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海の挽歌  作者: 門戸
テルポシエ陥落戦
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29 テルポシエ陥落戦9:海賊との闘い

 近づいてゆくと、船の周囲に何人もの男たちがたむろしているのが見えた。


 二艘の船の間には小さな焚火が作られていて、それを囲んで暖を取っているらしい。


 ひとりが気付いて、アランとヴィヒルに手を振った。



「よう。あんたらかい、先行の人って?」


「どうもどうも、こんばんはー」



 女が来ると思っていなかったのだろう、その場にいた十数人の男たちは皆、一斉に驚いたように黙りこくった。



「お疲れさん、何か緊急伝達は?」



 お仕着せの墨染すみぞめ衣に革鎧を着たこの男は、エノ側から派遣された者らしく、慣れた言い方である。



「ありません、現時点では全て計画通りです。ジュラさんは?」


「今、呼んでくるよ」



 男は片方の船に向かい、甲板から垂れ下がった縄梯子を登って行った。



「こんなお寒い中、みな様ごくろう様でございますー」



 子どものような大きさの女に、如才なく愛想を振りまかれて、焚火を囲んでいた男たちはずいぶん気を緩めたらしい。



「どうってことねえやな。今日なんか生ぬるあったかい方だぜ、ねえちゃん」


「ほー、さっすが海の男。じゃあ皆さん、もっと東の方とかにも航海しちゃうんですか? めちゃめちゃ寒いんでしょ、あっち」


「いやあ、俺らのしま・・はだいたい、このシエ半島からちょい先にとどまっているんだがね。ここらの海の上は、風が出るとそらもう!おっ寒くてたまんねえのよ」


「それでも皆さんは平気なのね! たっくましいわあ、かっこいーい」



 おだてられて、既に少々酒の入っているらしい中年の男達は、ひげと刀傷の入り混じるむさ苦しい顔をほころばせている。


 馬を引いたまま、少し後方にたたずんでいるヴィヒルには、誰も注目していなかった。



「ねえちゃんこそ、道中寒かったろ。あっちの焚火のそばに、林檎りんご蒸留酒のびんがあったまってんだ。一杯やんな」


「まっっ素敵! でもそんな高価なもの、一体どうやって手に入れたの?」


「ああ、簡単よ。ファダン岬で張ってりゃ、ガーティンローの金持ち向け商船がちょろく脅せるからさあ」


「ほー、ほー! ゆすって、無理やり贈り物させるってことなのね?」


「うん、そうだな。昔はどこで誰とぶつかっても、派手にどんぱちやったけどよ。今はそこまで体を張るより、親父の小手先でうろちょろしてるだけで、食い扶持ぶちも稼げるからなあ」



 親父? 誰のことかしらね、とアランは思う。



「ほらあ、海賊さまって言えばさ、もうズドーンといきなり村や町を襲って、何にも残さず根こそぎ掠奪ぅー! いなごかよー! って感じがしてたんですけどぉ、今は違うんですのね!」


「あっはっは、そりゃ大昔の話だぜ」


「賊も時代の波に乗ってんのよ」


「にしてもあんた面白いな、ねえちゃん。お名前を教えてくんな」


「アランっていいます。よろしくね!」



 華やかに名乗ったその時、どこかでじゃらりっと変な音がした。



「おめぇ!」



 つぶれたようなしゃがれ声が続く。


 アランと男達が顔を上げた先、近くの船の甲板から、頭をぼさぼさに振り乱した老人が体をのり出していた。



かたんちの娘っこのアランだろ、おぇ!?」



 アランは胸をえぐられた気がした。


 一拍置かないと意味が伝わってこないような、すさまじい東部なまりの潮野方言。



「何だよ、生きてたのかよ……おぇ!」



 焚火の炎は弱かったが、アランの目にはそのくたくたに痩せさらばえた老人が、いまや大粒の涙をぼろぼろとこぼしているのが映った。



――思い出したッ! 森際に住んでたおじさん!? ……、何でここに!?



 老人はじゃらりと手を動かして涙をぬぐう。その両手には金属の環がはめられ、鎖が続いている。


 と、船べりにもう一人別の男が現れ、手にした何かで老人の肩あたりを激しく打ち据えた。


 老人はたちまち引っ込んで、地上からは何も見えなくなってしまう。



「気にすんなよ、ねえちゃん。長いことぎ手で使っている爺さんなんだが、最近ちっとぼけ始めたらしい」



 ネメズの集落のことばは、男達にはほとんど聞き取れていないようだった。


 おかしくなった奴隷に声をかけられて、アランがびっくりしていると思い込んだのだろう。



「気を悪くすんなよ。酒、どうだい」



 誘いかけた中年男のあごのあたりに、すうっと細い手指が伸びた。



「……おじさんの首環、とっても素敵ね」



 さっきまでとは打って変わった、艶めいた調子で囁かれて、男はどぎまぎする。



「ね、もっと良く見せて? どこの地方のものかしら」


「お、おう。これかい? どこで買ったっけなあ、若い時分にな……」



 嬉々として首巻を取り、上着の襟をはだける男を見て、周囲の者もでれでれと笑い始める。


 すぐ下で見上げていた女は、小さな顔に満開の笑顔をたたえた。



「買ったなんて、嘘。奪ったんでしょ」



 ひゅいっ、と小さな風が吹き抜ける。



「え、何でわかっ……」



 にやついた男の顔が固まって、次の瞬間その喉元に、針と見まがうほどに細い小刀が突き立った。


 くらり、自然な歩みで倒れ込む男をよけると、アランはすぐ脇でやはりにやついていた男の前へ移動する。


 その男の上腕が何かですぱりと切られて、ひらいた生地の中に、血すじの浮いた肌がのぞく。


 と同時に、ヴィヒルが後方から歩み寄った。


 ばん、どん。


 瞬時に状況を理解できない海賊たちは、ものの一撃でヴィヒルに昏倒させられていった。


 いま四人目が倒れる。



「て、てめえっ! 何しやがんだッ」



 ようやく何人かが、腰の得物えものを抜いた時、炎を前にアランとヴィヒルは背中を合わせていた。



「五ー四、あたしが五人やる」



 冷たい声で言い放つと、アランはいちど身を低くしてから、一気に跳んだ。



――まちがいない。



 立ち向かってくる男達に、遠い風景が重なる。


 あの、泉のそばの大きな古い樫の木の裏から見ていた風景……。



――“あいつら”だ。



 短剣に山刀、大振りの武器を使って力まかせに叩き込んでくる男達は、アランが最も得手とする獲物である。


 単純な太刀筋を瞬時に見切って、滑らかにかわす。


 優し気に見える程の柔らかな手付きで、すとりすとりと極小の小刀を敵の首筋に突き立てていった。


 ほとんど痛みすら感じさせないその一撃が何なのか、彼らは知る前に昏睡の中へ引き込まれてゆくのだ。


 ひとり、ふたり、三人と海賊たちは倒れていった。


 そこでぱっと振り返ったアランの頭上に、何かが飛来する。


 誰かが、焚火の中から燃えさしを取って投げつけたらしい。


 その小さな爆撃を、アランは一閃した。


 右手にした短剣、ほとんど鎌のようにも見える刃の反り返った得物えものの先で、叩き落としたのだ。



「女相手に飛び道具とは。恥を知れうぬら、海の男が聞いてあきれる」



 地の底から響くような、その低く濁った声は、残った男達の耳孔に入るやいなや、痛みを伴ってずりずりと頭の奥へ入り込む。


 言いようのない奇怪な不快感で全身を満たされる。一人が突然何かを吐いて、砂の上に突っ伏した。


 おぞましい感触に躊躇した別の男は、今まさに背後からアランの首を絞め上げようと手を伸ばしたところだったのだが、逆にその手をふわりとつかまれたかと思うと、驚く間もなく前方へすっ飛ばされた。


 砂の中へ派手に頭から突っ込んだ次の瞬間、ヴィヒルの棒の一撃が後頭部に刺さる。


 燃えさしを投げつけた男は新たに木切れを掴んでいたが、何故か体がしびれたように立ちすくんでしまい、アランを見たままぶるぶると震えていた。


 その目をまっすぐ見返しながら、すたすたと近寄ると、アランは焚火を挟んで男と向き合う。



「年は、いくつだ」



 ほんの少し前まで陽気に喋っていたのと同じ女とは思えない、老婆のような話し方に豹変している。


 髪と瞳に、焚火の炎が映り込んでぎらぎら輝く。


 男はやっと、答えた。



「に、に、じゅうろく…」



 アランは頷いた。



「そうだろうよ。若く弱く愚かなお前は、私の理由には関係ない。座れ」



 男はがちがちと歯の根を合わせながら、その場に座り込んだ。


 するりとその背後に回り込むと、アランは素早く男の首巻を取り、それで彼の頭を覆う。


 さらに男の腰から革帯を外し、後ろ手をぐるぐると縛り上げてしまった。



 アランは周囲を見回す。


 一面に、倒した海賊どもがごちゃごちゃと転がっていた。


 その一人の上に、ヴィヒルが屈みこんでいる。


 立ち上がってアランに歩み寄ると、手に提げたものを差し出した。



「……」



 自らもそれに触れながら、アランは呟いた。いつもの声に戻っている。



「……これは、隣のおじさんの。一番の舟のりだった、フクーさんの。 ……あたしの、とうさんの……。」



 最後に触れたその首環は、酒をすすめて来た、あの中年男の首からのぞいたものだった。


 草木の文様が丸っこく、かわいらしい程にふっくりと浮き彫りにされている銅の装身具の表面に、ぼたぼたと涙が落っこちた。



「やっと会えたぁぁ。……おとうさぁぁん」



 嬉しさとかなしさ、最惜いとおしさのまじったかすれ声が、アランの喉からもれ出た。



 ぼたり。


 その時、何か重いものが落ちる音がして、二人は瞬時に身構えた。



「そうかそうかそうか、そういうことかい」



 声の主は、船べりに身を乗り出して両手を組み、のんびりした様子でアランとヴィヒルを見下ろしている。



「装飾を見ただけで誰のものだったかわかるくらいに、大切な首環だったんだな。お前さん達にとっては」


「ひえっ、これは一体!?」



 続いて顔を出した墨染上衣のエノ軍傭兵が、大男の後ろで仰天している。



「ジュラさんがさっさと起きてくれないから、何か大変な状況にッッ。……って、なんで両手が真っ赤なんですかっ」


「うるさいよ、お前は」



 ぱたん。大男が繰り出した裏拳を顔面に喰らって、傭兵は真横へ倒れ込んだらしい。


 そのまま静かになってしまった。



「とりあえず初めまして、だな。俺はジュラ、エノの手先の中でも、最も旧い面子めんつの一人だ」



 アランは大男と、そしてそのすぐ下の砂の中になかば埋まったものを見て、凍り付く。



「変わった三人家族が先行に入った、てのは聞いてたけどよ。さすがの俺も、気が付かんかったなあ」



 大男はひらりと身をひるがえすと、船上から飛び降りた。


 そこで初めて、手にした巨大な長剣の存在が明らかになる。


 なるほど両手が真っ赤だ、長剣の刃のところも。



「“ネメズの民”に、生き残りがいたとはね」



 ごつい革長靴のかかとで足蹴あしげにしたものを、ちらりと見やった。



「同郷の奴は、このじいさんで最後だったかな?」



 アランはぎりりと奥歯を噛み、外套の袖の内で両手に短剣を握りしめた。



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