251 東の丘の最終決戦37:海の挽歌をうたう
曇り空の展望露台。
そこの中央あたり、海に向かってせり出した棚壁一カ所に、アランとイオナとヴィヒルが並んで座っていた。
子ども達が同じことをしていたら顔色を変えて怒るくせに、自分達は平気で崖っぷちに座り、足をぶらぶらさせている。
「良かったじゃないの、エリンさん良い人で。イオナちゃん、これから何か困ったら、あの人に相談してみてもいいんじゃない?」
「……アランと兄ちゃんが、いるのに?」
≪フォレン村じゃ、秒ですぐにってわけに行かないしさ≫
兄は妹にほっこり笑った。
「そうそう、あたしもうっかり二日酔いで、歌えない日が来るかもしれないしね……」
ちなみにそういう事態は、過去に一度も起こしたことのないアランである。
今回、出奔したフィオナとローナンを追うためにイオナに同行してきた夫婦は、巨人と蛇の騒動もこれでひと段落とみなして、明日フィングラスへ帰ることにした。子どもだけで残しても大丈夫、非常に頼りになる長女ミオナちゃんであるが、二人は帰宅をはやっている。そこの住まいを引き払い、三人の子ども達を引き連れて、テルポシエ領へと移住する目途をつけていた。
≪にしても、本当にナイアルっていいやつだね。ナイアルがらみだと、うまい頃合ですてきな幸運が寄って来るような感じがするよ!≫
自分の店を持つという夢にぐんぐん近づいているヴィヒルが、嬉しそうに言う。
イオナと二人の子ども達が、テルポシエに戻り住むのは本人たちも含め、周囲の皆が望んでいたことだ。自分達のことを隠す必要もなくなったヴィヒルとアランは、ぜひとも“おつゆの冷めない距離”にいたい、と思った。そのことをある時ナイアルに話したら、企み顔をにやつかせて、おあつらえ向け居抜き物件がある、と言うのだ。
彼の後輩のぴかぴか料理人の親戚が、テルポシエ近郊の村で蜜煮屋をやっているのだが、近々引退するのだと言う。
ひとり娘が数年前に駆け落ちをして蒸発してしまい、意気消沈していたところに長年行方不明だったお気に入りの甥がこっそり訪ねて来たのを見て、蜜煮おじさんは店を譲りたいと申し出た。しかし甥は蜜煮屋をやるつもりはなし……。まさに、ヴィヒルを待っていたかのような話である! 嘘だろう!
眉毛につばをつけながら、ヴィヒルとアランはアンリについて内見に行った。ちなみに道順は子ども時代以来、目に焼き付けてきた風景で記憶しているから、フォレン村までは迷わず行けるアンリなのである。
裏庭の果樹園はそのまま森に続いている、使い込まれた高級銅鍋の列、蜜煮おじさんの培ってきた客層の良さ……。いくつかの蜜煮を試食させてもらったヴィヒルは感動してしまった。一生に一度のお願いで、頼むからここに移らして! とアランに頭を下げたのである。はす向かいに酒商があるのを見たアランは、いいんじゃないと即決して、それで決まった。ポンカンナの店の蜜煮師匠には、既に便りを書き送ってある。
「そうねー、あれは強運の男よね。まあ、あの年で独り身なところをみると、肝心な部分に運がついてない気がするんだけど……」
アランはきらりとイオナを見た。
「悩みに悩んだイオナちゃんは、それでもとうとう自分の心に従って、ひとりぽっちの鷹を救い出した。けれど、実のところ物語はまだまだ終わっちゃいない。話はこれからも生きて、育ち続ける」
「……蛇は、いなくなったわけじゃないしね」
「そうよ。潜伏していた緑の騎士達、旧テルポシエ軍の第九団は蛇軍を国境の外へ追い出しはしたけど、やつらの組織構造や全体数ってのはいまだにパスクアさんも把握できてないわけだし。あとオーラン沿岸警備隊がぶちのめした、海蛇の方も正体見えなくて気ッ色悪いでしょう?」
≪どっちか言うと、そっちの方が元祖エノって感じするよね≫
「新生テルポシエは、まだまだ見えない敵に囲まれてんのよ。マグ・イーレがこの先どういう言いがかりつけてくるかわかんないし、近所な割にはあんまり事情の知れない、穀倉地帯だって要注意よね。それに立ち向かうにはメイン君も、色んな人達の力や知恵が要るわ。そのためのお姫さまと騎士達、大事にしといた方がいい」
「……ほんとだね」
すうっと頭にしみてくるアランの言葉は、やっぱり心地よかった。
「わたしは、兄ちゃんとアランにまた会えて、ほんとうに良かった。夢みたいだって思う」
≪夢じゃないぞう≫
「うふふふ、やっぱり願いは、口に出して言ってみるもんね。あたしだって、またこうやって三人でだべられるって思ってなかったわよ? けれどイオナちゃんに会いたい会いたいって……も一度、生きて会いたいって言ってたら、ことだまのおかげで実現できた」
「アランは、声音の魔女じゃない」
「これはあたしの力とは、違うのよ。……だからね、前に過去とは訣別した、なんて言ったけど。終わっていないこの話をひたすら前向きに良くするために、あたしはどんどん言うこといって、やることやっていくわ」
イオナはアランの横顔を見下ろす。
“声音の魔女”は以降、テルポシエ守護戦力としてメインと、軍と、騎士団と連携していくのである。
≪俺はその裏で、蜜煮をつくって食べる……≫
ヴィヒルが神妙に言った。
「売る方さきでしょう、兄ちゃん」
≪自分のなかの、自然に従って……。蜜煮を、きわめる……≫
「……ひとつ、歌おうかい。例の挽歌を」
アランが唐突に言った。
「忘れてないだろうね、イオナちゃん?」
ふるふるっと赫髪を揺らす、けどイオナは少々不安である。
「これは亡くなった人を悼む歌だけど……」
アランは背筋をのばした。
「同時に、その人たちを想うことで、いま生きてるあたし達が力をもらう歌でもある。自分たちは一人でなし、たくさんのいとおしい存在に編まれて、この世に生まれ出てきたことを感じるから」
ほんとだ、そういう受け取り方もできるんだっけ、とイオナは思いだす。そう考えればさみしさ哀しさのまとわりつく旋律にも、あたたかみが混じる。
♪ 波に抱かれ ねむりゆくあなた
永遠にかわらぬ ぬくもりを
わたしの胸の 中にのこし
離れゆく いとおしいあなた
低いアランの歌いだしに続いて、兄妹も歌った。
♪ わたしはあなたを 想い泣く
なみだの中に 海がある
あなたのねむる 海がある
涙のぬくもりは あなたのぬくもり
「……あたし達も、いつかは丘の向こうへ行って、この歌に編み込まれる。けど未来の子らがこの歌をうたう時、あたし達は瞬時よみがえって、そのいとおしい存在の力になろう」
♪ わたしはあなたを 想い呼ぶ
なみだの中の 海に呼ぶ
あなたのねむる 海に呼ぶ
涙のぬくもりに あなたがいる
♪ 波に抱かれ ねむるあなた
永遠に生きる あなたはここ
わたしの中の 海にいる
わたしとともに あなたは在る
目の前の海は三人の歌を飲み込んで、穏やかに揺れていた。
「あ、雨が来る」
よっこいせ、とアランが降り、兄妹がひらりと石床にのり、三人は廻廊へむけて歩き出した。その肩に背中に、霧のような驟雨が降りかかり始める。
庇の下にふわりと入ると、フィオナとローナンが内側からの出口をくぐった所だった。
「おじちゃん、おばちゃん」
「厨房でおやつ、食べてきたのかえ」
「うん。ねえ、アランおばちゃん、お話して?」
二人は魔女にまとわりついた。
「明日、ポンカンナに帰っちゃうんでしょう。しばらく会えないんだから、大きいお話して! お願い」
「ぐふふ……。それじゃあとっときの、超絶怖いお化け話したげようか、……あ? だめみたいですね、お母さん大反対のもよう。じゃあ別のとっときを……」
そこに置かれた長椅子代わりの角石の真ん中に、アランは腰をおろす。両隣にフィオナとローナンが座った、期待感満載の顔がきらきらしている。さらにその両どなりに、イオナとヴィヒルも腰掛けた。五人はぎゅーっとくっつきあう。
「うふふ……ちょっと長い話よ? お手洗いに行っときたい人は今のうち……いない? あ、そう、それじゃ」
声音の魔女はすーはーと深呼吸してから、別世界をその唇に紡ぎ出した。
「むかし、昔、あるいはずうっと先の未来……」
何それ! ローナンは思わず突っ込みたくなった、でもぐっと我慢する。
「このアイレー大陸の端っこに、ブリガンティアという名の国がありました。ところがこの素敵な国は、悪い神を祀る悪い魔女たちに壊され、滅んでしまいました」
しょっぱなから、何か悲しい話ー!? フィオナは面食らって、眉根を寄せる。
「しかし魔女の悪い魔法は、全てを壊すことは出来ませんでした。ブリガンティアの王子さま達は逃げ延びて、悪い魔女たちと戦う旅を始めたのです。と言うのも、王子さま達はある強い力を持っていました。魔女たちの魔法とは全然違う、すてきな魔法を使って、彼らと戦うことができたのです」
「どんな力!?」
やっぱり我慢できなかった、ローナンは聞いてしまった! アランはふふっと笑う、まぁお聞き、と目線で少年をたしなめる。
「これから話すのは、その王子さま達の、失われたふるさとを取り戻す旅のお話です……」




