253 東の丘の最終決戦39:もうすぐ開店!金色のひまわり亭
「でっかい赤い巨人に続いて、でっかい黒羽の女神さまが現れた、と巷でずいぶん話題になっている」
うわぐすりのぴかぴか光る、新しい椀を拭きながらナイアルは言った。
「世間の皆さまは、ありがたいものを見たと喜んでいるな。俺らは全員、見逃してしまったが」
「そうね。実際に守護神さまなんだから、良いんでなくって?」
平べったい小皿を拭きつつ、エリンも言う。二人の座る卓には、新しく届いた食器類がうず高く積まれていた。
「……例えば、だぞ? またしても何らかの災いがテルポシエを襲った場合、お姫はあの黒い女神様を呼び出すのか」
ぎょろ目を光らして、ナイアルはエリンに問う。
「嫌だわ、もうこりごりよ! 巨人に頼る前にメインと騎士団と、あなたたち第十三遊撃隊で何とかしてちょうだい」
「だよなあ……」
ナイアルは頭を振って、かたりと椀を積む。
「坊に、呼び出し方法を教えるのか」
「うう、それも悩みの種なのよ。あんな危険な大ばくちみたいな切り札、このまま忘れちゃった方が良いんじゃないかとも思うし……。あなた、どう思って? ナイアル君」
「うーむ。黒いまんま使えりゃ、これほど頼もしい守護神もいないのだろうが。正しい取扱説明がよく分からんという時点で、触らんにこしたことはない、という気がする。これは俺っちの妖精じんましん的考えだ。大将の死神的直観とアンリのティー・ハル占い、ビセンテの毛先本能はどうとるかな」
珍しく歯切れ悪く言葉を濁し、はっきり結論を言わないナイアルを見て、こりゃ副長にとっても難題なのね、とエリンは思う。
「まあ、じっくり考えてみます。白いお皿終わったわ、次は?」
「お姫さま……こちら、たたんで引き出しに詰めてもらって、いいでしょうかー」
布ぎれのつまった木箱を抱えて、アンリが台所から出てくる。
「あら、お帽子すてき。ここにもひまわり、ついているの」
巻き毛の頭に料理人の白い帽子をかぶって、今日もアンリは焼きたてぱん顔をつやつや輝かしている。白い上衣の胸には、きらっと金糸でひまわりの花が刺繍してあった。おんなじ花が、ナイアルとエリンの白い前掛け隠し部分に輝いている。
「だいぶ、整ってきましたね。厨房の方はもう完了なので、あとは備品を使いやすいように配置するだけです!」
「大将の方は、大丈夫かなあ。ちっと湿気が多いから、塗料が乾きにくそうだ」
三人は広間の露壇出口を振り返る。いくつも並んだ丸卓と席の向こう、庇の下で手すりにでっかい刷毛をなすりつけているダンの姿があった。さらにその向こう、庭にそびえる大きな林檎の樹の辺りを、とんでもない量の切り枝を担いでビセンテが通り過ぎてゆく。
南区の外れ、港の香りがわずかに漂う区域に建つ古い屋敷。十三年前の陥落以来閉ざされて、誰も住まず静かに朽ち始めていたこの家は今、“金色のひまわり亭”として生まれ変わりつつあった。
四人そろって行方不明者届の解除届を市民会館に提出しに行った第十三遊撃隊、ついでにアンリは古びた権利書を土地登記係にみせてみた。その人は嫌な顔をした。旧貴族の屋敷と言うのは、だいたいがエノ軍幹部に分捕られて売却されていたが、その屋敷だけはいつまでもいつまでも、買い手がつかないでそのまんまだったと言う。
「ちょっと奥まったところで地の利がいまいち、と言うのもありますが。そのー……でるんだそうで」
びびびびび! 話を聞くナイアルの頬っぺたに、じんましんの前兆が出かけた。
「えーと、アンリ、やっぱよすか。なー」
「何言ってんですか、ティー・ハル飾っておけば魔除けになりますよ。……で?」
「利益が出ないうちに、その新しい持ち主も行方知らずになったとか……、縁起が悪すぎるってんで、今一応市の管理下にあるんです。あなたこれ、権利書もらって相続なすったってことでしょ? じゃあ使っちゃって良いんじゃないですか」
むしろ厄介払いできることを喜び始めて、係はぐいぐい押しつけてきた!
そうして訪れてみた屋敷の前で、四人はあれっと思う。
買い取られて商家に変わった大きな家々の中、そこだけが時間を止めたような佇まいだった。どんなにひどいお化け屋敷かと思っていたが、そうでもない。
苔むした段々をのぼって玄関前に立つ。上階部分にまで蔦がはびこっているが、それはむしろ家を護っているようだった。やや輝きの残る扉の取手を掴んで開ける、薄暗い室内の向こうに露壇出入り口の光が見えた。
裏庭に、大きな古い林檎の樹が輝いていた。やや遅めの白い花を満開に咲かせて、四人は待たれていたような、不思議な気持ちになった。
「あんまり変わってないです」
頬をまっかに上気させて、アンリは言った。
「……? 特に、感じねえな……」
おぼろげな記憶を手繰りつつ、それよりじんましんが出ないのに安堵して、ナイアルは言った。
「何とかなる」
実は来るの二回目であるがそんなの本当どうだっていいし憶えていない、けれど内装お直し趣味全開できる空間を前にして、ダンはくすりと笑った。
「りんごッッ」
めし係に干させてめいっぱい食おうと企み、ビセンテも牙……いや犬歯をむいたのであった。
・ ・ ・ ・ ・
「じきにお昼ですね、そろそろまかない準備しようかしらん。お姫さま、今日は一緒にたべますか?」
「あ、いいえ。今日は早く出たものだから、わたし分の書類があるか見ていないの。いったん城に帰って、また午後いちばんで来ます」
「女王引退したと言うのに、律儀だな」
「ずいぶん量は減ったのよ、騎士の人達が帰ってきたし……。ああそうだ、封印蝋ないんでしょう、ついでに買ってくるわね」
「急いでないぞ」
「何言ってるの、文房具の備品は忘れないうちに揃えておかないと……。ねえナイアル君、お知らせ布がもう乾いたんじゃなくって?」
「おっ、忘れていた」
「じゃあ、それもついでにわたしが貼って……」
“料理屋 金色のひまわり亭 花月ついたち開店”
告知の文が書かれた布を手に、エリンは一瞬かたまった。
「……これを書いたのは、どなた」
「俺だよ」
口をうすーく開けて、エリンは布とナイアルとを交互に見た。
「……何かつづり字、抜けてたかぁ?」
「いえ、……じゃあまた、午後にね」
緑色の軽い肩掛けをひっかけて、エリンは玄関を出る。明るい昼の光の下でもう一度布を見る。まじまじと、見る。
「お兄ちゃん」
思わず、言葉が口をついて出た。
――なんで、料理屋金色のひまわり亭が花月ついたち開店だなんて、知ってるのよ?
お知らせ布に書かれていたのは、まぎれもなく兄ウルリヒの字なのである。
段々を降りて、路間際の石塀に取り付けた箱型告知板の中に鋲で留めて、さらに見直した。
いいや、これを書いたのはナイアルだ。……あかの他人なのに、ここまで字が同じってことはあり得るのだろうか?
そう言えば、ナイアルが自分の代筆以外に書いたものを見るのは初めてだった。ほんとに変な気持ちだった、……兄とナイアルは見かけは全く似ていない。だけど時々、妙にかぶるようなところがあるような、……ないような……。
年はひとつ違いだけど、昔は貴族と平民の子が友達どうしになるのは珍しかったのだし、ましてやウルリヒは王族だ。知り合いだったわけもない。
「あの二人に、共通点なんて……」
歩きかけて、エリンは首をひねる。同じ濃紺の首巻をつけてるくらいで……。あれ??
「あらららら、ほんとですね、早く来すぎちゃったみたい」
何となく聞き覚えのある、のほほんとした声が後ろで上がる。
振り向くと、金髪でなし赫毛でなし、不思議な色のちりちり髪と外套の草色とが目に入って――
そこでふわーん、とエリンの意識が飛んだ。




