30 テルポシエ陥落戦10:キヴァン傭兵
「もう一刻もすれば、夜明けだな!」
「何言ってるんですか、当分先ですよ」
少々浮かれたようにうそぶいたエノ王を軽くたしなめてから、アキルは前方に鈍く光る戦線を見つめた。
湿地帯にはところどころ熾火のような灯がともっていて、緩やかに枯草や地表の泥炭を燃やしている。
陽動として先から放ち続けている火矢がそのまま、燃え広がっているのだ。
――懐かしい風景だ。
心の隅で、アキルは思う。
彼の生まれた地では冬の祭日の夜、山頂付近に幾つもの灯をともして祝う風習があった。幼い時分、それを遠巻きに眺めていた記憶がある。
闇の中に浮かぶ炎というのは、つけられた経緯はどうであれ、ひとの心に何かしら呼びかけて来る力を持っているらしい。
「さっきの報告で、第三壁まで進んだと言ってたな。一番ややこしい部分はもう半分過ぎたってことだし、あとは騎馬隊でどかんと……」
「エノ王ッ」
理術士のたしなめなど全く耳にしていなかったように、軽い調子で続けていたエノだが、伝令に呼ばれてふと口をつぐむ。
「第二班が撃破されました」
「へ?」
確か、先だって一番最初に第三壁へ到達した連隊だ。
「第一班と第三班が流入して交戦していますが、もうもたないそうです」
「そうか……。いくらなんでも、向こうも立て直してくる頃か。そいじゃ、後方のどこの班を回すかな」
この程度は想定内である。エノは頭の中で、温存しておきたい班とそうでないのを瞬時に整理する。
「あと、あの……第二班の四十名を壊滅させたのは、たった四人の兵なんだそうで」
「はあ?」
これは少々想定外だ。
「何それ。テルポシエ騎士に、そんな強いのがいたっけ?」
「いえ、どうも外部傭兵らしいです。奇妙な風貌の奴らと」
「ほー、どんなの?」
「白っぽい髪と、浅黒い肌をしているらしく」
エノは隣のアキルと顔を見合わせた。 ……お前じゃん?
「それが重装備なしで、じゃかじゃかぶんぶん跳び回ると」
「それを先に言わんかッッ」
アキルの怒声が鋭く響いた。
「王! いったん戦線を退いて下さい。うちの重装歩兵たちは、彼らとの戦い方を知らない!」
・ ・ ・ ・ ・
その時、エノのいる騎兵列から半里ほど離れた第三壁では、ここまでひそやかに進軍できていたエノ傭兵の別の一隊が、新たに獲物を見つけた所だった。
石壁の裏に、何人かの市民兵……二級騎士たちがかたまっている。
それを背後から突こうとした時に、屈みこんだ彼らの頭上をひゅいっと跳んだものがある。
とん、ととん。
頭巾と革鎧のつなぎ目、ほんのちょっとのその隙間に、的確な動作の手刀が打ち込まれた。
一瞬で頚髄を破壊され、あるいは頸動脈を圧断されて、大柄な歩兵たちは次々に地に頽れてゆく。
たった一人でその一隊を戦闘不能にしたのは、ごく若い青年のようだった。
市民兵たちが気付いて、小さく手を上げたが、それにこたえるでもなくふいと身を翻す。少し離れた所に気配を消して佇む、同士たちのもとへ歩み去って行った。
・ ・ ・ ・ ・
「間違いありません。むこうには“キヴァン”がいます」
「うちにだっているだろうが、お前が」
まったく動じずにエノが答える。
「アキル、説得に行くか? テルポシエより好待遇で買収するから、通訳しろよ」
理術士にぎらりと睨みつけられて、笑いを口元に貼り付けたまま、エノは首をすくめた。
キヴァンとは、アイレー大陸北部の山岳地帯に住む人々の総称である。
イリー都市国家群、ティルムン、どこの勢力にも属さず、独自の文化圏を維持している。
過酷な環境下において培われた、屈強な肉体と伝統的な体術とを彼らは誇った。数は多くないが傭兵として出向く者は、各地で重宝されている。
「とにかく。そんなのがいたんじゃ、歩兵を投入するだけ無駄ですよ」
――テルポシエの奴らめ! 一体いつの間に、とんでもない傭兵を買い入れたのだろう?
アキルは訝しんだ。傭兵の流入はどこでもいつでも見られるものだが、これを封じる意味でもずいぶん早い時期から街道の封鎖を行い、海賊たちに周辺海路をうろつかせておいたのだ。キヴァン達は言語の問題があるから、自分達だけで旅をすることはまずありえない。仲介業者を通してテルポシエ陣営への流入があれば、簡単に情報を入手できたはずだった。
「……けど、つまり。半端なく強いそいつらを突破できりゃ、テルポシエ市内まではさくさく楽勝ってことだろう?」
エノ王の声はむしろ弾んでいる。
「簡単に言わないで下さい。騎兵三百騎が通るには、どうしたって湿地帯のならしが要るでしょうが? 今は工兵たちがようやく第一壁に取りかかった所ですから、市外壁突入は早くても正午まえですよ」
エノは、アキルをまっすぐに見た。口角がにいいいっと上がる。
「そうだよなあ、そういうことになってるよな。誰だって、ふつうはそう考えるな。うんアキル、お前は正しい。ところで」
そこでエノは振り向くと、ちょいちょいと手を振って、伝令役の先行を呼ぶ。小さいのがすっと寄って来た。
「キヴァンがすばしっこくて、一人で何人も倒せる闇討ち得意な奴らって言うんなら。うちにもちゃんと、似たようなのがいるじゃないか?」
・ ・ ・ ・ ・
「俺らぁ??」
パスクアは目を見張って、エノ王の伝言を通達した部下を見下ろす。
「はい、エノ王が直々にそう言われました。特にヴィヒルとイオナの兄妹によろしく、って」
――いや、ヴィヒル別行動でいないんだけど!? 俺ちゃんと言っといたけど、聞いてなかったのかおっさん?? しかもキヴァン相手って……何それ!?
めちゃくちゃな命令もここまで想定にないのが来ると、さすがのパスクアも不快感を通り越して胃が痛い。
脇のあたりに冷や汗を浮かす彼の横で、イオナが低く言った。
「行くしか、ないですね」
ちょっと首を傾げて考えたあと、目の前の伝令役、見知った少年を見た。
「イスタ君。悪いけど、頼まれてくれるかな」
「はい?」
先行見習はイオナに頷く。
「シエ半島で待機してる兄と義姉に、このことを伝えて、できれば連れ帰って。王様の意に沿っているから、この場合は優先してもらえると思うんだけど」
「うん、そうだな。陽動監視はイスタ、お前が交代してくれ」
パスクアも口を添える。
「了解です、すぐに馬で向かいます」
イスタが走り去ると、イオナはパスクアを見た。
「大丈夫。キヴァン達とは以前戦った経験があるし、出方は知ってます」
「……勝算あるのか? 四人くらい、いるらしいぞ」
「時間は稼ぎます」
イオナは巻き外套の内側、腰に提げた鋼爪に触れて、がちゃりと揺すり上げた。
「……全員倒せるかどうかは、わからないけど」




