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海の挽歌  作者: 門戸
テルポシエ陥落戦
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38 テルポシエ陥落戦18:ニーシュの最期

 白みだした空のもと、内陸部の湿地帯では、三人のキヴァン相手に三人の先行が“全力を行使中”だった。


 戦闘鎖の一投で、パスクアは自分に対峙する長身のキヴァン戦士の右腕を絡め取った。


 ……はずなのだが、逆にそれを引き巻かれて、反動で二人の間がわずかに縮まったその瞬間。


 予想をはるかに超える速さでキヴァン戦士の左腕が長く伸び、がしりとパスクアの喉元をつかみかけた。


 キヴァンの親指押しはそのまま致命傷になるはずだったが、たまたま着地点の布地の下にあったのは、パスクアが父から譲り受けた首環であった。


 表面にさりげなくあしらわれた無数の山型突起に刺されて、キヴァン戦士は思わず手を引っ込める。


 だが同時に、左脚で低め位置の強烈な回し蹴りを入れて来た。


 右腕右脚で受けたそれは恐ろしく重くて、防ぎきれなかった爪先が触れただけなのに、パスクアの肋骨は激震に揺さぶられる。


 若き先行隊長は目をむき、見返すキヴァン戦士の表情には勝算の喜びが満ちた。



 が、背後にふっと黒い影がよぎる。


 別のキヴァン相手に山刀で応戦しているニーシュが通りがかりに、パスクアにとどめを刺しかけていた男の右脚を、ふわっと払って行ったのである。


 これは全く予期していなかったらしい。


 キヴァンはごくわずかに体勢を崩し、次の瞬間にはパスクアが自分の腕からの鎖をそいつの首にかけて、背後を取っていた。



〔こいつら、本当に平地民かッッ?〕



 気道をふさがれる直前、キヴァンは思わず叫んでいた。



〔俺らの動きが、読まれているッ。不本意だが皆、毒武器を使え!〕



 イオナが繰り出す連打撃を避けながら、いちばん年若いキヴァン戦士が答えて叫んだ。


 ばしゅん!


 その口元近くを、鋼爪がうすく切り裂く。



〔このままでは、わからんぞッ〕



 必死に間合いを取りながら、たっぷりとした袖の内部に仕込んだかくしから、彼は極小の短剣を取り出した。


 本来ならキヴァン男性にとって、得物えものを使用しての戦いはありえない。


 彼らが伝統的に発展させてきた数々の毒と、それを塗り付けた刃は、女性が護身用に用いるものだ。


 それでも万が一の場合にと、キヴァン戦士たちは故郷を離れる際に毒武器を携える。


 身体能力で劣る平地の敵あいてに使用すると言うよりは、彼らの策略にはめられて進退きわまった時、自決するためだ。


 だから自分の相手の、ものすごく聞き取りにくいキヴァン方言を耳にした時、イオナは内心で衝撃を受けた。



――ちょっ……今、なんて言った? 毒!?



 そのすぐ後方、ニーシュにとうとう間合いを詰められていた年かさのキヴァン戦士は、この覆面傭兵の頭上を跳んで背後をとろうと試みる。


 平地民には真似できない跳躍、……ではあったが、ニーシュは既に彼の意を読んでいた。


 浮いた足首を的確に掴んで、垂直に地に叩き落とす。


 速く重いその動作、キヴァン戦士は信じられない思いで、腕を受けの構えに組む。指先に、さっと金属製のつけ爪がはまる。


 キヴァン戦士の背が枯草の上に着地した瞬間、ニーシュの右脚がその胴を強く押さえ、左腕の山刀が鈍く輝いた。


 終わりを認めたくなかったが、キヴァン戦士にその山刀の一撃を避けるすべはなかった。


 だから彼は最期の悪あがきとして、かろうじて右手を強く払った。


 ずぶりと深く埋まりこんで、彼の命をこの世と切り離す山刀の感触。その時、ごく間近に迫った覆面男が唯一露出している双眸を、思いっきり毒爪で引っ掻いたのである。



〔畜生ォォォォ〕


「っぎゃあああ」



 キヴァン語の悪態にニーシュの痛叫が重なり、それで思わずイオナは振り向いてしまった。



「ニーシュっっ」



 視界を失うその寸前、ニーシュの瞳にはその風景が映る。


 自分を気遣ってこちらを見る、赫毛あかげの美しいお嬢さん。そのすぐ手前にいる若いキヴァン戦士が、はっとして手の中の小刀を構えて――……



――馬鹿、前ッッ!!



 ニーシュは大きく前へ跳んだ、イオナのいるその地点へとまっすぐに。


 頭巾を跳ね上げ、覆面布を引き下ろす、一時的にでも触感を最大限に開放して、真っ暗に消えてしまった視界の代わりになれと願う。


 イオナの気配を、忘れるわけがないあの最惜いとおしい気配を、素早く右手で脇に押し出す。


 自分のすぐ前には別の気配、相当驚いた様子のキヴァン戦士の気配が迫って、それで右腹が勢いよく切り裂かれる。しなやかな革鎧は、キヴァンの斬撃の前には無力だった。


 自分の内部にあったはずの何かが、外に向かって噴き上がるのを感じたその瞬間。ニーシュはすぐ右脇にあるイオナの気配に向かって笑い、そして言った。



「ありがとな、イオナ」



 若いキヴァン戦士は、すぐに第二撃を構える。



――こいつ。見えていないはずなのにっ……!



 深く沈めた体を伸び上げるようにして、男の喉元をめざした小刀は正確に急所を貫き、そのうなじに切先が飛び抜ける。


 確かな手応えをキヴァン戦士は感じたが、同時に自分もこれで終いだと理解した。


 見えていないはずの男の腕がしっかりと彼の左肩を拘束し、逃れようのない山刀の一撃が心臓を貫いていた。


 かたく抱き合うような姿勢で、二人の男達は枯草の上に倒れ込む。


 どさり。



 ニーシュの腹に届く前、キヴァンの刃はイオナをかすっていた。


 高く結い上げていた髪が半ばで切られて、あかい羽片がはらりはらりと宙を舞う。


 肩口の布地を切り裂いて、微かな太刀筋がうっすらと肌に血を滲ませていた。


 イオナはこの一瞬に見たものを自分の中で消化できず、そろりと倒れた二人に近づく。



「――ニーシュ?」



 ようやく自分の敵の断末魔を聞き納め、戦闘鎖を巻き取ったパスクアが、顔を上げた。


 素早く目を走らせ、倒れたキヴァン戦士を数える。


 三人で仕留めた最初の戦士、自分の足元で息絶えた者、ニーシュが倒した年かさの男が少し遠くに、そして四人目は……。


 突如として静まり返った枯草の原は、文字通り全ての生が死に絶えてしまったように、風すら動かない。


 色のない世界で唯一、イオナだけがあかうごめいているのが見える。


 脇腹の激痛に顔を引きつらせながら駆け寄ってみれば、イオナは最後のキヴァン戦士の真上、うつ伏せに倒れた大きな黒い亡骸を揺さぶっていた。



「ほら、ニーシュ、いつまでのびてんの」



 ニーシュの首の後ろに刃の切先が出ているのが、彼女にはわからないのだろうか。



――そんな。ニーシュ。……即死……!!



「……イオナ」



 声をかけてみる。



「パスクアさん来ちゃったよ。任務はこなしたんだし、さっさと帰ろう。……」



 帰ろう、と言った語尾が涙に滲んだ。


 いや、イオナは理解しているのだ。



「今日に限ってどうしたの? 寝起きが良いのは、自慢のひとつだったじゃない、……」



 イオナは右手をニーシュの頭に、短く切った黒い猫っ毛の中に埋めた。


 パスクアは意を決して、言った。



「イオナ。とにかくキヴァンは倒したし、撤退しよう。ニーシュは……」



 後で本陣から迎えに来させよう、そう言いかけて口をつぐむ。


 切りつけるような視線を感じて見回したパスクアの視界に、信じられない(信じたくない)ものが映る。 



「冗談だろ……」



 それを察知してイオナもまた、蒼白になった顔を上げた。


 テルポシエ市内の方角。明るみを増す東の曙光に白い髪をちらちら鈍く光らせて、新たなキヴァン戦士の一隊が、間違いなく自分たちを目指していた。




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