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海の挽歌  作者: 門戸
東の丘の最終決戦
248/256

248 東の丘の最終決戦34:女王の宣言

 卵月になった。


 この日、王から直々に大切なお知らせがあると各区長から伝え聞いていたテルポシエ市民らは、市の中心にある広場に詰め掛けた。


 領内全土から町長さん、村長さん達も呼ばれているらしくって、以前の恒例人気行事、槍試合大会以上に混雑している。


 まわりの段々席はもちろんのこと、中央の円形舞台部分にも、人が座り込んで満杯だ。皆、正面の市民会館露台を気にして、ざわついている。



「さあ、時間よ。雨にならないうちに、やっちゃいましょう」



 エリンは張り切った声で言った。


 露台へ続く後ろの部屋、彼女の前にメインとイオナ、フィオナとオルウェンがいる。


 肌寒さの続くテルポシエの春である、子ども達は出会った日のままにかわいい外套を着ていた。ちょっと気後れしているらしい、オルウェンに片手を取られたイオナも、海松色巻き外套を着て、赫髪あかがみを高く結い上げていた。ほとんど黒に近いような深い緑色の外套で、笑っているメインの髪もきれいに編まれている。



「開けますね!」



 腰の短槍、短い白金髪をさらっと揺らして、リフィが露台への扉に手をかける。ずうっと“騎士見習”で通している彼女は、本日も濃い緑色の外套だ。


 ちょろっ、エリンの顔の横でプーカが瞬いた。



「おい、焦がすなよぉっ?」



 後ろからパスクアが引きつれた声をかけた。語尾に酸っぱく胃痛が滲み出ている!



『ふん、何だいパーったら。姫っこ、心配しなくって良いのよ……。たまご投げてくる奴がいたら、うちが業火で即ゆで卵にするからさ……』


『かたいものが飛んできたら、ジェブ担当だぞ。ほたて殻とかさざえ、投げてくるひといないかなあ』



 けもの犬が、ぐるりとエリンの腰回りにまとわりついて言った。



『……おひねりと、違うぞい。ジェブ……』



 流星号の上のパグシーが、たしなめる。



「ふふ。よろしくね、皆」



 さっと姿を見えなくさせた精霊たちに伴われ、エリンはひとり、露台に出た。にぎやかだった群衆が、……それで一挙にしーんと静まり返る。



「テルポシエの皆さんに、福ある日を」



 彼女の挨拶が、からからと響き渡る。



「第十四代元首、テルポシエ女王エリン・エル・シエです」



 人びとは目をむいた。


 この瞬間、大多数の市民が内心で言ったのは、『は?』である。


 彼らは、“エノ王メイン”が久し振りに何かを言うのだ、とばっかり思っていた。


 それなのに全然見覚えのない女がいきなり出てきて、ものを言っている。誰? なに? 何様? 女王っつった? 知らねーよ!



「……我が国は、ながくエノ軍の占領下にありました。移行期間を終了し、ここに新王政を立ち上げることを、報告いたします」



 誰も、何も言わなかった。今、彼らの心は衝撃で凍りついていた、……“新王政”?


 皆の脳裏に、十数年前の風景が浮かぶ。自分達を守り切れなかった貴族たちが、良いように幅を利かせていた時代!


 そうだ、露台の女はあの“旧貴族”の草色外套を着ていやがる! それを着た者に何を言われても、酷い仕打ちをされても、言い返すことのできなかったいやな時代!


 しかし、この憎しみを腹の中におぼえた人々は、大人の世代だった。咄嗟に言い返したくなった野次を、ぐっと飲みこんで耐えた。若いものは旧い時代を知らないから、首を捻りつつも黙っている――聞いてやろうじゃないか?



 群衆が腹の中で身構えた様子は、エリンにもよくわかった。



「十三年前の包囲戦では、旧貴族の失政と失策により、多くの尊い命が奪われました。市民兵の犠牲について、この状況へと陥らせたのは、第十三代元首ウルリヒ・エル・シエ以下、当時の執政官の過失です。大切なひとをなくした遺族の皆さまに、兄に代わり、心からのお詫びとお悔やみを申し上げます」



 エリンは目を閉じ、頭を垂れた。


 その間彼らは思いだした、“お姫様”のこと、彼女自身も兄を失っていたことを。……あんなに痩せて、……本当に、あのかわいかった王女様? うそでしょう……。


 かなり長くそうしてから、エリンはゆっくり顔を上げ、市民達を見る。



「……十三年が、経ちました。皆さんもご存じのように、メイン首領の率いるエノ軍は、いま良き友人として、この地に在しています」



 友人。これにはおおむね、多くが同意した。


 陥落直後は略奪や暴行沙汰があったけれど、そういう危険を振りまいていたやつらはやがていなくなってしまった。今でも残っている傭兵というのは、聞き取りにくい潮野方言を話す田舎者、品がなくって荒くれちゃいるが、特に害はない。


 そういう田舎者が、自分達の息子の代わりに湿地帯や辺境に行って、戦いを引き受けてくれているのである。墨染すみぞめ上衣の傭兵に、ごくろうさんと声をかけるのが普通になっている市民だった。



「彼らは、周辺諸国が評するような蛮軍などではありません。ともにこの国を守り作りあげる、大切な人々でもあります。よってわたしは、テルポシエの主権をメイン首領に譲渡することに決めました」



 ぽつぽつ、わかり始めた人が出てくる。ああ、王による政を新しく復活するんでなくて、新しい王が政をするから、だから新王政、なのね。でも、何を今更?


 するするっ、エリンは露台上で横向きに移動した。後ろの扉から人が出て、あいた所に立つ。


 ひょうっっ…… 好意的なざわめきが起こる。



「メイン首領と奥さまのイオナ、フィオナお嬢さんです」



 喝采が起きかけて、でもメインが笑顔で“しー”の合図をする。それで再び、静かになった。



「そして、こちらはわたしの実子、オルウェン・エル・シエです」



 隣に立つ少年の背にそっと手を添えて、エリンは言った。



「イリーの“黒羽の王統”継承者であり、国軍・緑の騎士団の指揮権を持つ王子を、メインの養子といたします。同時に“エル・シエ”の称号を、この一家に譲渡することとします」



 みどりの騎士団? 皆が首をひねった時、エリンはぐーっと息を吸った。



「たて槍、かまえぇええええええッッッ」



 ものすごい気合だった! えーっっと皆が面食らい、そしてエリンがすうっと右手をのべて指示した方向を、市民達は見た!



「えーっっっ」


「いつのまに!?」



 広場の段々席後部、北大路へとつながるその大路部分に、草色外套の兵士達が音も気配も消して、整列していたのだった!


 じゃきーん!!


 短槍、長槍、不ぞろいな武器を揃えて立てて、彼らはむさっ苦しい形相でびしっと立っていた。草色外套はよく見ればぼろぼろのよれよれ、かろうじて同じ外套を着ているだけで、それがなければ野盗に見えそうなくらいだった。けれど彼らは、嬉しそうな晴れやか顔で、背筋をのばして立っている。



「わたしを信じてテルポシエの再興に備え、各地に潜んで忍んでくれた旧軍・第九団の皆さんです。先月の戦いにおいては、北方で起きたエノ軍内部の反乱一派による、武装蜂起を押し戻してくれました」



 第九団って……。下っぱ貴族とか、巡回騎士だった人達でしょ? 港の守備で捕まったけど、脱出したっていう……あー、あの人らかあ! 生きていたんだ、かえってきたんだ!



「――テルポシエは、貴族身分を完全に撤廃します。この地に住む人はイリー人かどうかにかかわらず、全て市民町民、村民とみなされます」



 ぱちぱちぱちっ! かすかな拍手が一人分、どこかで鳴った。



「よって、旧貴族の追放処分も解除となります。緑の騎士たち同様、故郷の役に立ちたいと帰ってくる人や、ふるさとを恋うて戻って来る人達を、皆さんどうか、そっと見守ってあげて下さい」



 ぱち、ぱちぱちぱちっ! 拍手が増えた、迷子になった娘や家出しかけたどら息子を、汗だく一緒になって探し回ってくれた“巡回さん”のことを思い出した人たちが、思わず叩いたのである。



「そして、わたしから最後のお願いです。


 ……これからテルポシエはメイン王のもと、あたらしい国として育っていきます。けれどこれまでに、始祖とそれに連なる祖先たちが必死に作りあげてきたものも、ぜひ一緒に大切に、持っていてください。テルポシエが、イリー起源の国である事実は変わりません。


 テルポシエ宮廷の伝統に、“傍らの騎士”という役職がありました。常に王のそばに寄り添い、見守る重要な職です。わたしは皆さん市民全員に、メイン王の“傍らの騎士”になっていただきたい、と思います」



 今度こそ、拍手が沸いた。それはすぐに、大きなうねりの喝采になる。


 エリンはそろっと、メインの横に寄った。その手をとって、高く掲げた。



「メイン・エル・シエに、皆さんの守護が!」



 隣のメインがひょえーとたまげるくらいの、大きな大きなエリンの声である。


 すぐ手前、オルウェンはおかあさんすげえなと素直に思っていた。



「そしてテルポシエに、黒羽の女神の祝福があらんことを!」



 わあああああああああ!!


 いいんじゃな――――い、それでー!!


 大歓声を後ろに、露台からぞろぞろ引っ込む一同であった。



「……お母ちゃん、大丈夫? なんか顔が……」


「ちょっと、何、どうしたのお母さん!」



 こども二人に挟まれて、イオナががくっと身体をふたつに折る。



「……あんなたくさんの人。見たことない、気持ち悪……」


「リフィ! イオナに、水ちょうだーいッッ」


「はいはいはいはい」




 そんなちょっとした騒ぎを聞かず、とととっと階下へおりるエリンである。いきなり片手を引っ張って行かれて、パスクアはちょっと混乱している。



「はあ、暑くなっちゃったわ! 人いきれって言うのかしらね」



 歩きながら、エリンはぱりっとした騎士仕様の草色外套、兄のお下がりをさらっと脱ぐ。下にもう一枚別の草色外套があらわれた。頭巾襟ぐりと袖口に、うに角獣こうんのもこもこ毛皮があしらわれ、橙色の大きな花柄かくしがついて、やたらかわいい系統である。二枚とも、ダンの入魂のしみ抜き成果が出ていた。



「あっ、ここだわ」



 やがてたどり着いた小さな部屋は、ちょうど城の財産管理庫みたいな風景だ。



「こんにちは!」



 大きな机で書類仕事をしている、三人の市民会館職員に挨拶をしてから、エリンは空いている入り口間際の机に近寄り、その下にあった腰掛をふたつ、引き出した。



「座って」


「あのー、……どうしたの? 何? 俺、メインの警護しないと……」


「そうなのよ、すっごく忙しいんでしょう! だからほとんど準備してきたわ。はいっ」



 肩掛け鞄から、くるっと取り出した羊皮紙を伸ばして机の上に文鎮で留め、エリンは携帯墨壺に硬筆を浸す。



「何これ」


「婚姻届ですよ」


「誰の?」



 エリンはパスクアの顔を見上げ、少々眉間にしわを寄せた。



「わたしと、あなたの。ようやく色々終わったから、パスクアと結婚しようと思って、……」



 がっこ――ん! パスクアは、四角く口を開けた!



「あ~……」



 エリンは左手で顔を覆った。



「もう、本当にだめね、わたし……。そこからだった……」



 上げた顔が、照れ笑いに輝いている。



「たいへんお待たせいたしました。パスクアさん、エリンと結婚してくださる?」



 白い刀傷が左頬に目立つ。けれどその上のえくぼが、もっとでっかい態度で笑っていた。


 がく、がくんッッ。パスクアはものすごくぎこちなく、首を上下させた。


 タリエクやウーディクが見たら、ちょっとロボ君ぽいと思っただろう。



「じゃあ、硬筆貸してあげるから……ここにね、パスクアって書いて」



 もう一つあけてあった空白に“エリン”とだけ書いて、それで元女王はさっさと職員のおじさんに、書類を提出してしまった。




 ぼうっとして、抜け殻状態になってしまった夫をぐいぐい引っ張って、エリンはもと来た廊下を戻る。



「ほら、早く行かなきゃ。メインと一緒にいなくちゃいけないのでしょう」


「はい……」


「帰ったらね、お部屋片づけ始めてちょうだいね」


「……??」


「これから地下室引き払って、あなたの所に行きますから。狭くなるわよ!」


「……いいの?」


「いいんですのよ」




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