25 テルポシエ陥落戦5:エノ軍の湿地帯侵入
「えーと……何て言ったっけ。うーむ……」
テルポシエ市の最終防衛線が始まる湿地帯の外れから、百歩ほど手前。
重装歩兵とそのすぐ後ろに騎兵を一列に並べて、いままさに戦争をふっかける所にあるエノ軍である。
総統であるエノは、黒馬にまたがったまま腕組みをして、渋面をつくっていた。
「あー、だめだ、どうしても出てこない。アキルぅ、何て名前だったかな? ほれ、うちの軍で、たぶん一番でっかい奴」
エノの後方で灰白馬にまたがっていた彼の腹心、理術士アキルは怪訝そうな顔で王を見る。
「……? 中隊長のウーアですか」
「それにいつもくっついてる、ほっそい弟のほう」
「弟じゃなくて、ウーアの甥ですよ。ウーディクは」
「あー! そうそうそう、それだ! おい、伝令っ」
嬉し気な声で、エノは後方に呼びかける。先行要員の一人が、素早く歩み寄った。
「右翼の外れにいる、ウーア隊のウーディクに直接伝達してくれ。今すぐここの前線を駆けて、何十本か敵陣に火矢をぶち込めって」
聞きながら、アキルはあんぐり口を開けた。
先行要員が音もなく立ち去ると、馬首を近づけて落とした声で叱責する。
「何なんですか、それはッ」
「いいじゃないか。あいつ、すごい大弓得意だし」
「そんな余興みたいな陽動、予定にありませんよッッ」
「うん。今思いついたから」
しばらくして、右方向からざわめきのような声々が伝わって来た。
戦線の対岸、テルポシエの石壁が始まるあたりに三か所、いま四か所、ぼんやりとした炎が小さく上がっている。
続いて騒がしい駒音が二騎分、重装歩兵の列のすぐ前を駆け抜けていった。
ひょいと首を伸ばしてエノが見やると、その二騎はやがて速度を落とす。
先頭騎が後続騎に、片手の松明を差し向ける。そこから鏃に火を灯すと、騎手はぎんっと弓を引き絞って大きく放つ。
一瞬おいて、ずっと先の闇の中に、火が赤く浮かんだ。周囲の兵たちがおおっと沸く、二騎は駆けて離れていった。
「よーしよし」
愉し気に嬉し気に、そして満足気に頷くと、エノは再び後方を振り返る。
「伝令! 右翼第一班、前進させろ」
アキルは、自分の馬のたてがみを思わず握りしめた。
「火が付いたばかりですがー!?」
無理もない、聞き間違いと思ったのだろう。先行要員が言葉を返したが、エノは彼に視線を向ける事すらせずに、乾いた調子で言った。
「いいから、伝えろ」
――あああ、今回もまた……。数年越しの計画錬成までしたのだから、大丈夫と踏んで安心した私が馬鹿だった……。
アキルが恨みがましくねめつけた視線の先、見慣れた狡猾そうな表情で、エノは前方を見つめている。