黒髪のなかに透ける、横顔には哀しさが滲んでいるように見えた。



「詳しい話を、……」


「おーい! 聞いたかァ? 王女が見つかったって!」



 パスクアの問いは、けたたましい男の声でかき消された。


 城の入り口にたむろした者たち、守衛役の兵士たちに向かって、新情報を吹聴している奴がいる。



「なんか最上階の方に、隠し部屋があって!!ついさっき、壁をぶち抜いて引きずり出したらしいぞっ!」


「すげーっ、見に行こうッ」


「行っちゃおうッ」


「お前は門番だろッ」



「行こ行こ、俺らも」



 メインに左肘をぽんぽんとはたかれ、うっかり踏み出した時の脇腹痛がまた強烈で、パスクアはうげえ、と小さく呻いた。



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