33 テルポシエ陥落戦13:エノ王とメイン
「とうさーん」
聞き間違いかと思った。
しかし後ろを振り向いたら、息を弾ませた自分の息子がそこにいる。エノはぎょっとした。
「父さん」
「メイン!? お前、何しに来た」
少々棘のある言い方になって、父は内心で後悔する。すぐに言い足した。
「……お前には、本陣営の守備を任せたろ! 何さぼってんだよ、もう」
線の細い一人息子を、戦線に連れて来たことは、これまで一度もなかった。
「キブローに、留守を頼んできた」
「武装もしないで……。危ないじゃないですか」
理術士アキルも、横から口を出してくる。
本当にそうなのだ。帆布外套の下に軽い革鎧すら着けず、全くの手ぶらでメインは湿地帯まで走って来たらしい。
「勝手に持ち場を離れて、ごめんなさい。負傷者が出て、医療班の天幕がきつくなってきたって聞いたもんだから、薬翁の手伝いをしに来たんだ」
「あー、そうか、なら仕方ないな。それじゃ早く行け、本当に気を付けて通るんだぞ。とばっちりで怪我でもしたら、大損でしかないからな」
「うん。戦線、こっち方向だよね」
「そうだ。今さっき、先行がキヴァンとの戦線に出たから、私らはそれを迂回して市内へ向かう。お前は戦闘が終わった後も、しばらくは薬翁の医療班を離れるんじゃない」
「わかった。父さんも気を付けてね」
そう言うとメインは踵を返し、軽々と走り去って行く。
ほの明るくなってきた薄明の枯草原と傭兵達のなかに、その儚げな後ろ姿が消えてしまうのを見送ると、エノは溜息をつく。
「何だってあいつは、こう非力なのかね」
――まあ、弱くて戦いの役に立たないからこそ、公然と安全なところに置いとけるのだが…。
自分とあまりにかけ離れた息子の存在は、エノにとって唯一の痛みどころであった。
星の数ほども女を抱いて、生まれた子もずいぶんいたはずだったが、どれもこれも気が付いたらいなくなっていて、彼の手元にはメインだけが残っていた。
主に薬翁が面倒を見てくれたらしく、幼い頃から治療の心得がついていた。
それで良い、と軍総統はひそかに満足している。あまりに自身と異なるからこそ、大切に思うことができるのだ。
虫も殺せないような、この華奢な若い生きものを見ていると、何故だかエノの心は朗らかに照らされるようだった。
彼の周りにいる男達は、たいていどれも、死のうが生きようがそんなに気にならないのが多い。けれどメインだけは、失ったときの想像をすると、胃のあたりが苦くなった。
その理由を知らないまま、エノはメインの父親であり続けている。
「戦いには向きませんが、まじめで人好きのする良い子だ」
隣の馬上から、アキルが言ってよこす。
「その辺を汲めば、次期総統としても、ちゃんとやって行けるんじゃないですかね」
かくん、と小さくエノは首を落とす。
――こいつは頭は良いが、本当に俺のことを全くわかっていない。ここまでのとんちんかんを言えるとは、一体何年共生しているのだか……。
エノは、息子に自分のあとを継いでもらおうなどとは、露ほども考えていないのだ。飢えず、病まず、傷付かなければ、あとはメインの好きなようにすればいい。
エノは全く自覚していなかったが、彼は確かにメインを最惜しく思っていたのだった。
だから、息子がいちど視界から消えたあと、医療班の天幕ではなく戦線にむけて走って行ったことなど、知るよしもなかった。
彼だけに聞こえる小さな声に誘導され、テルポシエ人の作った旧い足場を巧みに選びながら、メインはどの歩兵にも見咎められることなく、湿地帯を軽々と進んでいった。口の中で、エノの息子は小さく呟く。
――ぜんぶ予想どおりだな、今のところ。




