256 東の丘の最終決戦42:注ぐ星明りの祝福【完】
「……草色外套の人、ちらほらいますね」
『ええ。巡回さんと……官吏の人かしら』
「通門でも、何も言われませんでしたし……。貴族の追放が解かれたって言うのは、本当だったんですねぇ」
夕闇の降りかけた、北区下町界隈をミルドレはそぞろ歩いていた。
さらっとした小雨が通り過ぎた後、あたたかい湿った風が石だたみの艶めく路地を吹き抜ける。久し振りに見る故郷の、夏の宵である。夕餉のしたくをしているのだろう、何かを炒める香ばしい匂いが、柔和な大気に時折混じり込む。
『帰ってきて……また、ここに居たくなっちゃったんじゃない?』
ふよよんと右脇に浮く女神が、ミルドレに聞いてきた。
「いいえ、私の居場所はもうここにはありませんから。故郷ということは変わりませんが、たまに帰って来るくらいで十分です」
『そうね。アンリ君のところに、時々あそびに来ましょう』
「ええ」
『……それで、今のミルドレの居場所は、どこなの?』
「そりゃあ、世界の中心のど真ん中ちょい脇ですよ!」
『へえ? 何それ?』
「黒羽ちゃんのちょい脇です。この立ち位置は、ミルドレ全身全霊に全力気合がけで、守っていきますからねー!」
ほがらか宣言!
『……』
普通の人間なら引くべきところであるけれど、本当の孤独を越えてきた黒羽の女神は言葉を詰まらせて、頬っぺたをあかくした。
……うれしかったのだ、何にも言えなくなってうつむいてしまうくらい。ひょいと高度を下げて、ミルドレの右手の中に、女神は自分の手を差し込んだ。
ちなみにミルドレの発言は最近の彼の努力により、黒羽の女神にだけ聞こえるような囁き声として工夫されているので、安心して欲しい。駆け込み夕飯じたくで商店をめぐる下町の人びとに、不審がられることはなかった。
『……にしても、テルポシエはエノに同化しちゃったのね』
どこかへ飲みに行くらしい、笑顔で連れ立つ五人組の墨染衣傭兵たちとすれ違って、女神は言った。たつまき豪風拳で蹴散らしまくった人たち……。
「うーん……と言うよりも。テルポシエがエノを飲み込んじゃった、という風に私には思えるのですが? ほら、黒羽ちゃんが赤い女神を吸収しちゃったみたいに」
『ああそうか、それもそうね』
古い膿を断ち切られ、一緒に大切なものもこそげ取られて、傷だらけになりながらも、敵対者を飲み込んで内包して、そうして進化してゆく国と言う生きもの。
けれど、とどのつまりテルポシエはテルポシエ、そうであり続ける。
ナイアルとエリンが目指したものは、そういうことなのだろうかとふと思う。どっちみち、自分の守護を必要不可欠とするむかしのテルポシエはもうない、と女神は考える。
それでもあの元気な王子……未来のオルウェン王には、健やかで幸せでいてほしい。ミルドレが全霊をかけて実現させた、かの女と話し笑いあえる子孫、……彼の曾孫。
・ ・ ・ ・ ・
「黒羽ちゃん。日も暮れましたし、そろそろお店の方に行ってみましょうか?」
『ええ、そうね!』
てくてくてく……。ふよふよふよ……。
騎士は布ぎれを手に、ちょっと迷った。
「この辺だと思うんですけどねえ……? 誰かに聞いてみようかな」
『ごめんねミルドレ。風景変わっちゃってて、わたしにもさっぱりわからないわ。……あっ』
小路の向こうから、大っきい影と小っさい影が、並んで近づいてくるのに女神は気付いた。
「めんこいちゃーん」
『ディンジーさん!』
「こんばんは。また会えたわね?」
白い山羊毛皮上っぱりを着た声音の魔術師と、青い外套の声音の魔女である。二人とも、にこにこ笑っていた。
「すんごい顔ぶれのすんごい待ち合わせなんだけどね、あー良かった。無事に会えて」
「まあ、顔ぶれとしては一応親族会よ、これ」
「前にお目にかかってはいるんですけど……改めまして、黒羽の女神様のお供え騎士、ミルドレ・ナ・アリエと申します」
『改めて、黒羽の女神です』
一人と一柱は、アランに自己紹介の挨拶をした。
「ディンジー・ダフィルの遠い姪、声音の美魔女アランです。よろしくね」
「それじゃ、早速お店に入ろうかー」
「そうね、ディンジーおじさん。ミルドレさんがめでたく、おじさんの修行を受けてくれる前祝……」
「と、見せかけてー」
「ふふふふふ、その実はどっきりよ」
「?」
『??』
一人と一柱は首を傾げた。そう、これからミルドレはディンジーの指導のもと、フィングラス辺境で“声音の魔術”を学ぶのである。その決意を書き送っての返信がテルポシエでの待ち合わせ、迎えに行くということだった……のだが?
「女神ちゃん、虹髪の声音つかいが三人も揃ってるのよ。すごいことができるのよ」
「ミルドレさん、あなたのおはこで通すからね。ついてきて」
「え……?」
アランとディンジーは、すうっと息をすった。
♪ 俺はイリーの土地うまれ……
二人の声が重なった、女神の身体が翼が、蜂蜜色と灯色の光に相次いで包まれる。
反射的にミルドレも、次の節を歌う。
♪ きれいなあの子を恋に誘おう
薄い虹色の光が、さっと女神にかぶさる……。
『な、なあに……?』
戸惑った女神の肘にディンジーのごつい手が、ミルドレの肘にアランの小さな手がやさしく触れ、押し出す。
三人と一柱はふたりずつにかたまって、こぢんまりした店の扉をくぐる。
ディンジーのすぐ側で、女神は入り際に商家の看板を見た。“みつ蜂”。
♪ 持参金なんざ要らないさ
歌いながら入ってきた一団に、店の中の人びとはふうっと注意を向ける。
「だいじょうぶよ」
ほんのちょっとした途切れ目に、アランが言った。
「祝杯、お願いしまーす」
やはり、息の継ぎ目にひょうきん声を高らかに上げて、ディンジーが店奥に呼びかけた。
わあああああ!!
それでいっぺんに、優し気な歓声が沸いて、黒羽の女神とミルドレを包み込む。
♪ 俺は豊かだ きみがいるなら
「はぁーいっっ! 祝杯、いきまーす!」
きれいに通る女性の声が、とんでくる。
入り口まぎわに立っていた、職人風のでっかい熊みたいなおじさんが、女神にくるっと笑顔をむけた。
「おめでとうッ」
ええっっ!? 女神は思いっ切り口を開けた!
「よかったねえっ」
その隣にいる、連れらしきごっついおじさんも、にかーっとかの女に笑いかけた。
えええ、ええーっっ!? 女神は驚きがとまらない!
あっちのお兄さんも……そっちのおばさんも……みんな皆、かの女とミルドレを交互に見て、笑いかけている!
そんなに大きな店ではないけれど、中には人がぎっしり詰まって、皆杯を片手に嬉しそうにしている。壁際奥まったところには卓があって、子ども連れでごはんを食べている家族もいる。
「はーい、祝杯! お子さんにも、果汁ーっ」
若い声がしてそっちを見た、つるっとはげ上がった東部系の男が、丸盆に杯をいっぱい載せて、客たちに配り始めた。彼もまた、女神とミルドレに向かって優しい笑顔を投げていく。
どうにかこうにか、二人の声音つかいについて歌いながら、ミルドレはもう動悸どきどきが最高潮である。酒商の“祝杯”について、慣習として知ってはいたけど、実際目にするのは初めてだった。ましてや自分が、その祝福を受ける当事者だなんて!?
「声音の三重がけなんだ。今はめんこいちゃん、普通の人にも見えてるよ」
ディンジーが言う。
『つ……つばさもっ??』
見慣れない人が恐慌状態になっちゃうわ、と女神は慌てた。
「やーあ」
ぴくっとして顔を向けたら、知ってる顔が壁際の立ち飲み席で笑っている。
「翼のお姉ちゃん! こないだは、本当にありがとう」
親切な妖精という勘違いをそのまんまに、自分の中の黒羽の王統のことを全然知らないパスクアは、小柄な女神に話しかけた。
『ふあっ、エリンちゃんの旦那さまじゃないのッッ』
山賊おじさん(見かけ)の隣にいる、存在感の薄ーい、ほそーい男にも何となく見おぼえがある……。やさしく手を振る彼の隣では、精霊たちがきらきら煌めいている。
「なに、この人と一緒になるんだ? 俺ぶっちぎりで応援するからね、……すえながく、しあわせにねー」
見かけ山賊おじさんも、満面笑顔である。ミルドレの腕をぽんぽん叩いてから、アランによーう、と言っている。
♪ イーレにいい土地もってるし ファダンの谷間の両側だって
「ここの店はね、あたしの義弟の行きつけだから、常連客はみんなメインの精霊に慣れっこなのよ。あなたの翼にもびびらないから、大丈夫だいじょうぶ」
「安心して、祝福されまくってね」
♪ シーエの地主なんだって 信じないかなあ
ととととッ! 小さな女の子が、三つ編みおさげを揺らして近寄ってきた。
「お嫁ちゃん、ありがと! おめでと!」
口まわりが何かたべもので赤っぽくなっている、やえばをぐーっとむき出して、大きな笑顔でその子は言った。
「おめでとうござんす! お幸せに」
後ろから追っかけてきたおじいちゃんが、しゃっきり言って、連れ帰る。
「おめでとうー」
「元気に、仲よくやんなよ」
「よかったね」
がっつりお化粧で頭をひっつめにした、何やらこわもてのお姉さん達も、ごん太い声で言いながら杯をもち上げた。
……立ち飲み席で、パスクアはもそもそ友に問うた。
「……精霊と人間て、結婚できるんかい」
「……できてたら、ここで祝杯あげないで、市民会館行くんじゃないの」
「まじめな話、できるのか。根本的に」
「できるかどうかわかんないことに、立ち向かう全力の努力こそが、生命の輝きだよ……」
王はほろ酔いなのである。
『結果なんて、どうでもええのんよ。パーや』
きらきらした桃色に翼を燃やしながら、プーカがパスクアの頭頂部をなぜた。
『たいせつなのは、越えてきたとちゅうの過程よ。でも、結果がよければ過程もどうだってよいのだわ』
「……どっちなんだよ、結局」
『そうゆう細かいこと気にしてたら、妖精やっとれんわよ』
「どっちも大事にしていいんだよ」
またしても王はきりっと言った。潤んだ瞳がものすごくきらきらしている。幸せらしい。
『なんでみんな、もも果汁に酔っぱらってるんだ。ジェブのおつまみに、骨はないのか』
『何だかんだ言うで、プーカどんが一番弱いなっし? そろそろ帰るっぺない、なあ流星号?』
おめでとう、おめでとう。すえながく、しあわせにね。
『……』
祝福と笑顔にうずまかれて、黒羽の女神はもう耐えられなかった。
これ以上ない程にまっかになった両の頬っぺたに、ぽろぽろ嬉し涙が落ちる。
今までずうっと、誰かの幸せを願って祝福をあげる側だった自分が、皆に祝福されている! ……ミルドレと一緒に在ることを、祝われているなんて……!
にゅるにゅる、しゅぽん!!
頭の上に白いつぼみが膨らんで、次々小さな花が咲く。奇跡の花、永遠の花、たちばな。
女神はミルドレを見上げた。騎士の頬っぺたも、……鼻先もあかくなっていた。
騎士は歌い続けながら、隠しから手巾を取り出してかの女の涙をふき、次いで自分の目尻もぬぐう。
「……ひと回りした、おぼえた。俺いける!」
「よーし、じゃあ行ってみよっか!」
空っぽになった皿を押しのけて、店の奥側角席に座っていたいがぐり頭の少年が、平たい太鼓を取り出して皮膜の表面を指でたたき始めた。隣に座っている兄貴らしい若い男が、そこにするっとやたらかわいい縦笛旋律をのせる。
それがあんまりうまいこと三人の歌に重なってきたものだから、店内はどうっと沸いた!
♪ 木のうろ御殿に砂浜別荘 くらい夜には星の燭
「ふふっ、楽器はいってきた! 良いじゃないの~」
自分もちゃっかり蜂蜜酒をすすりつつ、アランがにやっと笑った!
♪ みどりの苔のじゅうたん宮に膝ついて 花冠を差し出そう
ディンジーが少し大きく歌いつつ、右腕をぐるーんと高く振り上げる、……それで皆が歌いだす!
♪ 赤白野ばら きんぽうげ やどりぎ えりかに 白げんげ
慌てて手引弦を引っ張り出したおやじが追っつく。こども達が木匙で卓を叩く。ゆったり、店の勘定長台むこうに現れたじいさんが、娘である女将に何か言って笑ってから、長細い低音弦を指で弾き始めた。
ごついお姉さんたちはぶ厚い手のひらで拍子をとる……プーカとパグシー、流星号はゆらゆら踊って喜んでいる、メインのほろ酔い声とパスクアのおんちがうねりに編み込まれる。足元でジェブが、ごろごろ言っている。
♪ 嫁御は姫御 俺の女房は女王さま
大きな大きな、熱いうねりの中に。
「黒羽ちゃん」
ひょっとしてもしかして、と思ってミルドレは身をかがめた。いろんな色の層をうすーくまとって淡く光る、女神のあかい頬っぺたを両手で包んだ。
……できた!!
苦節六十四年!! 騎士はようーやく、黒羽の女神に“ほんとの接吻”をすることができた。こればっかりは何をどうしても、鼻うたでも到達できなかったのだ、だって人間に口はひとつっきゃない、歌って吸っては同時にできない!!
ここにいる誰よりも年を食っているのに永遠の初心たる女神は、頬のみならずどこもかしこもまっかにして、思わず黒い翼をびよーんと全開に伸ばしきってしまった。
「わー、すげえ」
「なんか、黒羽の女神さまみたいな翼ね。縁起いいじゃん、あの精霊ちゃん」
ははははー、わはははー。皆、よい気分である。
ミルドレは女神を抱きしめて、もう感涙がとまらない。泣きながら歌う。とし相応の涙もろさも相まって、鼻水も出かけている、そろそろ三枚目の紅い手巾の出番かもしれない!
後にしたはずの故郷ではあるけれど、……いま自分達を包んでくれている、この温かさは決して忘れずにいよう、と騎士は思った。彼の大切な存在を、こんなに多くの人びとがみとめて、優しく祝福してくれている!!
♪ 黒いつばさの黒羽ちゃん 俺は慣れてなくってね
声音つかい三人と女神は、勘定長台の前で、歌の熱に包まれている。きっぷの良さそうな女将さんが、大容量の杯に黒泡酒を満たしたのを、ディンジーの前に笑顔で置いた。
「そうよ。夢は、願いは、想いは、かたちにしていける」
ほかほか湯気のたつ温かい杯を両手で女将から受け取って、アランは女神に手渡した。
♪ 手を握ること 夢みてきたよ
「少しずつ、ちょっとずつ、あたし達はそれを育てていける」
もう一つ同じ杯を、アランはミルドレに差し出した。蜂蜜酒のお湯割りに枸櫞輪切りが浮いている、よわいイリー人でも大丈夫なお祝い酒だ。
♪ いつか財産ぜんぶを失ったって 俺は変わらず幸せもの、きみさえいれば
「見えないものを形にして、見えるようにする力を、持っているんだから――」
ごきゅっ!! もう何杯めなのか、生のまんま蜂蜜酒の冷やを干して、アランは満足顔で歌い続ける。
♪ 酒は要らない きみの接吻に酔いつぶれよう
“みつ蜂”の上、夜のとばりのずっと上。
無数の小さな小さな星たちが、寄り添いあって暗闇の中に浮かび、あたたかい光を放って互いを照らし合う。
そのやわらかい光の祝福は、地上にある全ての見えるもの、みえないものに注がれる。
やがて虹色に、蜂蜜色に、灯色に輝く歌と融けあって、幸あれかしとやさしくうたった。
【完】
「海の挽歌」
漫画として描き始めた人:2000年の門戸
小説として書き終えた人:2024年の門戸
翻案・資料提供:パンダル・ササタベーナ
恋愛部分エロデューサー:ゲーツ・ルボ
泣きたい時に借りる胸:フラン・ナ・キルス
爆発きのこ担当:グラーニャ・エル・シエ
こたつマスコット:こうし
予約投稿オーガナイザー:サンダル・パントーフル
現実的パニック対応:ナイアル
領界越えで医食同源:アンリ
ブレインストーミング咀嚼:ビセンテ
靴下の穴修繕応援:ダン
困った時の展開収拾:アラン&ディンジー・ダフィル
ジャム担当:ヴィヒル
更年期やわらげ:黒羽の女神
深呼吸療法:ミルドレ・ナ・アリエ
PMS緩和:フィン・ナ・シオナ
困った時の神代打:キリアン・ナ・カヘル
困った時の純正悪:ギルダフ
二十年ものの良心:パスクア
闇を照らす数多の星明り:この物語に触れてくださった全ての皆さま
百万回のありがとうをあなたに。
Go raibh míle maith agaibh.




