252 東の丘の最終決戦38:俺たちのマグ・イーレはこれからだ
「……一体どうなっているの、あの国は」
鳶色もこもこ髪の中心地にある顔を渋くゆがめながら、マグ・イーレ第一王妃ニアヴ・ニ・カヘルは苦々しく言った。
彼女は執務室の机に両肘をついて、組んだ両手の上にあごを載せている。じとっとねめつける視線の先には、隠居中のマグ・イーレ王ランダルの手中、やや丸まりがかった大判羊皮紙がある。
腰掛に座して、それをためつすがめつしている王の脇から後ろから、幾つもの目が覗き込んでいた。
「紛れもなく、エリン姫の筆致ですね。例の間諜君の代筆ではありません」
ことさら冷静を装って、ランダルは告げた。安堵がにじまないように、と思いつつ。
「……やはり、姪は生きのびていたのか。ウセル配下の手を逃れたのは事実だが、巨人が黒くなり消えたからには、死んだものとばかり思っていた……」
重苦しく、第二王妃“白き牝獅子”グラーニャ・エル・シエも言う。
「新王政の発足を民の前で宣言したという女は、姪本人だったのだな」
「……公衆の面前で、自分の子どもと王統称号を他人に……それも侵略者に譲ってしまうだなんて。聞いたこともありませんよ。恥とは思わないのかしら」
ニアヴの言葉が、ますます苦みを帯びてゆく。第一妃を机の向こうにちらりと見やってから、ランダルは目を手元に戻し、今朝着いたばかりのテルポシエ親書を見た。
相変わらず美しく堂々とした文のあと、儚げな細さで“メイン・エル・シエ”と署名がなされている。ここだけメイン本人の筆だ。
以前と違い、エノ首領の署名には裏の読めない昏さが感じられない。新しい名前を書き慣れていないだけかとも思うが、ランダルの目にそれはどうにも“あかるく”見えた。
「内容もある意味、凄まじくないですか、これ……」
童顔を曇らせて、ニアヴ付秘書騎士のリンゴウ・ナ・ポーム若侯も言った。
「要約するに、お礼ですよね? 赤い巨人のことには全く触れずに、異常発生した悪獣駆除にご協力いただき誠に感謝いたしますって、……何なんでしょう??」
「それは……あれです。後から巨人が種まきで出した、うじゃうじゃ気色わるい怪物どものことでしょう」
理術≪超老眼≫のおかげで、その辺までわりと見えていたランダルが平らかに答えた。
「あるいは、赤い巨人もその悪獣の中に含まれているのかもしれませんけど」
「はい陛下、まさにそうなのですが……。と言うことはつまり我々マグ・イーレ、いえ混成イリー軍は、エノ支配下のテルポシエを攻めに行ったはずなのに、助けてしまったという話になっているのでしょうか?」
「そうなのよううううう」
「そうなのだああああ」
第一王妃と第二王妃の声が重なった。恨みがましさ二倍増しである。
「喧嘩をしに行ったはずなのに、向こうの火事場を手伝わされる羽目になってしまったッ。流れで一方的な友好宣言をされてる気がするのは、俺だけか!? 冗談ではないぞ」
ぎりぎり歯ぎしりをしながら、グラーニャが言った。
「本当よ! 同じ内容の親書を他国にも送っているのかしら? 新生テルポシエとして何とか良い顔をしたいんでしょうけど、裏で汚いことをしているところと、通常のお付き合いができるわけはありません」
両腕を胸の下でぐうっと組み、貫禄たっぷりにニアヴも言った。
「現に彼らの内部で分裂した反乱部分と言うのは、いまだ行方不明と言うことですしね。でも本当に不穏分子だったんでしょうか、やらせ演出という線は?」
ポーム若侯が不安げに、深読み推測を口にする。
「シエ湾にあらわれた海賊と言うのも、見過ごせませんよ。謎だらけです」
あごの山羊ひげをしごきつつ、ひょろりと長大な老騎士も言った。現役を引退したはずが、次期団長以下の体制がかたまるまで付き合ってくれと皆に頼みこまれ、時短勤務で結局登城しているキルス侯である。
「まぁ……。あの、とりあえず巨人が黒くなって鎮まったと言うことは、正しい統治者がテルポシエの地にある、という解釈ができるので。イリー守護神の黒羽の女神が、じかにメインを認めていると取ることもできます」
なるべく平らかに、と気遣い満載で王が絞り出した言葉に、妃二人は唇をぎゅーとすぼめた。
「……少なくとも、混成イリー軍と守備していたエノ軍、テルポシエ一般市民や居合わせた人々は、あの巨大な黒い女神をはっきり見ています。テルポシエ側に有利な見方をする人が多いのは、否めません。その流れでゆくと、今後かの国に攻撃を加えるには、よっぽどの大儀がなければ難しくなるでしょう……」
第一王妃の青い視線と第二王妃の翠の視線、ふたつの光線をぎぎーんと浴びてランダルは震え上がりつつ、厳粛に付け加える。
「……我らがマグ・イーレとしては、まことに残念なのですが」
それで王妃二人は、しゅーんとしぼんだ。
「……フィーランにも、してやられてしまいましたね。ニアヴさん」
「……ほんとに仰るその通りです、陛下」
――あんの、親不孝ものぉおおッッ!! 国費で留学しておきながら、マグ・イーレにたてつき歯向かうとは言語道断ッッ!
ゲーツが予想した通り、フィーランが医師としてテルポシエにいることを知ったニアヴは怒り狂った。あれからだいぶ日にちが経ったが、思い出すたびにあらたな怒りがこみ上げてくる。
「とにかく……。我が国は、テルポシエに対する警戒を維持していきます。向こうの不穏分子も含めて、不審な動きがあったら直ちにイリー諸国同盟の結束のもと、対抗戦線を張れるように備えておきましょう」
ものすごい意思の力で、ニアヴはまとめきった。
どやどやどや、それで朝の打ち合わせは終わって、訓練に定例会議の準備に……皆がめいめいの持ち場へと散ってゆく。
「えーと、ニアヴさん。私は今日もまた調べ物を続けますので、書簡庫の鍵をください」
「はい、陛下」
鍵を受け取りつつ、ランダルはニアヴに低く言った。
「……私の、例の個人的な情報網を使って、フィーランの連絡先を調べています。時間はかかるかもしれないけれど、何とか説得できるよう尽力しますから、ニアヴさんあんまり……その、悲観しないで」
ふ――……大きく溜息をついて、ニアヴは苦笑した。かなしい、疲れた笑顔。
「ええ……。ウセルのところは首布組のかしらが殉職してしまったそうで、いま再編成中です。表向きの情報収集で精一杯ですから、あの子のことまでは手が回らないでしょう。どうぞよろしく、お願いします」
「はい」
「でも説得のために、陛下が変装して直接テルポシエに出向く、なんていう案はもちろんだめですからね!」
「ひえっ、それはさすがに!」
ランダルは頭と両手をふるふる振った、……どうしてわかっちゃったのだろう! 実はほんのちょっとだけ考えていた、あのつば広帽子をかぶって、ゲーツ君ディンジーさんをお供に……。
「皆さんに心配かけるような冒険は、もうしません。ディンジーさんもフィングラスに帰ってしまったことだし、むちゃはいたしませんよ」
企みを見抜かれて苦笑しつつ、ランダルはしおらしく言った。
「……ですね。また、いらっしゃるのかしら?」
「しょっちゅう来る気でいますよ、あの人は。うちの離れに天幕と毛皮敷と、それから着替え一式置いていきましたから」
ぷふっっ!! それで第一王妃はほんとに笑った。
「陛下、ばらをありがとうございました」
「どういたしまして」
すういと素敵な香りの漂う黄色いばら三輪の活けられたニアヴの机、そこに第一王妃を残して、ランダルは踵を返し書簡庫に向かう。
・ ・ ・ ・ ・
いくつかの書束を手に、自宅の離れ書斎に戻ってきたランダルは、引き出しを開けて硬筆を取り出しかける。その箱の脇に置いた、布便りのいくつかを、そうっと見た。
ティミエル・ニ・メキュジリ嬢からは、少し前に簡単な返信が来ていて、それでエリンの生存を知っていたランダルである。このまましらばっくれてやり取りを続け、フィーランの状況を掴むために利用させてもらおうかな、と考えている。
ニアヴやグラーニャの前では決して顔に出せないが……エリン姫の無事が、素直にうれしかった。やれやれ。
いくつもの勢力があれだけ入り乱れた大立ち回り、結局メインもエリンも生き残ったが、黒羽の女神が出現して一件落着した。
あれは一体何だったのだろう、とランダルは絶え間なく考えていた。
戦争と、女神……。
「……これで終わりでしょうか、先生」
「いえ、終わりではありませんよ。はっきりしない謎が、多く残っていますからね。余生つぎこんででも、私は真実に迫るつもりです。そうして調査結果を、ありったけの多角的視点のもてる史料として、未来の世代に遺して行かなくては……!」
「……」
ふぁっ、と目を上げると、机の前の大男が、無表情のまま自分を見下ろしていた。
「あ、ごめん、書き取りの話だったのね? うん、それで終わり。まる付けしましょう……ほんと上達したね、ゲーツ君」




