41 エリン姫の出現1:クラグ浜のイスタ
白い朝だった。
なーなー、なーなー……。
かもめや浜千鳥たちの声が、波音の合間に混じって聞こえてくる。
湿った風に吹かれつつ、シエ半島の白浜をとぼとぼと歩く、一人の少年の姿があった。
とぼとぼ、と言うのは彼の主観であって、傍から見れば少年は異様な速足で突き進んでいた。
それでもイスタの気持ちはどんより曇って、真上に広がる温かみのない白い冬空のように冴えなかった。
――いねーよ。誰も。
年相応に紅潮した顔の上で、松葉のように先分れしたくっきり長い眉毛が、がくーんと下がっている。
――はあ……今、戦況どうなってんだろ……。
長期にわたって準備を進めて来た包囲戦からの対テルポシエ総力戦、傭兵見習となって月日の浅いイスタにとっては記念すべき初陣となるはずだった。
しかし直属の上司は彼を自分の班ではなく、伝令班へと組み入れた。
そして夜半にシエ半島までの連絡伝達、どんどん戦場から遠ざけられている。
文字が読め記憶力が良いのを買われて先行部隊の見習になったが、実戦初参加の機会を取り上げられたような気がして、イスタは面白くない。
――アランちゃんも、ヴィヒルさんも見当たらない。陽動役の海賊達は、確かにこの浜に待機していたはずなのに……。
連絡伝達先の人々が全く見当たらない。どころか痕跡すら見つけられないことに、彼ははじめ焦燥を、そして今強い疲労を感じていた。
――ずいぶん前に出航してしまって、先行の二人はもうとっくに本陣に帰っちゃった、って事だろうか? アランちゃん、すげえ仕事片付けるの速いからなあ。
彼は、親しんでいる女性先行員のことを考える。
いつだか一緒に湖畔で焼肉をした時、酔っ払っていたはずなのに恐ろしく手早く後片付けをしていたっけ……。
何の手がかりも得られないまま、イスタはやがて浜を通過して、崖地にたどり着いてしまっていた。
――うーん、もうだめだな。この辺の磯に……いるわけなさそうなんだけど……。一応探してみて、いなかったら俺も帰ろっと。叱られるんだろうなー、嫌だなあ。すれ違いになっちゃったのは、俺のせいじゃないのに。
ごつごつした岩場をひょいひょいと跳び進みながら、イスタは呼んでみた。
「アランちゃーーーん。いるー?」
入り組んだ岩々は洞窟のように、奥が見えにくい。
暗がりを覗き込みながら、再び呼ぶ。
「ヴィヒルさぁーーん」
――いないよねえ。
だが引き返そうとしたその瞬間、わずかに視界をかすったものがある。
もう一度岩場の奥、暗闇の中へ、イスタは両眼を細めて見入ってみた。
思わず、叫びそうになって両手で口元を押さえる。
イスタは全力で駆けた。
動揺が彼の神経を鈍らせて、磯のでこぼこに簡単に足をすくわれ、何度も転びかける。
砂浜と岩場との途切れ目が見えて来た。
後は浜を駆け抜けて海松につないでおいた軍馬を駆る、そうして街道を走って走って、本陣へ…イオナさんの元へ……。
涙が滲む。
必死に段取りをつける事で恐怖を紛らわせようとしていたから、岩陰からぬうっと躍り出た枯草色の大きな影にぶつかりそうになった時は、口から喉笛が飛び出るんじゃないかというくらいに驚いた。
「わあ、うわあああああっ」
反射的に腰を落として構え、腰の山刀に右手をかける。
ぱこおおおおおおん……。
明快な音が脳内に響き渡る。イスタはそのまま真っ白な夢の中へ、最後に振り仰いだ朝の空の白さと何ら変わらない虚無の中へと、叩き込まれて気を失った。




