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海の挽歌  作者: 門戸
テルポシエ陥落戦
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31 テルポシエ陥落戦11:エリン姫

 テルポシエ城の最上階ちかく、細長くとられた空間のなかで、エリンは膝を抱え込んでいた。


 貯蔵庫、あるいは穴倉のような石壁づくりの部屋の中には、燭台が一つだけ灯されて、長椅子に座る者たちの面影をぼんやりと浮かび上がらせている。


 少し前までは編み物をしていたのだけれど、ふと疲れをおぼえたエリンは、編みかけの肩掛けを籠に突っ込んだ。


 眠い、というわけではない。頭のどこかはむしろ熱く覚醒していて、横になっても延々と考え事を続けてしまいそうだ。


 これまでに聞いた戦況、そこからの展開を想像し始めると、不安な結末しか思い浮かばなくなる。だから戦略考察はやめて、静かに目を開けた。



 自分の正面に座っているシャノンを見る。


 草色外套をふわりと体に巻き付け、右手を長槍に添えたまま、騎士はやはり硬い長椅子に沈み込むように座って、目を閉じていた。



――シャノンには、わたしのそばじゃなく、ウルリヒと一緒にいてもらいたいのに……。



 今更どうにもならないことを、残念がってみる。


 旧家のひとつセクアナ家長子のシャノンは文武両道、誠実な性格で、テルポシエ騎士のかがみみたいな人だ。唯一の欠点が女であること、陰口であるいは公然と、皆にそう言われてきた。本人はさばさばとして気にしていないのが、また周囲のしゃくに触ったり、逆にさらなる憧憬を集める原因になっている。


 けれどエリンは、シャノンが女性で本当に良かったと思う。


 だからこそ兄は、シャノンを想っているのだし。


 この間はお妃さがし、なんて話を振ってからかったけど、兄がとっくに心を決めていることはわかっていた。あとはただのきっかけ探しで、この戦争さえ無事に済めば、公表するのに丁度よいだろう。≪かたわらの騎士≫として、そして未来の正妃としてのシャノンを。



 ただ心配なのは、包囲戦の行方だ。


 誰に聞いても大丈夫、としか言わないけれど、エリンは自国の防衛力に穴ぼこがたくさん開いていることを知っている。


 だから万が一、兄が矢面に立つような事態になっては、と思う。


 腕っぷしの強さも判断力も瞬発力も、残念ながらウルリヒは際立ってひいでている、とは言えなかった。常識的な感覚があって根がまじめで優しいのは、元首としてはよろしいのだけれど、土壇場で背中を守ってくれる人がいるだろうか? 男子顔負けで素早く立ち回れるシャノン以外に、適役なんぞいないと思う。



 ふいにその端正な面長おもなが顔を持ち上げて、シャノンが目を開ける。


 どきりとして、エリンは彼女の目線を追った。


 ひっく、 しゃくり上げる声が部屋の反対側にあがった。



 薄暗い片隅、簡易湯沸かし設備と小さなかまど兼暖炉の前で、白い長衣を着た娘がうずくまっていた。声を押し殺して、泣いているらしい。別の娘が、傍らに寄り添って背中をさすった。



「どうしたの、クレア」


「……外に、外に出してください。お父さんの家に、帰りたい」



 自分の白い長衣と頭巾とを身に着けている、その町娘の口からか細くもれ出た哀願は、エリンの胸をえぐった。


 思わず立ち上がり、そばに駆け寄る。


 かたく握りしめた両手を触ったら、氷のように冷たかった。



――ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。



 心の中で謝りながら、エリンは自分の肩掛けを外してクレアを包んだ。その上から抱き締める。


 町娘の背を撫でていたわっていた娘、騎士見習の深緑外套をまとった切り詰め髪のリフィも、優しく囁く。



「姫様ごめんなさい、……クレアは、疲れているんだよね。向こうで少し、休ませてもらおう」



 頭巾からこぼれる町娘の金髪が、エリンの頬に擦れた。



「大丈夫だよ、クレア。ウルリヒ様が、わたしたちの王様が、必ずテルポシエを守ってくださるから」



 リフィの声には、迷いも疑いもなかった。


 クレアはうなづいてゆっくり立ち上がり、リフィに伴われて続きの部屋へと消えていった。


 その後ろ姿を追いながら、エリンは下に羽織っていた、二着分の草色外套の襟を正す。内側のは自分用、上に兄のお古を引っ掛けている。乗馬用股引に革鎧、革長靴を履いて、エリンは騎士のような出で立ちをしている。……だいぶ着ぶくれてはいるが。



「寒くありませんか」



 静かにシャノンが質した。



「わたしは大丈夫。外套二枚重ねだから」


「……暑くありませんか」



 今度はちょっと、笑いを含んだ声だった。


 体を冷やすなと言って去った兄。


 その言い付けをかたく守ってさえいれば、ウルリヒがいつまでも無事でいるような気がして、エリンは籠の中の編みかけ肩掛けに手を伸ばした。



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