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海の挽歌  作者: 門戸
テルポシエ陥落戦
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27 テルポシエ陥落戦7:幸運のしるし

 海湾都市テルポシエの内陸部は、三方とも湿地帯に囲まれていた。


 古代の植物が堆積して層をなすその土は、夏季には湿気を含んでところどころに底なしのぬかるみを作る。


 しかしこの泥炭は乾燥させると、持ちのよい燃料になった。煉瓦状に切り出されたものが、テルポシエ市民の間でも調理・暖房に利用されている。


 エノ軍は、この性質に目を付けた。空気乾燥が強くなる冬場、枯草に火をつけさらに地表面の泥炭を軽く燃やして灰を固め、臨時の足場を作ってから騎馬で侵攻してくる。


 ……誰もが、そう考えていた。



 ぼっ。


 暗闇の中、半ば崩れかけた石壁の裏に潜んでいたテルポシエ市民兵たちの数歩さきに、火矢が落ちる。


 枯草をなめるように炎が広がり、辺りが急に明るくなった。



「よし……。この後、続いて工兵が来るはずだ」



 そいつらを数人がかりで待ち受けてつぶしていく、それが彼らの受けていた指令だった。


 しかし、隊長格の男は静かに前に進み出ようとしたところで、頭に一撃をくらって倒れ込む。


 全く別の方向、つまり城側の闇から浮かび上がって来た黒ずくめの傭兵達が、ものも言わずに次々と市民兵たちの息の根を止めていった。




「火は、ただのおとりだ。草を燃やして灰にして埋めて、……なーんてそんな面倒くさいこと、私が本気でするわけないだろが」



 いまだ、湿地帯の外側にずらりと騎馬隊を並べたまま、その一画でエノは笑った。


 夜目のきく重装歩兵部隊は、すでに前方かなり深くまで侵入している。


 騎馬隊方向から放たれる火矢に寄って来た敵側伏兵の市民兵を、背後から次々と襲って始末する形で、不気味な戦線は音もなく前進していた。



・ ・ ・ ・ ・



「どういうこと? 前にアランに言ってた作戦と、全然違う」



 白く息を吐きながら、本陣からさほど遠くない所にしつらえられた医療班の天幕脇で、イオナはパスクアに問いかけた。


 まだ出番は当分さきと見て、彼ら先行隊第一班は伝令の届きやすい位置にいた。若い予備役が何人かで、小さめの焚き火の世話をしている。天幕の中からはほのかに、薬を煎じる匂いが漂ってくる。


 ここもまだ、静かだ。……じきに騒がしくなるのだろうが。



「まあ、いつものことなんだけどな。……本当の作戦を知っているのは、王だけなんだ」



 ごきごきと左右に首を曲げながら、パスクアが答えた。


 ニーシュは気配を消したかのように、音もなく少し後ろにたたずんでいる。



「うちの軍が強いのは、敵だけでなく、味方もだまして踊らせるからだ。誰も本当の戦略を知らず予測ができない、そのうち裏をかかれて気が付けば王が勝ってた、そういうことになっている」


「……味方をだますってこと……? 何それ……」


「言いようかな。王に言わせりゃ、たまたまもっと良いこと思いついちゃったとか、皆に伝えるの忘れてたとか、大抵そんな風に濁されて終わる。現場で四苦八苦させられるこっちとしちゃ、たまったもんじゃないけどよ」



 それで連戦連勝なら文句はないのだろう。


 けれどもイオナは、何となく腑に落ちなかった。


 採用された時のエノ王は、あっけらかんと開放的で親しみやすくて、けっこう信頼のおけそうな人だと感じたのに。


 ……自分の配下は手駒としか考えていない? どころか、誰も信じていないってことなのだろうか……。



「……潮流、本当に止まるんかなあ」



 ごくごく低い声で、パスクアが呟いた。


 それで、イオナもはっとする。



「いや、そこまではったりってことは……。まさか、ないでしょ」


「だよなあ」



 はああ、と大きく溜息が吐かれるのを見て、イオナはパスクアが今日も神経を尖らせているのに気付く。


 その横顔、側髪がきれいに編み込まれ、後ろの束ね髪に続いている。白金三つ編みの精巧さを見て、自分で自分の髪を結えないイオナは恐れおののいた。ほんとに几帳面な上司だと思う。


 この人はとりあえずでも、何かしらの見通しを立ててから動く方針だ。エノみたいな闇戦略、行き当たりばったりのやり方に、むしろ一番迷惑を被っているのかもしれない。



「あのー、パスクアさん。全然話が違うけど」



 ちょっと気の毒になり、話題を変えてやった。



「何」


「その頬っぺたのしるしは、一体?」


「え、これ? ……何にみえる?」



 逆に質問されてしまって、イオナは少々たじろいだ。


 黒くいびつに描かれたそれは、長細いもの、何かの武器だろうか? あるいは骨付き肉……。


 言葉に詰まったイオナを見て、パスクアはふっと笑った。



「な。わかんないよな」


「……はい」


「親がな……。戦とか大事のある時、母ちゃんが父ちゃんに描いてやってたやつなんだ。でも幸運のしるしってしか聞いてなくて、何なのか俺にもわかんないんだよね」



 幸運? イオナは改めてパスクアの頬を凝視したが、やはりしるしは謎でしかない。



「……ほんと、何なんだろう」





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