表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の挽歌  作者: 門戸
東の丘の最終決戦
247/256

247 東の丘の最終決戦33:ふたりの母たち

 朝からの小雨があがり、青い春の空に虹が輝いていた。


 照って、かげって、降って、吹いて、また照って。テルポシエの空は絶え間なく変わる、一日のうちに四季が通り過ぎるかの如く、様々な顔を見せる。


 湿って重い色に変化した城塞の中心、岩づくりの城の最深部は、薄暗くって日中でも灯りが要る。


 大きな燭台をででんと並べた長卓を挟んで、中広間でエリンとメインは向かい合っていた。



「お互い、元気になって良かったよね」



 赤い巨人の枷から解かれ、十年ぶりに熟睡を満喫できて、メインは年相応の相貌をちょっとずつ取り戻しつつある。



「本当にね」



 笑い返したエリンの左頬には、まだ傷跡が生々しい。けれど彼女はそれを隠していなかった。草色外套の襟元からは、首に巻いた晒がのぞく。



「メイン、あなたはわたしの大事な友人です。あなたの率いる現エノ軍、そして精霊たちも。それを大前提とした上で、話を聞いて下さい」



 エリンの左横には、旧テルポシエ軍第九団、現“緑の騎士団”の団長と、秘書のレイが座っている。右脇には“傍らの騎士”代理のリフィが、柔和な表情で座していた。


 向かい合うメインはうなづいた。右脇のパスクアとタリエクが、緊張の面持ちでこちらを見ている。左側のウーディクは、いつもと同じおもしろ顔で平常心だった。



「いくつかの条件とともに、テルポシエの主権をあなたに完全譲渡することを、女王として提案します」




・ ・ ・ ・ ・




 非公式でのメインとエリンの話し合いは、長く続いた。もちろん、どちらも急いで結論を出すつもりはない。長く待つことをよく学んだ二人でもある。


 三日目の午前、中広間を出るとイオナが廊下にいた。フィオナとオルウェンが後ろにいる。


 二人の子ども達はイオナとリフィとスカディと、城に住み始めた。相変わらず地下に住むエリンは、あまり会わない。



「……ちょっと、話せる?」



 メインを迎えに来たのではない、イオナはエリンに会いに来たのだった。


 展望露台に出る。二人の子どもは長い城壁上で、精霊の球をぽーんぽーんと打って遊ぶ。時々ヌアラと弟たちが邪魔をする。


 イオナと二人きりになるのは初めてだ、とエリンは思う。リフィの便たよりとナイアルを通して多くのことを聞いてはいたけど、実際に向き合うとやはり内心どきどきする。


 緊張しているのは、イオナも同じらしい。上背のある体は、十年前よりずっと大きくなったように見えた。


 ずいぶんためらってから、イオナはようやく言った。



「傷は?」


「おかげさまで。全部かさぶたになって、もう痛まないの」



 ギルダフに傷つけられた後の苦しみからすると、どうしてこんなに早く治ってしまったのか、本当に不思議だった。杖を使わずに歩けるようになったし、左手首もゆっくり曲げられる。下腹も痛まない。


 アンリは宣言通りに毎日通ってお粥を作ってくれたが、三日で普通の食事がたべられるようになると、今度はすました顔で鍋をこしらえた。大怪我をしたお得意様のお見舞いにと言う名目で、それからも“第十三”の面々は、しょっちゅうエリンの所に来る。


 イオナは目を伏せてうなづいた。



「……メインの看病してくれたって。ありがとう」


「いえ、わたしは食べものを届けていただけで……。わたしの方こそ、あなたに何てお礼を言ったらいいのか、わからないわ。息子を、あんな丈夫な良い子に育ててもらって」



 エリンは一拍おいて、呼吸のあとに言った。



「……ほんとうに、ありがとうございました。イオナさん」



 イオナはじっと、エリンを見た。怒っているような、哀しんでいるような、恐れているような目にも見えた。



「わたしは、あなたにずうっと腹を立てていて」 



 重い口を無理やりこじ開けるようにして、イオナは低く言う。



「……」


「あなたがどうしてあの子を手放すのかわからなかったし、わかろうともしなかった。ナイアルの話も、初めのうちは聞こうともしなかった。でも、……フィオナがべらべら喋り出してから、ようやくわかってきた。その時にはもう、自分の子としか思えなくなっていて」



 イオナは視線を落とし、一瞬目を閉じた。開けてからエリンを見、絞り出すように言った。



「……わたしは。フィオナからメインを取り上げた。あの子からも、あなたを取り上げてた」



 十年前、当初の計画でオルウェン王子は、テルポシエ北東部にある辺境集落に隠されることになっていた。いくつかの家を転々と住み替えて、そこに時折エリンが赴くことにもなっていたのだ。


 さっ、とイオナは視線を逸らす。


 展望露台の縁に置かれた大きな、しなやかな手が微かに震えている。



「フィオナが言っていた。……子ども達に初めて会った時、あなたはあの子に、何て呼んだらいいのって聞いたって」


「ええ」



 ローナンか、オルウェンか。そして彼自身は、どっちの名も気に入ってる、と言った。


 イオナは、エリンに見上げられるのが辛かった。息子と全く同じ瞳、そっくりな面影。どう見たって実の母親だ。


 そういうエリンが彼をオルウェンと初めから呼び、今までどうもありがとう、さあ返してと頼んで来たら?


 ふざけないで、と自分はみっともなく逆上するのだ。その先どうなるかはわかりきっているくせに、自分から草っ原を泥沼に変えてゆく。


 そうして最後、何をどうしても抗えないで終わると思っていたのに。



「……ね、イオナさん」



 エリンは低く問う。



「わたしにあの子を返すのが怖くて、なかなか帰れなかったのではないですか」



 イオナは目を閉じる。こみあげるものを必死にこらえて、それを開ける。


 実の娘には、父のところに返せとことあるごとになじられ、柔らかく接してくれる心の拠り所の息子は、実子ではない預かりもの。母親になっても不器用なままのイオナは、こじれにこじれてがんじがらめになってしまっていた。



「メインに詳しく話を聞いたけど……本気で言っているの? あの子のこと」


「ええ、本気ですよ」



 けっこう前から考えていたことだった。オルウェンを見て、イオナを見て、それで一番“まるく”おさまる方法だと確信した。あとはメインとフィオナ、……テルポシエに住む人たちが、どう受け取るか。



「わたしは、こうするのが皆さんにとっていちばん良い、と思いました。イオナさんは、どう思って?」



 屈託ない言い方で問われて、イオナはようやく少し、ほんの少しだけ笑う。



「とっても、いいと思った」


「そう!」


「ありがとう、本当に」



 ぎゅ、と決まり悪げな顔になる。



「……あの時、思いっきり引っぱたいちゃったこと。ごめんなさい」



 ふはっ!! エリンは破顔して、イオナのもりもりな上腕をやさしく触った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ